頑張れ日本、東北を守れ!(1)歴史が人をつくる | ずっこけ北の家族

頑張れ日本、東北を守れ!(1)歴史が人をつくる

いざと言う時、その人の本当が現れる。いざという時、その人のDNAに刻み込まれた本能のスイッチがONとなる。

東日本大震災後の東北の町で、略奪が起きず、冷静でしかも譲り合い助け合っている様が海外では驚きと賞賛をもって報道されている。東京もそうだった、地震の瞬間の落ち着きぶりや、電車が止まってしまい徒歩で帰宅する人達の整然とした光景、休む人達も歩く人達のスペースを残し一列に休む。譲り合い、助け合う心とその実際の光景を目の当たりにした海外の人達は驚きを隠さなかった、それは世界の常識に照らし合わせてみたら、とんでもなく異質なものなのだ。

例えば東京の日本語学校で地震直後、まず日本人の教師が生徒全員を誘導し、最後に照明のスイッチを切って教室を出て来ただけで中国人留学生が驚いている。この日本人教師の行動は素晴らしいとは思うが、言い換えれば「当たり前」の行動でもある。でも四川大地震の時の事を考えれば、中国人留学生の驚きはうなずける。・・・・四川大地震の時、ある高校で自分だけ先に逃げた教師がいる。彼の自己弁護はこうだ。「あのような生きるか死ぬかの瞬間には、自分の命を犠牲にしようと思うのは娘のためだけだ。ほかの誰のためにも死ねない。自分の母親のためにもだ。」 この言葉は全てを物語っている。今回の東日本大地震ではこれと全く逆の行動をとって、誰かの命を救い自らの命を犠牲にした人が数えきれないほどいる。そして、いまでも自らの命を削りながら被災者を助ける行動を取る人達が数多くいる。

例えば2005年8月30日、先進国アメリカのニューオーリンズを襲ったハリケーン、カトリーナ。災害後、市内の食料品店などで略奪行為が続発した他、放火と見られる火災も起きている。9月2日に至っても避難者の移転作業が続いているが、略奪等により作業が妨げられていると市警察当局は非難している。市内では他にもレイプ、救援車両・医薬品輸送車への襲撃なども行われており、市内は無法地帯と化しているとの情報も流れた。そのため、州兵が現地に派遣され治安維持に当たっており、被災者に銃を向けなければならない痛ましい事態となっている。被災3日後の事である。(ウィキペディアより)

これらの出来事は日本のどこであっても考えにくい。何故こうも違うのか考えてみた。

四川省は今でこそ95%が漢民族が住んでいるが、元々はチベットだ。1949年に人民解放軍に侵略された場所だ。それに至るまでに秦の時代から侵略され続けた場所である。明の時代には300万人が虐殺されている。アメリカについては言うまでもない、もともとインディアンが住んでいた場所なのだ。そこに最近白人がやって来て、我が物顔で住み着き、黒人を奴隷として輸入した。

かたや東北はどうか?東北は日本文化が受精した場所だと私は思う。青森県大平山元I遺跡(おおだいやまもといせき)から見つかった土器片は16,500年前の物とされ、世界一古い土器だ。6000年程前、この辺りで大噴火が起こった形跡がある。十和田湖が出来る程の大噴火だ。科学が未発達で、社会のシステムも違う当時、縄文の人達のその後は想像を絶する。しかし、その後縄文人たちは「円筒土器」という種類の土器を発明した。今まで食べていたものがとれなくなり、新たに食用としたものに、その形と大きさを合わせて作り直したものなのではないかという説がある。私たちの祖先縄文人は日本の各地で自然に叩きのめされても、不屈のボクサーのようにまた立ち上がり、その度に知恵と助け合いで今までを改め、進化してきた。

事に東北地方は最後まで、縄文をやめなかった地域でもある。一度弥生時代初期には稲作をはじめた痕跡があるが、その後はまた続縄文文化に移行している。その冷涼な気候にも悩まされた事だと思う。地震や津波にも幾度となく襲われた痕跡がある。痕跡をまだ発見出来ていないものもあるはずだ。自然に何度となくもてあそばれても、何度も何度も立ち上がり、自然と共に1万年以上生き続けた。だから、稲作というある程度自然をコントロールするやり方を嫌った。大和政権やその後に「蝦夷(えみし)」と呼ばれても鎌倉時代くらいまで狩猟を主な生業とする事をやめなかった。頑固ものなのである。こういう人達がいたから、弥生人も少しずつ縄文人に影響されていったのではないのかと思う。

縄文人は頑固だったと思う。主義主張を他の人に押し付けたりしないが、自分の哲学は変えない。一見取り入れたに見えても、魂は売っていない。今の日本人の心根と似ている。クリスマスは取り入ても、ちゃんと神社に初詣する。しなやかな頑固者達「縄文人」の中でも東北縄文人は筋金入りの頑固者だったのではないか。それは、日本の中でも自然の恵みと厳しさを否応なく味わった歴史がそうさせたのだと思う。我慢強さ、粘り強さ、助け合い・・・自然の厳しさが作った魂なのだ。それも1万年以上かけて。

そして否応なく自分達を襲う自然と、恵みを与えてくれる自然に祈るようになる。太陽を観測し祈りの場であった大湯環状列石は、先ほど紹介した大噴火の後に秋田県で作られた遺跡だ。十和田湖の近くある。そして縄文と言えば土偶だが、これも東北から出土するものが圧倒的に多い。それは祈りの対象であり、お守りであった。

お守りの数だけ祈りがあった。

$ずっこけ北の家族


東北はその自然の厳しさもあり、日本で一番早くそして心から真剣に祈り始めた地域だったのかもしれない。

日本らしさの根源は縄文にある。そしてその縄文が一番古くから栄え、長く続いた東北。縄文の哲学は今でも私たち日本に恩恵を与え続けている。世界が見る日本らしさを一番濃く残しているのが東北だと思う。1万年以上自然の厳しさを受け入れ、粘り強く負けずに助け合いながら生きて来た東北の人たち。それは縄文時代が終わっても、地震や津波、冷夏による不作からくるききん、毎年の冬の寒さと戦ってきた歴史が東北の人たちの心をつくり、日本らしさを一番残し、世界が尊敬する地域になった。

世界の人達が思う日本人像、それは日本人が思う東北人像と重なる。

先ほど紹介した世界の地域と東北が違うのは、東北の人達は1万年以上そこで助け合い自然の恩恵も厳しさも一緒に受け入れて来た人達の末裔だということです。東北の人たちは何世代も何世代も助け合い生きて来たのだ。

東北は負けない。そして東北以外の日本人はその魂のふるさとである東北を全力で守らなければならない。東北は日本の基礎であり、未来なのです。

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