こんにちは!ライフオーガナイザー+建築士の佐伯新和です♪
お盆までインテリア系の仕事でドタバタしつつ、娘の夏休みの習い事、
骨折で入院している母の見舞いへと駆けずり回っております
先日の日記関連で、1年前を振り返って母のことを
久々に書いてみようと思います。。。
「家に毒ガスが撒かれている!」という妄想に数週間苛まれていた母。。。
忘れもしない、ちょうど1年前の7月27日の夜中に
とうとう警察、消防、ガス会社に電話をして「助けを」求めて
しまったのでした。。。
私はこの日の前日までなんとか母とコミュニュケーションを
取ろうと必死に母に付き合っていたのですが、それはかなわず
疲れが限界に達し、久々に大阪から兵庫県明石の自宅に
戻って死んだように眠っておりました。。。
(その時のようす → 母が壊れた。。。4)
警察、消防隊の方々を罵り、わめき散らす錯乱状態の母を
伯母(母の姉)伯父、私の父(私が小さい頃に離婚しているがその後付かず離れずのおつきあい)
が無理矢理救急車に乗せ、押さえつけて(自分はまともだ!と言って母が暴れるので)
精神科の救急病院に搬送することになりました。。。
受け入れ先の病院を探すのに1時間以上を要し、やっと決まった病院は
大阪南部関西国際空港近く。。。伝統ある専門の病院でした。
私は早朝に車を飛ばしてその病院に向かいました。
運転しながら涙が止まらず、何度も嗚咽状態に。。。
今振り返るとよく無事に病院までたどり着けたな、と思います。
私が病院に着いた頃には、母は救急隊員の方々や伯母伯父、父の手で
病院に身柄を引き渡され、「拘束」された後でした。
担当の先生に個室に呼ばれ、話を伺った上で
様々な事務手続き書類にサイン、捺印。。。
母の今回の入院は「医療保護入院」(←クリックすると詳細がわかります)であること、
今後しばらくの間、母は「外から鍵のかかる個室」に入らなければならないこと、
現在あまりにも錯乱して暴れているので「拘束衣」を着用させなければ
ならないかもしれないが、それに対して私の同意が必要であること、
今の状態を落ち着かせるための薬を処方するにあたり、もちろん万全は期すが
もしも何らかのショック状態で母の身に何かあっても仕方がない、ということ。。。
(文面を正確に移した訳ではないので表現に問題があるかもしれません。ご容赦下さい)
あまりにショッキングな内容に時折フリーズしながらも
できるだけ冷静に先生のお話を伺い、数々の書類にサインをしていきました。
でも先述の「拘束衣」の写真を見せられた時には
思わず涙が溢れてしまいました。
今まではそれは「映画の中だけに登場する代物」だったのですから。。。。。
→ 拘束衣(ウキペディア)
つづく。。。
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