第百四十三話 性分(二十七歳 男 会社員) | ねこバナ。

第百四十三話 性分(二十七歳 男 会社員)

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「はあ...」

溜息をついたら、その息がもわりと白く煙った。
突然寒さが身にしみて、僕はぶるっと身震いをした。
いつもの会社からの帰り道。住宅街の中をとぼとぼと歩く。辺りの家々のほとんどは、電気が消えて寝静まっているようだ。無理もない。もう日付が変わってしまったんだから。
毎日僕だけこんなに遅くなってしまうのは、きっと僕の要領が悪いからなんだろう。もっとテキパキ仕事が出来ればいいといつも思うんだけど、こればっかりはしょうがない。

「はあ...」

また溜息をついてしまう。そして、ついつい下ばかり見てしまう。
最近何をやってもうまくいかない。いや、ずっと昔からうまくいったことなんてほとんどないのだ。楽しいこともないし、嬉しいこともない。
どうして僕はこうなんだろうか。どうしたら、もっと明るい人生を送れるんだろうか。

「はあ...」

三度目の溜息をついて、ふと顔を上げた。

「...あれ?」

下ばかり見て歩いていたので、何処かで角を曲がり間違えたらしい。見覚えのない風景だ。
住宅街の無機質な路地。点滅した街灯が、辺りをもやもやと照らしている。
そのむこうに、ぽつりと赤っぽい明かりが点いているのが見える。

「何だろう」

僕は吸い寄せられるように、その明かりのほうへ歩いていった。

  *   *   *   *   *

見えていた明かりは神社の提灯だった。
こんなところに神社があるなんて、知らなかった。お稲荷さんのような赤い鳥居が立っている。
そして狛犬のような像がふたつ。いやお稲荷さんならキツネじゃないのか。ようく見てみると、キツネでもイヌでもない。

猫だ。
猫の像が二匹、神社の前に立っている。こんな神社初めて見た。
奇妙なものだ。まあ、どうせ神社に来てしまったんだし、お参りでもしておこう。
財布からもぞもぞと小銭を取り出す。いくらかも確認せずに、ちゃりんと賽銭箱に投げ込む。
そしてそうっと、柏手を打つ。

「もっと、ましな人生を、送れますように...」

小さく、口に出して言ってみた。

「はあ、しみったれとるなあ」
「そうだよ僕はどうせしみったれで」
「十円くらいじゃ、どうもならんでそんなもん」
「そうだよどうせ十円くらいじゃ」

え?

誰だ?

「ほれ」

足下でやさぐれた声がする。
声のするほうを見ると。

茶トラ模様のでっかい猫が、僕の靴の上に座って、手をずいと突き出している。

「ほれ、もちっと奮発せんと」

そして喋った。

「うわあああああああ」

僕は腰を抜かして尻から転んだ。
猫はのっそり立ち上がった。しかも二本足で。

「そない驚かんでもええやんか。お参りに来たんやろ」

やっぱり、猫が、喋ってる。
嘘だろ。

「何や、鳩が豆鉄砲くろうたような顔して。何をお願いしに来たんや君は」

猫はそう言うと、僕の方にゆっくり歩いて来る。
怖いんだか可笑しいんだか判らないけど、僕はとにかく驚いて声が出ない。

「ほれ、しゃきっとしいや」

猫は白いひらひらした紙の付いた棒を、僕の鼻の穴に突っ込んだ。

「ふがっ」
「ほれほれ、何か言うてみい」

言ってみろって言ったって、これじゃ何もしゃべれない。
猫は棒をしまうと、僕をじろりと見て言った。

「あんなあ君なあ、言いたいことはちゃんと言うたほうがええで。奥ゆかしいのん今日日ウケへんさかいな。まあええわ、今日は特別、出血大サービスや! わしが占いしたるさかい」

と、何処から取り出したのか、猫は魚の骨を僕の目の前に置いた。そうして細い棒に火を点け、その骨をあぶり始めた。
ちりちりと骨の焼ける音がして、ふんわり焼き魚のようないい匂いがする。

「ふむ...」

骨全体が焦げたところで、猫はそれを持ち上げ、難しそうな顔をして見ている。僕はただ呆然と見守るしかない。
すると猫は、僕の方を向いて、片方の眉(そうこの猫には眉があるのだ)を持ち上げながら言った。

「あかんわ...」

「あ、あ、あかんて何ですか」

僕は思わず声を上げた。猫は骨を背後に隠し、腕組みをして重々しく言った。

「君なあ、自分が要領悪い、何事もうまくいかんて思てるやろ。けどな、原因は君の要領の悪さと違うで。もっと他に原因があんねや」
「えっ」
「最大の原因はな、君のその性分や」
「性分」
「せや。君な、何でもよかれと思って人の手伝いしてまうやろ。無理やと判っていても言われればそのとおりしてまうやろ。それがあかんねん」

じろりと猫に見られて、僕は身が竦む思いだった。
その通りだ。
確かに僕は、頼まれると嫌とは言えないし、上司から言われればどんな仕事でも頑張った。やらなきゃいけないと思ってるからだ。
それは。

「それは...僕が人より出来ないから...もっと頑張らなきゃと思って...」
「かあっ! ああもう、お目出度い奴やなあほんまに」

猫は目も当てられないといった表情で首を振った。

「そんな調子やったら、いつまでたっても貧乏くじ引かなあかんで。でけることとでけへんことは、きっぱり分けていかんと」
「そんなこと言われても...」
「まあ、その性分をなんとかしてくれっちゅうことなら...」

もっともらしく猫は腕組みをし直して、横目でちらりと僕を見た。

「してやらんでもないがなあ」
「えっ」

それでどうにかなるのだろうか。
僕の、不幸な人生は。

「どっ、どうにかなるんですか」
「さてなあ...。幸か不幸かは判れへんけどなあ...」
「え?」
「性分を変えることはできるっちゅうこっちゃ。けど、それが君にとって幸せかどうかは判れへん」
「...」

しかし、それでも。
今のままでいるよりは、いいんじゃないだろうか。

「おっ、お願いしますっ」
「さよか、ええのんかそれで」
「はい...たぶん」
「たぶんて何やねん」
「ははははい! きっと」
「うし...ほな」

猫は手を僕に差し出して、

「五百円」

と言った。

「はあ...」

僕はおずおずと、財布から五百円玉を取り出して、猫の手に乗せた。

「思い残すことはないのんか」
「は?」
「いや...何でもあらへん」

何なんだそれ。気になるじゃないか。
僕が口を開きかけたとき、猫は大きな声で叫んだ。

「ネッコーノー、ショォーブン、アゲタロカー」

僕はびっくりして尻餅をついた。猫はそれを見て、

「ほれ、正座や正座」

と言った。僕は言われるがままに、その場に座り直した。
猫は一本の棒を持っている。その先には、おもちゃの猫の手みたいなものが付いている。肉球はピンク色だ。
それを高く掲げたかと思うと、猫は踊りながら歌い出した。

「イイカゲ~ン、イイカゲ~ン、キミニタリヒン、イイカゲ~ン」

僕は呆気に取られて猫を見て居る。

「オシリフリフリ、イイカゲ~ン」

いったい何をしてるんだろう。

「ネコハヤッパリ、イイカゲ~ン」

延々と猫の変な歌と踊りが続く。
僕は何だか馬鹿らしくなってきた。

「はあ...」

重い溜息をついた、その時、

「ネッコーノー、ショォーブン、アゲタルワー、それっ」

猫が天高く飛び上がった。
そして、棒を大きく振りかぶった。
棒の先に付いている猫の手は。
ずんずん。
ずんすん大きくなって。
空いっぱいに広がった。

「そりゃっ」

猫は棒を、僕めがけて振り下ろした。
巨大な猫の手が。
肉球が。
僕に。

「う、うわあああああああああああああああああああああ」

  *   *   *   *   *

「おいマキシマ、ちょっと来い」

課長が僕を呼んだ。やれやれ、また説教かな。
僕はのっそり立ち上がって、課長の机の前に立った。

「何でしょうか」
「何でしょうかじゃないよ。昨日頼んだ資料はどうなってんだ」

いっけない。すっかり忘れてた。
あれ? 忘れてた?
嘘だろ。仕事のことを忘れるなんて。僕はどうかしている。
すっ、すみませ

「ああ、あれね、まだですよまだ」

僕の口から、とんでもない言葉が飛び出した。

「なに?」
「先に仕上げなきゃいけない仕事があるんで、ちょっと待ってくださいよ」

課長はぽかんとして僕を見ている。
まわりの同僚たちも。信じられないといった顔で。
ぼ、僕はいったい何を言ってるんだ。

「マキシマ君、ど、どういうことかなあ、ちゃんと説明してくれないとぉ」

課長が顔を強張らせて言った。うわあ怒ってる怒ってる。
その様子を見て、僕はなぜか、可笑しくなってしまったのだ。

「いえね、○×商事へのプレゼン資料のほうが先かなあと思って。今日の昼に使うでしょあれ」
「なんだそれもまだなのか」
「やだなあ、それを昨日の夜、急に頼んできたの課長じゃないですかぁ」
「うぐっ」

課長は返答に窮している。
なんだか気持ちいい。

「そうゆうことで、もしお急ぎなら、他の人にやってもらってくださいよ。じゃ」

と言って、僕は席に戻った。
ふと我に返る。僕はなんてことをしてるんだ。
今までだったら、はいごめんなさいすぐやります、なんて言って謝って、お昼休みもなしに働いて、結局うまくできなくて...。

そうか。
そういうことなんだ。

僕はやけに嬉しくなった。おかげで仕事はずいぶんはかどった。

  *   *   *   *   *

「おいマキシマよ」
「あ、先輩、何ですか」

定時を過ぎた頃、同じ課の先輩が声を掛けて来た。
いつも僕に面倒な仕事を押し付けてくる、嫌な人だ。

「あれどうなった、あれ」
「あれって何すか」
「とぼけんなよ。昨日の夕方言っといたあれだよ」
「ああ、あれね」
「もう出来てんだろうな」
「まさかあ。今日はそれどころじゃなかったっすから」
「何だとぉ?」

先輩は眉をつり上げて怒っている。

「お前、今日はやけにいい気になってやがるな。さっさとやれよあの仕事。明日使うんだからよ」
「嫌ですよお。あれは僕の仕事じゃないですもん」
「なにぃ」
「それに、僕は今日はもう帰るんです。自分のなら自分でやってくださいねえ先輩」
「こっこの野郎」

怒りを吹き上げる先輩を無視して、僕は時計を見た。

「ああ、もうこんな時間だ」
「ちょっとこら」
「どうも~、おっさきで~す」

僕はスキップしながら事務所をあとにした。
外はまだ明るい。
こんな時間に帰れるなんて。

楽しい。
なんて楽しいんだ。

  *   *   *   *   *

夕闇が住宅街を包んでいく。僕はその中を、鼻歌を歌いながら歩いていた。
今日は帰ったら何をしよう。今まで出来なかったことが色々出来る。
うきうきして足取りも軽やかだ。

「たーのしーい」

思わず口に出してしまった。

「御機嫌やな君」
「へ?」

声に反応して振り返ると、あの神社にいた猫が、不機嫌そうに立っていた。

「ああ、あの時の」
「あの時のじゃあれへんがな。願いが叶ったやないかい。そうゆうときはな、神さんに報告に行くもんやで」
「ああ、そうですねえ、えへへ」
「えへへて何やねん」
「まあいいじゃないですか。テキトーにやっといてくださいよ、テキトーに、ね」
「はあぁ?」

猫は目をまんまるにして僕を見ている。それもまた楽しい。

「僕はもう帰るんです。またそのうち行きますよ、そのうちね」
「ちょ、ちょっと待ちいや」
「じゃあね~」

呆然とする猫に手を振って、僕はスキップしながら家へと急いだ。
楽しくて楽しくて、身体ごと弾んでいるようだ。
僕の人生は、こんなに明るかったんだ。

そんな僕の後ろのほうで、ぼそっと呟く猫の声が聞こえた。

「あかん、効き過ぎたわ...」



おしまい




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