「私は間違いで生まれて来たに違いない!」その2

bird singer

 英語もある程度しゃべれるようになった上原令子さんは、学校を

中退して歌手になることを夢見て上京しました。

 17歳の時でした。


 それは令子さん自身が有名になり、自分をいじめた人たちを見返したい

という思いもありました。

 しかし、それ以上に、自分は“生まれてきてよかったんだ!”という

自分に対するアイデンティティーの確立のため
でもありました。

 彼女はオーディションに合格しました。

 喜びましたが、思った以上の感激や喜びはありませんでした。

 それどころか、ちょうどその頃、マリファナの後遺症で起こる、

理由のない恐れにさいなまれる日々が続いていた
のです。

マリファナ

 夢が実現するかもしれない大事な時に、心が恐れで一杯になって

しまいました。

 自分の心のはずなのに、それをどうすることもできないもどかしさに、

自分の心に裏切られるような気持ちでした。

 そして、その心から逃げたいと思っても、一瞬として逃げることが

出来ないのです。

 どうしていいか分からなかった令子さんは、歌手を断念して

沖縄に戻りました。

 こうして、だれにも打ち明けられずに、一人で“心”との戦いが

始まったのです。

なぜ生まれてきたのだろう。

 こんなにたいへんな人生だったら生まれてこない方が良かった。

 出来ればこの人生をもう終わりにしたい!


 そう思っても恐くて死ねません。

 生きるすべも知らず、死ぬこともできず、ただ絶望するだけでした。

動物の眠り

 そんな時思い出したのが、アメリカンスクールで毎日のように

聞かされた神様のことでした。

 それまでは、令子さんには無関係の外国の宗教だと思い、

何の関心も持ちませんでした。

 しかし、「令子、おまえはいつになったら神さまを信じるんだ?

といつも声を掛けてくれたアメリカンスクールのスライ先生のことを

思い出しました。

「そうだ。

『神様はあなたの人生を変えてくださる』といつも言っていた

先生の教会に行ってみよう」


 そう決断した次の日曜日に、初めて教会に出席しました。

 学校時代にいやいや歌った賛美歌を会衆と共に歌いだしたその瞬間、

その歌がまるで魂に吸い込まれていくようで、涙が止めどもなく

流れ出てきたのです。


希望

 礼拝後、スライ先生を見つけた令子さんは、神さまを信じてみたい

と打ち明けました。

 先生はこの日がとうとう来たかとばかり喜ばれ、彼女の手を取って

いっしょに祈ってくれました。

 令子さんはこう祈りました。

神さま、どうか罪人の私を赦してください。

 イエス様!私の心の中にお入りください。

 そして人生を導いてください!


 短い、単純な子どものような祈りでした。

 しかし、祈った瞬間、いまだかつて味わったことがない安心感と

喜びが心の中に泉のように湧き上がって来たのです。

 まるで、だれかがそれを心の中に流し込んでくれているようにでした。

 「もううれしくて、うれしくて・・・・」

 令子さんの目に、街路樹や小さな野の花もが美しく目に

飛び込んできました。

 何も見ても愛おしかったのです。


 18歳の春、イエス様に出会った瞬間でした。

上原令子

 そのイエス様が聖書を通して令子さんの疑問や悩みに答えて

くださり、心を癒してくださったのです。

 令子さんは、主の語りかけを次のように言われます。

 「私生児の私に『母の胎内であなたを組み立てた」と言われ、

 両親に育てられなかった私に、『あなたの父や母があなたを見捨てる時、

主があなたを取り上げてくださる』と言ってくださいました。

 いじめられ、一人ぼっちだと思っていた私に、『わたしはあなたと

共にいる』と言われ、価値がないと思っていた私に『あなたはわたしの

目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している』と

言ってくださったのです。

 この世に生を受けた人で、間違いで生まれてきた人など一人も

いないのです!


 私たちがどんな環境であれ、神の無条件の愛は分け隔てなく私たち

すべての人に注がれていることが、心底からわかったのです!

主の保護

 令子さんは言われます。

様々な苦しみを通る時、その苦しみが益をもたらすとは、

その時は考えにくいものである。

 しかし、その苦しみの中でしか出会えないイエス様がおられ、その人に

しか分からない苦しみは、それを乗り越えたその人にしか味わえない喜び

をも与えてくれる。

 そしてその経験は自分だけにとどまらず、周りの人のためになりうる

ことを教えられた。

 死にたいと思った私が、今は同じように苦しんでいる人たちにイエス様の

愛と、だれでも神さまによって新しい人生が与えられることを伝える使命を

与えられ、ゴスペルを歌わせてもらっている。


uehara

 コンサートに来てくださる方々で苦しみのただ中にある人に、

『慰められた。希望が与えられた』と言われると、私の苦しみはこの人の

ためでもあったのだと思い、神様の摂理に感謝の思いが湧いてくるのです。

 やはり・・・・・もう一度生まれ変われるとしても、

ハーフの上原令子で生まれたい!



 主は、私たち一人ひとりに次のように言われています。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知って

いるからだ。

――主の御告げ――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、

あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしは

あなたがたに聞こう。

 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを

見つけるだろう
」(エレミヤ29:11~13)


私たちは神の最高傑作であって、良い行ないをするために

キリスト・イエスにあって造られたのです」(エペソ2:10)


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