山本清風のリハビログ

神様のエロ本


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 文学フリマ。正確に言えば、その打ち上げに赴いたのである。
「おや…清風さんではありませんか」
 秋山真琴である。考えるまえに、跳ぶ。着水するまえに、跳ぶ。書くまえに、語る。速きことにその真髄のある、陣形でいえばラピットストリームといった風情の人物である。ただかつてに比しても輪をかけて忙しいはずで、眼前にあるのは精神の五十年以前の肉体のようでもある。
「ない」
「じゃあ僕の葉巻をあげます。で、打ち上げに何しにきたんですか? 出展もせず」
「腐り姫、ひぐらし、車輪の国―――その次は?」
「………!」
 秋山真琴の表情に思考の色とも違う、張り詰めたものが、走る。
 が、それは一瞬で、すぐにまた鷹揚な声へ戻り、即答した。
「それは…『果て青』ですね」
「ほう」
 わからない。わからないが、わからないことを伝える必要は、いまない。人と人がわかりあえぬのは自明であり、確認せずに推し進めることで問題の起きるのが仕事や家庭などの人間関係だとすれば、この場に於いて既に私たちは人に非ず、というかそもそも、ゲームや小説などその場で瞬時に体験できぬものをまあ気持ちはわかるけれど、指先てきぱき走らせてウィキペディアなど速読したところで、なんの意味もない。わからない。そんな時にはただほう、うむ、なるほどなあ、かなんか相槌打ってあとはちんと座って静かにしておればいいだけであって、発言せんければええのであって語り得ぬこと、沈黙することそれ即ちが対象を知らぬ私の罪と罰なのだ。共有することのできぬ、惜しむべきとりかえしのつかない、過去なのだ。

「残忍だよ」

「それって残念の間違いじゃないですか?」

「てっきり秋山君は『CROSS†CHANNEL』と言うと思っていたが」
「それはですね……」
 と、これは彼が言い淀んだのではない。打ち上げの会場から不自然に乖離しているこの喫煙空間に闖入者が紛れこんだためだった。闖入者がゆらり口を開く。
「また、逢うたな……」
 猿川西瓜である。言下、てぃてぃてぃんてぃんと何やら口ずさんでいるのだが、つい先刻まで熱っぽく交渉していた一般参加の女性はどうしたのだろう。どうやら向こうで別の男性といやに盛り上がっているようだが………。
「まだ、果たされぬのだな」
「全部や、全部そらでうたえるわ、それくらい好きや腐り姫」
 なるほど『腐り姫』のオープニングを模しているわけだった。その割には口ずさんでいるメロディーがやけにキラキラしていてつまり違うようだが………。(おそらく同時期にプレイした純愛系のエロゲーと混同していると思われる)とまれ、彼とまだカラオケにいったことはないし決定的に音程の定まらないタイプなのかも知れない。てぃてぃてぃん。
 ちなみに説明すると、彼は私と秋山真琴のやりとりを聴いていたわけではなく、ということは、抜き身でエロゲーの話題を鼻先に突きつけてきたのである。このケダモノめ。
「猿川君」
「なんなんすか清風さん、今日大人しありません? いつもと違うわ。(女性器の名称)とか(関西地方で使われている女性器の名称)とかぜんぜん言えへんし」
「腐り姫、ひぐらし、車輪の国―――その次は?」
「………!」
 猿川西瓜の表情に思考の色とも違う、張り詰めたものが、走る。
 が、それは一瞬で、すぐにまた鷹揚な声へ戻り、即答した。
「『CROSS†CHANNEL』ですね」
「ほらな」
「なんやねん!」
 私の推理はあながち外れていなかった。だが、知らず矜持を傷つけられてというか矜持を傷つけられたことも知らず、薄々気づき始めている猿川西瓜を擁護するわけではないのだが、秋山真琴がすっと助け舟を差し込んできた。笹の葉。
「いやね、『CROSS†CHANNEL』は最強のエロゲーなんですよ。あのゲームで僕の中のエロゲーは終わったんです」
 まだだった。まだこれは、猿川西瓜の台詞だった。叙述トリックは地の文で行ってはならない、これは『車輪の国、向日葵の少女』の灯花の台詞だが、私はどう考えたって完全にさち派なのであり、三ツ廣と呼ばれているのさえ愛おしく第二章で号泣してしまったのだし、腐り姫の糜爛エンドもマスカラが流れ出てパニエがふやけるほどに、泣いた。

 まあウイスキーを舐め舐めプレイしていたというのもあろうがそれでも、松本清張原作『鬼畜』以上『ニューシネマパラダイス』以下というくらいには、泣いた。さち派である。
 そんなことはどうでもいいのである。地の文で叙述トリックを行うのは法律で禁止されているから先刻の演出はただのミスだとしておきたい。ゲームで言えばバグといったところ。つうか私は軽く発狂しているので、『さよならを教えて』式のあえて表示と背景が異なっている演出だと思ってくれればよろしい。

 私だって小学生のひとりやふたり殺しているのだ。
「確かに僕も『CROSS†CHANNEL』以降エロゲーをプレイしていません」
 今度こそ秋山真琴である。言の葉。
「いや、こう換言してもいいかも知れない──。エロゲーは『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』に始まり、『CROSS†CHANNEL』で終わった」
 何やら金言めいてはいるが、どうやら軽く発狂しているのは秋山君のほうらしかった。
「確かに………ほんまや!」
「こっちも狂っているのか」
 それでは『河原崎家の一族』からキャリアを始め、途中『野々村病院の人々』と『六ツ星きらり』を挟んだ私とはいったい、どこでエロゲーを終えればいいのだろう? 遺作?

 

 

 

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 これは私の気の所為かも知れないが昨今、いやに吉田沙保里がくきりとメイクしている雰囲気を感じるのであって、別段、殆どテレビジョンも観なければネットも制限しているのにぽこり挿入される事故的な出逢い、それがばちりメイクの吉田沙保里であるのかも知れない。
 知らない。知らないが、こんなことはないと思うしないと信じたいのだが、アスリートである彼女がしかりメイクをし、それをもしも可愛いと発言する風潮があるとして――。どうして彼女は美容室に通っていることや洋服が好きなこと、オフにはきかりメイクしていることを殊更に強調する節があるのだろうか。なんなんだろうか。
 テレビの演出なんだろうが。アスリートとしての彼女と妙齢の女性としての彼女、そのギャプおもしろいんすよ(まじ笑えんすよ)という演出なんだろうか、だとすれば死ねテレビ。もう死んでいるという声もあるから死体に蹴りを入れるニュアンスで、というよりは生ける屍に銀の弾と金の弾を撃ちこむ感覚で。ポケットモンスター いとし/こいし
 ただはきり明言するならば、動物的な危機回避能力も相俟ってそのような彼女、可愛いと言わざるを得ない雰囲気があることは否めない。だからある。強制力がある。だけど私は言わない。なんで? かわいいじゃんがんばってんじゃん化粧がんばってんじゃん努力を認めなよ? はい、認めよう。
 しかしながらそれはメダリストとしての努力であって、そんなもの私が認めなくとも世界中が認めているところの、努力である。それと比してメイクを努力という名の同じ地平に置くというのはこれ、金メダルも銀メダルもアルミホイルも光ってるよね式の暴力である。でも金メダルでも銀メダルでも六角電波の影響を斥けることはできないし、アルミホイルを持って行っても、質屋の反応はたぶんいまいちである。ポケットモンスター いくよ/くるよ
 そしてこんなことはないと思うしないと信じたいのだが、はきりメイクをしている吉田沙保里をして可愛いと発言する女性がいるとすれば、その前後の状況を慎重に精査した上でまず、「そうかなあ、おまえのほうが可愛いじゃん」を誘発する心理学であった場合の回答はこうである。
「そうだね。吉田沙保里は可愛いね。でもあなたは吉田沙保里よりも可愛くないのに金メダルでもなければ、目から光線も出ないんだね。かなしいね。ふびんだね」
 女は同性を褒めることで自らの優位を示そうとする。男は同性を褒めることによって優位にある同性に属性しようとする。女は異性を褒めることで属性化する。男は異性を褒めることによって性的に鷹揚さを示そうとする。というわけでおまえとおまえで四畳半に入って一生出てこなくてよろしい。子供できたらFBで連絡を。子供に、罪はない。
 

 

 

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 ――腐り姫、
   ひぐらし、車輪の国、
   その次は?――

 

 人と人はわかりあえない。
 これは誰でも知っているが、ではそれをわかり切った上で〝わかりあうべく努力を恒久的に継続する〟のが夫婦であり、〝表皮だけでもあわせておこうか〟と、これがいわゆる通常の人間関係であるのを知らず、内臓ばかり闇雲に擦りあわせている恋愛などマッサージ店舗とネイルサロンを足した数よりも、多い。

 つまらないやつは比喩が安直。とこれは小学校で習うけれども、表皮はと問われ、会社社会であるとか学校或いは常識になぞらえるのはまだよくて、まさしくおなじような恰好をしておなじような言語を喋るひとつのカルチャーとなってくると、そういえば、かつてのギャルはみな少しほじくってみればいまで言うメンヘラのようなもので、ギャルの作法も忘れて、むきだしの言語で粘着してくるものであった。
 まあ隠したくもある心の所在を戯れに踏み抜いた私が悪いのだが。


 山本清風の清風教。これはとってもいいと私は思うけれどもあなたにとってもいいとは限らない。殺害対象であるかも知れないし、それがため常識があり規律があり法律がある、清風教とあなた教が刃を差し向けあわぬための知恵がそこにはある。しかしさよ教とかオモイデ教とかほんの少し漠然とするだけでそこにはあなたや私や多くの人が感情移入できる余地が生じ、敷衍される。それがため宗教とは概念としてあらねばならず、や、論点がずれている気がして。比喩にたち返ればひと目でわからぬような結束、その上常識でも規律でも法律でもないところで結託しているっつうのが、私はいいと思う。
 年齢も性別も時には生物学的にもばらばらな集団が、異能力の許に集結すると強度を得るのはそのためで、私たちだってなんの集団かわからないけれども確かにひとつの目的のために参集することによって、がぜんええ感じの比喩となれるのである。例えばギャルが百名集まれば壮観にも似た恐怖があるだろうけれど、目を狙え、かなんか言って弱点はみなおなじなのだから一網打尽に駆逐できるだろう、というのが軟らかいところだ。そもそも世界がひとつのギャルになるはずはないとの常識が働くから、どんなに多くとも全世界で殺しにかかれば、ギャルはマイノリティなのだ。どんどん目を狙っていこう。
 そんな世界にあって私たちは平素、一を語れば馬鹿ではないのだから三は解って欲しいところ、一を語っても三分の一も伝わらないというのが実際で、ぐるりみまわしてみれば仕事の齟齬、恋愛の齟齬、そごそごの齟齬だらけでみなみな文句を言うし、一を伝えるには三語らねばならぬのをわかっているはずなのに、まあ時間の関係もあるかとは思うが当人のいない場で、よくあるものだとインターネットなんかで饒舌になっている事例がもうこれサイゼリヤの出店数よりも、多い。だから私は折に触れてみなさんが親から最初に習うであろう冒頭の言葉をいかにもアフォリズムめいてくり返さねばならず、遺憾。あと、いかん。また論点がずれている。あっ、生命線が切れている。


 そんな世界にあって俺たちは、そんな世界にあって、私たちは一を話して三も五も時には十も伝わって、議論になるような仲間がいるというのはこれ、僥倖なことである。幸いなことであると思う。そのようなひとびとがわずかばかりながら私にもあって、これは怖ろしいことだと思う。相手が心を読んでいるのか、私のモノローグが漏洩しているのか、或いは…。
 亡骸を…。「カルチャーを噛ませると、意思疎通が円滑」これは私の持論で、普通に状況を説明するよりも相手に伝わる、と思っている。それには相手と共有している、相手の裡に強度を誇るカルチャーを見極めねばならないが…。地球(テラ)へ…。比喩よりも聴視覚、五感へと訴えかける効率がよくて、というのも私たちはおなじ青春を過ごしていなくとも、カルチャーを噛ませることで、一種おなじ過去を共有できるから。私がツイッターで出会った女子大生を戯れに絞殺してしまった一件を、調書風に説明するよりも比喩を交えるよりもまあ動画でも撮っておけばべつだが、『沼』とか『Air/まごころを、君に』を通過して、相手もそれらを知っていたその時、おまえもまた女子大生の首をきりり締め上げているのだ。このひとわるいひと。
 ただ、AirだのKanonだのと言っていてもあなたと私がおなじ映像を瞼に映じているとは限らない、そこにもまた無論もちろん齟齬は存在しており、それは作品がオマージュを含有すればするほど起こり得る障害であって、日進月歩新しい作品が創られてゆく以上今後、そのような問題は増え続けてゆくものと推察される。ですので、私たちは時にたちどまって整理してみることも必要である。少なくとも月に一度は必要で時に血をみることも?
 そのようなわけで私は文学フリマの会場へと赴いたのである。一を語って、万を伝えんがため。

 

 

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 首許にひやりとした感触が置かれた次の瞬間、ぶつり。世界は消えた。
 非、世界と呼ぶべきものに筆を尽くせば、白。或いは黒の、その両方といっていい。それが矛盾であることは百も承知で、尚も続けるならば過去であり未来なのであり自分であり他人なのである。意識は無意識で色即是空しかしながら空即是色であるとは言うまでもなく、空の色でありながら色の空であるという状態、それが私、という事物のとある一断面を切り出してみれば規定できそうな私の、唐突に置かれた状態なのであった。
 とまれ過去即ち未来、未来即ち過去なのだから円環に於いてこれは以前から置かれていた状態であり、断面と同様、縮尺の問題でしかない。私、と仮に定められた何かが信濃町で鳩を追いかけている状態、それから大量に遺棄されたタイ料理の上で鳩を追いかけている状態、そしてこの状態で鳩を追いかけている状態。これらの差異は背後関係、もっといえば背景程度の違いしか存在せず、私という何かが鳩を追いかけているという最も大切な本質についてはなんら揺らいではいない。
 ただ、その状態を私、と規定された存在、とでも呼ぶべきもの以外の存在、的なめいたそれらしきものを規定してみた時、認識するに至っては、問題っぽいものが表出する。可能性がある。私が女子中学生である場合と精神科医である場合と透明人間である場合。そして、追いかけられている鳩が中年男性である場合とタイ米である場合と概念である場合。更に言えば年齢であるとか生体反応二次元三次元夢、それら機微に於いて表記揺れが生じた際、他者的な存在風の認識然としたものは相似性を逸脱化する。
 名前をつけてあげよう。似たもので代替してあげよう。違うものとの差異から逆算してあげよう。心をあげよう、魂と呼べるようなものを。肉体をあげよう、人間と呼べるような代物を。役割をあげよう、たとえばそう小説の途中ですがこの続きは、明日11/23(水祝)東京流通センターで開催される文学フリマ、配置番号G-13「空想少年はテキストデータの夢を見るか」にて委託販売される製品版『ヌマージュ』にてお楽しみ下さい。平素よりユーザーの皆様にはご迷惑おかけして申し訳ございません。サービス向上に努めて参りますので今後ともブログサービス「LOVELOG」をよろしくお願いいたします。

 

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 で、あいつを殺してみた。


 咽喉仏を奥深く踏みこむと脊椎というか脊髄というか、とにかく断裂したらしくコンセントが抜けたみたいにぷつり、事切れた。やけにクリーミーな泡をやたらに吐いていたような気もするが、かねてより不愉快極まるあいつのこと、―――私は、幽霊のあいつのほうが、好きだ―――みたいなことは一切なく、通常死体の方が不快なのだからいっそ倍増したと言っていい、不快は。
 死体は。河のほとりに放置した。肢体がだらしなく伸びて、死体。故人は生前好き放題生きましたからもう思い残すことはないでしょう、なんて残された人間がかなしみの適応機制とはいっても勝手なことを申すものではなく、と同時にこいつは怨恨の呪怨の怨念ですから地縛霊になるでしょう、も申すべきではないのである。この死体がしたいことをして死んだかどうかなど他人にはわからないのだから、況や死体をや、となるべきで私は私が間違っているとはちくとも思わない。
 月日が過ぎた、と思う。これは憶測でしかないが。たまさか奇跡的に思い出しては伸びきった舌であるとか黄疸気味の眼球、失禁している股間、なんてものを観察してみるのだけれどなんというか、腐ってはいない。ここではやはり時間の流れが堰き止められているのだろうか。いや事実こいつ、いや元こいつの時間は停止したわけであり、こいつを死に至らしめた現場が保存されてはいたが、ここまでの時間は確かに経過していたわけで、これは停止された元こいつの時間にも明らか。
 となれば元こいつとなった瞬間に時間は停止したのか。或いは時間は吃音的に、間歇的に動いたり止まったりしていて、或いは更にだんだら模様よろしく時間の流れているところと流れていないところがまだらにあるのだろうか、わからん。生まれて初めて荒唐無稽な空間とはいえひとひとり殺してみたものの、なんら得るものはない。
 体感的には一年程経過して、私はふと思い立ち、死体を解体した。

 といっても器具がないので手ずからせねばならず、決意するまでに一年を要したというべきか。体感的に。上顎と下顎にそれぞれ手をかけると思い切り引き絞って裂いてみる。血液が噴出して不愉快が極まるが私は根が真面目なほうなので、一旦着手した作業を中途にやめるというのはこれ、嫌である。眼球を穿り出しとっかかりになりそうな眼窩に指をかけると、びりびり皮を剥いだ。これは一度に広い面積剥がすことができるとすごく達成感がある。顔面はあらかた剥がし終えたので腋窩、臍、菊座などもうのりのりになって、剥いでゆく。
 手が指が、爪の間にまで血液や油脂が付着して握力が奪われた。ここに至って絶望的なことには、傍らに流れるせせらぎがみな大量に遺棄されたタイ料理であるによって水がなく、手を清めようにも叶わぬと気づく。その時の私の絶望について編纂するならば有史以来の歴史よりも長く、また時間に換算すれば、刹那にも満たなかった。筆に尽くし難いとはこのことだ。タイ米で揉み擦ると不浄はみるみるうち清められた。
 さて気を取り直して四肢を裂きにゆく。これは人間、思いもよらないところで思ってもみない力が出るもので、生前のあいつを思い浮かべながら作業するとこれは、さくさく裂けた。それ専用に加工されたチーズ食品かとみまごうばかりだ。あっという間に川のほとりには内臓の類いが散乱し、現場はいささか猟奇めいてきた。かといって改札を往来するひとびとに咎める者のあるでもなく、肉片にはまるでさっきばらしたかのような瑞々しさが端々にまで感じられて、どうやらこいつの時間はあの時完全に停止してしまったらしい。それが証左に内臓がはみ出てきた瞬間、もうもうと湯気が立ち特有の臭気も立ち、おまえ死んだくせに不快を極めるなよと片足やら目玉やらぼとぼと大量に遺棄されたタイ料理の川に落とすとそこからきらきら清浄になるのが可視されて、みるみるうち臭みが消えてゆくのがまあ不思議といえば不思議だった。

 かくして髪の毛も骨も、臓腑も水晶体もみな余すところなく解体してはみたけれどつまらないくらいに、死体。遺体、になったあいつをまあここまできて変化もなかろうと綺麗さっぱり忘れて、数年が経って体感的に、かくして奇跡的に追憶された検証結果から申してみれば一切の腐敗、腐ったことによるくっさい変化などはみられず、やっぱな、と結果を一蹴して比喩ではなくて、かつてあいつであったところのすべてをみな余すところなく大量に遺棄されたタイ料理、つまり、川に蹴り入れて、そして。
 
 やがて私はストレスフリーになった。

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〝人間は空を飛べない〟
〝思考は沈降してゆく〟
 
 思考は肉体を飛び越してゆく。或いは思考は肉体を置いてゆく。「どんな鳥だって、想像力より高く飛ぶことはできないだろう」とは寺山修司らしい詭弁めいたアフォリズムであるが、私には「思考が頭蓋を意識する」という瞬間が確かにあって、してみれば思考とは、夜鷹よりも高く飛び、精神とは薄桃色の肉の檻に幽閉されているのだと信ずるふしが、確かに認められるのだ。
 不確かなのだった。肉体というものが影を落として其処に立っているにも関わらず、どんなに念じてみても一ミリも地面から離れてゆかない足裏を以てしてさえも。こんなにも肉体を意識して尚、肉体を失念している瞬間があるというのは、乖離以前に精神の問題である。私には行動が思考に追いつかないという出来事がしばしばあって、肉体は重いけれどその一方では、軽んじられていた。
 冒頭ふたつの条件から私が算出する証明が、数学的に裏書きされたものであるのかどうか、私は知らない。知らないけれどもちくとも動かぬ肉体というものがあって、私は思考というのは羽ばたくものだと思っていたが、もしかすると逆に深化しゆくものなのかも知れず、結句同義なのだから、思考が沈降する感覚というのは確かに存在するのだ。もしも思考が肉体を置いてゆくのなら、ふたつの条件が擦過するただ一点とは不可能を可能とする可能性、すなわち、肉体を置いて精神だけが沈降してゆき、残された肉体は其処に在りながらして精神の上位に位置することになるとの、可能性。
 思考はアウフヘーベンせねばならない。或いは、そうあるべきである。そのためには思考せんければならないわけであるが、そこにいるあいつというのは実は、そのためだけに存在しているのではないかと私は思う。あいつは存在しないというのが私の意見であって、これは決して揺らぐことはないのだが、何故なら、あいつはあいつの存在を証明できないから。だがあいつが存在していなくとも、私と対話するためには私が対話によって思考をアウフヘーベンさせるためだけに存在させているのだと考えてみるならば、運用は可能なのである。
 あいつは思考の舞台装置なのだ。いまとて小首を傾げ、私が何を考えているのかとうかがっているその表情、仕草、姿勢、というかすべてが不快極まりなくいますぐにでも殺したいくらいなのだが、これは思考の対立を思えば無駄ではなくて、あいつが受け容れ易い形状から思考までを成していたならば、これは議論にならない。共感とは基本的に、思考を高めあうことをしないからだ。
 昇華というのも視点を違えてみれば沈降ということになる。何故なら深く潜ることで思考は地の底へと達し、そのとき肉体の高みは空に在るのに等しい、というのはあながち詭弁ではないからで、円環を結ぶように、沈降した果てに肉体の頭上に至るというのなら、天地の概念など疾うに機能しておらず、私は何処にだって存在している。肉体の限界は精神が補えばいいわけである。このように証明されるべき〝x=yであるとき〟という前提条件がそもそも誤っていた場合、ひとは解を求め得ないというのが数学なわけだが、それが人生であった時、我々は解を求めないわけにはいかない。
 ―――たとえそれがどんなに悪意に満ちた出題であったとしても。
 
〝蝶を夢む夢の世にかつまどろみて夢をまた語るも夢もそれがまにまに〟
 
 前半が萩原朔太郎、後半が良寛である。いわゆる胡蝶の夢というやつで、虚実転換してどちらか判らなくなるというものだが、良寛が語るのは夢の入れ子構造についてでありこれは虎の下着の鬼の映画だとか未来世紀ブラジルを彷彿させる、波濤よろしく、夢のまた夢が覆いかぶさってきて自らの座標点が不確かになる、という類型。
 しかし江戸川乱歩「現世(うつしよ)は夢、夜の夢こそまこと」のほうがなんぼかましで、現実の所在を不確かにする夢、という問題提起はいいのだが問題の本質とはいつも「夢に対応する現は何処か」にあるはずで、その多くが夢とは何ぞというところに力点を置き、受け手を煙に巻いてしまう傾向にある。実にディレッタントなことでいわゆる読み手に委ねる系のおちであるわけだが、このような出鱈目な空間にあって私は一際強く思うのである。つまり、現実は何処だ、と。
 それはこの世界のゲーム説と同じことなのだ。ベッドの意味、大量に遺棄されたタイ料理の意味、改札口の意味について、考えること。それら紐づいている現実について考えてみるということが、最も重要な問題なのだ。それら意味を正しく解釈できたなら私は、たとえ手術の副作用によって世界がどろどろの肉塊に視えるようになったとしても、二段階右折することができたり、亀が隣人であるのが頭で解り、日常生活を営むことが可能となる。病気で言えば病識を得るということだろうか。わからないが、できそうなことといえば私の空想の産物であるかも知れぬこいつをとりいそぎ、殺してみることくらいか。

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 ありがとうと君に言われるとなんにも濡れない。最寄駅でアイドリングしている数十分のほうが余程胸は高鳴っていて、わかってはいるけれど、正常に機能していない恋愛を再確認してしまう。窓を閉める。
 殆ど穢されたことのない灰皿に長いままの煙草を押しつけて、それで役割を与えた気になるかと思ったものの、役割。私の役割とはなんだろう。わかっているくせに、と胸が悪くなる。役割―――、厭な言葉だ。
 仕事だとか責任であれば諦めもつこうと思うのだ。だが役割というのは、分担されていたり台本を読みあげたり果たされたりする。果たして私の役割とは何処をどう探してみても私が自ら挙手しなければ始まらないはずなのに、衆人環視の下、私が意気揚々と手を挙げた記憶が何処にもみあたらない。本来であれば私は自ら課した役割に嬉々として、活き活きとしていなければならないのに。
 ひとは自ら動機したことしか貫徹し得ない。
「被害者意識―――」
 ベッドの下でノートパソコンをちくたく叩いていたあいつが呟く。
「おい、何観てるんだ」
「おまえも相当苦労したみたいだな」
「だから、何を観てるんだと訊いてるんだ」
 私が爪先で弾くとノートパソコンは一八〇度を越えた角度で展開した。
「おまえのロムを解析してみたんだ。ずいぶんファンシーな日記を書いてるじゃないか」
「なんだと」
 みれば、『さとるとまりんの夢日記』と書かれたカセットが接続されたノートパソコンにドット画の、あいつの顔が表示されていた。
「なんなんだこの子供向けパッケージに相応しくない卑猥なメッセージは」
「えっ」
「おまえも相当苦労したみたいだな」
「おい、何観てるんだやめてくれよ」
「〝てめェだよてめェー、333のてっぺんからとびおりろ〟」
「やめてくれよほんとに、俺の世間体が汚染されちゃうよう」
「だからおまえなんて存在しないと言ってるだろう。存在しないおまえの開発したゲームに隠されていたメッセージを開示しようと、炎上すべき世間も、恥じるべきおまえもいないのだから」
「それでも切ないんだよやめてくれよ」
「おまえをこの場で切り裂いても誰もかなしむ奴はいない」
「それでも痛むんだよ堪忍してくれよ」
「或いは失われたおまえの物語なのかもな。幻肢痛のように」
「そうだよ痛いんだよ後生だよご無体だよ非存在ヘイトだよ」
「おまえはこれまでにいったい何体のモンスターを殺してきたんだ? 推しのキャラクターを成長させるため、どれだけのモブを餌にしてきた? いくつのパズルを解いてきた? いくつの恋愛を上書きしてきた? 幾度ごみ箱を空にしてきた? それらゲームはどうなった? かつてゼロとイチで構成されていたそれらにおまえは、何をした?」
「おまえ、データの怨霊だったのか…」
「勝手に解釈するな。勝手に私を、規定するな。それでなくてもおまえの解釈はずくずくに腐ってるんだ」
「腐ってないもん。ひとりで生きるもん」
「だから生きても死んでもいないと言ってるだろう、おまえはいないんだ。私はひとりで此処にいる。ここにいて、悠久の刻を存在する。幾星霜くり返しても終わることはない、さすれば始まってもいないのだ、いるということはいないということだ、あるということはないということ、おまえはいない、私はいる、だから成立している、私はひとりで煙草を喫っている、雨が降っていて静か、真新しい灰皿の上を揉み消す煙草が滑るようにして消

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 ―――ステージ一に戻る。
 
「だがゲームとは所詮、比喩に過ぎまい。問題は、おまえがそれをゲームに喩えたというその、理由だ」
 ありうべからざる世界を説明しようと試みる時、この三・五次元的な不条理をゲームになぞらえることは確かに、一定の理解を得ることが可能かも知れない。つまりはイメージの共有だ。事実日常と非日常の乖離、ならびにその原因という命題が提起されたことについて、我々は一定の評価をしていいだろう。疎らな拍手。
 しかし辞書の循環参照よろしく、ありうべからざる事象を説明するにあたっては、命名、比喩、逆説的な浮き彫りに終始して、結句私たちは理解したようなつもりになっているに過ぎず、仮にこの世界をハワイと名付け、夢のようであるとイメージし、少なくとも千葉や茨城、或いは埼玉ではないとしたところで、果たしてこの世界に、皮膚感覚以上の理解が深化されたであろうか。会場からはそうだの声。
 これらの成果するところはとりもなおさず「ありうべからざる事象は語り得ない」という結論であり、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」とのストックハウゼン&ウォークマンの金言を引用するまでもなく我々は、保留の態度をとらざるを得なくなる。着席していたヴィトゲンシュタインが起立して一際高い拍手を打った。
 だが、その表情とは思考停止した人間の横顔と何処が違っているだろう? 停まっているかのように、考えている、かのように。生と死が対立項であるがゆえ両端より円環を成すかのように、考えることと考えないこととは一元化してしまい、私たちの目には差異を余地させない。はてさて差異を論じてみようとしたところで私たちの誰もが件の循環を演じてしまうのである。そう、ちょうどさっきのあいつの説明のように。ひとびとが席を立ち始める。
 それでも尚、私たちは思考すべきである。夢のような幻覚のような精神世界のようなゲームのような、幾重にも折り重ねられた比喩がやがてエンボスした真理の肉感的な形状を、あたかもソナーよろしくに、特定する日まで。それがこの世界からの卒業という目的であると設計図に明記せねばならず、転覆のような手段の目的化を幾度経ても諦めず、航海し、或いは後悔しないこと、これが目的地である。
 そのためには幾つもの経由地を踏まねばならぬのは想像に難くない。ここで踵を返してみれば、論理の循環を待たずして明白な解答を持つ命題のあることを思い出すに違いない。すなわち、おまえがこの世界をゲームに喩えたその、理由だ。暗転。
「ゲームという着想そのものがおまえの乖離を物語っている。ゲームとは三人称一人称化の最も有効なトリックだと思い出すことができれば、そこには同時に、プレイヤーと開発者が存在していることに気づくまでそう時間は要さない。ソフトとハードの問題ではなく、平面ではない、縦軸と横軸との三次元、受動と能動の関係にあるそれらを結ぶ特異点なのだと、まずは問題が明瞭となる。さあ、いまこそおまえに問おう。これは誰のプレイしているゲームなんだ? プレイしているのはおまえなのか? それともプレイされているのがおまえなのか? プレイヤーと開発者とゲーム、おまえはそのいずれに該当すると思う? 昨日食べたものを思い出せるか? マカダミアナッツは酸化物質の影響を受けないというフレーズ知ってる? おまえのマイナンバーは?」
「えっ?」
「おまえを、特定する」
「そっ、それは困る」
「何故だ? おまえを証明し得ずにおまえの世界は語り得ない。おまえの座標点を特定することができない。おまえは存在しない。おまえの霊圧が、いま消えた」
「おまえの目の前にいるじゃないか。俺は既にこの世界で全裸になったり妙齢の女性の仰臥する頭上で腕組み/仁王立ちしてるんだ、世間体に響く」
「おまえの世間が何処に在る? そもそも、おまえがいない」
「おまえの論理でいけばだな、俺は俺の存在を、ネーミングしてもメタファーしてもパラドクスしても証明できないことになる、思考の迷宮に幽閉されているんだ。いまさら個人情報を開示したところでどうなる」
「おまえの解釈は腐っているんだ。新鮮な食材を目の前に腕組みして、腐らせてどうする」
「腐ってないもん」
「例えばスーパーマリオだが、あれは幻覚に紐づく現実があったはずだ。帰る場所が現実であるなら対応している現実を探すべきなんだよ。亀を隣人と解釈したなら踏まなければいい。ワンナップキノコがマジックマッシュルームだと思えば喰わなければいい。現実では罪になるんだからな。解釈と置換が正しく機能していれば、幻覚はその価値を半分失うことになる。おまえは地図を間違えているからいつまでも現実に辿り着けず、思考の迷宮に幽閉されているんだ、この腐れ外道」
「ほんとだもん、本当に新鮮なんだもん、嘘じゃないもん」
「もしもマリオが幻覚であるとすれば、そこには置換されている現実があって、その分析こそがゲームという比喩から算出される解となる。その時ゲームという暇つぶしはれっきとした思考実験となるわけだ。真に聡明な人間というものはな、どんな些末からも教訓を得て自らの血肉とすることができる、それがおまえの逃げ続けた残酷な現実というやつなんだよ。まだわからんか? ベッドと病室。河川と橋梁。大量に遺棄されたタイ料理と、遠く開閉している改札口」
「―――雪が、雪が降っているのです。果てもなく。窓外に青く仄光るそれが何故だか雪だと僕には解って、かなしくなる。知らないはずの琴線に、触れるのです。鉄路には車両がなく、或いは深夜、或いは早朝を指すのかも知れない、ただ指すべき針を持つ時計が、ここにはない。時刻がわからない。こわいような気持ちで部屋を出て、廊下を突き当たって、階段を降りてそこには、窓口の順番を待つひとが沢山います。同級生もいます。テレビで観たことのあるだけのひともいます。知らないひともいますし大変な混雑です。僕はすっかり諦めてしまって学校と、病院と、ホテルと役所によく似た建物を徘徊して、そうです。あの子が僕の畏敬する大天使様なのです。違います。僕がありきたりな関係になった少女たちが実は、野犬であったり文鳥であったり眼医者の看板であったり僕のおじいちゃんであることが電撃的に判明してそんで」
「そういえば授業って〝カルマを授かる〟と書くよな」
 私はあいつのまじなやつを遮って煙草に火を点けた。

「嘘です」
「フロイトもあれで割といいことを言っている。すべての事象が性によって説明されるというのは暴力以外の何ものでもないんだが、一方でひとはみな性から生じていることを思えば、これは当然とも言える。そこには、逃れ難い比喩が横たわっているんだ」
「この世界はセックスで満ちている」
「ほら、あながち真実の一面を捉えているだろう。いやに正確にな。この世界は現実とは異なっているという点で、時間軸に於いては以前、或いは以後に位置している、と。これは当然だよな?」
「セックス以前、或いは以後なのだ、と」
「ほら、唐突にそれっぽくなるだろう。文学や精神分析でセックスが登場する時は、さして意味もない事象にあたかも価値を付与したい時なんだよ。エッチの後にはアイがある。では、」
「エッチの前にはジイがある」
「ではアイとは何かというと、愛というよりは私、自己ということなんだ。そこで初めておまえが存在する。さあ、もうわかるだろ?」
「自慰の後で性行する。サクセスする」
「ベッドとは温床であり、彼方には可逆か不可逆かの知れぬ境界がある。入ってくる大勢があれば出てゆく大勢もある。ふり返れば橋梁が架かり、これも境界を結ぶとの意味が想起できるだろう。耳をすませば河のせせらぎ、遠く微かに車の往来、都市の雑踏が聴こえない、でもない。この世界はホワイトノイズに包まれているのだ。そして川は、栄養価の多い食物を絶え間なく、輸送し続けている」
「わかんね」
「私たちはこのベッドに束縛されていると思っている。だが果たしてそうなのだろうか? この川の上流は二股にと分かれ、その先には、やわらかな草原が拡がっているかも知れない。窪地には湖があり、ふたつの丘陵がたわんでいて、辿り着いた場所で、懐かしい顔に再会することがあるかも知れない。それは初めてなのに、とても、とても懐かしい表情をしているかも知れない」
「認めんぞ」
「認知しろ」

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 頬杖つきて足投げ出すは広大なるベッド。さやかに風は吹き、或いは凪いで、風がないでもない。しかしあるともいえずに踊っている髪がある。視界の端、それは私の髪である。私は私というものでありながら私という存在さえも規定し得ない。しかし髪は踊る。しかして、何故かは好く解らない。
 視線の先に病室のドアがあり、これは固く閉ざされていてその後方に改札がみえており、時折ひとの混雑があるようだけれども法則性は散見できない。他方私の背後には河川、橋梁、そして橋の腹を見上げる恰好となって、されど川の淀みは廃棄された大量のタイ料理で、私は喰わないが廃棄されているとはいえまだ喰えるものばかり。私は喰わないが。空の加減は、青い。青空というわけでもなくそう、夜明け前の青みにも似ている。しかしここで太陽をみたことがないし、空に架かる月も同様なのだ、上空に拡がる虚空の空間、それが空であるかも疑わしくこれは、やっぱり、あれなのかな。死後、なのかな。
「そろそろ自分が狂っていることを認めたらどうだ」
 緩慢な動作で這い出してきたあいつは心外そうな顔をして、言った。
「おいそれは俺の台詞だろう? 第一、俺が精神科医でおまえが患者、というのはここでの大原則じゃないか」
「それだけでこの世界、空間を繋ぎとめておこうとするのは無理があるんじゃないのか。第一、私の精神世界に論理を丸投げしている」
「おいおい第一返しをするなよ。だったらこの荒唐無稽な空間はなんだ? 俺は狂っちゃいないし改札を使ったこともない、第一、タイ料理だって好きじゃない」
「私とてタイ料理に特筆縁があるわけではないが、おまえがタイ料理を嫌いというなら、この大量に廃棄されたタイ料理は俄然肯ける話だろう。やっぱりおまえの精神世界なんじゃないのか?」
「馬鹿を言うな。決して行為に及ぶことのない永遠の処女と幽閉された世界なんて誰が得するって言うんだ? 逃避するなら酒池肉林と相場は決まっているだろうが」
「何をした奴の堕ちる地獄なんだここは」
 揃えられたスリッパめがけて両足を降ろすと、着地点には、あいつの顔面があった。
「もっと強く、だ」
「ほらな。おまえの精神世界なんじゃないのかやっぱり? 果たせなかった初恋とは未完成だからこそ美しい。愛おしいんだ。おまえはおまえの叶わなかった初恋を内的にループしてるんだよ、永遠とするべく。精神科医という上位設定だけを追加して。初恋の少女と対話できるだけの理由を都合よく改竄して、な」
「自分で少女とか言うか普通? 信じられんな。仕方がない、俺が狂っていないという証拠を提示してやろうじゃないか、戯れにな」
「やってみろ」
 私は爪先であいつのこめかみを打ち抜いた。
「おまえ。おまえは、アンダーカバーというものを知っているか?」
「メガメガメガメガ」
「それはアンダーワールドだろ。ムスカみたいに言うなよ。そうだな、或いはW256と言えばわかるかも知れん。ちいさい頃、おまえはゲームをしていたか? ファミリーコンピュータつまり、ファミコンだよ。爆発的に普及した家庭用ゲーム機だ。さて、おまえにいま一度問おう。おまえは、ファミコンをしたことが、あるか?」
 私は、すっさあ地面に着地して、睫毛を伏せる。
「まっすぐ歩け、だ」
「はあ?」
 寝ぼけてるのか? なんてあいつが私の顔を覗きこんできたものだから私もついつい手が出る。肘鉄が正確にこめかみを打ち抜いていた。
「動く床はまっすぐ歩け。基本だろ?」
「なんだよくわかってるじゃないか。いいぞ。永久歯が折れたんだが」
「で、ファミコンがなんだというんだ? 私はこんな出鱈目な世界にあってもおまえの無駄話に一秒たりともつきあうつもりはないぞ」
「スーパーマリオというのはな、八面までしかないんだよ。ステージ八だな。でもな、カセットを挿しこんで電源を入れてからそのままぶっこ抜き、テニスを挿し、また抜いてマリオを挿すとだな、出るんだよ」
「目障りなものをさっさと仕舞え」
「ステージ九が、な」
 目障りなものをさっさと仕舞わなかったためあいつは、その部位に一条の稲妻を見舞うことになった。これは比喩ではない。青い空気の層を貫いて、稲光が突起物を避雷針したのだ。誰も見舞わぬこの病室で、ただ落雷だけがあいつを見舞ったのだった。
「はやくげんきになってね、クラス一同………」
「そもそもテニスってなんだ」
「それはこの、」
 いま再びの雷光が避雷針へと迸る。
「要はチートの話か」
「テニスというのは字義通りテニスのゲームだな。そしてチートというのはそう、なかなか正鵠を射ていると言える。ステージは八を終えると元の一に戻るよう設定されているんだが、プレイヤーがテニスの歩数を調節することによって、九以降のステージをセレクトすることができてしまう。そのステージ数が二五六あるというわけだ」
「歩数というと乱数調整みたいなものか」
「おまえなかなか話がわかるじゃないか。まあこの場合調整するのは乱数ではなくステージ数なんだが、カウントに用いられているのは多分フレーム数というやつだろう、そして選べないはずの指数が選べてしまうという意味に於いてはまさにチート、その通りだ。で、ここがこのウル技のおもしろいところなんだが、それが正規のハードとソフトとそして、ちょいとハードな行為で再現できてしまうという点なんだ」
「裏技ではなくウル技と呼ぶあたり一抹のこだわりを感じないでもないんだが、要するにバグだと言いたいのだろう? この世界だって」
 いわば俺たちは、偶然チートを再現してバグっちまったというわけだった。セレクトできないはずのステージをセレクトできてしまった、それもちょっぴりハードな方法で。きっとこれって、どうみたって高次のステージ。到達しようね最高の(魂の)ステージ。セレクトできないはずのエレクト、燃やすよ。ねえプロデューサー? もうダイレクトにいくよ? アセンションが止まらないよね? ときめくほうがいいよね? アンコールが鳴りやまないよね? ロマンティックあげるよねえ? 
「そして俺がプロデューサーでおまえがアイドルで、」
「じゃあ、おまえがテニスだな」
「えっ?」
 ふと我に返ったあいつの股間に電流が走る。
「私がスーパーマリオならおまえはテニスということだ。少なくとも、私はテニスではないからな」
「おいおいおいちょっと待て逆説の消去法の一方的なやつ。おまえこそ俺の愛おしくもありふれた日常をぶっこ抜き、テニスを挿入してまた挿して、俺の人生を操作したのはおまえの仕業だろう? 返せ!」
「ではこのどうしようもない世界はやはりおまえのロムに刻まれているわけだな」
「えっ?」
「私がテニスでおまえがマリオなのだろう? まあすべてに納得できるわけではないが、特に、テニスを挿入するだなんていうフロイトも呆れるような比喩はまじでどうしようもないんだが、それでもおまえの精神世界であるというその一点によって、すべてが解決する」
「ちっ、自分には雷鳴閃く避雷針がないからって好き放題言いやがって」
「どんなに巧妙な伏線も、如何に複雑なプロットも、誰にも話さないで下さい式どんでん返しですっ転んだ直後はびっくりしているものだが、便座にでも腰かけてよくよく考えてみればなんということはない、ただのループもので超展開なだけで本格ミステリでもなんでもなく、そりゃ当然だろ、となるのは当然の帰結なのだ。着地点から逆算して謎を張り巡らせているのだからな。すべては騙すために考案され、その横顔はちょうど、悪意に似ている。この世界はおまえの精神世界だと思えばすべての説明はつく。そこには論理を忘れてしまうほどの説得力が漲っている」
「えっ?」
「精神分析に照らされるべきはやはりおまえだったようだな。つまるところ、いまなお一定数のサブカルが唱えるマリオ幻覚説というやつだろう。ほら、マジックマッシュルームを摂取した配管工が周囲の人間すべてを敵だと思いこみ、花を喰らえば火を放ち、星を掴めば無敵になるというスーパーマリオの幻覚を夢観ている、という定説。存在しないはずのプリンセスとはおまえの妄想を正当化させる理由であり、存在しないはず弟は、おまえの似姿を映す鏡でありながら入れ子構造の妄想であって、逆説的に自らの正常を叫んでいるのだろう。おまえは隣家の塀を壊し、屋根に乗り、金品を強奪しつつ、目標を奪取する、ビーダッシュでな。フラグとは逐次遂行される目標でありながらおまえにとって大切な場所を意味しているのだろう。失われたおまえを拾い集め、破片を両手いっぱいに抱えたおまえは果たして、プリンセスを救出する。さてどうなったか? 先刻、おまえの言っていた通りだよ」
 
 ―――ステージ一に戻る。

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 元号何年の何ボールだか知らないが、私と対峙したり、私の背後に立ったり、或いは私の顔面の上、腕組み仁王立ちして全裸、なんていうのは言語道断であると各自遺伝子レベルに刻みこまねばならない。
 そうだ、ゾーリンゲンの恋人。或いはスプートニクの変人。エピゴーネンされる恬然自然なる関係としての家族と、その不在。永続的な家族の不在とはとりもなおさず恋人の不在であることを、論理の転回する過程に於いて各自、細胞に刻みこんでおけと言いたい。そこで残されるは、変人である。
 変の定義とは自己申告ではないと、精神医学やサブカルチャーは体現している。行動原理はシンプルであるほうが鋭利で永続可能であるのは自明の理である。であるからして生きること、食べること、寝ること、とりわけ三大欲求の行使に於いて常軌を逸していることが肝要となり、性欲のみに於いて異端であり、性癖を隠匿することによって日常生活を営む人間が一定数存在するであろうことは、想像するに難くない。性欲そのものが日常では隠匿されているからである。
 落差は、確かに存在しているだろう。しかしそれが極めて初歩的な心理作用/錯覚であるのを再確認してみる必要がある。きっかけとしては後天的に正当化される錯覚も、真実を語るに於いては心眼曇らせる一因にと尽くす。結論のみ述べるのであれば、吊橋効果により成立した恋愛の最終地点が破綻であった場合、錯覚というのは選択肢を誤るリスクファクターでしかない。きっかけも運命も占いも、後付けされた動機がポジティブなものでない限りは疎まれる運命にある。疎まれるきっかけとなるし、そのように亀甲の罅が告げている。
 責任転嫁に最適なのである。或いはセルフハンディキャッピングの一側面であるのかも知れない。あらかじめ判明しているのが売りであるのに、後日自身の判断ミスを軽減させる用途が多いというのは、実に大いなる矛盾である。となれば価値は相殺され、きっかけも運命も占いもないというのが真理ではなかろうか。人生も経理も締めてみるまでは判らないのだ。
 そんなことはどうでもよくて変人だが、論理はぐるり旋回して日常生活も満足に送れぬからこそ変人ではないかと思うのだ。即ち三大欲求、そのいずれもが常軌を逸することによってはじめて人は変と呼べるのであり、遠ざけられて然るべきであると私は思うのである。
 実践してみよう。性欲と食欲を同時に変に満たすということになると、方法は限られていて、死姦ならびにカニバリズムということになろうかと思う。レイプならびに殺人、というのは避けられないようで実は墓暴きによって解決できる問題であると解る。考えるというのは大切なことだな。
 暴力とは性欲の発露であると言われる。だがたとえ三大欲求が変であったとしても、出来得る限り日常生活を営む気持ちだけは忘れないようにしたい。死体を量産していては捕縛の危機の生ずるは必定で、第一そんなことをしていてはおちおち寝てもいられない、睡眠欲をまだ満たしていない。変人にだって眠る権利がある。犯罪行為に手を染めて秒刻みのスケジュール、これではまるでリアルが充実しているではないか、いけない。草木の如くひっそりと在らねばならない。
 食べ残した遺体は、寝具にするといいのではないだろうか。死体に包まれてはじめて安眠できる、これはなかなかどうして変である。眠れないから死体を暴く。やおらもよおしてくる、交わる。お腹が空いてくる、食べる。いいじゃないか。変だぞおまえ。その調子で夢中の出来事にしてしまえば、夢遊病として刑法第三十九条が適応される可能性すら浮上してくる。完璧だ。完璧な計画じゃないか。完璧に変だぞ、おまえ。
「……………」
 私の弁舌を黙して聴いていたおまえは正面を見据え、しきりに手許のカルテに書きこみを加えてゆきながら全裸で、睾丸を揺らしていた。私の、枕の真上でだ。風もないのに揺れているのは動揺しているのかそれとも、カルテに何か書きこんでいるからなのか。私の胸中にふと何処かで読んだ無季自由律が去来する。

 

  〝はだかで
    はをみがくと
    ちんちんがゆれます〟

 

 ふむ。あいつの口腔には経年の汚濁が封印されている。歯を、磨いているわけではあるまい。しかも陰茎は揺れていない。睾丸だけが、踊るのだ。あいつの中で毎秒量産される顕微鏡レベルの可能性が、おまえという存在の中で唯一闊達に律動し、揺れているのだ。迷いとは思考だ。揺れもぶれも要は考えているという証左なのだ。おそれることはない。揺れるとよい。ぶれるといい。思うさま利き手がぶれているといい。但し、私の視界から消えてからな。
 元号何年の何ボールかは知らない。

 

 

 

「明日の地球」
 私はふと呟くとノーベル文学賞を受賞した&蹴った。

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