分断統治とは、統治を行う時に被支配者(支配される側)を分断して統治を容易にする手法です。被支配者同士を争わせて、被支配者の力を結集させず統治者に矛先が向かうのを避け、効率的に統治することができます。
欧米諸国が植民地支配をしていたときに、宗主国への抵抗を和らげるために、この分断統治を行っていました。民族、宗教、職業などによって分断を図り、意図的に対立構造を生み出していました。
分断統治は、人間が持つ差別意識や優越意識を利用しています。侵略した地で、現地の有色人種のうち、白人に媚を売った有色人種に特権的な地位を与えて、他の有色人種を支配させていました。
分断統治を行っていた国の中で、代表的な国はイギリスです。イギリスは植民地支配の経験が豊富で、巧妙かつ狡猾な統治をしていました。
イギリスによる1905年のインドのベンガル分割は、分断統治の例のひとつです。当時イギリスは、この地域の反イギリスの動きを警戒していました。イスラム教の影響が強いベンガルとヒンズー教の強い西ベンガルをひとつの行政区にし、両者の対立を煽りました。
イギリスは、一部のインド知識層を優遇して親英的組織を作り、民族内の差別化や宗教間を対立させるなどして、インド人同士で諍いを起こし、苛烈な植民地統治をしているイギリスに矛先が向かないようにしていました。
イギリスは、ミャンマー(当時はビルマ)ではインド人を使ってミャンマー人を支配していました。ミャンマーにインド人を移住させ、インド人を地主や商人として優遇させてミャンマー人から搾取をし、それをイギリスが更に吸い上げるという図式になっていました。
独立後もイギリスの分断統治は続いています。ミャンマーにいる様々な民族に対して、イギリスが裏からお金と手を回して民族同士の紛争が絶えないようにしています。また、英国人の夫を持つアウンサンスーチー氏を使って、ミャンマー国内の対立を煽っています。
イギリスは、マレーシアでも分断統治を行っていました。土地を分割し、職業によって民族分断を図りました。マレー半島を3つに分割し、シンガポール周辺をイギリスの直轄地とし、残りを2つに分けました。マレー人は農業、マレーシア以外から連れてきたインド人や支那人に鉱山開発や天然ゴム生産に従事させました。戦後、マレー人と支那人の対立が起こり、シンガポールが独立しました。
イギリス以外の欧米の国も分断統治を実施し、アジアに限らず、南米、中東、アフリカでも同様に行われていました。そして、その後遺症が現在でも残っています。
ベルギーは、アフリカのルワンダでフツ族とツチ族に格差を作り、少数派のツチ族を使って支配させました。この分断統治の後遺症により、フツ族がツチ族に復讐したルワンダ虐殺が起こりました。
インドやミャンマーでは、分断統治の後遺症が現在でも残っており、いまだに多くの問題を抱えています。中東やアフリカも同様です。そして、日本もGHQによる分断統治の後遺症に現在も悩まされています。
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