雛祭りの由来、歴史
【目次】
項目をクリックして下さい。
発祥(古代中国) 伝来(宮中儀式) 節句(起源、歴史)
雛人形(起源、歴史) 童謡.うれしいひなまつり


発祥(古代中国)
古代中国(西暦75年~88年の皇帝時代)の平原(現、華北)で上巳(
じょうみ
:旧暦3月、最初の巳の日=3月3日)に川辺で行う
禊ぎ(みそぎ)の風習
発祥しました。


発祥(起源)は悲しいお話です。
■■古代中国の王朝、後漢(ごかん)の第3代皇帝、章帝(しょうてい、在位:
西暦75年~88年)の時代に平原(現、華北)の徐肇
(じょちょう)という男
の家で旧暦3月の初旬に三人の女の子が次々と誕生しましたが、三人
とも上巳 (
じょうみ:旧暦3月3日)に亡くなりました。

悲しみ嘆く徐肇を見た村の人々は酒を持ち寄って村の東に流れる川の
水辺で三人の女の子の亡骸を清め、
川に流して弔う水葬が行われまし
た。(
流し雛の原点)
その後、村の人々は災厄が我が身にかからないよう沐浴をし、
水の流れ
に酒杯を浮かべ
て禊ぎを行いました。(曲水の原点)
平原で発祥した厄除けの風習が、季節の変わり目の上巳の頃は災厄をもた
らす邪気が入りやすいと考えられていた古代中国で、 禊ぎ
(みそぎ)の年中
行事 「
上巳の曲水」 になりました。
記述(年代参照):維基文庫 「續齊諧記」Yahoo!翻訳参考
筆者: ?均(469年-520年、南梁(下記)の史学者、文学者)
南梁: 古代中国の南北朝時代(502年-557年の間)、南朝に
存在した国。

目 次
伝来(宮中儀式)
古代中国における禊ぎ
(みそぎ).上巳の曲水.が遣唐使によって日本
(大和朝廷)に伝えられ、
古代より天地の神々へ国家・民族の平安・繁栄・
安泰をお祈り下さる
日本民族の最高位の祭司(神主)であられる天皇の厄
除け
を祈る儀式、それにより民衆の無病息災、国家・民族の安泰を祈る儀
として「上巳(じょうみ)の祓い」が行われるようになりました。

■■遣唐使(けんとうし)
古代中国(618年~690年、705年~907年)に存在した王朝唐」へ
日本(大和朝廷)が630年~894年の間、文化交流のため派遣した
使者。
■■備中国下道郡(現、岡山県倉敷市真備町)出身、
■■吉備真備
(きびのまきび)など。
平安時代に宮中儀式へ移行。
旧暦3月3日に陰陽師によるお祓いと、宮中の男女が川のほとりに集まり、
藁や紙を芯にした人形
(ひとがた)に自分の名前と生年月日を書き、形代
かたしろ:身代わり)として川に流し、それぞれの心と体の穢れ(けがれ)
流し去る儀式が行われるようになりました。
日本における流し雛、流れてくる盃(酒杯)が自分の前を通り過ぎるまで
に詩歌を詠み、盃の酒を飲んで次へ流す
曲水の宴(きょくすいのうたげ)
の起源です。

目 次
節句(起源、歴史)
宮中・貴族の幼い女の子の間では紙の人形で飯事
(ままごと)をする「(ひ
いな)遊び
」が流行っていました。
■■(ひいな):大きなものを小さくすること、小さくて可愛いもの
御所を模した飾りつけで遊ぶようになった雛(ひいな)遊びの人形と禊ぎ(み
そぎ)
の人形が同一化し、やがてその人形で健康と厄除を願う年中行事「
巳(じょうみ)の節句
」になりました。

上巳の節句は
祓いの行事として武家社会にひろがり、安土桃山時代までは
男女の区別なく行われていました。

江戸時代、徳川幕府により
.「五節句」.のひとつに定められ、上巳の節句と
同様に宮中儀式から武家社会へひろがった
.「端午の節句」.が男子の節句、
上巳(旧暦3月3日)が
女子の節句として行われるようになりました。

やがて
庶民の間にひろがり、女の子の健やかな成長と幸せを願うお祭りと
して定着していき、雛(ひいな)祭りがひな祭りと称されるようになりました。

古来より
邪気を祓う力がある、不老長寿を与える植物とされ、様々な神事に
取り入れられていた
桃の花を供え、百歳(ももとせ)まで長生きできるよう
に」と、桃花酒を飲む風習がありました。
 (白酒・甘酒を飲む風習は、江戸時代以降に定着しました。)
また、旧暦の3月3日(3月末~4月初旬)頃には桃の花が咲き誇ることから
桃の節句とも称されるようになりました。

1873年(明治6年)の改暦以後、新暦の3月3日に行なわれるようになりまし
たが、現在も旧暦の3月3日(新暦4月3日)に行なわれる地域が全国的に
多くあります。(ご参考:暦いろいろ

目 次
雛人形(起源、歴史)
心と体の穢れ(けがれ)を移し去る形代(かたしろ)として川に流していた禊ぎ
(みそぎ)の「流し雛」から飾って崇める「立雛」へと変わり、やがて男女一対の
立雛(内裏雛:
だいりびな) になりました。
その後、家の中に飾られるようになり、安定のよい「
座り雛」が生まれました。

流し雛・立ち雛とも、芯にした紙や藁に胡粉(
ごふん:顔料)を塗り、目鼻や口
を墨や朱で描いた簡素なものでしたが、人形作りの技術が発達し、1624年~
1643年頃(寛永時代)に
立体感を増した座り雛(寛永雛:かんえいびな)が作
られ、現在の雛人形に近い型になりました。

技術が発達するとともに上流階級では嫁入り道具に持たせるようになり、婚礼
の様子や婚礼道具を模した豪華なものが好まれるようになりました。
江戸時代以降、家柄・財力の象徴として華やかさを増していき、男女一対の
内裏雛
(だいりびな)だけだったものから二段・三段・四段・・・七段と豪華な
雛壇を飾るようになり、幕府が贅沢(大きさ・装飾など)を制限する禁令を出し
たほど過熱しました。

配 置
御所・祭殿での
天皇・皇后の並び方を模した男雛・女雛の位置、三人官女・
五人囃子の位置、左大臣・右大臣、左近・右近、お供えする桜・橘など。

内裏雛((だいりびな)
■■ 男雛(おびな).天皇陛下
女雛
(めびな).皇后陛下
  内裏(だいり)とは、天皇がお住まいになるところ.(御座所).のことで、
内裏(だいり)にお住まいの天皇・皇后お二人のことを、御内裏様(お
だいりさま)
と称しました。
三人官女(さんにんかんじょ)
宮中に仕える女官(にょかん):宮廷に仕える女性の官人(官職者)
五人囃子(ごにんばやし)
能のお囃子を奏でる雅楽(ががく)の演奏者
古来より日本では(自分の)左側が高位・上手、右側が下位・下手とされて
いました。= 古式(後述)
これも、初代神武天皇御即位以来、御歴代天皇の祭祀に由来します。
日の神(森羅万象の生命・恩恵の源)、日本民族の祖神・皇祖神とし
て崇めた
太陽(南)に向って座られ、太陽が昇る方位【左側】を尊び、
高位」とされました。
時代にあわせ移りゆく伝統
第122代
明治天皇の御即位式までは左が高位という伝統から左側にお立
ちになっていましたが、第123代
大正天皇が西洋にならわれて右側にお立
ちになって以降、御皇室の
新たな伝統となり、第124代昭和天皇は常に右
に、香淳皇后が左にお立ちになりました。

社団法人日本人形協会では、昭和天皇の御即位(1926年12月25日)以来、
男雛を左(雛壇に向かって右)に置くのを「
古式」、男雛を右(雛壇に向かっ
て左)に置くのを「
現代式」としています。
多くの地域では「現代式」で配置しますが、畿内や西日本などの
地域により
古式」で配置する家庭があります。

目 次
童謡「うれしいひなまつり」
作詞:サトウハチロー
作曲:河村光陽

サトウハチロー氏詩人、童謡作詞家、作家。
(1903年5月23日生~1973年11月13日没)
河村光陽氏作曲家。
(1897年8月23日生~1946年12月24日没)
1935年(昭和10年)、サトウハチロー氏が娘さんに雛人形セットを買ってあ
げた前後に作詞。
河村光陽氏が曲をつけ、1936年(昭和11年)1月にレコード発売されました。
雛祭りを楽しむ女の子と雛人形の光景が目に浮かぶ詩と、日本情緒が溢れ
た短調の曲。

歌詞 「
お嫁にいらした ねえさまに よく似た官女の白い顔
嫁ぎ先が決まった矢先、18歳で結核で亡くなったお姉さんのことを思って作
詞されたそうです。

娘さんに雛人形セットを買ってあげる際、決して姉のように病に倒れること
なく健やかに育ち、将来幸せなお嫁さんになってくれることを願い、健やか
で幸せに嫁がれたお姉さんを想像しながら作詞されたんでしょうね
 (;_;)


日本情緒に溢れながら、もの悲しげに聞こえる短音の調べ・・・
健やかに育って欲しい娘さんへの願いにお姉さんへの思いを重ねた詩、
それに曲をつけたレクイエムだったんですね
(;-;)


だかたこそ「皆さんも桃の節句を楽しく過ごして、どうか健やかに幸せに
暮らして下さい」という思いが込められているんですね
o(^▽;)o


不幸にして娘さんを亡くされた方、ご家庭は、元々供養から発祥した雛人形
の原点にサトウハチロー氏自身のお姉さんへの思いを重ねて「春の風と桃
の香りに包まれる節句で娘さんを供養してあげて下さい」 という思いも込め
られていたことと思います。
o(^▽;)o

<参 照>
雛人形の由来・雛人形の歴史
雛人形の【monoぎふと】
由来を知って、趣き深い行事に 「ひな祭りのおはなし」
NTT東日本 フレッツ光メンバーズクラブ
ひな祭りの歴史と由来
京都・京菓子の老舗【甘春堂 本店】
由来-ひな祭り特集~桃の節句を楽しもう~
ご近所ねっと名古屋
  各ページは本ページ作成(参照)時のURLです。
URL変更等でリンク切れになる場合があります。
目 次

晴れの国おかやまの観光情報はこちらから

観光・グルメ・イベント情報
盛りだくさん
岡山県マスコットうらっち(左)・ももっち(右)
岡山の風 サイト運用規程 (リンク・個人情報・著作権)
ホームページ版 「岡山の風」 閉鎖につきまして
読者登録・なう・Twitterフォロー等につきまして
ペタ帳閉鎖 (2016年 2月29日) 等につきまして
脊椎症・脊髄症の手術・施術 (ご案内) につきまして