高野山の七不思議(その5) | 高野山への道

高野山の七不思議(その5)

その一 高野山に蛇なし
その二 高野山に臼なし
その三 姿見の井戸
その四 高野の大雨
その五 玉川の魚

六 杖ヶ薮

Ⅰ 伝承
空海が、京からの帰り道、杖として使っていた竹の棒が不要になったので道ばたにさしておいた。
すると、その逆さまの竹の棒が根をつけ、竹藪になった。

Ⅱ 検証
ⅰ)空海の歩いたルート
杖ヶ薮は、現在の371号線(玉川林道)沿いにある集落である。
何故、そんなところを歩いたか。

高野街道や、高野七口などは、高野山がある程度活性化してからできたと思われるので、空海による高野山開闢当時はなかったと思われる。
京都からなら、橋本から右回りで丹生川に沿って高野山に登るほうが距離的には近い。
なので、現在の杖ヶ薮集落を歩いたことは充分にありうる。

ⅱ)杖
杖を捨てた事に少し疑問が残ると思われる方もおられるだろうか。
お遍路さんは、杖を大事にする。
橋の上で杖はつかない。
宿についたら、靴を脱ぐよりも先に杖を綺麗にする。
、、が、それは、杖にはお大師様が宿るから大事に扱うので、本人が杖をどう扱うかは本人の勝手だろうか。

ⅲ)竹
竹は、不思議な植物である。
(´-`).。oO(竹の七不思議ってのがあるが、むしろこちらの方が謎)

例えば、木でも草でもなく、両方の性質を持つ。
(´-`).。oO(群生していると林のようだが、実は地下で全部繋がっている。なので、花を咲かせるときは一斉に開花するが、枯れる時は全部一気に枯れるそうだ、、)

花が咲く周期も解明されてない。
川原に捨てていた竹箒が竹藪になるんだよという話を聞いたこともある。

(´-`).。oO(竹の筒の中で氷らせた日本酒を飲んだことがあるが、非常に旨かった♪)
(´-`).。oO(ちなみに、エジソンが発明した電球のフィラメントには、京都の竹が使われた)

高野山への道-竹林
・ご近所の竹藪です。現場とは一切関係ありません。

Ⅲ 現在の杖ヶ薮
行ったことがないのに偉そうなことは書けないが、相当に不便な処だというのは想像に難くない。
玉川林道を走るのも相当な困難である。

テレビで、「和歌山県高野町の住民が11人しかいない限界集落に移り住んで活性化に挑む女性と、村人のドキュメンタリー」ってのをやったらしい。
概要は以下の通り。

高野町が発案した「むらづくり支援員」制度に44才の女性が応募してきた。
むらづくり支援員とは、過疎や高齢化が進む集落に移り住んで、再生に取り組む人材を雇用するというもの。
報酬は月15万円で、仕事は月100時間のフレックスタイム制。
任期は3年だそうだ。

集落を活性化するために移住したが、仕事といえば、当面の生活の支援だったらしい。
中の人にとって、集落の活性化などよりも、日々を生きることの方がよほど大事で過酷だろう。