第八十七話 勧誘
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心地よい風が吹く昼下がり。
僕は妹と昼寝をしていた。
ピンポーン
「なんだよもう、せっかく昼寝してたのに」
「ヒロ、あんた出てよ」
「いいじゃん出なくても」
「最近物騒なんだからさ、ママが苦労してるじゃない」
「しょうがないなあ...」
僕はのそりと起き上がり、玄関に向かった。
「ごめんくださーい」
「はーい」
覗き窓から外を見ると、帽子を被ったおじさんが見えた。
「どちらさまですか?」
「サカマキと申します」
「サカマキさん」
「ええ。近所の者なんですが」
そんな名前の人は聞いたことがないなあ。
まあいいや。僕は扉を開けた。
がちゃ。
「こんにちは」
「はい、こんにちは」
「どんなご用件で?」
「ええと、私、人相見の修行をしておりまして」
「人相ですか」
「はい。もしお時間があったら、ちょっとお時間いただけませんでしょうか」
「かまいませんよ。どうぞ」
「え? あがってもいいんですか?」
「ええ。こんなところじゃ何ですから」
「はあ...ありがとうございます。では」
* * * * *
僕はサカマキと名乗るおじさんを、居間に案内し、椅子を勧めた。
「どうぞこちらに」
「はい、では...」
「お茶でもどうですか? またたび茶ってのがあるんですよ」
「え? いえ、私はけっこうです」
「お茶はお嫌いですか?」
「いえいえ、ちょっと訳がありまして」
「そうですか...」
おいしいお茶を飲めないなんて、可哀想な人だな。
僕はサカマキ氏の向かいに座った。
「では、よいしょっと。人相見でしたよね」
「はあ。あの、おひとりでお住まいですか?」
「いえ、母と、妹と三人で」
「そうですか。妹さんは?」
「寝ています」
「おや、ご病気ですか」
「いえただの昼寝ですよ」
「はあ...お母様は」
いろいろ僕達のことを聞き出すんだな。これも仕事なのかな。
「仕事です。いつも帰りが遅くって」
「そうですか。あなたはお仕事されていないんですね」
「ええ。母が稼いでくれるもので、僕達はだらだら暮らしています」
「それはいいご身分で」
「まあね。でも母がそれでいいと言うので」
「そうですか...」
「あの、人相見は」
「あ、ああ、そうでした。では」
がさごそ。
サカマキ氏は、黒い革の鞄から、大きな虫眼鏡を取り出した。
「ずいぶん大きいですね、その虫眼鏡」
「いえこれは天眼鏡というのですよ」
「へええ」
「むむ」
サカマキ氏はじっと僕の顔を見ている。
レンズ越しに見る彼の顔は歪んでいて、なんだか可笑しい。
「...」
じっと見ていたかと思うと、サカマキ氏は、溜息をついて、首を振った。
「あのう、どうなんですか」
「...いけない...これはいけない」
「何がですか?」
「あなた、どうやら、悪い霊に取り憑かれているようですよ」
「僕が?」
「はい。他の人にはない相があります。これは普通の人間にはちょっと出来ない」
普通の人間には出来ないだってさ。
「そうでしょうね」
「え?」
「いや何でも」
「...うむむ、そう、あなたは、猫とか狐とか、そういう動物に関わりはありませんか?」
「ありますよ」
「他の家族の方も?」
「ええ」
「それはいけない。今すぐその関わりをおやめなさい」
なんでそんなことと霊が関係あるんだろう。
「どうしてですか?」
僕は訊いてみた。
「それは、あなたが、動物の霊に取り憑かれているからですよ」
「動物の霊ですって?」
僕は可笑しくなって笑った。
「そんな筈はないでしょう」
「いいえ、このままにしておくととんでもないことになります。お母様は、最近疲れたとか、肩が凝るとか言いませんか?」
「ああ、いつも言ってますね」
「そらごらんなさい。妹さんは、以前よりもよく眠るようになりませんか」
「なってますねえ」
「ほら! そんな大変なことになっているのに、そのままにしておくなんて!」
僕はますます可笑しくなった。
「だって、仕事をすれば疲れるのは当たり前でしょう。それに妹だって、昔より年をとってるんですよ。一日の半分は寝て過ごすのは当たり前です」
「何をおっしゃるんですか。あなたたちは、その霊によって、生命が蝕まれているんですよ。そのままにしておけば、現世どころか、来世の運命も危うくなります」
「来世?」
「そうです。正しい信仰を持つ者でなければ、来世で裁きにあって、地獄に堕とされます。現世の苦しみをそのまま引きずることになるのですよ」
こうなると、僕にはさっぱり判らない。
腕組みをして考えるふりをしながら、僕はまた訊いた。
「でも、来世って言われたって、僕等はほんとうにそれがあるのか判らないですよ。いま生きているだけで沢山です」
「はあ...無理もない。こんな表向き恵まれた生活を送ってらっしゃるのですからね。しかし、魂の救済なくして真の幸せはありません!」
そう叫ぶと、サカマキ氏は鞄に手を突っ込み、数冊の本と、ネックレスのようなものを取り出した。
「ほら、これは私達人類の救済者、ジャンバラヤ先生が書いたご本です。これを読めば、あなたはきっと救われる」
「これを読めば、その動物の霊とかっていうのがなくなるんですか?」
「いえいえ、これを読んで理解するだけでは足りません。ですから、この御宝珠を首から提げて」
と、サカマキ氏は僕にネックレスをかけてくれる。
「重いですねこれ」
「当たり前です! ジャンバラヤ先生の念がしっかり入った御宝珠ですよ。これを提げて、この本にあるお祈りを毎日欠かさず...」
「で、この本とこのお守りは、いただけるんですか?」
一瞬、サカマキ氏はたじろいだ。
「え、えええ、もちろんです。ただ、ジャンバラヤ先生にお布施をお渡ししなければ」
「お布施ですか」
「はい。家族の皆さんが幸せになるために、ジャンバラヤ先生にもお祈りしていただく必要があるのです」
「そうですか。で、おいくらですか?」
「ええ...っと...。そうですね、あなたは初めての方でらっしゃるし、三十万円もあれば」
「さんじゅうまん」
僕の両手両足使っても数え切れないや。駄目だなこりゃ。
「いまお金ないんですよ」
「それでしたら、お母様がいらっしゃるまで、ここで待たせていただきますよ」
「夜遅くになりますよ」
「かまいません!」
サカマキ氏の眼がぎらぎら光っている。どうしようかなあ。
僕は妹の方を見た。妹は、片目をぱちぱちっとした。
いつも面倒なことは僕がやるんだからもう。
「あ、あのですね」
「何でしょう?」
「いろいろお話を伺いましたけれど、僕達にはやっぱり必要ないですよ」
「どうしてです!? あなた方の幸せを思って私はこうやって」
「僕達十分幸せですから」
「いけません! こうしている間にも動物の霊があなたの」
「いやですからね」
僕は、ずいっとサカマキ氏に顔を近づけた。
「僕達は、動物の霊なんかに取り憑かれてないんです。なぜなら」
僕はゆっくりと口を開けた。
下あごに、鋭い牙が光った。
「僕達が、動物の霊そのものだからですよ」
ぎゅるん。
僕の眼がぐるりと回り、瞳孔が三日月のように細くなった。
「ひっ」
サカマキ氏は硬直した。
僕の身体にはびっしりと毛が生え、手には鋭い爪が伸びてきた。
尻尾が伸びてサカマキ氏の顔をなでる。二つに分かれた長い尻尾が。
「くだらない神まがいの物を持ち出して人を籠絡しおって、下賤の輩め」
僕の口からは妖気が洩れ、喉の奥から凶悪な声が響いた。
「ひ、ひえええええ」
「貴様等の神なんぞの霊力に、猫の王の血を引く儂等が脅かされるものか」
「たっ、たっ、お、おたすけ」
「ふん、こんな面白くもない本、こんな子供だましの宝珠。情けないわい」
ばん。
僕は本と首飾りを、サカマキ氏に叩き付けた。
そして、妖気をたっぷりと部屋に充満させながら、彼の顔に鼻を近づけた。
「よいか。儂等の生き様を邪魔だてするでない。安寧の世を楽しんでおるのじゃからのう」
「は、はひ」
「そうして、ここで見たことは総て忘れることじゃ。その方がお主のためじゃろうて」
「ひ、ひ、ひい」
「さもなくば」
ごろごろと、部屋中に雷鳴が轟いた。
「お主のその身体、八つ裂きにしてくれるわあああああ」
「ひゃあああああ」
「じゃああああああああ」
「お、おたすけ、おたすけえええええ」
サカマキ氏は、転がるように、僕等の住む部屋を飛び出していった。
* * * * *
「あんた、ちょっとやりすぎじゃないの」
妹はのそのそ起きてきて、僕をたしなめた。
「いいんだよ。あのくらい脅かさないと、また来るだろ、あのおじさん」
「でも...ほら、どうすんのよこの本とガラクタ」
「どうって...こうするさ」
僕は妖火を呼び出し、その熱で本とお守りを一瞬で焼いてしまった。
「ふん、それがいいわね」
「でもさあ、最近多いよなあ、こういうの」
「人間って不思議よね。自分自身を信じられないから、他に拠り所を見つけるしかないのかしら」
「そうだねえ。僕等のご先祖様だって、そうやって人間に頼りにされてきたんだから」
「あたしたちは、のんべんだらりと、楽にやらせてもらってるけどね」
「そうそう」
そう言って、僕等は笑った。そしてまた、昼寝をやり直すことにした。
* * * * *
がちゃり。
「たっだいまー」
「うにゃ~」
「みゃ~う」
「ヒロにポッポ、ただいま~ん。いい子にしてた?」
「うにゃんぐるぐる」
「みゃーん、みゃーん」
「はいはいはい、すぐゴハンあげるからね、ちょっと待ってて~」
「やっぱりママを癒すのは、僕等しかいないよな」
「そうゆうことっ」
おしまい
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