金日成は、実際には事実と伝説が入り乱れて作られた偶像で、抗日戦争で活躍した複数の人物の物語を集約したものです。下の表は、朝鮮学校の歴史教科書の関連年表から一部抜粋したものです。

 

朝鮮学校の歴史教科書の関連年表

西暦

事項

1912

415日 金日成誕生

1919

反日独立を目指した「3.1民族蜂起」勃発

1926

金日成、「打倒帝国主義同盟」結成

1927

金日成、朝鮮共産主義青年同盟を組織

1930

金日成、建設同志社を組織、朝鮮革命軍を結成

1932

金日成、反日人民遊撃隊を創建し、南満地方へ進出

1934

金日成、反日人民遊撃隊を朝鮮人民革命軍へと編成

1936

金日成、指弾を率いて白頭山一帯に進出

金日成、5月に「祖国光復会10大綱領」宣言を発表

1942

216日、白頭山の密営で金正日誕生

 

上の表で、金日成が行った事項とされていることは、金日成が10代半ばから20代前半に行ったこととされています。しかし、このような若者が行えるようなものではなく、実際に行った人間の年齢は30代以上だと考えるのが普通です。

 

1941年に満州からソ連に逃げて、ソ連の軍隊に属していました。そこで抗日パルチザン運動をしていので、朝鮮独立のためには何もやっていません。ソ連の言うことを聞きそうな当時33歳だった金成柱(キム・ソンジュ)を、ソ連が北朝鮮統治のために仕立て上げて傀儡としました。他にも金日成の候補者は何人もいたようで、金成柱よりもはるかに抗日パルチザンの功績を上げていた人は何人かいたようです(李命英氏の著書「金日成は4人いた」には、金日成が何者なのかということが詳しく書かれています)。しかし、小回りが利き、聞き分けがよく、フットワークが軽いことから、傀儡として適していた金成柱が金日成に選ばれました。

 

金日成の北朝鮮でのデビューは、19451014日での平壌公設運動場(現在の金日成スタジアム)での演説でした。金日成は1920年代から活躍していたことになっているので、年齢は50歳前後のはずです。北朝鮮の民衆もそう思っていましたが、実際に出てきた人物は33歳の若造でした。

 

それを見て、観客席の方からは「偽者だ」という声があちこちで上がり、スタジアムはざわついたようです。このときの様子は、金日成のソ連軍時代のロシア語通訳をしていたユ・ソンチョル氏との会見が書かれている「朝鮮と私 旅のノート(萩原遼著)」にあります。金日成デビュー後には、金日成が偽者であると知っていたり口にしたりする人は次々と粛清されました。

 

金正日は白頭山で生まれたことになっていますが、金日成はソ連にいました。つまり、朝鮮半島の白頭山で生まれたというのも嘘になります。実際の出生地は、ハボロフスク近郊の村だと言われています。萩原氏は、金正日の乳母だった中国人に会っていて、生まれたばかりの金正日におっぱいを飲ませたという話を聞いています。

 

その他にも、金日成の幼少期の偉業もすべてが創作されたものです。なぜ、このような捏造が行われたのかというと、金日成の偶像を作り上げて金日成を神格化することが歴史教科書の目的だからです。

(朝鮮学校の正体)
○朝鮮学校に税金を投入すべきではない  
○嘘と捏造に溢れた朝鮮学校の歴史教科書
○朝鮮学校は日本人拉致の工作員養成所
○在日朝鮮人は朝鮮学校に無理やり通わされている


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