第二百六十一話 空き巣
-------------------------------
人生初の仕事に、俺はすっかりビビっちまってた。
「おら、ブルってんじゃねえよ」
兄貴はそうやって俺をこづいたが、足の震えが止まらない。
「だってよう兄貴」
「だってじゃねえ。この商売で身を立てていくと決めたんだろうが。ほら、もうすぐメボシつけといた家だぞ」
そう言われて見上げたのは、住宅街のとある一軒家だ。
「最近留守がちってのは調べがついてんだ。しかもこんな立派な一軒家に、女の一人暮らし。そろそろ結婚するのかもしれねえな。とにかくだ、男が入り込んで来る前に、ひと仕事させてもらおうじゃねえか」
「お、おう」
「ったく、ポケットに手ぇ突っ込んでんじゃねえよ。俺たちゃ保険会社のセールスマンを装ってんだからな」
この道十五年の兄貴はパリッとスーツできめているが、もともとただのチンピラの俺は、慣れないネクタイがどうも息苦しい。
「おし、行くぞ」
兄貴が玄関の呼び鈴を鳴らす。そして。
「◎×損保のニシダと申します、保険内容の確認に伺いました~」
と、応答のないインターフォンに向かって話す。
「はい、はい、ありがとうございます、おじゃまいたします」
こういう芝居も、空き巣には必要らしい。兄貴はドアノブに手を掛け、あっという間にビックで鍵を開けてしまった。
「早く中に入れ、すぐドアを閉めろ」
兄貴に言われて、俺は慌てて中に入る。俺がおろおろしていると、兄貴は靴のまま家に上がり込み、どたどたと居間らしき部屋へと向かった。
小綺麗な、きちんと片付いた玄関だ。靴箱の上には写真立てがのっかっている。のぞき込むと、きれいな女の人といっしょに、猫が二匹写っている。
「かわいいなあ」
見かけによらないといつも言われるが、俺は猫が大好きなんだ。ノラ猫だろうがペットショップの猫だろうが、ついつい足を止めて見入っては、にやにやしてしまう。
このうちには猫がいるんだろうか。もしそうなら。
「こらっ、なにぼさっとしてやがる」
兄貴にどやされて、俺はもたもたと家に上がった。
「靴なんか脱ぐんじゃねえ。逃げるときにまどろっこしいだろうが。まあいい、さっさと引出し開けろ。通帳と印鑑、キャッシュカード、それからアクセサリーを探せ」
さすがに兄貴は手早い。箪笥の引出しを下から順に開け、中をものすごい速さで確認している。
俺ももたもたと真似してみるが、ひとの家の中を探すなんて、やっぱり気持ち悪い。
「どうだ、何かあったか」
「ええっと、あ、兄貴、よくわかんねえよう」
「ったくトロいなおめぇは。さっさとやれよ。そこが終わったら寝室だぞ」
「へぇい」
俺がそう返事したとき、
「誰ですかあなたたち」
「ひっ」
心臓が止まるかと思った。
慌てて振り向くと、そこには、色白で髪の毛が茶色い、ひょろりとした優男がひとり立っていた。
「なっ、ああ兄貴、ひっ人が」
俺は口をぱくぱくさせて兄貴を見る。兄貴もやっぱり、金魚みたいに口を開けたり閉じたりして、男を見るばかりだ。
「何か用ですか」
男が首をかしげてそう言う。
「よっよよよ用って、おおそうだよ」
兄貴が鞄から出刃包丁を取り出して、男に向ける。
「いいか、俺達ゃ仕事中なんだ」
「仕事中?」
「おうよ。りっぱな泥棒さんよ。大きな声出したり、へたな動きしやがるとただじゃおかねぇぞ」
「ドロボーさん、ですか」
男は眼をぱちくりさせて俺達を見ている。別に怖がるふうでも、怒っているふうでもない。
「わかったか。わかったら大人しくしてやがれっ」
兄貴が包丁をつきつけると、
「そんなもの危ないからしまってくださいよ。別に何もしませんから」
と、男は落ち着き払って言う。
俺はすっかりパニクってしまった。
「あっ兄貴、ここは女の一人暮らしだったんじゃないんですか」
「うるせぇな! 確かにそのはずなんだよ。ひょっとしてこいつ、ここの女のオトコなんじゃねえか」
兄貴はいらいらしながら言う。すると優男は、
「は? 違いますよ。僕たちはママの子供です」
「ママ?」
兄貴はきょとんとした顔で男を見る。
「そ、そんなにトシには見えなかったがな」
「だってそうなんですもん」
「うう嘘じゃねえだろうな」
「嘘じゃないですよ」
「そんじゃ、そのママってのは今どこにいるんでぇ」
「今度結婚する男の人と、式場のこととか調べに行ってますよ」
男は淡々としゃべっている。全く動じていないみたいだ。俺は余計に怖くなってきた。
と、俺は男のある言葉が気になった。
「ちょっと兄貴、こいつ、「たち」って言いましたよね。じゃあほかにも」
「お、おうそうだな。おいてめぇ、どうなんだよう、他にもいるのかよう」
「ええ、妹が奥で寝てますけど」
「ちっ、なんてこった。すっかり留守だと思ってたのによう」
兄貴は舌打ちして悔しがっている。俺はすぐにでも逃げたい気分なんだが、兄貴は諦めない。
「しょうがねえ、おい兄ちゃんよ。いいか、大人しくしてりゃ手荒なことはしねえ。さっさと金目のものを持ってここに来い。そうだ、妹ってのも連れてこいよな。逃げようとしたら容赦しねえぞ」
と言って、男に包丁をつきつけた。
「カネメのもの?」
「おうよ、カネになりそうなもんだよ」
「そんなものあったかなあ...」
男は首をかしげながら、奥の部屋へと向かってゆく。
ますます不安になった俺は、兄貴に囁いた。
「あ、兄貴ぃ。今のうちに逃げやしょう」
「うるせぇっ。あ、あんなひょろひょろした男ひとりに何ビビってやがんでぇ。奴が金目のものを持ってきたら、妹ともどもふん縛って、とんずらするぞ」
「へ、へい」
どうしても何か盗って行かないと、兄貴は気が済まないらしい。
すると、男がさっさと戻って来た。
その肩には。
「なんだぁ? おい、妹ってのはどうした」
猫が。白い猫が一匹、乗っている。
兄貴の問いかけに男は、
「ええ、これが妹ですけど」
と、あっさり答える。
「へ、へん、猫だってよおい。なんでぇ脅かしやがってよ」
兄貴はひきつった顔で笑う。そして、
「おい兄ちゃん。金目のものはどうした」
「はあ。僕にはよく判らなくて」
「しょうがねえな。じゃあ案内しろや。おい、お前はその猫見てろよな」
と、俺に命令した。
「へぇい」
俺が返事すると、兄貴は男に続いて奥の方へと歩いて行った。
「なあお」
俺の足元で猫が鳴く。
右と左の眼の色が違う、きれいな猫だ。
「おお、かあわいいなああ」
さっきまでビビってたのが、猫を見てすっかり落ちついちまった。
俺はニヤニヤしながら猫に近付く。猫はしっぽをゆらりとさせて、まるで誘っているかのような仕草だ。これがたまらない。
頭を撫でてやると、気持ちよさそうにぐるぐると喉を鳴らす。
かっ、かわいい。
「気持ちいいのか、そうか、名前なんてゆうんだおまえ」
そう呼びかけると、
「ポッポっていうんです」
「うわっ」
いつのまにか、男がすぐそばに立っていた。
兄貴は。
男と一緒だったはずの兄貴は、いない。
「あ、兄貴は」
「ああ、あのひと。寝ちゃいましたよ」
「寝ちゃった?」
「ええ、僕の顔を見ただけなのに」
そう言って男は笑う。
「おかしいですよねえ」
にんまりと笑う。
口の端がぐいぐいと持ち上がる。
「えっ」
眼が金色にぎらりと光る。
顔にびっしりと毛が生える。
ゆっくりと口が開いて。
牙が剥き出しに。
「しゃあああああああああああ」
ごろごろごろごろごろごろごろごろ
あたり一面、黒い雲に包まれた。
男はすっかり、巨大な化け物になって。
部屋一杯に膨れあがり、俺をぎろりとにらみつけた。
* * * * *
「ひゃあああああああああああ」
俺は。
俺は腰を抜かして。
ただ叫ぶことしかできない。
「儂等の午睡を邪魔だてしおって。不届き者めが」
雷のような怖ろしい声が辺りに響き渡る。
男、いや化け物の口からは、真っ黒な煙が吐き出され、周りには火の玉がぐるぐると回っている。
「儂等を猫の王の血族と知っての狼藉か」
「あわ、あわあわわわわ」
「どうしてくれよう」
化け物が巨大な顔を近づけてくる。
「お、おたすけ、おたすけ」
口も手も足もがくがくと震わせながら、俺は助けを乞うた。
「ほらヒロ、あんた脅かしすぎよ」
と、足元にいた真っ白な猫が、その化け物に向かって言った。
「そうかな」
化け物はおとなしい声でそれに応える。
「そうよ。あのハゲチャビンはともかく、この人は好さそうな人よ」
「ふうん」
ハゲチャビンって兄貴のことか。
たしかにちょっと頭は薄いんだが。
いやそれよりも。
「ねっ、猫がしゃべった」
「あら、いいじゃない別にしゃべったって」
白い猫は俺のまわりを優雅に歩き、しっぽで俺のあごをちょいちょいとくすぐった。
化け物は、むう、と低い声で唸った。
「ポッポ、そんなこといってもさ、こいつは空き巣なんだぞ。少しはひどいめに遭わせないと」
「もう十分ひどいめにあってるじゃないの。あんたに脅かされてさあ。ねえ」
「は...はあ」
俺はひきつったままうなずいた。
「それにねえ、この人、あたしをかわいいって言ってくれたのよ~。やっぱり見る眼がある男は違うわ~」
「なんだよそれ。ママの恋人には厳しいくせに、若い男にはいい顔するのか」
「あんなじゃがいも男より、このお兄さんのほうがいい男じゃない。ねぇ~」
と、猫はしっぽで俺の顔をなでる。
「まったく...。じゃあどうすんだよ」
「ま、部屋の中きれいに掃除してもらうくらいで、かんべんしてあげたら」
「掃除ねぇ...」
化け物はぼりぼり頭をかいて、ぎろりと俺を睨んだ。
「おい男」
「は、はひ」
「聞いた通りだ。さっさと掃除せい。貴様等の汚い足跡だけでなく、隅々までな」
怖い顔で言われて、その通りにしないわけにはいかない。
俺はそこらじゅうをぞうきん掛けし、掃除機をかけ、ほこりをはらった。
兄貴が荒らした引出しもきちんと片付けて、ついでに猫用トイレまで掃除したあと、
「じゃあ、あたしたちのブラッシングもお願いしようかしら」
なんて言われてしまい、
「こっ、こんなもんでいいですかね」
「うーん、ちょっと右」
「はいはい...」
白い猫と、巨大な化け物の、ブラッシングまでする羽目になったのだった。
* * * * *
「うん、まあいいんじゃないの」
白い猫は満足げにそう言った。
「ほんとにいいのかあ、ポッポ」
化け物は少し不満そうだが。
「いいのよ。それよりあんた」
「はっ、はい」
「あんたブラシ上手よねえ。お掃除もうまいし、家政夫でもやったほうがいいんじゃない?」
「はあ」
「そうだ! 今度ママたちが旅行に出かけたらさ、あんたウチにいらっしゃいよ。たーっぷりお世話させてあげるからっ」
猫はそう言ってにんまりと笑う。
「やれやれ...。じゃあ、そろそろいいだろ」
「そうね、あとはよろしく」
「まったくもう、面倒なことは僕が全部やるんだから...」
化け物はぶつぶつと呟いて、
「おい男」
怖ろしい声で俺に言う。
「はひっ」
「これ以上面倒な事を起こすでないぞ。儂等は何時も見ておるからのう」
「は」
「あの不細工な男ともども、遙か彼方へと飛ばしてやる。有難く思え」
「とっ、とと飛ばすって」
「それとな」
化け物がまた顔を近づける。
怖い。
化け物は。
「ポッポは、怒らせると僕より怖いぞ。ほんとにウチに来るんなら気を付けなよ」
と、ちいさな声で呟いた。
そうして。
「じゃあああああああああああああああ」
天に向かって雄叫びを上げた。
ごうごうと黒雲があたりに渦巻き、風が巻き起こる。
ごろごろごろごろごろごろごろごろごろ
ぴっしゃあああああああああああああん
雷鳴が轟いて風が激しくなって。
「飛んでゆけええええええええ」
「ひゃあああああああああああ」
俺は、雲の渦巻く中に、吸い込まれていった。
* * * * *
「う、う~ん...」
気が付くと、俺は見覚えのある空き地に寝っ転がっていた。
あたりを見回す。すると、兄貴がすぐ近くで大の字になっている。
その上には、ちいさな仔猫が乗っかって、顔をざりざりなめていた。
「兄貴、兄貴、大丈夫っすか」
俺は兄貴をゆすって起こす。
「む...ぬ、ぬう...」
ゆっくり眼を開いた兄貴は。
「ぴゃあう」
目の前の仔猫を見るなり、
「どぅわあっ!」
がばっと跳ね起きて、
「びゃあああああああああああ」
ものすごい叫び声をあげながら、何処かへ走り去ってしまった。
「兄貴...」
「ぴゃう」
俺は仔猫を抱いたまま、その必死な後ろ姿を、見送ったのだ。
* * * * *
「じゃあ、行ってきます、あとはよろしく~」
と、ふたりはハネムーンへと出かけていった。
「はい、行ってらっしゃ~い」
俺は幸せそうなふたりを玄関で見送って、俺は、
「ほら下僕、さっさとあたしのブラシをするの」
「はいただいま」
「ああ、僕のトイレ掃除もおねがい」
「はいはい...」
ペットシッターとして再就職した俺は。
めぐりめぐって、どういうわけか、あの化け猫二匹の世話をすることになった。
「たまにはいいわね~、こういうユウガな生活」
「そうだなあ」
二匹はいい気なもんだ。
いくら猫が好きといったって。
「ほら下僕っ、水が冷たいわっ! さっさとお湯を足してぬるくするのよ。熱すぎるのはダメよ」
「今日のゴハンはカンヅメがいいな。テレビでやってたやつ。買ってきてよ」
こんなにあれこれ指図されるんじゃ...
「たまんねぇな...」
「何か言った?」
「いっいえ何も」
「あらそう。じゃあ、おふとんあっためといてねえ」
「明日は朝五時に来てよねえ」
「はあ...」
悪いことは、できねぇもんだ。
おしまい
※ 第八十七話 勧誘
第百三十二話 ママの恋人 もどうぞ。
いつも読んでくだすって、ありがとうございます
「人気ブログランキング」小説(その他)部門に参加中です
→携帯の方はこちらから←
「にほんブログ村」ショートショート(その他)部門に参加中です
「blogram.jp」に参加中です
駅長猫コトラの独り言 価格:1,260円(税込、送料別) |
佳(Kei)のおはなし、巻末に掲載! ぜひどうぞ
詳細は、( ≧ω≦)σこちら!
twitterでも、たまにぶつぶつと。