山本清風のリハビログ

神様のエロ本


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 耳寒 (みみざむ)い季節となった。
 相も変わらず私は青を踏むぶむ成長もなく、域を幹して和に理して企を画して退の勤、文学フリマ東京打上会場片隅のテーブルで堆く吸殻を積み上げていたりした。煙が目に沁みる。
「まだいたんですか、清風さん……」
 乳白色の濃霧と見まがわんばかり、とろりとした空気を掻き分けてひとりの男が現れては差し向かい、我が眼前に座るも打上会場の声は遠く、遥か京都あたりからしているような、したような。
「まだ打上は締まらないのかね」
「終わっていると言えばもうとっくに終わっているのですが、続いていると言えば確かに、連綿と続いているとも言えます。まだ打ち上がらないんですか、清風さんは? 2016年も恙なく終わりましたが」
「嘘を申すな嘘を。私は打ち上がらぬ、未だ打ち上がらぬのだ」
「残留思念でしょう、憐れなものです」
 男は葉巻に火を点けて(確か泉由良に貰ったと言っていた)、しかし表情が判然としてこない。別段ハンセン病とかそういうことではない。カーソルが点滅しているのできっと自由に入力する式の顔面をしているのだろう。秋山真琴とも猿川西瓜とも知れず、栗山真太朗かも牟礼鯨かも知れぬ男はいまや猫木國学でも、小泉純一郎でも、或いは死んだ親友の顔すらしているのだった。
「して何が心残りです? 2017年になってもまだエロゲーの話ですか?」
 何が心残りか、だと? 自分が死霊のくせして。「して」は「死」を孕み、末尾には「です」と「DEATH」とがかかっている、とんだ死の舞踏だよ。踏み殺された韻の怨みを思い知るがいい。死をふむぶむ。
「生きろ。(宮崎駿)それに、私はまだ2017年だと信じたわけじゃない」
「星野源が大人気ですよ。アニメーション映画も好調で、底抜けエアラインが復権しました」
「それのどこが2016年と違っているっていうんだ? 文学など、百年も前に死んでいる」
「あ。あとは女の子と『君の名は。』を観てきました」
「それは、2017年にか?」
「いいえ、2016年にですね」
「話にならない」
「歴史とは連続体、連綿と続いているんです。従って2016年は終わりましたがその地平に2017年がありとてもよく似た相貌をしている……。何等、おかしなところはありません」
「感動したのか」
「感動しましたよ。しましたが、という点ですね」
「あれは誰に訊いても最終〝映像が綺麗〟という地点に着地するんだが、2017年でもそれは同じかね」
「興行成績は青天井、いまこの瞬間にも新しい国のひとびとが新鮮な体験している、優れた評価というのは時に、作品の時間を停める/永らえるのかも知れません」
「女上司がいるんだ」
「衒学的ですね」
「彼女がその映画を観た、と。まあこれは2016年の話だが、ネットの情報は限られていて当時公開可能な設定としては、人格交代があった。その時点でなんとも懐かしくも我々には卑近な設定じゃないか。だから、私は言ったんだ『まさか彗星の軌道がリインカーネーションでパラレルワールドのループものじゃないでしょうね』と。すると彼女、ずいぶんに怒ってね」
「ええ」
「『そういうことじゃない!』って、それはすごい剣幕だったよ」
「それは清風さん、〝そういうこと〟だからではないでしょうか」
「やはり」
「人間というのは正論を言われると何故か激昂する生物なんですよ」
「〝そういうこと〟を排除した時、そこに残るのはおそらく恋愛的要素という外骨格だ。少なくとも基準点程度の少女漫画的恋愛プロットがなければ、学生がカップルで観にいくとは思えんからな。逆に言えば〝そういうこと〟という内臓がある以上恋愛プロットは基準点程度あればいいということになるんだが。とまれ妙齢の女上司は恋愛要素をして映画を評価していることになる。だがその恋愛は我々に卑近な超展開を内包しているわけだから、とりもなおさずそれは夢みる時を半ば過ぎても恋に焦がれている女上司の内面を吐露されたようなものだと思うんだ」
 私が東京タラレバ娘に近寄らない理由はこんなところだ。詳細に説明する気はないが、自虐的女性性にも良いのと悪いのとがあって、「わたし、女酒場放浪記に出たいんです」というタイプは後者である。セルフハンディキャッピングの一環としてふるまわれるそれらおっさん化であるとか計算高さの開示は、おそらく自分を維持する理由と、他者から評価を調節したい(いっそ逆説的に高めたい)理由の二種類によって善悪は分かたれる。どちらが善でどちらが悪かは、客観的に考えてみれば明白である。男も然りだが。
「清風さんと話したひとの感想がみんな〝映像が綺麗〟になる理由がわかりました」
「いつわかったんだ」
「いまです」
「何が理由なんだ」
「それで清風さん、『君の名は。』は観ましたか?」
「観ていないし、観ないだろう。『逃げ恥』も観ていない。『シン・ゴジラ』を絶対に絶賛するんだ号泣する準備はできていた、と言って観にいって、その帰途、現代のヒット作は既に自分たちの世代を対象としていないことがありありと解って、帰ってきたからな」
「それはやっとというか、清風さんはもう享受する側ではなく、供給する世代ですからね。テレビがつまらないのは至極当然です。清風さんの世代はそれでなくても貧乏で、吝嗇なんですから」
「あとは、公開直後に彗星の軌道や渋谷駅かな、ディティールの設定揺れが指摘されていたんだけど、そこでまた世代を痛感するわけだ。そんなに観ている方ではないが、自分にとってアニメーションというのは二次元であるからこそ細部に魂を宿す、みたいな認識があって、時代考証であるとか機微、映像に映らないところまで細かに設定されている、現実よりもリアル、そんな頭があったから、ファジーな設定には耐えられないという思いがあった。少なくともジブリやエヴァはやっていたからな。だから渋谷の交差点を走っていたと思ったら場面が変わると、新宿を走っている。みたいな昔のトレンディードラマのようないい加減さは逆に、いまの若者には新鮮なのかも知れない。なにせカセットテープが復権しているくらいだからな。まあ2017年には廃れているかも知れないし、単に細かいことよりもプロットよりも恋愛なのかも知れないが。音楽だって、何回80年代リバイバルが起きているんだか」
「まさにそういうことなんですよ清風さん。我々にとって使い古された、手垢のついた手法であってもこれから体験するひとにとっては、まさしく新鮮なわけです」
「ネットが発達して原典をあたれる時代だというのに、いや、だからこそ取捨選択のまとめサイトが必要なわけか。で、琴線に触れれば原典を当たればいい。一方で情報が乱立しているからメインカルチャーに混入したサブカルチャーが被弾して、一般人の倒れるところが際立って見えるだけで、でも、このままじゃ幾ら縮小再生産とは言ってもソースがなくなっちまうだろう、道理でみんな映像美ばかり褒めるわけだ。そこだけは唯一、日進月歩しているからな」
「クロスチャンネルが全国劇場公開されるとは考えにくいことです」
「そんなことはない。いっそプレイ動画を劇場で二時間観てくれたほうが気持ちがいいし、古参だって大手を振って識者ぶったり、批判したりできるだろう」
 エロゲーで独自発達し、幾星霜くり返されてきたプロットがメインカルチャーに流入していると意識したのはやはり『まどか☆マギカ』で、当時私は片手で数えるほどしかエロゲーをプレイしていなかったが、それでも整理されたプロットと、ゲームとは初手からパラレルの概念なのだから、戦慄に近い既視感があった。懐かしい気すらしたし、ゲームとはここまで日常に浸透したものかという感慨があった。文学小説がああでもないこうでもない、結句文体がいいよね、雰囲気がね、のような右往左往をみせたエヴァ的テーマをワンクールでコンパクトにまとめた『まどか☆マギカ』は、やはり驚いた。AIが書いたセカイ系かと思った。
 しかし遡ってみればエロゲーにしてもオマージュの嵐であるし、ニッチなジャンルで醸造されたものをひょいっと借りてきて権威づけしたり、マッシュアップするなんていうのはよくある話だ。違っていた点は年齢制限があり外部から遮断されていた点、並びに凄惨な想像力を余すところなく発揮できた点、更に性描写が自由だったという点に立ち帰る。性を忌憚なく描くことができたのは医学書か文学しかなかったが、言わずもがな性とは私たちの人生にとり、密接である。
 エロゲーはプロットの強度を上げるためミステリやSFという他ジャンルから手法を借り受けてきた。謎解きは物語の引きを強め、SFは知的探求心や超展開にユーザーの許容し得る設定を与えたが、それは他ジャンルとて同じことである。ライトノベルもそうだし、近年文芸と呼ばれるジャンルではラスト三行のどんでん返しなど売りにしているが、これも本来ミステリの文脈だろう。どれも先人たちの出典も示さずに、思いもよらず、とりあわせの妙のような顔をして売れている。
 そうなると個人的に思うのは、大長編ドラえもんはもっと評価されてもいいのでは、ということ。早過ぎたのかも知れないし腐ってやがるのかも知れないが、ホラーとさえ映るめっぽう引きの強い展開はしかもSFで武装していて、通常のアニメの五本分くらいのねたが詰まっていると思うのだが、如何せん大長編はいつものドラえもんのセルフ二次創作のように映る側面があって、それが大長編にドラえもん以上の評価を与えないのかも知れない。クレヨンしんちゃんとは逆の効能である。
 マッシュアップの勝利で言えば、私はラーメンズを思い出さずにはいられない。お笑いという大前提があって、そこに演劇や文学、ミステリーがいいギャップとして機能している好例である。先人にはシティーボーイズがあるが、自分の皮膚感覚ではダウンタウンとウッチャンナンチャンを足して二で割ったような懐かしさもある。下手につっこむことをせず、むしろ一方がぼけ倒している時の方がおもしろく、その時の放置とは、最高のつっこみである。結句、掛けあわせる他ないのだろうか。
 そう、何も知らない顔をして。
「そうだな……いまがもし本当に2017年なのだとすれば、新垣結衣主演の朝ドラで双子おちの交代があるパラレルワールドのループものなんていうものがヒットしているはずで、しかしそこには少女漫画的メソッドを忘れてはならず、東京ラブストーリーのリメイクでありながらも最終話ラスト三分で展開がひっくり返るトリックがあり、実は兄妹で前世から幾度も巡り逢っていたオープニングに戻る式パターンが必要になる。ここで優勝した要素としては、プロット以外に組紐のような伝統工芸かつアマチュアが安く作れて高くネットで販売できるハンドメイド要素があるといいんだが、2016年に流行っているからこれは、ぽんぽん手芸あたりが妥当だろう。これぞまさしくニッチなジャンルで売れたものをメインカルチャーが掬い上げる構造そのもの。場面転換でのロケ地は非常に鷹揚で、聖地巡礼はすなわち大都市圏となる。お台場を走っていたのにいつしか幕張にいる、という塩梅だ。ディティールの適当なのが近年の流行りだからな。従って撮影中、監督に内緒で散髪してコンビニに入った次のカット、自動ドアが開いて出てきたら極端に髪の毛の短くなっていた明石家さんまが、優勝者だ」
 納得がいかない。この感情に、文学という名をつけてやろう。

 

 

 

 ――腐り姫
   ひぐらし、車輪の国
   その次は?――

 

 

 

「で、結局どうするんです清風さん、その次は」
「車輪の国、悠久の少年少女(ファンディスク)」

 

 

 

 

 

 

 

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