第百六十九話 恨みます(28歳 女) | ねこバナ。

第百六十九話 恨みます(28歳 女)

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あのくすんだ電柱が、憎い。
あの床屋のぐるぐる回る看板が、恨めしい。
あのコンビニの明かりが、胸糞悪い。

私の視界に入ってくるもの全てが、私の憎悪の対象だ。
この世界め。
私をこんなに苦しめ、悩ませる世界が、憎いのだ。
それというのも。

「恨んでやる」

私は声に出して言った。
犬を連れた老夫婦が、凍り付いた。

  *   *   *   *   *

「...なんて言ったの今」
「だから、別れてくれよ」
「なんで?」
「飽きたんだよ」
「何に」
「お前にさ」
「なんで飽きるのよ」
「知らねえよ」
「だいたい飽きるって何よ」
「あん?」
「私はラーメンか牛丼みたいなもんってわけ」
「...っせえな」
「誰よいったい」
「何が」
「他に女ができたんでしょ」
「できたんじゃねえよ」
「じゃあ何よ」
「お前にゃ関係ねえよ」
「別れないわよ」
「あ」
「あんたに幾らつぎ込んだと思ってんのよ」
「は?」
「仕事がうまくいかないだの、急に入り用だのって、あんたに幾ら金を用立てしたと思ってんのよ」
「知るかよ。手前が勝手にやったんだろ」
「なんて言い草」
「だからよ、もう俺につきまとうなよ」
「じゃあ金返しなさいよ」
「なに?」
「あんたに貢いだ金、全部返しなさいよ」
「何だよ金、金ってよ。そういう奴なんだよお前はよ」
「じっ、自分のことを棚にあげて、な、な」
「とにかく、俺にかまうな。じゃあな」
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!」

ばたむ。

ぶろろろろおおおおおお

「ちくしょー!」

  *   *   *   *   *

「恨んでやる」

また声に出した。
薄暗い住宅地。人気のない、一度も歩いたことのない路地を、私は曲がった。
家々からは、夕餉の匂いが漂って来る。西日が随分傾いて、辺りを真っ赤に染める。
憎い。憎い憎い憎い憎い。
あの家もこの家も。
紅く染まった路地も。
あの鳥居も。

...鳥居だ。

真っ赤な鳥居が、夕陽のせいで辺りに溶け込んでいた。
その向こうには小さなお宮が。
へちゃむくれの、犬だか猫だか判らないような動物の置物が、無愛想な顔で、お宮の前に並んでいる。深く影を落としたその顔は、私には凶悪なものに見えた。

そういえば。
お稲荷さんの呪いってのは、凶悪だと聞いたことがある。
見たところ、ここはお稲荷さんみたいだ。キツネはいないけど。
私は鳥居をくぐり、お宮の前にかがみ込んだ。
そうして、眼を瞑って、一心不乱に呪った。

「あの男、あの男を...不幸のどん底に...」

呪いの言葉を、早口に、ぶつぶつと唱えた。

「踏みつけられ、八つ裂きにされるよりもっと凶悪な不幸を、あの男に...」

「早口やなあ姉ちゃん」
「っさいわね」
「もちっとゆっくり喋らんとわかれへんがな」
「おだまりっ」
「ほれ深呼吸してー」
「うるさいってゆってんでしょっ!」

キレてがばっと振り向いてみた。
しかしそこには誰もいない。
はたと我に返った。もしかして、あまりの怒りに頭がおかしくなったか。

「ほれ」

声がした。
どこだ。

「何よりもまずお賽銭や」

にゅっと、私の目の前に突き出されたのは。
ピンクの肉球。

「奮発したってや」

「ひゃっ!」

私は飛び上がって、お宮に思い切り背中をぶつけた。
猫だ。
茶トラ模様の、大きな猫だ。
ひらひらした白い紙のついた棒を持って、私に右手を突き出している。

「う、うそでしょ」
「何やそない驚かんでも。今やグーグルマップで世界中を旅する時代やで。そら猫かて喋るがな」

いやそういう話じゃないだろ。
心の中でツッコんでみたものの、目の前の状況を、私は信じられずにいた。

「姉ちゃん、ぎょうさん恨み事があるようやけど」

猫は目を細めて私を見る。

「恨みや呪いちゅうのは、厄介なもんやで。それ判ってんのんか」
「は?」
「人を呪わば穴二つ、て昔から言うやろ。恨んだ方にもそれなりの報いがあるっちゅうこっちゃ。呪い返しなんぞかけられんでも、ある程度の覚悟が必要や。それが出来てんのんか」

ぼってりした顔で、おなかを揺らしながらその猫は言う。
そういうものなのか。
でも。

「血ィを見るかも、しれへんで」
「でも...あの男に恨みを...晴らせるなら...」

そうだ。あの男に呪いを。
呪いを。

「呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる...」

「ああもうわかったがな。全くその形相だけで三人くらいは呪い殺せそうやけどな」
「何ですって?」
「いや何でも」

猫は紙のついた棒を私の前にかざし、

「ほんなら、呪うんやな」

と言った。

「の、呪ってくれるの」
「姉ちゃんが願うんなら、しゃあないわ。ちぃとお賽銭は奮発してもらわなあかんけどな」
「いっ、幾らなの。いいい幾らでも出すわよ一万円でも五万円でもさんじゅうまんでも」
「ちょっ、ちょい待ちいや」

猫は慌てて私の言葉を遮り、耳元で囁いた。

「正直な話、わしとこの神通力は限られてんねん。費用対効果っちゅうところからいけば、まあ五千円くらいがええと思うで」
「あらそう」
「あんまり自分とこの悪口も言えへんけどな、うちはまだまだ格下やねん。まぁ、そのかわり良心的な価格設定やさかいな」
「ふうん」

ほんとに効くのだろうか。しかしまあ、駄目もとで試してみる価値はありそうだ。

「ほなら後悔せえへんな」
「も、もちろん」
「さよか...ほれ、正座して」

私は言われるまま、お宮を背にして正座した。

「心をな、穏やかにするんや」
「はい...」

すう、と私は深呼吸した。

「ほないくで...」

猫の、大きく息を吸う音が聞こえる。
そして。

「ウラミマァ~~~~、スッ」

泣くような歌うような声が聞こえた。

「ウラミマァ~~~~、スッ」

この台詞。

「イイヤツダト、オモワレナクテ、イイモノォ~」

何処かで聞いた気が。
なんだこれ。

「ドアニ、ツメデ、カイテ、ユクゥワァ~」

なんだか、馬鹿にされてるような気がしてきた。

「ウラミマァ~~~~、スッ」
「ちょ、ちょっと」

「はいそのままっ」

猫はぎらりと目を光らせた。
私はちぢこまった。

「あなたと彼の、思い出の場所っ」
「え」
「明日、そこに行って、確かめなはれ」
「は、はい...」
「これを持ってな」

猫は、私の掌に、何かを乗せた。

「願いは叶えた! さらばじゃ~~~」

ぐるぐるとつむじ風が舞った。

「うわっぷ」

ホコリが。枯れ葉が。私を包む。
風がおさまると、猫はもうどこにも、いなかった。
私の掌には。
小さな黒い招き猫が、置かれていた。

  *   *   *   *   *

思い出の場所。
あの男に、初めて声をかけられた、テラスのあるカフェ。
私はそのテラス席に座っていた。
一応サングラスと帽子で変装をした。あの猫の呪いを確かめるために、私はここにやって来たのだ。
黒い招き猫を握りしめて。

「オーライ、オーライ」
「もうちょっと右~」

道端で、何か作業をしているようだ。トラックが駐まって、数人の男が作業をしている。

「ミラクルジャンボ宝くじ、本日はつばいちゅ~」

カフェの隣に出来た悪趣味な宝くじ屋が、奇妙な歌を流している。全くもって不愉快だ。
通行人は、そんなもの気にしないといった顔で、通り過ぎて行く。その表情すら不愉快だ。
しかし本当に、呪いは効くのだろうか。あの高慢な男に。
それに今あの男がここに現れたら、私はきっと平静でいられない。どうしよう。
どきどきと鼓動が高鳴る。トマトジュースの氷が溶けて、からからんと音を立てる。
私ったら、一体何をやってるんだろう。

「あ」

やって来た。あの男だ。
しかも。
女を、連れている。
大柄な、筋骨隆々とした女だ。
か弱い女が好きなんじゃなかったのか。

「ねえダーリン」
「何だい」

何がダーリンだ。
見せつけやがって。
私は。
私は。

くっそう。
もう耐えられない。

「このっ!」

私は男めがけて。
あの招き猫を。
投げつけた。

はずだった。

もともと運動オンチな私が投げた招き猫は、すぐ足下の地面に激突した。

「ワンワン!」

散歩していた犬が吃驚して吠える。

ばさばさばさばさ

歩道の脇をうろうろしていたハトが飛び立つ。

「何なにどうしたの?」

通行人がハトを見遣る。

「ねえダーリン」
「何だい」

ばつん。

「危ない!」

叫び声が聞こえた。

「えっ」

私は見た。
巨大なものが。
白いものが。
振り子のように振られて、飛んでくる。
あの男めがけて。

「うわ」

とっさに女は飛び退った。
しかし男は。
うそ。

ぶうん。

「うわあああああ」

私は、目を覆った。

ばふっ。

「のわっ!」

どしん。
ずるずるずるずる。

「ダーリン!」

私は、恐る恐る目を開けた。

あの男が。
街路樹の根元で、仰向けにのびている。
逞しい女が、それを抱きかかえている。

「だっ、大丈夫ですか」

作業員らしき男が駆け寄る。
その脇には。
あの男に激突した。

招き猫が。

巨大なバルーンのような、招き猫が。
ふわり、ふわりと、風に揺れていた。

「お怪我はないですか」
「な、何よあんた」
「バルーン吊り下げてた片方のフックが外れちゃったようで、どうもすみません」
「すみませんじゃないわよ! あたしのダーリンに何てことしてくれんのよ」

いや、あんたはさっさと逃げただろその男置いて。
と心の中でツッコんだが、もちろん声には出せない。

「ダーリンしっかりして」
「...うーん」

はらり。
男の内ポケットから、何かが落ちた。

「...あれ?」

女はそれを拾い上げる。

「ちょっ、これ、あたしの預金通帳じゃない!」

そして女は、勢いよく立ち上がった。

「あでっ」

男は放り出されて、したたかに頭を打った。

「ちょっとこれ、どういうことよ」
「えっ」
「ちょっとあんた! いつのまにあたしの」

女は男の首根っこを捉まえ、激しく揺さぶる。

「ぐぐ、ぐ、ぐるじい」
「あっ、印鑑まで! このコソ泥男! 一生大事にするって言ったじゃないの!」
「ちょ、は、はなせばわかる」
「だまらっしゃい!」

ぐうと男は捻り上げられ、

「くらえっ!」

その腹に女のコブシが、めり込んだ。

「ぐっはあああ」

「あのう、だ、大丈夫ですか...」

作業員の男が恐る恐る訊くと、

「大丈夫じゃないわよっ! 警察に突き出してやるわ」
「いやそうじゃなくて」
「おどきっ!」
「は、はひ」

作業員は道をあけた。
女は男の襟首をふん掴み、ずるずると引きずって、去っていった。

ひゅううううううう

風が吹く。
風に、巨大な招き猫が、揺られている。
「びっぐちゃんす!」と書かれた小判を持った、招き猫が。
ふわり、ふわりと。

私は。

「ぶぶっ」

吹き出した。

「うははははははははははははは」

愉快だ。
ざまあみろ。

「わははははははははははははは」

これが呪いか。
なんだ楽しいじゃないか。

「あははははははははははははは」

周りの客が呆気に取られて私を見る。
構うもんか。
私は、愉快なんだ。

「ひゃあははははははははははは」

私は笑った。
笑って笑って。
ふんぞり返った。

「あはは、はあ、うわああああああああ」

どすん。
ふんぞり返って、椅子ごと後ろに倒れた。

「いったああ」

そして。
その勢いで。
テーブルが。
揺れて。

「ええええええええ」

がっしゃああああん

「お、お客さん!」

「ううううううううう」

テーブルの上にあったもの。
全部私に、降って来た。
シュガーポット。
お冷やのグラス。
そして。

「うええええええ」

トマトジュース。
私は、返り血を浴びたみたいに、真っ赤に染まった。
ひどい。冷たい痛い寒い。

「あいたたた」

私はずりずりと身体を起こした。
手に何かが触れた。
それは。

「血ぃ見るかもしれへんで」

あの黒い、招き猫だった。


おしまい




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