近くオープン予定のギャラリーに関してですが、芸大やあのゴッホまでが絡んできましたが、実を言えば、恥ずかしい話、少し前まで、私は芸大キャンパスが具体的にどの辺にあるのかも、また何学部があるのかも、ましてやバスが近くを丁度通っていたということすらも、さらには、上野にある芸大と同じなのか違う大学なのかも、まったくよくわかっていませんでした(苦笑)。
芸大が(そこの)市内にあるということを、ちらっと小耳に挟んだことがある程度で、特にそれ以上あまり関心も向かずにいました。
そして、そこの都市が、芸術都市計画のようなことを打ち出しているということすらも知りませんでした。
去年、11月下旬に、都内の自身の事務所にいた時に、ある一角を見てふと、こう思ったのでした。
「なんか、オフィスっていうより、まるでアトリエみたいだな・・・」
別に事務所すべてがアトリエのようだったわけではありません。
ただある一角を見たら、ちょっとそんな感じに見えたのです。
それは、ある流れで(これもまた改めて書きますね)、このブログで私の詩の一節を色紙に書いて掲載するようになったためです。
その頃はまだ14、5枚ぐらいだったでしょうが、書いた色紙が積み重なって置かれ、筆や墨汁が置かれたテーブルがあったので、そこを眺めて、そんなこと
を思ったのでした(写真)。
(当時のイメージ映像2・・・本当はもう少し乱れてました(笑))
そして、その直後に、「、、、アトリエ、、、、、、あっ、あのアパートで、、、、、そうだ!、、、」
そして、「アトリエハウス」とかそういった言葉、イメージがいろいろ浮かんできて、、、芸大生を対象にして進められないか、、、と、、、
いろいろ頭の中を駆け巡り、どんどん構想が浮かんできました。
その時の構想は、空いてる部屋を、何か工夫して、芸大生が部屋をアトリエとして満足して使えて、生活できるようにするような考えで、自ら「アトリエハイツ構想」と称してました。
そして、いろいろ調べていってそこで初めて、市で、芸術の杜(もり)プロジェクトということを以前から芸大を誘致して推し進めていることを知ったのでした。
そして、「そうだ。あの黄色い外壁も、アートのイメージにぴったりじゃん!うわっ、すごい!」
そう思って興奮したのでした。
前回までの記事を読まれた方は、「きっとあらかじめ以前から、大学の存在やそこの都市でのプロジェクトや交通の便まで把握していて、ある程度練っていたのね」、と思われていたのではないのでしょうか。
はっきり言えば、4ヶ月前まで、このような構想は全くなかったんです。
4ヶ月の間の不思議な流れ、展開の中で、気が付くとそんなところにたどりついたというのが正直なところです(いつものことですが、途中、やはり無理かと思わされる試練もありました)。
「えっ、丁度そんなプロジェクトがあったんだ!」
「えっ、丁度、芸大は芸大でも、その中の美術学部がそこにあるんだ(音楽学部や映像科だったら構想はついえた)。しかも美術学部大学院まで。」
「えっ、丁度、駅と大学の間のバスの通り道の近くなんだ。」
「えーっ、ゴッホの黄色い家の話なんてあったんだ。しかもそこにいた時が一番充実してた時期だったんだ。・・・」
「えーっ、・・・・・・えーっ、・・・・・・・」
こんな驚きの連続なのでした。(今でも日々発見させられ驚き続けています(笑)。
そもそも、詩を書いて、人に詩人などと言われることすら、3年半前には全く考えておらず、やはり不思議な展開で詩に関しても流れが進んでいった(⇒関連記事(どうして100編の詩にこだわ
るのか)
へ )ように、今回のギャラリーに関しても、あまりにも不思議な流れで、ようやくつながったかと思ったら、急速に進んでいるという状況なのです。
~続く
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