縄文時代の福祉 | ずっこけ北の家族

縄文時代の福祉

福祉(ふくし)とは、「しあわせ」「ゆたかさ」を意味する言葉で、広義で「公共の福祉」などと使われる。とウィキペディアに説明されていました。

ずいぶん時間が経ってしまいましたが、今年のゴールデンウイークに家族で函館に行った帰り道、縄文時代の遺跡を巡りながら帰って来ました。3つ程遺跡を見学したのですが、ブログにしたい事が山ほどありました。その中でも、考えさせられたのが、サミットの会場になった洞爺湖がある洞爺湖町にある、入江貝塚です。入江貝塚は縄文前期から後期(約6000~4000年前)の遺跡です。遺跡でこんな説明の看板を見つけました。

$ずっこけ北の家族


縄文時代の遺跡から見つかった遺骨なのですが、幼少期に小児麻痺にかかり、少なくとも数年は寝たきりの状態でいたのではないかと推測されています。

縄文時代は私たちが想像する以上に豊かな時代だったことは、だんだん解ってきています。でも、今を生きる私たちから考えたら、衣、食、住、どれをとっても想像を絶するほど厳しかったはずです。それでも、寝たきりの子を世話していた。私はこの入江の縄文の集落全体で世話していたのではと思います。大変な事です。多分生まれて来た赤ちゃんの死亡率もめちゃくちゃ高かったことは想像できます。だからこそ生まれて来た命を大切にしていたのかも知れません。

それと、これは私の想像なのですが、きっとこの子も社会に対する役割を担っていた。必要とされる命だったのでは・・・と考えたりもします。

人間には皆、凸と凹があります。私にもあります。凹の部分を沢山の人達に助けられ、許してもらい現在まで生きてこられました。だからこそ凸の部分で社会の役に立ち、誰かを助けなんとか恩返ししようと考えます。その、凸の部分と凹の部分がみんなにあるかからこそ、社会が噛み合います。歯車のように回転します。人には凸と凹があるから社会が回ります。

社会的弱者といわれる人達がいます。この言い方は凹の部分にスポットライトが当たってるように感じます。現在この人達の凸の部分を見つけられない世の中なような気がしてなりません。解っている人には解っているけど、解ってない人が多い。私自信もそうかもしれません。特にお金という物差ししか持っていない人には見えにくいのかなとも思っています。

縄文時代にお金は無かった。だから、この入江貝塚の子の役割(凸の部分)が皆に見えた。そんな気もします。

どんな人にも凸凹がありそれが噛み合い、社会を作る・・・と考えたら、それに参加する人が多い程強い社会になる。ゆたかな社会になり、しあわせな社会になる。まさしく福祉です。

そう思った時、私たちは縄文の人達から学ぶ事が沢山あるように思います。縄文人は私たち日本人の祖先です。現在社会的弱者と思われている人達が、みんな社会の歯車に参加出来る社会、しやすい社会を作る事は私たちみんなが幸せになることに繋がるように思うのです。そして、そういう意識をもって子育てをしたいと思うのです。



 ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村↑こちらをクリックお願いします。

関連記事
頑張れ日本、東北を守れ!(1)歴史が人をつくる
がんばる日本、東北を守れ!(2)負けてから何かが始まる
日の丸に至る一万年の物語 前編 
日の丸に至る一万年の物語 後編
「はやぶさ」が教えてくれたいくつもの事
日本の結界
日本人の心の起源・・・供養する心
私たちの中に眠る縄文のこころ
君が代への思い