発祥(古代中国) 古代中国(西暦75年~88年の皇帝時代)の平原(現、華北)で上巳(じょうみ :旧暦3月、最初の巳の日=3月3日)に川辺で行う禊ぎ(みそぎ)の風習が 発祥しました。
発祥(起源)は悲しいお話です。 | ■■ | 古代中国の王朝、後漢(ごかん)の第3代皇帝、章帝(しょうてい、在位: 西暦75年~88年)の時代に平原(現、華北)の徐肇(じょちょう)という男 の家で旧暦3月の初旬に三人の女の子が次々と誕生しましたが、三人 とも上巳 (じょうみ:旧暦3月3日)に亡くなりました。 悲しみ嘆く徐肇を見た村の人々は酒を持ち寄って村の東に流れる川の 水辺で三人の女の子の亡骸を清め、川に流して弔う水葬が行われまし た。(流し雛の原点) その後、村の人々は災厄が我が身にかからないよう沐浴をし、水の流れ に酒杯を浮かべて禊ぎを行いました。(曲水の原点) | 平原で発祥した厄除けの風習が、季節の変わり目の上巳の頃は災厄をもた らす邪気が入りやすいと考えられていた古代中国で、 禊ぎ(みそぎ)の年中 行事 「上巳の曲水」 になりました。 |