在原繁アルゼンチン宣教師の証し「祈り続けるなら、奇跡が起こる!」

私はアルゼンチン宣教の召しを1983年の5月16日に受けました。

在原繁宣教師

その後、不思議なことがまた起こり始めました。私は意気消沈していました。

どのようにアルゼンチンへ行ったらよいかわからない。

アルゼンチンは一体どういう所で、私はそこで何をすれば良いかわからない。

わからないことばかりでした。

そういう状況の中で、ある時に私は一人の人をお導きすることが出来、バプテスマを授けることが出来ました。

洗礼式

その方は非常に大きな病気を持っていました。

体も顔も膨れて、髪の毛が抜け、歯は溶けていく、内臓の間に豆腐のおからのようなものがついてしまう病気でした。

彼はとても頭の良い方ですぐに聖書を読み始めました。

私はいつも彼の所に行き、手をおいて祈りました。

ところが何度祈っても御わざが起こりませんでした。

全然変わらない。

悪化するばかりでした。

拒絶

ついに彼は教会から離れ、私が訪問すると、「もう来なくても良い」と言われました。

ある時に私のところに、あちらこちらから噂が入ってきました。

私のことを悪く言ってるという噂でした。

「キリスト教会の牧師はブタ野郎」と言われました。

私は若かったので、彼の言ったことが頭にきました。

それから彼のことをあまり祈りませんでしたが、私の幼い子どもたちは家庭礼拝の中で、よく彼のために祈っていました。

毎晩祈っていました。

子どもたちの祈り

ところが一年ぐらい経ったとき、礼拝をしている最中に彼が入ってきました。

彼は変わっていました。

そして礼拝が終わると、司会をしていた先生が、「今日はT兄弟が来ましたから、久しぶりにお証しはいかがでしょうか」などと言われました。

泣き男

彼は講壇へ上ると、「ウワーッ」と大きな声で泣き始めました。

ハンカチを取り出してずーっと泣いていました。

彼はこう言いました。

「もう教会へは行かない。聖書を閉じてその上に悪書を置いておいた。酒を飲んで、でたらめな生活を始めた。もう太く短く生きようと思った。ところがどんどん落ちていきました。」

彼は起き上がることも出来ない苦しい時に、教会に来る二週間前でしたが、実は彼が自分の部屋で、真っ暗闇な中で起き上がってひざまずいて祈ったそうです。

「イエス様、私は何のために生きているんですか?教えてください」とそれだけでした。」

真っ赤な十字架

そうしたら彼に真っ暗闇の中に、真っ赤な十字架が幻となって現われたと言われました。

その十字架の色はどのような色でしたかと聞くと、この世で見たことのない真っ赤な十字架だと言われました。

彼はその十字架を見た時、この十字架の中に救いと癒しと解放があるとわかったそうです。

聖書をまだ一回か二回しか読んでいない彼がわかったのです。

そして「イエス様」と言った時に完全に見放された、長年つもっていた重病がその場で癒されたと言いました。

笑顔

彼は全く解放されて二週間後に髪の毛をとかし、晴れ晴れとして教会へやってきたのです。

教会がそのことを通して、

‟十字架の血潮は今日も有効!、十字架の血潮は今日も求める人に働いてくださり、十字架の血潮を通して癒しと解放と救いが起きる!今でも十字架は変わらない!”

ということを教会全体、また私自身も教えられました。

この二つのことを通して神様は宣教地で、私たちを何度か助けました。

神様が臨在するならば、神がご介入されるならば、家庭の中にも、教会の中にも宣教地どこにあっても、力ある働きが出来るということ、証しをして御霊の現れをもらうことが出来るということ、これが第一番目でした。

ホーリーDOVE

どのような時にも、キリスト教会の真ん中に、家庭の真ん中に十字架の血潮をあがめるということ。

この十字架から神の豊かないのちの水が溢れてくる。

そこに解放・救い・癒しがあります。

これで本当に助けられました。
(参考:http://www.shinshiro-church.or.jp/content/backnum/990725.html)

「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに彼(サタン)に打ち勝った」(黙示録12:11)

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聖書が語る“夫の弱点”、“妻の弱点”

聖書において、“夫の弱点”と“妻の弱点”とが逆説的に記されています(エペソ5:22~33)

1、 「夫たちよ。妻を愛しなさい!」

妻を愛する

なぜ聖書には男性だけに「自分の妻を愛しなさい」と、繰り返し書かれているのでしょうか?

これは女性にとっては非常に聞きづらいことですが、、、

男性にとって、キリストが教会を愛されたように「生涯一人の女性を愛し抜く」ということは、難しいからです。

妻より仕事

一般的に、男性は結婚してしばらくすると、妻よりも仕事を愛するようになります。

また、妻よりもお金を愛するようになります。

妻よりも趣味を選ぶようになり、最悪の場合、妻よりも他の女性を愛するようになるというのが、男性の性格的な弱点なのです。

そこで、神のみことばであり、神の知恵に満ちた聖書は、男性の性格の弱点を補い、助けるために徹底的に命令しているのです!

「妻を愛しなさい!」と!

年齢や外見、健康などの要素に関係なく、生涯一人の女性を愛し続けるには、神様の助けが無ければ非常に難しいのです!

2、「妻たちもまた、自分の夫を敬いなさい!」

妻は仕える

しかし、女性は違います。

聖書の中で女性に対して「夫を愛しなさい」と書かれていない理由は、女性が相手を愛することは男性ほど難しくないからです。

生涯を掛けて一人の男性を愛するということは、女性にとってはあこがれの世界です。

女性のほうが男性よりも、はるかに献身的に造られているからです。

一方、女性にとって困難なのは、生涯を掛けて自分の夫を「尊敬する」ことです。

それは不可能に近いことです。

結婚する前は多少尊敬していても、結婚して一緒に生活するようになると、だらしない性格や結婚するまで知らなかった一面を知っていきます。

男性の性格の欠点が「一人の人を愛し続けることが出来ない」ということであるなら、女性の性格の欠点は「目が悪い」と言うことです。

必ず相手の欠点に目が行くのです!

妻が叱る

男性の悪い所に目を留め、良いところにはすべて当たり前だと思うのです。

そして不満を心に溜め込み、それを子どもにぶつけます。

それが女性の弱点です。

ですから、祝福された結婚生活を送るためには、女性の弱さ、男性の弱さを知り、理解することが必要なのです^^

「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、

夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。」(エペソ5:22~24)

夫と妻

「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。

キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです」(エペソ5:25~28)

聖霊

しかし、私たちには助け主、聖霊様がおられます!

このお方は、もし私たちが罪を犯すなら、悲しまれ、私たちを悔い改めに導いてくださるのです(エペソ4:30)!

そしてまた、またローマ8:28の約束があります!

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

マイナスに見えることも、長い人生で考えるならば、すべてがプラスなのです!

ですから、神のみことばを土台としつつ、いつも聖霊なる主とみことばにすがって歩むなら、必ず神の栄光が現わされるのです!!

「この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。』」(マタイ4:17)

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇37:5)

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まことの愛とは(ポーランドの実話)

ポーランドのヴァーサ公爵と夫人カタリーナ・ザゲルロの愛は、今でも多くの人々に語り継がれています。

判決

ヴァーサ公爵は反逆罪の寃罪を被って終身刑を宣告されます。

すると夫人のカタリーナが王のもとを訪ね、「私も夫と一緒に服役させてください。」と嘆願しました。

王は驚いてカタリーナに聞きました。

「終身刑とはどんな刑か知っているのですか!

終身刑とは死ぬまで監獄にいなければならない非常に恐ろしい刑罰です!

あなたは何の罪も犯していないのに、なぜ獄中で一生をふいにするのですか?」

指輪

カタリーナは手から指輪を外して王に見せました。

その指輪には「モルス ソーラー(Mors sola)」と刻まれていました。

「私たちは結婚する時にこの指輪を交換しました。

これは死別するまで一緒であるというしるしです。

夫が終身刑になりましたが、夫は私の夫であり、私と一体なのです。

ですから、私も夫と一緒に監獄に入れてください!」

刑務所

こうしてカタリーナは、夫と同じ監獄でともに服役しました。

そして17年後、王権が変わると、新しい王がその愛に感動し、二人は釈放されたのです。

まことの愛とは何でしょうか?

まことの愛は苦しみが訪れる時、喜んでその苦しみを共に分かち合うことなのです。

夫人カタリーナ・ザゲルロの犠牲は私たちにそのことを教えています!

私たち人間には多くの過ちや失敗があります。

完璧な愛を見つけることは難しいことです。

しかし、主ご自身の中に完璧な愛を見つけることができます!

十字架

出エジプト記21:5~6には、奴隷が7年目には自由になるにもかかわらず、それを拒む場合が記されてます。

「しかし、もし、その奴隷が、『私は、私の主人と、私の妻と、私の子どもたちを愛しています。自由の身となって去りたくありません』と、はっきり言うなら、

その主人は、彼を神のもとに連れて行き、戸または戸口の柱のところに連れて行き、彼の耳をきりで刺し通さなければならない。彼はいつまでも主人に仕えることができる。」(出エジプト記21:5~6)

愛

主から計り知れない愛を受けた者は、どんな試練や患難があっても、主から離れられないのです!!

なぜなら、愛の本質は、受けることよりも与えることにあるからです(使徒20:35)!

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聖書のどこに神が「三位一体」だと記されていますか?

ものみの塔

訪問伝道を活発にするキリスト教の異端に「エホバの証人(ものみの塔)」というグループがあります。

彼らは相手がクリスチャンであると知ると、この質問をしています。

「聖書のどこに神が三位一体であると書かれていますか?」

「聖書の中には神は唯一だと書かれているではないですか?」

たとえば、『唯一の神以外には神は存在しないことを知っています』(第一コリント8:4)、『私たちには唯一の神がおられるだけで・・・』(第一コリント8:6)

「もし、父、子、聖霊がそれぞれ神であるならば、神が3人になってしまうではないですか?」

皆さんは「エホバの証人」のこの問いかけに対して、どのようにお答えになるでしょうか?

三位一体

確かに、聖書の中に「三位一体」ということばは出てきません。

しかし、明らかに、イエス・キリストは神だと記されているのです。

「このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン」(ローマ9:5)

「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエス」(テトス2:13)

「御子については、こう言われます。『神よ。あなたの御座は世々限りなく・・・」(ヘブル1:8~9)

「主イエスの、神としての御力」(第二ペテロ1:3)

「私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです」(第一ヨハネ5:20)

他にも、ヨハネ1:1、14、18、20:28があります。

三位一体1

また、聖霊に関しては次の箇所で神であることが明らかです。

「そこで、ペテロがこう言った。『アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。・・・あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』」(使徒5:3~4)。

三位一体に関して旧約聖書を調べてみると、主なる神はエロヒムと複数形となっていますが、動詞は単数なのです。

また、神ご自身は「われわれ」と複数で表現されています。

創世記2:7

しかし、「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて』」(創世記1:26)

「神である主は仰せられた。『見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった』」(創世記3:22)

「私は、『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう』と言っておられる主の声を聞いた」(イザヤ6:8)

「島々よ。わたしの前で静まれ。諸国の民よ。新しい力を得よ。近寄って、今、語れ。われわれは、こぞって、さばきの座に近づこう」(イザヤ41:1)

他にも英語の聖書を見ると、創世記11:7、イザヤ1:18に「われわれ」を示す単語が使われています。

このことは新約聖書においても同様です。

マタイ28章

イエス様は水のバプテスマを「父、子、聖霊の御名によって」授けるように命じられましたが、この「御名」ということばは複数形ではなく、単数形で記されています(マタイ28:19~20)。

それは父、子、聖霊が本質において1つであるからです。

他にも三位一体を証しする箇所は「わたしと父とは1つです」(ヨハネ10:30)等多くありますが、大切なことは何でしょうか?

それは父、子、聖霊は神の3つの部分なのではなく、唯一なる神のうちにある3つの「人格的な区別」であるということなのです。

私たちは様々な異端に惑わされず、ますます主を知ろうと、主を求めていきませんか?

ホセア

「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される」(ホセア6:3)

「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです」(ヨハネ17:3)

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一週間後に幸せになる秘訣

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一週間後に幸せになる秘訣

アメリカのシカゴにロヨラ大学があります。

その大学のプリド・ブダイオント教授は、人々を三つのグループに分けて、健康についての心理学的な実験を行いました。

散歩

その内容は、各グループに毎日20分ずつ一週間散歩させて、それぞれの視点で物事を書き取る宿題です。

第一のグループには、どんなことでも心の中に喜びと希望ももたらす対象を発見するように勧め、それらを記録させました。

落書き

第二のグループには、落書き、ゴミ、しかめっ面をしている人々、苦しみや絶望をもたらす状況を記録させました。

第三のグループには、何も考えず、ぼんやりした気持ちで歩いて来なさいと言いました。

そして、一週間後に彼らの幸福指数を調査してみました。

幸せ

すると、幸せで良いことばかりを記録した人は、以前よりも更に幸せになりました。

通りかかった場所で、他の人が喜ぶことを見て、ともに喜び、非常に幸せになりました。

第二のグループは、不幸せなことや人の過ちばかりを見て来た人は、ひどく不幸になってしまいました。

第三のグループは、何も残らず、投げやりな状態になってしまいました。

私たちが世の中を見る視点と、それに伴う考えは、このように私たちの人生に大きな影響を与えます。

それらは、限りない喜びをもたらしたり、限りない絶望をもたらしたりします。

ですから、私たちが考え方を肯定的にし、積極的で希望に満ちた考え方に変えることです。

全てが神様の恵みであると受け止め、感謝すると、私たちは益々幸せになるのです!

不幸せ

しかし私たちが否定的で、破壊的で、絶望的な考え方をすると、不幸になり悪くなるのです。

「彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました」(使徒11:23)

「イエスは『来なさい』と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。

ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、『主よ。助けてください』と言った。そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。『信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。』」(マタイ14:29~31)

賛美

大切なことは、神の恵みを見て、それを1つ1つ数えることです^^

「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません」(第一テモテ4:4)

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どうして聖書が神のことばであると言えるのか(3)?

聖書は神様の啓示の書物であり、神様の権威を持った神のことばです。

今日は実験的証拠から示します。

(3)実験的証拠

聖書が神の救いについての啓示の書であり、神の権威ある書であるという証拠は、聖書の中に記されていることを、自分自身に適用してみることによって分かります。

様々な宗教は「よい行い」をすれば救われる、と言います。

しかし、いくら「良い行い」をしても、厳しい修行をしても、人間の本質は変わりません。

なぜなら、仏教等は一種の哲学に過ぎないからです!

卵焼き

別の言い方をすれば、次のようなことです。

10個の卵を割って、卵焼きを作ったとしても、たった1つ腐った卵があると、全部が台無しになるように、罪が1つあるだけで身体全体が汚れてしまうからです。

しかし、人が聖書のことばに触れていくと、罪を示され、聖められていくのです。

「わたし(キリスト)があなたがたに話したことばは、霊であり、またいのち」だからです(ヨハネ6:63)

ここで一例として挙げるのは、明治時代に強盗、殺人、性的罪を犯した放火犯で、監獄からの脱走を繰り返した好地由太郎(こうちよしたろう)という人物です。

好地由太郎は、1865年房総半島の金田で、貧しい家庭に生まれました。

火事

17才の時に日本橋のある商店に奉公に出されましたが、奉公先で性的罪を犯し、それを隠すために女主人を殺害、金を奪い、証拠を消すために放火し、死刑を宣告されます。

しかし、未成年のために無期懲役刑になり、北海道は空知の監獄(北海道旭川)に入れられます。

しかも獄中でさえも、彼は脱走を繰り返し、その度に逮捕され、少しも反省の色もないために看守からひどく忌み嫌われていました。

ところが、ある日のこと、見知らぬ牧師が刑務所を訪問し、彼に一冊の聖書が差し入れられます。

聖書

これは好地由太郎の義母からの差し入れでした。

しかし教育を受けていない彼には一言もその内容を知ることはできません。

もっともたとえ字が読めたとしても、その時の彼には聖書など読むような考えはなかったでしょう。

ある日のことです。好地由太郎は不思議な夢をみました。

天使のような輝いた顔の少年が現われて「この本を食べなさい。これは永遠の生命を与える神の道です。」と彼に告げたというのです。

それはきっと義母から差し入れのあった本(聖書)のことだと気づいた好地由太郎は、看守長から片仮名と平仮名を学び、聖書を一生懸命に読み始めました。

聖書を読むにつれ、彼は自分が全く人生に値しないような生き方をしてきたことを痛感するようになり、変わっていきました。

酒もたばこもやめ、人がいやがる便所掃除を率先してやるようになり、病気の囚人には心をこめて介護し、自分の魂を救った福音を他の囚人たちにも伝えました。

好地由太郎

イエス様の御言葉に触れ、彼は新しい人生を歩み始めたのです。

一転して模範囚となった好地由太郎は、明治天皇の特別な恩赦により釈放されました。

また天皇の特別な計らいにより戸籍から犯罪歴が抹消されたともいいます。

23年の監獄生活でした。

監獄を出た好地由太郎は、もはや以前の彼ではありませんでした。

彼はキリストの愛と赦しを知って、真に生まれ変わっていたのです。

彼の行動には、そのことが隅々にまであふれていました。

やがて彼の存在は、その周囲に大きな影響を与えていきました。

ある時彼は、一家六人が心中しようとするところに駆けつけ、神の測り知れない知恵と力と愛によって彼らを救出しました。

また、その後、彼らの親類までも導かれて、キリストを信じるようになりました。

ある時は、娼婦のために楼主(ろうしゅ)(娼婦の館の主人)とかけあい、やくざに囲まれた中で、ついにその娼婦を無傷で救出しました。

祈り

また、彼が重病人のために祈ると、その人が奇跡的にいやされるということもありました。

またある時は、監獄に伝道に行くと、刑務所長が感激し、涙を流して紹介の言葉を述べてくれました。

彼の話に聞き入った囚人の多くが悔い改め、中には当日脱走を企てていた者がいて、自首して出たのです。

好地は、キリストを信じることは「自分に死ぬこと」であること、そして「キリストの命に生きることである」ことを、よく知っていました。

彼という一人の人間は、じつにあの獄中の大回心のときに、死んだのです。

そしてキリストにあって、「新しい人」に生まれ変わったのでした。

彼は自分の生命を、すでにキリストに全く捧げていました。

もはや彼の命は、彼のものではなく、キリストの御手にありました。

好地由太郎1

彼はホーリネス教団伝道者として、多くの重罪人を救いに導き、神学校(東洋宣教会の柏木聖書学院)の教師となり、全国の監獄を巡回する伝道者となったのです。

聖書は一体どのようなものなのでしょうか?

強盗、殺人、性的罪を犯した放火犯をも、新しく再創造し、伝道者、牧師を養成する神学校の教師へと変えるほど力ある書物なのです!

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」(ヘブル4:12)

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怒りと憎しみから解放される秘訣(2)

あるところに仲の悪い嫁と姑(しゅうと)がいました。

姑の意地悪に耐えかねた嫁が、カウンセラーの所へ相談に行きました。

「どうしても赦せない!」という嫁に、カウンセラーは白い粉薬を渡しながら言いました。

国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-白い粉

「仕方がないですね。ではこれを姑の食事に毎日少しずつ入れなさい。

だんだん体が弱って、3ヶ月くらいで亡くなります。使ってみますか?」

嫁は言いました。「はい。喜んで!」

カウンセラーはその薬を渡しながら、こう付け加えました。

「姑が亡くなった時、万が一にもあなたが怪しまれないために、これからは毎日姑に出来る限り親切にしなさい」。

嫁は3ヶ月の辛抱だからと思い、その日から姑に表面的には優しくなりました。

国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-仲良し

いよいよ問題の3ヶ月が近づいて来た時、嫁が困った顔でカウンセラーの所にやって来ました。

「あのー先生!あの薬が効かなくなる薬はありませんか。実は最近、姑が何だかとても優しくなって来ました。

このままならずっと長生きして欲しいと思います。だから、先生!姑を助けてください!」

すると、カウンセラーは笑いながら言いました。

「大丈夫ですよ。あの薬は小麦粉ですよ^^」


ところで、なぜ姑の態度が急に変わったのでしょうか?

もちろん、お嫁さんの態度が急に優しくなったので、お姑さんの態度も優しくなっていったのです。

このように心の動機がどうであれ、与える愛、アガペーには力があります!

国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-仲良し動物

アガペーの愛こそが人を幸せにするのです。

つまり、自分の感情はどうであれ、自分の方から愛を実践していくなら、状況は全く変えられ、奇跡が起こります!

ですから、私たちがすべきことは、愛(アガペー)そのものであられる神様と毎日しっかり繋がり、日々、神様から愛を受け取ることなのです^^

主と交わり、祈り、みことばを黙想しなければならない理由も、神の愛を受け取るためなのです^^

「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(第一ヨハネ4:7-8)

ルカ6:38

「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。

あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです」(ルカ6:38)

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ハンディキャップに打ち勝つ力(ビル・ポーター)

皆さんはノンフィクション映画「Door To Door」をご存知でしょうか?

ドア

ビル・ポーターという伝説的なセールスマンを主人公とした実話です。

ビル・ポーターは生まれる時に脳に損傷を受けた、脳性麻痺の障碍者でした。

そのために話すことが難しく、片手も動かせませんでした。

大人になり、何度も就職先を求め、履歴書を出しましたが、いつも拒絶されてしまいました。

ある日、訪問販売の社員となるために面接を受けますが、会社側は、彼がどもる上、体も不自由であることを見て、入社を断りました。

しかしビルは「他のセールスマンたちが一番行きたがらない地域を是非任せてほしい!」と切望し、会社はどちらにしても同じだという思いで、彼に仕事を任せました。

ドア1

その時からビルは、雨が振ろうと、雪が降ろうと、一日も欠かすことなく毎日15キロ、8時間以上歩いて、家々を訪問しました。

腰を曲げ、どもりながら、歪んだ顔で家々のドアをノックすると、人々は皆驚きました。

子どもたちは大声を出して逃げ回りました。

しかし彼は決してあきらめず、ついにはワンキンス社の販売王となったのです。

どうして、このような大きなハンディーキャップがあったにもかかわらず、ワンキンス社の販売王となれたのでしょうか?

一番大きな力はお母さんの愛でした。

何度も落胆し、肩を落としている息子を、お母さんはいつも抱きしめて、こう言ってくれました。

母の愛

「私の息子よ、できる!あなたは誰よりもうまくする!私はあなたを信じてる!」と。

そして、昼には道端のベンチで、お母さんの手作りのお弁当のふたを開けます。

すると、サンドイッチには「Patience“忍耐”」という字が記されていました。

そのたび毎に、お母さんの愛を思い出し、「お母さんが私にできると言ったからできる!」と自分に言い聞かせることが出来たのです!

彼は信仰をもって忍耐を重ねた結果、その会社の最高販売者になったのです。

彼が数多くの苦しみの中でもあきらめなかったのは、まさに「お母さんの愛」に励まされながら、神様を信じ、夢を描き続けたからです!

これが不可能を退けたのです。

お母さんはいつも「あなたがしたいということはどんなことでもできる!」と言ってくれました。

ビルポーター

彼の力のルーツはまさに愛にあったのです。

私たちは皆、どんな苦難にも打ち勝つことが出来ます!

なぜなら、神様から愛されている子どもであるからです!

私たちに向けられた神様のその大きな愛をいつも覚え、その愛に頼ることによって、全ての苦しみに圧倒的に勝ち、恐れに勝ち、勝利することが出来るのです!

出来る

この愛を土台として、夢を描き、あきらめずに、“Yes I Can!”と言い続けることなのです!

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある」(イザヤ49:15~16)

この映画のラストのことばは以下のものです。

「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。

また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです」(ヤコブ5:11)

ソウルサーファー

「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである」(ヨシュア1:9)

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主との契約とは何か?

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主との契約とは何か?

創世記15章を見ると、主はアブラハムと不思議な方法で契約を結ばれました。

主は牝牛、雌やぎ、雄牛、そして、山鳩のひなを持って来なさいと言われました。

創世記15

すると、アブラハムは鳥以外をすべて真二つに切り裂き、その半分ずつを互いに向かい合わせにしたのです。

(※鳥はレビ記1:17にあるように、翼を裂き切らず、切り離してはならないことが律法の規定でした)

ところで、なぜ、そのようにしたのでしょうか?

これは当時の契約の仕方だったのです。

エレミヤ34:18以降を見ると、2つに断ち切られた、いけにえの間を通ることは、敵の手に渡されて、いのちを失うことを意味していました。

エレミヤ34

つまり、征服された王がそこを通らなければならなかったのです。

ですから、これは命がけの契約でした。

しかし、ここ(創世記15:17)で不思議なことが起こっています。

「さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた」(創世記15:17)

「かまど」と「たいまつ」は神のご臨在を現しています。

本来、全く弱い立場にあるアブラハムが2つに断ち切られたものの間を通るべきです!

しかし、そうではなく、主なる神様ご自身が通られたのです。

つまり、その意味は、この契約が破られた時、その全責任を主ご自身が取られることでした。

どんな形で、主はその責任をお取りになったのでしょうか?

十字架

それがあのカルバリの丘での出来事です!

主なる神であられるイエス・キリストご自身が、契約に背き、罪を犯した私たちの身代わりとして、木にかけられ、呪われたものとなってくださったのです!

本来の契約とはAとBとの関係です!

しかし、失敗し、罪を犯してしまう罪人=アブラハムがその責めを負うのではなく、どんなことがあってもその責めを主が負ってくださるということです!

このまったく考えられないほどの愛の契約、それが主と私たちとの契約なのです!!

なぜでしょうか?

みことばは今日も私たちに訴えています!

「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。

Fire

火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。

わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。・・・・わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」(イザヤ43:2~4、25)

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スティーブ・ジョブスの感動的なスピーチ(結び)

スタンフォード大学卒業式において行われた、スティーブ・ジョブスの感動的なスピーチの締めくくりのことばです。

地球

私が若い頃 "The Whole Earth Catalogue 全地球カタログ" という素晴らしい本がありました。

私の世代のバイブルです。

ステュアート・ブランドという人が、この近くのメンローパークで制作したものです。

彼の詩的なタッチが紙面に命を吹き込んでいました。

1960年代後半のことで、パソコンもない時代です。

地球2

全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。

それはまるでグーグルが生まれる35年前の文庫版グーグルのような理想的な本です。

理想主義的で、素晴らしいツールや偉大な信念に溢れていていました。

スチュアートと彼のチームは何度か刊行を重ねた後、ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。

それは1970年代半ばで、私はちょうどあなたたちの年代でした。

最終号の裏表紙は、早朝の田舎道の写真だったのでした。

地球1

ヒッチハイクの経験があればどこか見たことのある光景でした。

写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." (ハングリーであれ!バカであれ!)という言葉が書かれていました。

Stay hungry, Stay foolish. (ハングリーであれ!バカであれ!)

それが、発行者の最後の言葉だったのです。

私も常々、自分自身そうありたいと思っています。

そして今、卒業して新しい人生を踏み出すあなたがたに、そう願っています。

Stay hungry, Stay foolish. (ハングリーであれ!バカであれ!)

Thank you!

ヨハネ7:37

「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。

あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。 」(マタイ5:39~42)

「もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。」(ローマ12:20)

「彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。」(ヘブル11:26)

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