飯田線全駅間歩き1(豊橋-中部天竜) その1・豊川渡りの大迂回 | 駅から駅まで・旅のあしあと

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鉄道路線全ての駅間を歩く全駅間歩きを10年以上続けています。
今は東海~北海道エリアを歩いていますが、目指すは全国全路線全区間踏破!
そんな壮大な目標、たぶん一生レベルでかかるので、長い目で見守っていただけるとうれしいです。
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今回の全駅間歩きは飯田線です。
飯田線は、愛知県の豊橋から静岡県を経由して、長野県の辰野までを結ぶ路線です。
営業距離195.7kmの間に駅数は実に94。駅間の平均距離は都市近郊を走る私鉄並みです。

中部天竜(静岡県浜松市)から天竜峡(長野県飯田市)までの区間はとくに山がちな区間を走り、
小和田駅や田本駅をはじめとした、数々の秘境駅を擁することでも知られています。
本音を言えば、秘境駅が続くオイシイ区間だけを歩いてみたかったのですが、
やっぱり全部歩かないと申し訳ない気もするので、
まずは起点の豊橋から中部天竜までを歩くことにしました。

今回は次回の前座くらいの気持ちで構えていたのですが、
ある災害が起きたために、最終区間が大変なことになってしまいました。


[飯田線全駅間歩き2(中部天竜-天竜峡)はこちらから]
1日目(中部天竜-水窪)
2日目(水窪-小和田)
3日目(小和田-田本)
4日目(田本-天竜峡)
[飯田線全駅間歩き3(天竜峡-辰野)はこちらから]
1日目(天竜峡-元善光寺)
2日目(元善光寺-駒ヶ根)
3日目(駒ヶ根-辰野)


1日目(3月21日(土・祝)) 天気:曇りのち時々晴れ  歩行区間:豊橋-湯谷温泉
豊橋(5:45発)-船町(6:09)-下地(6:41着・6:50発)-小坂井(7:20)-
-牛久保(7:58着・8:10発)-豊川稲荷(8:37着)- 


1日目は47km以上歩く行程になりました。
単に歩くだけなら10時間くらい歩けば着くはずですが、
「全駅間歩き」なのですべての駅に立ち寄らなければなりません。

予約を入れた湯谷温泉の宿屋は最終チェックインが18時です。
宿屋に連絡入れて到着を少し遅らせてもらったとしても、18時半までには着きたいところです。

実際に計画を立ててみると、豊橋駅を6時にスタートしなければならないことが分かりました。
ところが、朝イチの新幹線で東京から豊橋に向かっても、豊橋到着は朝8時前です。
「ムーンライトながら」が豊橋に止まらなくなった今、
東京から6時までに豊橋駅に着ける交通手段は高速夜行バスしかありません。
高速バスは新宿を23時40分に出て、豊橋には翌朝の5時半に到着します。
運転手1人乗務でギリギリ走れる区間ということもあって、運賃は4,600円とリーズナブルです。


ただ、夜行バスという乗り物は、どうもあまりよく眠ることができません。
飲み会を途中ではねて、ほろ酔いのままバスに乗ったにもかかわらず、ちっとも眠れませんでした。
普通の旅行なら笑い話で済みますが、そのまま全駅間歩きに突入するとなると、もはや恐怖です。

もちろん、これはバスが悪いんじゃなくて、自分の体質の問題だと思いますが。




朝5時15分過ぎ、定刻より少し早く豊橋駅に到着しました。
駅前はまだ閑散としていましたが、駅構内では大きな荷物を持った観光客の姿を見かけました。




豊橋駅の飯田線ホームです。

 

 

 

飯田線ホームは2面2線です。
始発列車が出るのは、まだ30分ほど先です。
始発列車の姿もまだありません。


空はようやく薄明るくなってきました。
湯谷温泉に向けた、徹夜明けの耐久戦が始まります。




全駅間歩き、スタートです。
駅前から北に向かって延びる大通りを歩きます。
片側二車線の立派な道路ですが、時間のせいか、ちょっと寂しい感じもします。




名鉄の電車とすれ違いました。
豊橋付近では、飯田線の線路を名鉄が「間借り」しています。
「間借り」にしては、JRよりも名鉄の電車をよく見かけたような気がしますが。




最初の駅・船町駅に着きました。

 

 

 


駅舎と便所の間には、使われなくなってから久しそうな踏切があります。
駅舎横に伸びる草伏した線路をたどっていくと、JR貨物の豊橋オフレールステーションがあります。

 

 

 

ホームは1面2線の島式。

幅は非常に狭くなっています。




次の下地駅は豊川のすぐ対岸ですが、線路沿いに橋はありません。
まずは住宅地を歩いて、最初に歩いた大通りへ向かいます。




街の名前と同じ「豊橋」を渡ります。

渡った後は、線路に向かって豊川を下ります。
この道、歩行者専用かと思ったら車も通れる道で、
しかも結構なスピードで通過してくれるのでヒヤヒヤしました。




飯田線の鉄橋が見えてきました。
船町-下地間の鉄道キロはわずか0.7kmにも関わらず、
歩行キロは2.7kmにも及び、歩ききるのに30分以上かかりました。




下地駅に着きました。
駅舎には、上り線ガードと下り線ガードの間に伸びる階段を使ってアプローチします。
 

 

 

ホームは1面2線の島式ですが、

上りホームと下りホームは少し離れています。


ここで最初の休憩をとりました。
1時間ほど歩きましたが、鉄道キロ的にはまだ2.2kmしか進んでいません。
これから先のことを考えると、あまり長く休んでもいられません。




豊川を渡ると、周囲には田畑が広がるようになりました。
集落に建つ民家も、各々広い庭を持っていました。




豊川市との市境近くまで進むと、沿道に鮮魚店を見かけるようになりました。
近くに公設の魚市場があり、それに関連する鮮魚店だと思うんですが、
魚市場って、漁港のすぐ隣とかにあるもんじゃないんですか?




豊川市に入り、豊川放水路を渡りました。

実は、今歩いているこの道は「東海道」なんだそうです。
もっとも、今回歩いた1kmあまりの間には、それを示す看板などは立ってませんでしたけど。
東海道だけあって、川を渡ると古い民家をちらほら見かけるようになりました。




小坂井駅に着きました。
周囲に古い建物が多いだけに、駅舎も古い建物を期待していたのですが、
どうやら新しい建物に建て替えられてしまったようです。

まだ10kmも歩いてないのに、なんだか疲れた…。
やっぱり眠れなかったせいなんだろうか。

 

 


ホームは2面2線の相対式です。





小坂井駅から少し北に進むと、赤い鳥居が見えてきました。
ここは五社稲荷と呼ばれる神社です。

豊川バイパスとの交差点付近には、ひときわ大きな鳥居も建っていました。




住宅地を北東に進みます。

右写真の先には熊野神社という神社があるそうです。
このあたりには牛久保城という城もあったそうですが、その痕跡はほとんど残っていないようです。




牛久保駅に着きました。
特急列車は通過しますが、立派な駅舎を持つ有人駅です。

 

 

 

ホームは2面3線です。

現在は3番線は撤去され、駅舎側2面2線として運用されているようです。

 

 

 


1番線ホームに掛かる大きな庇は、往時の繁栄ぶりを物語っています。




牛久保商店街(常磐通り)を経由して、豊川稲荷を目指します。
この商店街には、家具を販売する店が多いんだそうです。




通りの一角で、戦前生まれは確実そうなレトロな建物を見かけました。
一体何の建物だったんだろうと思ったんですが…右隣の建物がその答えのようです。

古くから続く商店街だけあって、看板類もレトロの香りが漂っていました。




名鉄線の踏切を越えると、豊川稲荷の建物が見えてきました。
ここまでの歩行距離は約12km。まだまだ先は長そうです。

その2へ続く


 
豊橋駅から豊川駅までのGPSログです(1/64,000)。
船町駅と下地駅は目と鼻の先ですが、歩くと大回りを強いられます。