第百三十二話 ママの恋人
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最近、ママの帰りが遅いのに、妹は随分怒っている。
もちろん理由は知っている。ママは今恋をしてるのだ。
僕はいいことだと思う。ママだって僕達の面倒見てるばっかりじゃなく、恋やロマンスを楽しんだっていいじゃないか。
でも妹は、何故か凄く不満らしいのだ。
「ママったら、あたしたちをおいてけぼりにして、旅行だなんて、許せない!」
ママが一泊旅行に出かけた時、妹は本気で怒っていた。
「しょうがないだろ。たまには楽しませてあげようよ」
「あたしたちのほうが、そこらの男よりいいっていうのかしら。まったく失礼しちゃうわ」
「どんな人かも判らないのに、そんなこと言うなよ」
「あら何よ。ヒロは男にママを取られてもいいっていうの」
「取られるなんて大げさだよ。それに、いい人かもしれないじゃないか」
「いいえっ。きっと性悪な男に違いないわ。そうしてあたしたちをおっぽり出して、二人でどっか行ってしまうのよ。ああどうしよう、あたしたちお先真っ暗よう」
おいおいと妹は泣き出した。
「そんなオーバーな」
「オーバーなもんですか! 今にみてらっしゃい。ママをたぶらかす悪い男にギャフンと言わせてやるから」
まったく、ママの彼氏も大変だ。妹は好みが激しいうえに、一度言い出すときかないからな。
僕はママを応援しつつも、でもやっぱり少しは心配だった。妹の言うとおり悪い男だったらどうしよう。
僕はそうなった時のためにだけ、自分がどうすればいいかを考えることにした。そして、一人でぷんぷん怒っている妹が暴発しないように、静かに見守ることにしたのだ。
* * * * *
そして、彼氏が始めて、僕等の家にやって来ることになった。
ママは僕等が人見知りをするのを知っているから、挨拶はしないで、部屋の中で寝ていなさいと言った。
そう言われてもやっぱり気になる。特に妹は朝からぴりぴりしていた。
ママがそわそわしてお化粧なんかしているから、余計だ。
ピンポーン
「はーい」
ママが玄関に走っていく音が聞こえる。
「ほらヒロ、行くわよ」
「行くって何処へ」
「決まってるでしょ。ママに近付く悪い男の正体を見破ってやるのよ」
「まったく、初めから悪人と決めつけるなんてひどいなあ」
「何言ってるの! あたしたちがママを守らないでどうするのよ」
「わかったわかったよ。とりあえず、ドアの隙間から覗くくらいにしておこうよ」
「いいじゃない正面から突撃すれば」
「駄目だって! ママに迷惑かかるじゃないか」
「...そうね...わかったわ」
僕達はそうっと、ドアの隙間からリビングを覗いた。ぱたぱたとスリッパの足音がふたつ、リビングへと向かってくる。
「さあどうぞ、かけてちょうだい」
「へえ...すてきな家ですね」
「ありがとう。一人で住むにはちょっと広いけどね」
ママが彼氏らしき人に椅子をすすめている。彼氏はどんな人かと僕等は身を乗り出した。
どっかりとソファに腰掛けたママの彼氏は、とっても恰幅のいい人だ。
顔はまんまるで、お団子みたいな鼻。その上に丸眼鏡がちんまり乗っている。
身体もまんまるでシャツがはちきれそうだ。ベルトがおなかの肉で隠れて見えない。
少し薄くなった頭から汗がたくさん出てきているようで、彼氏はハンカチで汗を一生懸命押さえている。
「まっ、なんて不細工なのっ。オグリシュンみたいないい男だったら許したのに」
「お前の彼氏じゃないんだから余計なこと言うなよ」
「だって悔しいじゃないの。あんな男にうちのママが-」
妹は涙目だ。確かにママは、とってもきれいでカッコイイ。外見だけ見れば、とてもママと釣り合うような人とは思えないけど。
「きっといい人なんだよ」
「そんなこと判るもんですか。あのじゃがいも男め、あとでギャフンと」
「だから大人しく見てろって」
僕は妹をなだめたり押さえたりするだけで精一杯だ。
ママは彼氏と一緒にお茶を飲み始めた。彼氏はずっとママに敬語を使ってしゃべっている。ママのほうが年上なんだろうか。
それにしても、ママったら、幸せそうだなあ。僕等に見せる笑顔とはちょっと違うなあ。
なんだか僕まですこし妬けてきた。
「何よいつまでいるつもりなのあの男」
「さっき来たばっかじゃないか」
「だって、もうあたしたちのゴハンの時間じゃない」
「ちゃんとママがそこに用意してくれたろ」
「うううー、くやしい! あたしはママのおひざで食べたいのにー」
「我慢しろって」
ママたちは楽しくおしゃべりしていたが、突然ママが、ぱん、と手を叩いた。
「あ、そうそう、ケンジさん、お昼食べてらっしゃいよ。何か作ってあげるから」
「え、いいんですか?」
「もちろん。何が食べたい?」
「そうですね...あ、肉じゃがが食べたいです」
「肉じゃがね! あたし得意なの~。でもお肉切らしてるから、そこのスーパーで買い物してくるわね」
「あ、すみません僕のために買い物なんて」
「いいのいいの。待っててね、おいしいの作ってあげるから」
そう言ってママは買い物に出掛けてしまった。
「ふう」
ケンジという名前のママの彼氏は、汗を拭きながら、しばらく部屋を見回していた。そうして、うーんと背伸びをして、天井をぼーっと見ている。
「しめしめ、ママが出掛けたわよ。今こそあのじゃがいも男にギャフンと言わせるチャンスよ!」
妹はらんらんと目を光らせている。
「だからやめろって」
「あのねえ、あの男、今はいい子ちゃんぶってるけど、後でどうなるかわかったもんじゃないわよ。男なんてのは、すぐ誘惑にひっかかってふらふらっとなっちゃうんだから」
「随分と自信ありげに言うんだなあ」
「あったり前よ。何年生きてると思ってんの」
そう言って、妹は部屋をすいと出て行った。僕も慌ててそれに続く。
* * * * *
「はあ、俺ってまだ緊張してるな...ああ暑い...」
ぎい。
「ん?」
とことことこ。
「あれ、カスミさん、猫飼ってたんだ」
「にゃあうー」
「まおうん」
「二匹もいるのか。ほれ、こっちおいで。ほれほれ」
ずずずずずずずずずず
ごごごごごごっごごご
「え?」
ごろごろごろごろごろごろごろごろごろ
むくむくむくむくむくむくむくむくむく
「ひ、ひえっ」
がらがらがらがらがらがらがらがらがら
どじゃーーーーーーーーーーーーーーん
「ひゃああああああああああああああ」
* * * * *
巨大化した僕達を見て、彼氏はすっかりビビってしまった。
辺りには妖気が充満し、鬼火が舞っている。
やっぱりやりすぎじゃないのかな。僕は妹の尻尾を引っ張った。
しかし妹は、残りの八本の尻尾をぐるぐる回して、彼氏を睨みつけた。
稲妻のような光が、彼氏を串刺しにする。
「お主、名は何と言う」
厳かに妹が訊く。
「は、はひ、あ、アガツマ、ケンジ、二十九です。新潟県出身です」
「訊いとらんことまで答えるなあああ」
がらがらがらがらがらがらがらがらがら
「ひゃああああ」
妹が叫んだ瞬間に雷鳴が轟き、彼氏は頭を抱えてちぢこまってしまった。
僕は妹を抑えて、前に進み出た。
「おい男よ」
「ひいいいい」
「儂等をよっく見るがよい」
彼氏は恐る恐る、腕の隙間から僕達を見た。
僕は出来るだけ優しく聞こえるように、彼氏に話した。
「よいか。儂等はあの女子の守り神、猫の王の血族じゃ。男、お主、あの女子と夫婦になろうと、そう考えているのであろう」
「は、はひ、できればいいなと」
「身の程を知れじゃがいもの分際でええええ」
がらがらがらがらがらがらがらがらがら
「ひゃあああああああああああ」
また妹が脅かしてしまった。
「やりすぎだって。ここは僕に任せろよ」
僕が妹に耳打ちすると、妹は不服そうに引き下がった。
「おい男」
「ひいいいいいい」
すっかりビビっちゃったな。まあ仕方ないか。
「儂等はあの女子の行く末を案じておる。お主が身を慎んで、仲睦まじく暮らすなら良し。そうでなければ」
「ひ、ひい」
僕は彼氏の顔に、鼻先をずいと近づけた。
「そうでなければ、お主、只では済まんぞ。判っておろうな」
「は、は、はひ」
ぶわあ、と僕の口から妖気が洩れる。彼氏は怖ろしくて動けないみたいだ。
「なら心せよ。儂等は何時でも、お主を見ておるからのう。判ったか」
「ひいいい」
「返答や如何に」
「は、はひ誓います。カスミさんを幸せにします、泣かせるようなことはしません。浮気だって絶対に」
「訊いとらんことまで答えるなと言うておろうがああああああ」
がらがらがらがらがらがらがらがらがらどーん
「ひゃあああああああ」
僕は少し安心したんだ。やっぱりこの人なら大丈夫そうだ。
「お主の誓い、しかと聞いた。ゆめゆめ忘れるでないぞおおおおおお」
ごおおおおおおおおおおおおおおおおお
がらがらがらがらがらがらがらがらがら
「ひゃあああああああああああああああ」
突風が渦巻き、雷鳴が轟いた。
僕等は天に向かって吠え、つむじ風と一緒に、消えた。
* * * * *
がちゃり。
「ただいまー」
「うにゃ~」
「みゃ~う」
「あら、ヒロにポッポ、どうしたの。あっちの部屋で寝てなさいって言ったじゃない」
「う、うーん」
「あらケンジさん。もうヒロとポッポに乗っかられてるのね」
「え? あ...」
「ごめんなさいね。ケンジさんが猫好きかどうか聞いてなかったから...」
「...いえ...大丈夫...なんですけど...」
「どうしたの?」
「いや、何か、夢を見てたみたいで...」
「昨日遅かったから眠いのね。いいわよ。ごはん出来るまで横になってて」
「いえ、あの、大丈夫です。はい」
「無理しないでいいのに」
「いえ、何というか。その...」
彼氏は僕等を恐る恐る見た。
僕は、「うにゃう」と鳴いた。「よろしくね」ってことだ。
でも妹は、彼氏の足下で怖そうな目をして、「みゅう」と、低く鳴いた。
「誓いを破ったら、承知しないわよ」
って言ったのだ。
それを知ってか知らずか、彼氏は頬をひきつらせて、妹を見た。
「なんとなく釈然としないわね」
「大丈夫だって、あれだけ脅かしといたんだからさ」
「忘れちゃったらどうすんのよ」
「そうしたら...決まってるだろ」
「...そうね」
僕と妹は顔を見合わせ、昼寝をするために、部屋へと向かった。
台所から、甘くて幸せな匂いが、漂ってきた。
おしまい
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