第二百三十話 短気には、にゃんこ顔 | ねこバナ。

第二百三十話 短気には、にゃんこ顔

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※ 第百二十五話 初詣(十八歳 男 高校生)
  第百四十三話 性分(二十七歳 男 会社員)
  第百六十九話 恨みます(二十八歳 女) もどうぞ。


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「くっそう、まったくムカつくぜ」

俺は怒っていた。
何に怒っていたかといえば。

朝家を出る時に犬に吠えられた。職場で飲んだ茶がまずかった。昼飯のラーメンのメンマが固かった。書類に押したハンコがずれちまった。同僚の北海道土産は俺の嫌いな羊羹だった。エレベーターに乗ろうとしたらブザーが鳴った。そして地下鉄が二分遅れやがった。

何だってんだ一体。おかげで今日はずっと機嫌が悪く、あちこち怒鳴り散らしてしまった。
いや、今日に限ったことじゃないんだ。俺は短気で怒りっぽい。会社や家で誰かがやらかしたことが、とにかく気に食わない。そして自分でやらかした失敗にも我慢がならないんだ。

「ていっ」

潰れた空き缶を蹴っ飛ばそうとしたら、

がきん。

「いってえええええええ」

それは空き缶じゃなく、錆びて折れた鉄柱の根元だった。

「何だってんだちきしょう」

俺は怒鳴った。そして鞄を放り投げた。
その鞄が道端に転がり、それを避けようとした車が。

ぶっぶーーー

クラクションを鳴らしやがった。

「うるせえこのばっきゃろう」

痛ぇ五月蠅ぇ、全く気に食わねぇ。何もかも。
普通の人間なら酒でもかっくらって騒ぐところなんだろうが、俺は酒が一滴も飲めない。
だから余計にストレスが溜まる。
くっそうくっそう。俺は頭が破裂しそうだ。この鬱憤、どうしてくれよう。

がららん

大きな鈴のようなものを鳴らす音が聞こえた。
ふとその音の方を見ると、赤い鳥居の前に、小さな男の子が立っている。しばらく俯いていたが、すぐに走って何処かへ行ってしまった。
こんな処に神社なんて、あっただろうか。毎日通っているのに、さっぱり気が付かなかった。
俺は鞄を拾って、何故か吸い寄せられるように、その神社に向かって、歩いて行ったのだ。

  *   *   *   *   *

「何だこりゃ」

うさんくさい真っ赤な鳥居が夕日に映えている。
こんなに目立つものなんだから、すぐに気付いても良さそうなもんだが。お宮は銅葺きで、不細工な犬だか猫だか判らない動物の像が、その両脇に置いてある。いっちょまえに賽銭箱までしつらえてやがる。
気に入らねぇ。俺は足を振り上げて、賽銭箱を。

「蹴ったらあかんで」

びくんとして足を止めた。
何だ誰が俺に意見しやがる。ぎろりと睨んでやるつもりで辺りを見回したが、誰もいない。空耳か。

「そない怖い顔せんでもええやろ。ほれリラックスしてお祈りしてえな」

いや足元だ。しかし子供の声じゃない。声の主は。

「お賽銭、奮発したってや」
「うわっ!」

さすがの俺も吃驚して飛び退いた。
でっかい腹をした虎猫が、直立して俺に喋り掛けている。手には白い紙のついた、幣束っていったか、あれを杖のようにして持っている。

「な、なんで猫が」
「喋ったかてええやないかい。猫も日々進化してるんやで。いまだにウィングチップとか履いとるおっさんとは違うんや」
「う、うるせえっ」

俺はムカついた。俺の靴のことなんかどうでもいいじゃねえか。しかし猫はそんなことは意に介せず、しゃらりと幣束を振って言う。

「ほらほら、そうやって怒るのがあかんねん。あんた、その性格でいろいろ損してるみたいやけど」
「うっ」
「短気は損気、て昔から言うやろ。も少しのーんびりしたらええねん。周りはそんなパッパと動けへんねんで」
「わ、判ったような口利くんじゃねえよ。なんで俺が猫に説教されなきゃなんねえんだよ」

俺は思いきり怖い顔を作って、猫に近付いた。しかし猫は全く動じない。

「まずはその顔やな」

ぺし、と猫は俺の鼻面を幣束で叩いた。

「あたっ」
「仕事でうまくいかへんのも、家族とうまくいかへんのも、短気な性格も、この顔のせいや。これなんとかしたら、案外他のことも、うまくいくかもしれへんわ」
「なんだとう? この顔は生まれつきなんだよ。整形でもしてくれんのかよおい」
「せやから凄んだらいかんっちゅうねん。そんな顔作って何かええことあったんかいな」

そう問われて、俺は気付いた。会社で新人がすぐ辞めるのも。取引先での俺の評判が最近良くないのも。妻と娘が実家に帰ってしまったのも。

「あんたみたいな怖い人と一緒に居たら、こっちがおかしくなんのよ」

妻はそう言っていた。俺の顔のせいなのか。

「な、治るのか、この顔が」

俺は何時の間にか、猫にそう、真面目に訊いていたのだ。

「せやな。心がけ次第ってとこやなあ。どや、治したいんかいな」
「あ、ああ。治るもんならな」
「さよか...ほんなら」

にゅう、と俺の鼻先に、ピンクの肉球が差し出された。

「千二百三十九円」
「は?」
「お賽銭やがなお賽銭。神さんはボランティアとちゃうねんで。ギブ・アンド・テイクや。しかもうちは良心的かつリーズナブルな価格設定やさかいな。そこらの神さんには負けへんで」

その基準がよく判らないんだが。それになんでそんなに半端な金額なんだ。
しかしともかく、俺は財布からごそごそと金を取り出した。今日に限って小銭がひとつもない。

「あ、釣り銭は出ぇへんさかいな」

ちゃっかりしてやがる。俺は二千円を猫の手に乗せた。猫はそれをさっさと後ろに隠し、

「ほれ、正座しなはれ」

と俺に命じた。
俺は一瞬イラッと来たが、我慢我慢。ここは辛抱したほうがいいだろう。お宮の前にちんまりと正座した俺に、猫は幣束を掲げた。
そして。

「タンキハッ、ソンキー、ビックリドン◎ー」

叫んだ。なんだこれ。

「ズットアナタ、ダマッテイールワー、ワタシノコト、オコッテイールノー」

そして歌い出した。

「コレジャキットー、ミチノトッチュウーデー、ガスケツダワ、アキレタヒートネー」

大昔に聞いたことがあるような気が。

「おいこらっ」
「はいそのままっ」

怒鳴ろうとした俺を猫は制して、何か差し出した。

「これをな、鞄につけなはれ」
「...なっ」

それは携帯用のストラップだ。ピンクのキ◎ィちゃん。しかもウィンクしてやがる。

「こ、こここんなもんつけられっかよおお」
「早うしなはれや」

ぎらりと猫の目が光る。怖い。俺はそそくさと、鞄の持ち手にそれを取り付けた。

「よろしい」

にやりと猫は笑い、幣束をぶん、と上に振り上げた。

「マターリシテ、イラッシャーイ」

幣束はぐんぐんでっかくなって、ぶっとくなって、まるで電柱みたいなサイズになった。
そして。

「うりゃっ」

幣束が、俺に向かって、振り下ろされる。
物凄いスピードで。
ちょちょちょっと待て。
うそだろ。
俺は。

「う、うわあああああああああああああああああ」

  *   *   *   *   *

気が付くと、俺は部屋で寝ていた。
ちちち、と雀の鳴き声がする。もう朝か。
まったく、なんて夢だ。猫にぶっ叩かれるなんてな。俺はのろのろと起き上がり、顔を洗おうと洗面所に向かった。
冷たい水を頭からぶっかけて目を覚まし、髭を剃ろうとシェーバーを取り出して。

「なあああっ!」

俺は仰天した。
俺の顔は。眉毛がぶっとくて眉間に皺が寄ってる、強面の俺の顔には。
猫みたいな髭が、三本ずつ。ほっぺたの両側にくっきりと、書いてあった。

そして、鼻は真っ赤に腫れて、ぷっくらしている。
鼻の穴のところだけ、ほくろみたいに黒い点が。
まるで鼻くそ付けてるみたいだ。

なんて顔だ。なんて。

「ぷぷっ」

俺は、吹いてしまった。自分の顔に。
いいやいかんいかん。どうなってんだ一体。このまま会社になんて行けるわけない。
必死になってほっぺたをこすったが、黒い髭はとれそうにない。鼻の腫れも黒い点も、どうしようもない。

「ったく、どうなってんだ!」

...あ。
あの猫か。
あの猫が、俺に何かしたのか。
俺は慌てて、鞄を探した。玄関に放り投げてあった、俺の鞄には。
ピンクのキ◎ィちゃんが、しっかり付いていた。

「...ま、まさか...」

俺はいったい、どうすりゃいいんだ。

  *   *   *   *   *

「おはようございます」
「おう」

女子社員の挨拶を、俺は不機嫌そうに受け流した。

「ミカミさん、風邪かしらね」
「あんな大きなマスクしてるの、初めて見たけど」
「なあに、あのキ◎ィちゃん! ちょっとあんな趣味あったっけミカミさん」
「やだーかわいいー」

すぐ背後では口差のない奴らの噂が始まっている。しかしそんなもんに関わり合ってはいられない。こんな情けない顔を見られたら、俺は。俺の威厳は。

「ミカミさん、きのうの書類、出来ましたけど」

部下のタシロが書類を持って来る。こいつは漢字が苦手で、しかも字が汚い。また何カ所も間違えてやがる。
タシロは怒られるのを承知してか、びくびくしながら俺を見てやがる。怒られるのが判ってるなら、最初からちゃんとしろってんだ。
俺は書類をボードごと机に叩き付け、

「こらタシロ、おまえ何度言ったら」
「はっ、はひ」

怒鳴り声をあげようとした瞬間。
はらり、とマスクの紐がとれた。

「おわっ」

俺は必死でマスクを手で押さえた。

「あ、あの...だいじょうぶ、ですか」

タシロは俺の顔を覗き込んで来やがる。

「大丈夫だだいじょうぶだ、なんでもない。それより、漢字の間違い三箇所! 自分で見つけて直して来い」
「は、はい、すぐに」

書類を持って、タシロは退散した。どうも調子が狂う。顔に気を取られているぶん、いつもみたいに怒鳴っている暇が無い。
そうこうしているうちに、昼飯の時間だ。マスクの下を持ち上げて、出前のラーメンをちゅるちゅると啜る。食いずらいったらありゃしない。

「ミカミくん、どうしたね。そんなに風邪がひどいのかい」

社長が心配そうに寄って来た。

「いいいえいえいえいえいえ、なんでもないです。ごほんごほん」
「そうかい、あんまり無理しないでくれよ。他の社員にも伝染ると困るしな」
「はい、すみません」

怪訝そうな顔をして、社長は行ってしまった。俺はまたラーメンを不自然な体勢で啜る。遠くの方で、俺を見てくすくす笑っている女子社員がいる。
ムカつくが、この状態では怒鳴り散らす訳にもいかない。俺はようやくラーメンを食い終え、ていねいにマスクをし直した。
途端に、物凄い睡魔が俺を襲った。いつも昼休みはぶらぶら散歩して過ごすのだが、これでは駄目だ。
俺はよろよろ丼を片付け、机の上に突っ伏した。一分も経たないうちに、俺は泥のような眠りの中に、落ちていった。

  *   *   *   *   *

「...さん、ミカミさん、起きてください」

声が聞こえる。

「会長がみえてますよ。ミカミさんってば」
「ぬぁ...か、会長?」

がばっと俺は起き上がった。いかんいかん。いつのまにそんなに時間が経ったんだ。
目の前には、社長と会長が並んで立っている。

「も、申し訳ありません、ちょっと疲れてまして」

ぺこりと頭を下げ、そうっとふたりの顔を伺う。
ふたりは。
硬直した顔で、俺を見ている。
やばい。居眠りがそんなに気に入らなかったか。

「い、いやあの、今後はこのようなことのないように、しょしょ職務に専念いたしますのでっ」

と叫んで、俺は直立不動の姿勢をとった。
怒鳴られるくらいは、覚悟した。
会長と社長は。
ぶるぶると震えて。

やばい。

「ぷぷっ」

え?

「ぶははははははははははははははは」
「ぎゃはははははははははははははは」

ふたりとも、爆笑している。
そばの机に寄り掛かって、腹を抱えて。

「あ、あの」

「ぶははははははははははははははは」
「あははははははははははははははは」

周りのやつらまで。
大爆笑だ。
なんで。

「ひい、ひい、おなかいたい」
「みみみミカミさん、どうしたんですその顔」

顔?

俺は顔を両手で抑えた。
やばい。マスクがない。

「いやーん、猫ちゃんみたーい」
「鞄にはキ◎ィちゃんだしー」
「何かの余興ですかそれ。わはははははは」

くっそう、みんなコケにしやがって。

「いやあ、傑作だよミカミくん。ほれ見てみたまえ」

会長が女子社員から手鏡を受け取って。
俺に突き出した。
鏡の中にあったのは。

真っ赤なお鼻の。ほっぺも真っ赤な。
濃い六本の髭のある。
間抜けな猫メイクの男だ。

俺は。
俺は俺は俺は。

「ぶぶっ」

もう駄目だ。

「ぶわははははははははははははははははははは」

笑うしかない。可笑しくてしょうがない。
それから二時間ばかり、我が社は爆笑の渦につつまれた。

涙がチョチョ切れて。
腹が痛くて。

俺は可笑しくて情けなくて、少し泣いた。

  *   *   *   *   *

二週間後。

「ミカミちゃん、これよろしくね~」
「まっかせて~」

俺は何故か、社内のアイドルになってしまった。
会う人会う人、俺を「ちゃん」付けで呼びやがる。最初はムカついたが、もう慣れた。
そして仕事も、どういうわけだか、うまくいっている。顔のメイクはどうやっても取れないので、「地顔です」とか「アザがついちゃって」とか言うしかなかった。なんでこの顔がそんなにウケるのか、俺にはさっぱり判らない。
そして、こんな顔には怒鳴り声や短気は似合わない。俺はいつのまにか、いつもニヤニヤしておちゃらけた、のんびり屋人間になっちまった。

「ミカミくん、最近君の業績は素晴らしいよ。来月には課長に昇進だな」

と、社長が言ったのには耳を疑った。このへなちょこな顔は、俺に幸運をもたらしてくれたのだ。

口笛を吹きながら家へ帰る。明日は妻の実家に行って、また一緒に暮らそうと頼むことにした。
こんな顔だから、最初は笑われるに決まっているが。
そうだ、あの神社にお礼参りに行こう。
最初はとんでもないことをしてくれたと怒ったものだが、今となっては猫神さまさまだ。

「...あれ?」

ない。
あの神社。確かに此処にあったはずなのに。竹林がもっさりとしているだけだ。
あれは、夢だったのか。まさか。
俺が呆然としていると。

ばさばさばさっ

「うわっぷ」

風で大きな紙が飛んで来て、俺の顔に貼り付いた。
引き剥がしてみると。

「猫稲荷神社移転のお知らせ お客様大感謝祭計画中 詳細は未定 毎度おおきに」

と、下手くそな筆文字で書いてある。
なんだこりゃ。しかも大感謝祭って。つくづく生臭い神社だな。

「へ、へへへっ」

俺は片頬で笑った。
竹林が風に揺れ、ざざあ、と楽しそうな音を立てた。




おしまい




いつも読んでくだすって、ありがとうございます

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