礼拝メッセージ 「主のアスリート」 へブル12:1~3          

 

 今日は「主のアスリート」というタイトルで、私たちが信仰のレースを走り続けるにはどうしたらよいのかをご一緒に考えましょう。

 

1,  信仰のアスリートであると自覚せよ

 ところで、今日の箇所で私たちクリスチャンはどのようなイメージで描かれているでしょうか?アスリートです。ところで、アスリートとスポーツマンあるいはスポーツウーマンとどこが違うのでしょうか?もちろんアスリートもスポーツマン、スポーツウーマンですが、アスリートは単にスポーツが好きというレベルではありません。アスリートは自分の技術を磨き、運動能力を向上させ、長時間の競技にも耐えられるように、スタミナも向上させる人のことです。

 

 皆さんはプロ野球のヒット数で、世界一のギネス記録を持っている日本人を知っているでしょうか?彼の名はイチロー選手です。彼は通算4265本のヒットを打ち、大リーガーの記録を超え世界一のヒット王になったのです。彼はどうしてプロ野球開始以来の歴代一位の世界記録を出すことが出来たのでしょうか?彼は小学6年生の時、次のように作文を書きました。「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。僕は3歳の時から野球の練習を始めています。しかし、小学3年生の時から今まで365日中、360日は厳しい練習をやっています。そんなに練習しているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。」。イチロー選手は自分が期待していたことをはるかに超える世界的一の選手となったのです。彼こそアスリートの見本ともいえる人物です。

 

 ところで、オリンピックの陸上競技の最後は42.195キロのマラソンレースです。その最後のゴールは大観衆のいるスタジアムです。人々は興奮して選手を声援します。へブル書の著者の言う通り、私たちクリスチャンは今、大観衆の応援するスタジアムの中を走っているのです。この大観衆は雲のように数えきれないほどの人々です。アスリートの私たちを取り巻いているスタジアムには、殉教者アベル、洪水に備えて箱舟を造ったノア、天の都を待ち望み、信仰の父となったアブラハム、世のはかない楽しみを捨て、天の宝から目を離さなかったモーセたちがいます。ほかにもギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、そして預言者たちがいます。

 

 へブル書の著者は彼らを信仰の証人、神の証人と言っています。証人とは何でしょうか?実際あった出来事を真実であると証する人のことです。ですから、ノアの洪水も、アブラハムが100歳の時にイサクが生まれたことも、モーセが杖を上げた時、紅海が二つに分かれたこともみな100%事実なのです。実際にあったことなのです。ギデオンはたった300人で450倍の敵に打ち勝ちました。少年ダビデが誰もが恐れた巨人ゴリアテと戦い、勝利したことも事実なのです。11:34には「彼らは弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、敵を打ち破った」と記されています。

 

 ですから、これらの信仰の先輩たちが私たちを取り巻き、「がんばれ!ファイティング!私たちは数多くの奇跡を体験してきた。それらは本当の事だ。信仰の道は戦いがあるが、素晴らしく豊かな報いが待っている!」と私たちを天からいつも応援しているのです。ですから、著者は信仰のレースのアスリートとして、走り続けようと私たちに勧めているのです。皆さんはアスリートが沢山の荷物をもって走っている姿をみたことがあるでしょうか?重たいバッグを背負い、両手には荷物をぶら下げて走っている人を見たことがありますか?ないですよね?ですから、「一切の重荷とまとわりつく罪を捨てなさい」と命じられているのです。

 

2,  勝利の秘訣である十字架

 1節の後半にはこう記されています。「私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」。ここで2つのことが妨げであると記されています。それらを考えましょう。

1)   まとわりつく罪に打ち勝つ

 罪というのはいやらしいですね。これは私たちに絡みついて来るというのです。そこで、まとわりつく罪に対する勝利の秘訣は何か考えましょう。ある師匠が4人の弟子たちにこんな質問をしました。「人が罪の誘惑を受ける時、それを克服する最も良い方法は何か?」。4人の弟子たちはしばらく考えた後、それぞれ次のような結論を出しました。一人目。「死を考えるならば、罪の誘惑を避けることが出来るでしょう。」。二人目。「死後の審判を思えばよいでしょう。」。三人目。「天の御国の喜びと希望を考えるといいでしょう。」。四人目。「地獄です。地獄の苦しみを考えたなら、誘惑には陥りません。」。皆さんはどう思いますか?弟子たちの答えをじっと聞いていた先生が答えました。「おまえたちの答えは全部正しい。しかし、最も良い方法は、罪の誘惑に会うとき、イエス・キリストの十字架の苦難と流された血潮を考えることだ。罪と悪を避けるのに、これよりも強力な武器はない!」。ハレルヤ!まとわりつく罪に勝利する秘訣。それは十字架を思うことなのです。

 

2)耐えられない重荷に打ち勝つ

 「歌いつつ歩まん」という世界的に有名な賛美を作ったエリザ・ヒューイット(Eliza・Hewitt)という女性がいます。彼女は冬のある日、事故に遭い、脊髄を損傷してしまいました。一生ベッドで寝たきりの生活になってしました。「もう人生は終わった!」と思ったのです。その苦しみの中で彼女は毎日つぶやきました。そして信仰も失いかけていたのです。そのような時、部屋をお掃除してくれるおばさんの姿を見て彼女は変わったのです。そのお掃除のおばさんがいつも笑顔を絶やすことないのです。貧しく厳しい生活、苦しい生活であるにもかかわらず、感謝と賛美に満ち溢れ、輝いていたのです。エリザ・ヒューイットはその姿を見て、大きく心が動かされます。彼女は深い感動を経験したのです。今までの彼女は自分自身の弱さばかりを見つめていました。しかし、この時から、主を見つめる人へと変わったのです。そして彼女は、遂に信仰の秘訣を見つけたのでした。

 

 「自分はベッドで寝たきりになってしまい、何もできないと思っていた。けれども、いつでも主にすがれるではないか!そうだ!自分の苦しみを全部十字架の前に持っていくことなのだ!そうすれば、この重荷を下ろすことが出来るではないか!」。そのことを確信したのです!それ以来、彼女は全く変わりました。不平不満の生活は一変しました。徹底的に主にすがる人となったからです。重荷は全部十字架のもとに置く人となったからです!ハレルヤ!彼女のその大きな変化は彼女が亡くなってすでに100年以上経ちますが、今でも多くの方々に歌われているのです。ハレルヤ!

 

 このように、一切の重荷もまとわりつく罪に対して勝利できる秘訣はすべて十字架にあるのです。私たちは信仰生活において、時々疲れを覚えるかもしれません。しかし、3節をご覧ください。ここに結論が記されています。「あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。」。ハレルヤ!これはどのような意味でしょうか?イエス様の十字架の苦難を考えなさいということです。これこそが私たちが疲れ果てず、信仰のレースに勝つ秘訣なのです。これこそクリスチャンの生き方の土台なのです。

 

3,  イエス様一点集中主義

 皆さん!日本には有名なことわざがあります。それは「二兎を追う者は一兎を得ず」です。インドにもあるでしょうか?二頭のウサギを追う者は一匹のウサギさえも捕まえることは出来ないという意味です。つまり、1つのことに集中しなさいという意味です。ですから、2節にはこう記されています。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」。ハレルヤ!セミナリーに入学された皆さん!皆さんのすることは何ですか?「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」。これです。

 

 私がインドに来て、驚いたことがありました。それはインドのあるセミナリーに3年近く学んできた人が、聖書をほんの少ししか読んでいないということです。皆さん!インドにセミナリーは沢山あるでしょう。けれども、神学ばかり学んで聖書を学ばないのなら、これは土台を欠いていることです。もちろん神学は必要でしょう。けれども、神学は教理であり、聖書ではありません。大切なことは神のみことばを深く知らなければならないのです。ですから、このセミナリーの特徴は聖書全体を十分に学ぶことにあります。

 

 それとともにみことばが自分に直接、語り掛けられたという体験、レーマが必要です。イエス様は山上の説教の冒頭で、こう仰いました。「“Blessed are the poor in spirit, for the kingdom of heaven is theirs.」。ここでthe poor in spiritのギリシャ語の意味はこれ以上ないくらい、霊においてからからに渇いている状態を意味しています。その人こそ祝福された人です。また、ヨハネ7:37~38で、こう言われました。「If anyone is thirsty, let him come to me and drink. 38 The one who believes in me, as the Scripture has said, will have streams of living water flow from deep within him.」。イエス様を信じる者とは霊的に渇いている者のことなのです。もし、霊的な渇きを失っているなら、その人は霊的な病気にかかっているのです。ですから、マタイ8章のローマの百人隊長のように「主よ、みことばをください」と朝起きたら、みことばを切に求めなければいけないのです。みことばこそがイエス様であるからです。

 

 今は便利な時代です。素晴らしい説教もYoutubeで聞くことが出来ます。ですから、コロナになって、クリスチャンたちが自宅でZoomやYoutubeで礼拝する人々も多くいました。そしてそれは楽ですね。けれども、そのように楽な道を選んだ人は信仰が弱くなり、教会から離れてしまいました。日本で一番大きな教団もこの30年間で礼拝出席者が3分の1に激減しています。このような時代であるからこそ、真の実力を持つ者だけが生き残ることが出来るのです。では実力とは何ですか?イエス様との関係です。イエス様一点集中主義で生きることです。「イエス様」「イエス様」「イエス様」といつも主を呼び求めることです。

 

 19歳のある青年がいました。彼は末期の肺病を患い、医者に完全に見捨てられた人でした。しかし、ある女子高生の伝道により、救われます。その大きな喜びをもって主に献身します。そしていつも霊的な深い渇きをもって、非常に主と深く交わる生活をしました。そして85万人の世界最大の教会を立て上げたのです。私たちが霊的な餓え渇きをもって、主を切に求めるなら、主は偉大なことをなさるのです。ですから、イエス様一点集中主義の人になりましょう。

 

 今日は「主のアスリート」 というタイトルで、3つのことをお話ししました。①,信仰のアスリートであると自覚せよ、②勝利の秘訣である十字架、③イエス様一点集中、でした。しばらく、お祈りしましょう。

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