山本清風のリハビログ

神様のエロ本


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 小説家の猫はナイーヴで好もしかった。

 小柄な、茶虎のなめらかな毛なみキャリーバッグの隅に寄せ、額に飼い主の手のひらあてがっている。室内飼いの男の子だそうであるが、こちらからはややぶちの混じるちいさな鼻しかみえない。小説家と猫の話だけを二、三して、それがよかった。

 私は静謐なこころになって動物病院を出ると、坂を下り、保育園を左折して、木陰のカーブを抜けて神社を通ると、川に出た。整備された河川には桜が植わり、ベンチが据えられ、走るひとがあり、空模様の機嫌はすこぶるよかった。

 私は少しだけ家事を放擲することにして、ひらはらあえか落下する花弁のなかを、ベンチに座った。野菜の名前の愛猫を撫でながら風が、川面の上空を花をちりばめて渡ってゆく様子を、可視的に眺めた。アイコス噛みながら、みた。

 上京して幾年、いまやゆく春を惜しんでいたずらにこころ痛めることもなくなった。春はまた来るのだ。強度を得たのと同時に鈍麻したのだともいえる。平和を信じるというよりも、希望が習慣づけられたというべきだろうか。ともあれ齢の数程度には前進しているようで、何より。

 雪国から上京した私は生まれてはじめて桜をみた。胸を打ったのはどちらかというと、その美しさよりも、落ちた花弁が足蹴にされ茶色く朽ちてゆくことだった。足を停めて、落ちたばかりのひとひらひらうと読みさしの文庫本に、そっと閉じた。

 帰宅すれば細君と子供の自転車がなくて、自転車置場には『櫻の園』のピアノ曲修練している音色が微かに届く。いま暫し私は静謐なこころのまま猫を解放すると、猫背にひとひらぽつり、花びらが名残ってなかなかに風情がした。




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 比喩が気色悪いのである。



 比喩というのはたとえのことで、メタファーともいう。というのもこんなことがあった。独身女と妻帯男の往復書簡があり即ちこれ不義密通ということになるが、文中しばしば"卒論"という単語が登場しかしながらふたり大学生ではない、文面読み進めるうち"卒論"とは"離婚届"を意味していると文脈から察せられる。これは隠語、暗号、秘密の合図、共通言語、閉鎖環境に於けるとまあなんと呼んでもいいが、比喩である。これが気色悪い。



 読者諸君のなかには「不快」「悪い意味で最高」「冴えてる」等思うひとがあるかもわからない、恋人同士の会話なんてものはえてして気色の悪いものであってそれが白日に曝されたのだから路傍に内臓の腐っているようなものであるが、それにしても限度というものがある。祝福ムードの強要と電車内に於けるディープキスは等価値であって私たちは他人を祝うなんの権利もなければ同時に、なんの寿がれる資格もない、それでよい。だがひとえに気色悪いといっても肝要なのは理由であり、思考せんければこれ人間などただの肉塊である。



 考えてみよう。"離婚届"を"卒論"と呼ぶことにはどんな意味があるだろう? きみ、比喩をそう馬鹿にしたものではない、或るものを別の名に換言するときそこに深層心理が投影される。弾丸の線状痕にも似てこの場合両名の関係性すらプロファイルできるのだから、比喩がきもいというのはこれ、人間性の一大事なのである。



 さて推理してみよう。離婚届が卒論と呼ばれるとき妻帯男は独身女を待たせているに違いなく、卒論というのは〆切に向かって大学生が書くものであるから相当待たされることになろう。卒業の日程は決まっているのだがなんとなれば提出しないという選択もあるわけで、現に私はまじめがとりえのような女子大生が提出の朝寝坊し、単位など分けて欲しいくらい取得しているというのに留年、というのを目の前でみている。また卒論とは達成すべき目標であるという点にも留意したい。果たして離婚届とは、達成すべき目標であっただろうか?



 これは飽くまでふたりだけの目標であり勝手に目標設定された妻はさぞかし迷惑だろう。この目標というエレメントがきもさの源泉なのであり自分勝手な目標とは自己啓発と同一線上にある、つまるところ「自分はいいことをしている」との触感が判明したときひとはきっと、おぞましいと手をひっこめるのだろう。根底に流るは罪悪感であり、それを悪人となる覚悟もなくさも目標のように謳うこれが、きしょい。



 それを踏まえ離婚届を卒論と呼んだ詩情(ポエジー)がどのように編まれた(ロジカルされた)かを想像(イマジネーション)すれば、以下の対話が容易く導かれよう。



独身女「でも奥さんに悪いし…」
妻帯男「(相手の罪悪感を除去するため自分はいまの妻から卒業しなければならず、なぜならばより高次のステージに進む、即ちあなたと交際することが自己を啓発することになるためあなたは何ら罪悪感抱く必要はなく、ついては離婚しなければならぬわけだがこれら法律用語は罪悪感を誘発しかねぬので離婚が卒業ならば離婚届とは卒論であるとし、またまじめな人間ほど鼻先の人参つまり目標を掲げられそれに向かい協力することに疑いを持たぬので、上手く論点がすり替えられマイナスをプラスに転嫁できるような内容)」
独身女「応援する!」



 マクガフィンという言葉がある。意味は各自検索されたいが目標は目標であってなにも、牽引するだけが目的ならば達成する必要はない、つまり妻帯男が家庭を損なうことなく一定期間独身女と火遊びしたいと思えば、離婚届(この場合は卒論)という目標設定だけで関係性は成立してしまう。卒業がゴールではなくさしあたり卒論を設定しているあたり、手札を大事に大事に切って長く楽しみたいという感じがひしと伝わってくる。だがここまでである。



 独身女が世間を知らず純真を弄ばれただとか、妻帯男が生ゴミを頬ばったような不細工いやむしろ生ゴミそのものであるとか、なかなか興味ぶかいシチュエーションの気色悪さが多々あるけれどもそれは本質ではなく、本稿は比喩の気色悪さを対象としているのであって書いている私も相当胸を悪くしている、これ以上脱線を書いてキーボードが吐瀉物で汚れては切ない。実際になにがどうしたであるとかそういうことは指定の曜日然るべき場所に投棄しよう。



 私はなにも不義を責めているわけではない。ただ比喩というのは人間性の印字された内臓みたいなものだから、おまえらも気をつけたほうがよい。自分は若い時分このようなことがあった。つきあうことになった女が私方に少しづつ私物を置くようになりそれをして女は「巣づくりしてるの」と言う。聴いて私は「なんだ巣づくりてじゃあおまえ雛が巣立ったら別れるのかてゆうかおまえは鳥か可愛いとでも思っているのかさっさと股を開くでゲス」など思わないでもなかったが結局言葉、嚥下した。そして別離したるのちこのことを思いだし、なんたるつまらない気色の悪い比喩であろう。ひとりキーボードを汚すのである。



 このようにまず、悪い比喩には奥行きがない、浅いのである。目先の近似ばかり気をとられそれをそう呼ぶときなにを意図するか、こころがゆき届いていない。ゆき届かぬというのは全く考えていないわけではなくて、意図が自分がどう観られるかばかりにとらわれて、すっかり視野狭窄している。そら自分は鳥にたとえて可愛いか知らん、しかし立つ鳥跡を濁さずというし巣づくりは親の役目ではないか、では私はなにか? 雛か? ここ、私の家なんですけど? とは口にせず、雛鳥とは天仰ぎ口を開けて待ち続けるもの、然るのち餌、丸呑みするもの。



 筆が横滑りしたが卒論の比喩にしても主観の所在が大事であり更に、所在の明らかになった主観には覚悟がなければならぬ。比喩がなにもかも婉曲表現だと思う者は比喩を悪用しているのであり、その姦計がこうした分析により看破されているのみならず、本質さえありありと漏洩していると気づいていない。あと忘れる前に書いておくがおもしろい比喩を共有できなかったカップルは早晩、破綻する。共通言語たる比喩は言うなれば子供の名前、いや子供そのものでありセンスの悪さを恥じるべきである。したがって比喩の問題はなにも不倫カップルに限らず、普通のカップルから人間関係全域へと広義に渡っている。



 では離婚届はどうたとえられるべきだっただろう。私は主観の所在と覚悟を前述したが、自らを正当化したり可愛いと思われたいなどぶれることなく、たとえば悪を一手にひき受けるのも覚悟。離婚届を卒論にたとえるくらいならば、手軽に致せる異性を"公衆便所"と呼ぶほうが比喩としては鋭く、論理整合性も高いし誰に文句を言われたところで好かれようと言ったはずもなく、或る側面の事実を明確に言い得ている。或いは相対する概念をもってくるのは定石として、そこを超越してるのがたとえば性風俗を"ヘルス"と命名した詩人である。ファッションヘルスだとかデリバリーヘルスであるとか、応用されることで最早元の意味を超越してしまっている。こうした強度がときにひとのこころを打ち、ときに馬鹿馬鹿しくさせて問題を解決してしまう、ふたりの関係が軽率であったのかどうかは比喩にありありと刻まれているのだ。



妻帯男「もうちょっと待ってくれへんか」
独身女「いつまで待たせますねん、はよ領収書切ってえな」



 こういうものは説明するだけ野暮なのだがこの場合仕方あるまい。こうして離婚届を領収書にたとえた場合、がぜん家庭裁判所のおもしろ判例になりそうな予感がしてくる。金銭問題ゆえ刃傷沙汰もありえようがそもそも痴情のもつれなのだから、美化する必要も、ましてや卒論などと目標めいていう必要などないはずだ。



妻帯男「書けたよ…」
独身女「赤紙が…」



 なんて不謹慎でよいのではないか。不倫が不謹慎であるかどうか見解が分かれるところであるけれども、更に大きな不謹慎によって完全に不謹慎とし、不必要なまでに不謹慎な比喩を用いることできちんと婉曲/論点のすり替えが配合される。あとはもう紙にとらわれることなく結婚指輪にごぼう刺して枕許に置いてもいいし馬の生首投げこむでもいいしいっそ"ポア"でもいいではないか、なんだ卒論て、つまらん。






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 二十代前半、水木しげるは私にとって精神的支柱だった。

 しりあがり寿を「死を笑い飛ばしたい」と『瀕死のエッセイスト』を描いたが、知っての通りしりあがり寿の作風はコメディが実は笑えない深刻さを物語る、というパロディのパロディというシリアスで勤勉なサラリーマンが精一杯おどけてみせる、そんな緊張感を読者に強いるのが作風だったのだからつまり、失敗していたのだが。

 だがスローガンとして掲げられたそれさえも実はポーズであり前フリなのだという「死を笑い飛ばしたい」とはすでに、水木しげるが実践しているではないかと想到した。死の深刻さを相殺するのはユーモアというよりも希望という代替案であり、宗教のように説教くさくなく金のにおいがせずまこと身近でありそのようなものが、妖怪という二字には結実されているような気がする。キュートだとかユーモアはそれを包んでいる表皮に過ぎない。牧歌的である。思えば谷岡ヤスジがただひとり肉薄していたか。



 二十代前半の私にとり水木しげるの言葉はことごとく、沁みた。なにしろ好きなことばかりして暮らしたかったしなまけものであったし水木しげるは成功していたからだ。あなたのようになりたい、と私には赤紙を受けとる勇気も片腕を失ってそこに赤ちゃんの香り、生命の香りを嗅ぎ原住民から果実を譲り受ける能力も覚悟もないのに、都合よく解釈していたわけだった。いま思えば致命的なまでにハングリーさが足りないのである。ここ一番で水木しげるを突き動かすものは食欲であり、それ以外にも旺盛な睡眠欲、吉原来訪エピソードにみる性欲など、欲望に忠実であるからこそ「好きのちからを信じればいい」でちょうどよかったのだろう、といまではわかる。決して菩薩ではないのもミリキであった。

 水木しげるに憧れながらも一日三食を八〇円のインスタントカレーを喰らい、睡眠時間を削りDTMしていたむしろストイックな私は足しげく古本屋へと通い、水木作品を蒐集しつづけた。はじめは鬼太郎だけなんて思っていたものが、青林堂版・講談社版・扶桑社版・以下続々と復刊される鬼太郎シリーズを買いつづけ、思えば太田出版の復刻シリーズや墓場鬼太郎の再アニメ化などなど毎月のように新刊がでていたし、すぐに鬼太郎だけでは物足りなくなってすべて買い集めるようになってゆき、神保町でずいぶん紙幣を落としたりした。自室には水木しげるが屹立の余地なく積みあげられ、大水木展あたりを頂点とし長き栄華を誇った。いま徒然なるままに、水木。



 取り壊される男性寮から大量の精子の霊魂が飛び立ってゆく
 墓場からゆりかごまで(わかり過ぎるほどわかる男よ)
 くしゃみの拍子に他の人間の口に入るボヤ鬼
 フハッ、とは脱力したときにでる音
 閉店間際の八百屋、安くなった腐りかけのバナナを奥さんと食べるのがたのしみ
 生まれてはじめて発した言葉が「死」
 うんこの島
 ゾロゾロゾローッ
 バオーン
 体育館に響き渡るナプーン
 妖怪語ピリカポリカテ
 鬼太郎と悪魔くんの対決
 三島由紀夫
 喫茶店
 ものすごいスピードで点と点を繋ぎあわせてゆく
 コケカキイキイ
 デスノートの元ネタ
 こなきじじいとともに沈んでゆく原子力潜水艦
 ビビビビビビビ、ビン(最後の一発、ねずみ男が涙を浮かべている)
 美人の幽霊に魅入られる山本

 もう半分以上妖怪なんです、そう言っていた水木しげるはとうとう肉体を置いてゆき、ペトロペらがまつあの世へと旅立った。涅槃でも天国でも極楽でもなく、あの世の辞典を描いていたのだからあの世としか言いようのない場所へと行った、行ってしまったのだろう。再三水木しげるが書いていたように、水木しげるの死はかなしむべきものではなく、といって爆笑できるものでもなく、水木しげるの訃報を受けて自分が文章を書かずにおられないのはやはり悔恨めいたもの、しかし名状すべき追悼文があるわけでもなく、なんとなくさみしく、諸行無常を感じずにはおられずまた、できることなら肉声のひとつでも聴いておきたかったというような些末に過ぎない。

 多くの死がそうであるように、私自身そう思っているように、これからはいつでも話かけられるし話せるようになる、それが死でありさみしさをも埋める唯一だと思う以外にないのだろう。それでもなおさみしくて、訃報を知った昼からずっと私は、府中の方角に向かってひとりブリガドーン合掌をしているのである。






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 エクセルシオール


 との文字列が掲げられている傍らの自動ドアを抜け、私と友人は下げ台から使用ずみマグカップをひとつづつひっ掴むと喫煙席へと赴いた。で、煙草に火を点けぎしり。対峙した。


「サノケンがオープニングでハガクレよ」
「なんだと?」
「サノケンにオープニングのハガクレよ」
「おいさっきと接続を変えるなよ。わかりにくいものが余計にわかりにくくなる」
「聴こえてるんじゃないか」
「つまり、佐野研二郎がオリンピックの開会式でハラキリしたら外人にめっちゃ受ける、そう云いたいんだろう?」
「流石だな清風。円周率が割り切れちまうよ」
「なに?」
「一晩で法隆寺建てられちゃうよ」
「おい嬉しいのはわかるが自信がないからといって途中でねたを変えるなよ」


 思えばこいつとは中学時分からのつきあいである。本質が変わらないというのは存外疲弊するもので、というのも互いの間には或る特定の時間軸が走っており、それは私たちの経年であるだとか明日馘首になることとは無関係であるがため、落差が私に残酷なのである。この空を抱いて羽ばたいても中年は神話にはならないし。


「ところで清風はけっぶふん」
「おい汚いな」
「すまんすまん」
 はは、と笑った友人の鼻腔からひとすじの。
「おっと、鼻水タリーズ」


 やがて時間は動きだす。
「おい、天才かよ」
「誉めてないぞ。さも私が云ったかのような叙述トリックはやめろ、あまり読者を馬鹿にするな」
「清風こそ俺たちがまるで一篇の物語かのような物言いするじゃないか、正気か」
「そもそもここはタリーズじゃない、ヴェローチェだろう。なににかかってるんだ」
「おいおい清風、ここはサイゼリヤだろ?」
「なんだと?」
 ふいに無言となった私たちの後方で、


 ピロリ ピロリ ピロリ


 ポテトの揚げあがった音がしたかと思うやピエロ的メイキャップの店員がやってきて、私たちは喫煙の咎によって拘留されたが私なんぞはまだよいほうで、友人は××に月見バーガーを見舞われていた。






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「これでは使えないしそもそも、可愛くない」

 私が一刀両断にすると出尾菓(デビカ)は艶めかしく微笑んで、

「使えないとなんで困るの?」
 と問うた。その待ってました感がいけ好かなくそこはかとなく鈍光(にびひか)るアクセサリーがそれがため拵えられたのだと知ると、女性がカワイイに封入する意味は最早一冊の辞書である、と我ながら名言めいていたなんとなく。

「クリスタル」
「ん?」
「就職活動の惰性でオープンマインドなお前が射程距離に踏みいるやのべつまくなし男とあらば駆けひきするその脊髄反射が腹の底から不快だし、リクルートスーツを脱がさないで」
「ぜんぜん意味わかんないんだけど、なんで不快なの? なんで使えないと困るの?」

 男の子が好きな子にいじわるするように、いけずは駆けひきのうちだと出尾菓は考えているようであった。
「もってけ!セーラー服っていうのは、セーラー服を脱がさないでのオマージュにしてアンサーソングだと思うんだよな。傀儡的な前時代的アイドルソングのアンサーを、自立的な現代アイドル像としてのラブライブ!楽曲手がける畑亜貴が書いたというのは一顧する価値がある」
「ん?」
「そりゃクリリンのことか? それともプニってことかい?」
「こっちがきいてるんだよー。なんで使えないと困るの?」

 少しく思考停止していたようだ。
「ちょっと離れてくれるかな」
「えーなんで~?」
「いいから後ろに下がってごらん」
「んー、ここ?」
「まだ後ろ」
「え~清風のいじわる」
「もっとだ」
「まだ~?」
「よし、そこでいい」

 私がアンダースローしたつぎの瞬間───、レジン閉じこめされていたコンドームが出尾菓の額に貼付されていて、破片がきらきら綺麗やってん。




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エイブラハムのパンチ そして
エイブラハムのキック
私たちは
いろんなエイブラハムの徒手空拳を受けながら
死について考えたりする


しかれどもエイブラハムは最中にあって
片手でアシュレイマディソンしたりする
婦人と床にあるときも
絶頂に至るまいとプラトンの『国家』を
諳んじるため 女性たちから疎んじられている
いままさにライン通話に切り換えて
(私たちが血の血液を流血しているのに)


堀北真希が誰と結婚しようが
誰が芥川賞をとろうが関係ないではないか
私たちは血を巡らせたりして
ときに死を考えたりする
ひとは死ぬために生きているのだから
死について考えることは 生きることである
生きる実感のためならば
エイブラハムのパンチを受けよう
キックを喰らおう ノーザンライトボムを
それが、生かしている実感から生じたならば


エイブラハムのパンチ そして
エイブラハムのキック
逮捕しちゃうぞ




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それでも私が思うにはこのところおかしいと感じていた高村がやはりおかしいことになっており、こうして陽が暮れてゆくのだなと思っているうちに私たち間に妙な空気が流れて会話はなくなり、気づけば手と手をとりあって春駒通りをふたり跳ねていた。高村を出汁にしたのは悪かったが高村などそもそも存在はしないのだから誰に罪悪感を抱ければよいのだろう、それよりもいまはこの手に伝う温もりを確かめていると、それ以外に大切なものがあるだろうか否ない、断じてあり得ぬと、ふり向けばあいつは、高鼾をかいていた。道理で手が温かいはずである。詮なし詮なしと無感動にあいつを笹の葉に乗せて、川の流れにと放つ。精霊流しとはかつて、生霊流しではなかったろうか? 古事記の蛭子(ヒルコ)になぞらえて、穢れを祓うべく押し流される人身御供その機能としての。私は今度はこころをこめて発語した「オッス、オラ悟空。オメエ強ええなあ」点景になってゆくあいつのアテレコに成功した私は山ちゃんとなり、つまり山寺宏一となって、ドナルドダックの声は俺に任せろ、とカバオくんの声で宣言した。時に西暦2015年、第三新東京市に使徒が襲来したのとまったく同様のタイミングで火山活動を始めた(阿蘇山大噴火が選挙活動を始めたら、火山活動が活発になったとかいわれそうでいやだなあ)
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アパートのまえ
叢に朽ちている駆逐艦
私はあなたと一緒に眠ったこともある
股が破れてしかたがないので、来年
別離したばかりであるのだが。

因果律を冒涜するその目鼻だち、
手足口病、耳なし芳一
芳しい長男であるところのその
立居振舞、まいんちゃん。
大人にならなければよかったのに
とは、友人談

くちくちに朽ちた駆逐艦には
耳がない、鼻がない、口ばかりがある
一年経った来年にもきっと
私の悪者ばかりをいっているのである。
本気にしてはならない



春、駆逐艦を信用してはいけない。






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赤ちゃん先生も発熱をする。



くっきりとふたえになり、こころぼそいのかひしとしがみついてくる。可愛らしいことこのうえないが眠ると熱があがり、体温計によれば38.9℃とある。



病院の冊子に曰わく「40℃の熱がでても脳はやられないから大丈夫」とどこか文体に違和感があり、もしかするとなめられているのではないかと考える。終わりのあたりで突然、フランクになるからだ。



赤ちゃん先生は九か月になった。朔日から保育園に通い始め、泣いたり、茫然としたりしているそうだ。人生だわ。社会である。



彼のような年代にあり同輩の行動というのは、想像もつかぬほどの刺激をもたらすものらしい。赤ちゃん先生は突如加速度的にはいはいを始め、つかまり立ちをし、段差を乗り越えて、白米を喰い始めた。



同輩の行動とは想像もつかぬ刺激をもたらすらしいのである。



これに伴い危険もまた、増した。寝かしつけてから私たちはパーソナルコンピュータをしたり、菓子を喰ったり、尾籠な話題を語りあったりした。ぷすぷすと音がして、赤ちゃん先生が起きかけている合図である。



そのまままた眠りに就く確率が高く、下手に刺激しないほうが吉である。私はなんとなし、もしかすると細君の話に区切りをつけたかったのかも知れない、赤ちゃん先生の様子をみにゆくと、所定の位置から動かぬはずの赤ちゃん先生が最早ベッドの端におり、私に気づいて笑顔を投げかける───と、



そのまま傾いてゆきベッドの下へと



落下した。



その光景を私は夢にみる、かと思ったがみなかったけれども、精神的大地震が起きたことには違いなかった。幸い下は畳敷きだったため大事はなかったものの、私はすっかりこわくなってしまって寝かせる環境についてあれこれ考えた。



なにも思いつかなかったが。とまれ、目を離せなくなったことだけは、わかった。



「へろへろ」
これはかつて、赤ちゃん先生の発声であった。



「うー、まんまんまんまん」
これは最近の、赤ちゃん先生の発声である。



「お父さん、月は潮の満ち引きによって数センチ程度伸縮しながら公転していることが最近の研究でつまびらかになったのですよ」
これは赤ちゃん先生の喃語を翻訳したもの。大学時代、第二外国語として喃語を学んだのがいまになって、役だつとは。



赤ちゃん先生はパンツ式のおむつの端をちぎるとき(パンツ式のおむつは履かせるときにはパンツだが、脱がせるときには両端の仮縫いめいた部分をちぎり、尾籠を除去するという暴力的な仕組みになっている)私が



「ふんッ!」
といいながらひきちぎると、爆笑をする。





なので、私も笑ってしまう。






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赤ちゃん先生はあと少しで八か月になる。

掴まりだちをする、横座る、いざる。或いは離乳食を喰らう、大人の食しているものを欲す、かつ喰らう、など。或いは更に萬緑ではないものの吾子の歯生え初めたりなんかした。私はそのころ人間がすっかりいやになっていた。

毛髪は相も変わらず和毛でそれでも、池上彰よりは生え初めてきた。いっぽうは進歩しいまいっぽうは衰退するのだから当然といえば当然である。私はイブプロフェンなくば頭痛やまず、なんやちくちくするな思たら足に夥しい紫斑めいた症状があらわれていたし、パンツのなかにナイフをもった女子高生がはいっていた。

女子高生をつまんで窓から捨てると、赤ちゃん先生が目があうだけで破顔するため私はにこやかになり、非可逆な時の流れを惜しんではまた無理を、押した。

赤ちゃん先生は泣きそうになるを堪え「ウー、メンメンメンメンメンメン」と喃語するようになった。なかなかに愛嬌があり、もうすぐしゃべるかも知れない。

赤ちゃん先生は手ずから哺乳瓶をもつようになった。マイルスデイビスに酷似している、というかいつでも赤子のほうが歴史の先にたっているのだから、マイルスが赤子を模倣したのである。

私は紫斑病になった。検査結果如何によっては、入院するかも知れない。



乞うご期待なのである!






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