第二百十九話 ナターシャの世界 | ねこバナ。

第二百十九話 ナターシャの世界

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※ 第十三話 猫占い
  第四十三話 猫の目を見よ
  第百二~六話 俺の爪と牙
  第百十八話 セールスマン
  もどうぞ。


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「あづい...」

ここは、とあるショッピングセンター内にある、占いコーナー。
客がいないのをいいことに、あたしはペットボトルの水を首に押し当て、衣裳をはだけて、椅子の上でだらしなく伸びていた。
エアコンの風は、このテントみたいなブースまでは届かない。暑いのが極端に苦手なあたしには、地獄のような状態だ。
とはいえ、これも商売。ごはん食べるためには、なんとか稼がなきゃ。

「ねえナターシャ」

と、あたしは足下で長く伸びているロシアン・ブルーのナターシャにそう声を掛けた。
ナターシャったら、ちらりと目を動かしてあたしを見ただけだ。この子も夏が大の苦手らしい。

「お客来ないわねえ...ああああ、もう駄目だ」

こうなってくると、ちらちらと光を放つ蝋燭チックな照明まで暑苦しく感じる。
このままじゃ蒸し焼きになっちゃう。一度外で涼んでこよう...。
と、腰を浮かしかけたとき。

「あのう、こんにちは」

客が入ってきた。

「は、はっはい、いいいらっしゃいませ」

あたしは慌てて衣裳を直し、姿勢を正した。

「いいですか?」
「ええもちろんです、どうぞ」
「どうも...ほら、入んなさいよ」
「いいよ俺は」
「ついて来たいって言ったのキンゴさんじゃないの。ほら早く」

若い女に促されて、小太りの男がいっしょに、のそのそとブースに入ってくる。

「どうぞ、おすわりください」
「はい」
「うわ...ここ、暑いなぁ」

男が顔をしかめる。

「少しの辛抱よ。我慢してちょうだい」
「まったく占いなんて...」
「しのごの言わないの。いいじゃないこれで安心できるでしょ」
「俺は心配なんかしてないよ」

入ってくるなり、このふたりはもめだした。あたしは思わず、

「あの、自己紹介させてもらっていいですか?」

と叫んだ。

「は? あああ、どうぞどうぞ」

女がそう言ったので、あたしはいつもの自己紹介を始めた。

「あたし、占い師のナターシャといいます。日本人ですけど」
「はあ」
「恋占いからよろず揉め事、競馬や宝くじまで、なんでもお引き受けします。どうぞよろしく」
「はああ」
「で、こっちが、アシスタントのナターシャ。よいしょっと」

と、あたしは足下に伸びていたナターシャをひきずり出した。
ナターシャは思いきり不機嫌そうな顔で、客を見た。

「あらあすてきな猫ちゃん。ねえキンゴさん」
「俺は猫は嫌いだよ」
「あらそう...」

またしてもふたりは険悪ムードだ。やりづらいなあ。

「あ、あのう、どういった占いをお望みで」

と促してみた。

「あらごめんなさい」

女は少し恥ずかしそうにうつむいて、もぞもぞしながら話し始めた。

「実はあの、私達結婚するんです。秋に」
「まあ、それはおめでとうございます」
「はあ...それであの、私はけっこう験を担ぐほうなもんで、結婚後のことをいろいろ占ってもらって、心がけることとか、気を付けることとか、そういうのを聞いておきたいなと思って」
「なるほど。今まで他の占い師に診てもらったことは?」
「ありません。この人が占いを信じないもので...でも私は、今までいろいろな方に診てもらってよかったと思ってるので...」
「そうですか。それで」

あたしは男のほうをじろりと見る。男はあたしに不機嫌そうな目を向けた。

「旦那様のほうは、今まで占いとかお祓いとか、そういうものを受けたことはないんですね?」
「ないね。そんな非科学的なものに金を払うなんて、信じられない」
「もう! ここでそんなこと言わないでよ」
「いいんですよ、まあ無理もないでしょうねえ。こんな小娘に占いなんて、って仰る方多いんですよ...」

ほう、とあたしは溜息をつく。もちろん芝居だ。

「あ、あのう」
「そんなことより」

と、額から汗が垂れてきた。あたしは黒猫がプリントしてあるハンカチをおもむろに取り出し、ゆっくりと汗を拭いた。
こういう何気ない動作が大事だと、あたしの師匠は言っていたんだ。
テーブルの裏にある照明のスイッチを、少しずつ回す。だんだん室内が暗くなる。

「占いをはじめる前に、お二人にお願いがあります。特に旦那様」

声のトーンを少し落とす。
今回は、少し強面でいったほうがいいかもしれない。

「な、なんだ」

男は少しビビリ気味だ。

「あたしの占いは、猫を使います。猫という動物は人の心をよく映すのです。今回のご依頼は結婚後のことについてですよね。ご夫婦ということであれば、いわば一心同体。占いの結果をよく反映させるためには、おふたりの心がひとつでなければなりません。もしそうでなければ、猫は占うことをやめてしまうのです。厄介事に巻き込まれるのは勘弁だ、とでもいうふうに」
「な、なんだそれは」
「ですから」

ずい、と男に向かって身を乗り出してみる。男はのけぞった。

「ここはひとつ、奥様に合わせてくださいな。信じるか信じないかは、あなた次第なんですから」

あたしはそう言って、にんまりと笑った。
男は絶句したまま固まっている。

「にゃあ」

ナターシャがいいタイミングで鳴いた。さすがあたしの相棒。

「では始めましょうか」

あたしはおもむろにタロットカードを取り出し、テーブルの上にふたつの山を作った。そして、

「ここから、おふたり三枚ずつ取り出して、自分の前に置いてくださいな。左が奥様、右が旦那様です」

と促した。
ふたりは恐る恐るといったふうで、カードを引き抜いている。
あたしはそんなふたりを、じいと観察した。
手の運び、目の動き、息遣い。
皮膚の状態、髪の毛の傷み。
額の皺。
汗。

だんだんと見えてきた。
彼等の過去が。

  *   *   *   *   *

女。
小さな家で育った。
それほど裕福ではない家庭。
小学校では優等生。
口げんかでは負けなし。
中学二年で大失恋。
スポーツ万能のくせに、高校ではなぜか茶道部。
それが高じて、大学在学中に免状をとる。
現在は茶道の師範。家には犬が一匹。
大好物は盛岡冷麺。
今まで男運なし。
茶道の師匠から紹介されたんだ、この男。
付き合ってまだ...二か月か。

男。
何不自由ない暮らし。
幼稚園から大学まで苦労せずに進学。
刺激のない子供時代。
運動は苦手。
夏休みの工作の宿題はいつも親がしていた。
カスタードプリンには目がない。
動物が大嫌い。
歯学部に進んで家を継ぐ。そうか歯医者か。
新宿に行きつけのお店が。
夜の店だ。
派手な化粧の女。
「結婚しようか」
って、誰に言ってんだ。
うそ。

  *   *   *   *   *

「並べ終わりましたね」
「はい」
「では、左から順番に、一枚ずつめくってください」

男と女は、こわごわカードをめくっている。
実のところ、あたしの場合、カードの絵柄なんて関係無い。むしろそれに対する反応のほうが大事なんだ。

「...できました」

女が不安そうに言う。
男は気味の悪いカードの絵柄に、引きつっている。

「はい、では...」

あたしは、まず女のカードをひとつずつ取り、猫のナターシャの鼻先に近づけた。
ナターシャはただ、くんくんと匂いを嗅ぐだけだ。
しかし、あたしが合図を送ると、

「にゃう」

と低く鳴く。

「え?」

あたしは、わざとらしく反応してみせる。

「ど、どうしたんですかそのカード」

女は慌ててあたしを見る。
カードは、逆位置の「悪魔」だ。

「え? いえなんでも...ふうん...」
「ふうんて、ちょっと気になるじゃないですかあ」
「大丈夫、だいじょうぶ! 落ちついて待っててください」

女は余計に不安がる。無理もない。
続いて男のカードを、ナターシャに近づけて、

「うにゃあう」

「....うそ」

「な、何なんだ一体」

男は女よりも焦っている。
あたしが手にしたカードは、またも逆位置。
しかも「恋人」だ。

女は男に怪訝な目を向ける。
そう、女は占い好きだと言っていたから、このカードの意味がわかるだろう。

「ふう...わかりました...では」

大きく溜息をついて、あたしはおもむろに大きな革のノートを広げ、ロシア語で彼等の特徴を書き記した。
ふたりはあたしの挙動が理解できていないらしく、ただ呆然と見て居るだけ。
ま、もちろん、ノートに書くなんて、なんの意味も無いんだけど。
こういうわざとらしい演出も、占いのうちなんだ。

「じゃ、いくよナターシャ」

あたしはそう言って、ひとつにまとめ直したカードを、ナターシャの足下に持っていく。
ナターシャは。
ぽん、とカードの山を叩いた。

「えい!」

あたしはカードをずらっと一気に、テーブルに並べた。

「どうぞ、お好きなのをひとつずつ引いて、めくってみてください」

あたしに言われて、ふたりはかなり緊張しながらカードを引き、めくった。
そして。

「うわっ!」

男が飛び退いた。
女が息を呑んだ。

ふたりがめくったのは。
先程、ナターシャに反応「させた」あのカード。
女は逆位置の「悪魔」。
男は逆位置の「恋人」。
そしてふたつのカードには、足跡が。
ナターシャの肉球のあとが、うっすらと、紫色でスタンプされていた。

「こっ、これは」

女があたしに、驚愕の視線を向ける。
こんなの、手品の初歩なんだけれど。
そう、実はこれ、あんたのためなのよ。
あたしはそう言いたくなるのを堪えて、こう呟いた。

「出ちゃいましたか...」
「出ちゃった?」
「はい。問題のカードが、おふたりのところに、舞い戻ってしまいましたね...」
「こ、こんなもんが、こんなもんが」

男はすっかり怯えてしまっている。
あたしは俯いて、額に手を当てた。

「ううん、たいへん言い出しにくいのですが」
「ななな何ですか」
「おふたりの相性...決して、よくはないですねえ」
「そんな! いまさらそんなこと言われても」
「あの奥様」

ちらりと女を見る。

「はい」
「動物を、何か飼ってらっしゃいますか」
「は? え、ええ今は」
「今は?」
「犬を一匹飼っていて...実は、この人が動物嫌いなもんで...。結婚したら、親戚の家に引き取ってもらうことに」
「そうですか...それはおかわいそうに」
「え?」
「犬はご主人がいなくなって、さぞ寂しい思いをするでしょうねえ」

女は黙ってしまった。

「お、お前、なんでそんなことが判るんだ」

男が怒鳴る。あたしはじろりと男を睨んだ。

「判るわけじゃありません、占いですから」
「なにぃ」
「ですから、別に否定していただいてもいいんですよ旦那様」
「ぬ」
「ううんと、あれはそう、ここから南東の方角...。賑やかな界隈ですねえ」

あたしは目を閉じて、虚空に手を泳がせながら呟いた。

「ネオンサインが光って...。ああ、ビルの5階ですか」
「なっ」
「きれいな服を着た女の人...赤っぽい髪の毛に...おや、ピアスは両耳三つずつ」
「なあああ」

くわっ、と突然、あたしは目を見開く。
そして男を凝視した。

「旦那様、誰ですかこの女の人」
「しっ知るかっ」
「お店の名前もぼんやりと...マ? マシェ? ええと何だっけ」
「うわああああ黙れだまれええええ」

男は取り乱して手を振り回す。

「ちょっと、どうしたのキンゴさん」
「お、俺は信じないぞ、信じないったら信じない」
「どうぞご自由に。ただ、あなたの心がけには、いずれにせよ問題がありそうですね」
「ううううるさいっ! 俺は帰るッ」

ぜいぜいと息を吐きながら、男はブースから逃げ去ってしまった。

「あらああああ」

ちょっと薬が効き過ぎたかしらん。

「あのう...」

女が心配そうにあたしを見る。

「あ、あの、すいません。旦那様、怒っちゃったみたいで」
「いえ、いいんです」

ほう、と女は溜息をついた。

「実は、いつかこうなるんじゃないかって、そんな気がしてたんです。最近、何となくあの人の言動がおかしかったもので」
「はあ」
「私ったら駄目だなあ...。どうも男の人を見る目がなくって、いつも失敗ばかり」

ちょっと落ち込ませてしまったみたいだ。

「ご、ごめんなさい、あたしの占いでこんなことに」
「いいんです。婚約は解消します。うちのペスにも申し訳ないし」
「ペス?」
「ああ、犬の名前ですよ」
「はあ...」

案外立ち直りは早いみたいだ。
ならば、少し元気づけてあげなくちゃ。

「それじゃあ、あたしがとっておきのお守りをあげましょう」
「お、お守り?」
「ええ、必ず良縁が舞い込む、縁結びのお守りですよ」
「はあ。それは」
「これですっ」

あたしはテーブルの下から取り出したのは、猫のぬいぐるみ。
ナターシャにそっくりな、灰色のつややかな毛皮をしている。

「犬もいいけど、猫もいいわよん」
「猫」
「そう猫です! これを寝室かリビングの、いつもいる場所の近くに置いてくださいな。そして」
「そして」
「これに反応する、猫好きな男を捜すのです!」
「はあ」
「そうすれば、あなたの未来はバラ色まちがいない! ええ私が保証しますとも。ワンちゃんも猫も好きな男に、悪い人がいるわけないじゃないですか~」
「...そ...そうですね、うん、きっとそう」
「はい、ではこの猫ちゃん、なんと五千円ぽっきり! さあ買った買った」
「ご、五千円」
「そうそう。良縁を呼び込むお守りが五千円なんて、安いもんでしょ~、ねえナターシャ」
「にゃおう」
「は、ははは...」

引きつった笑いを五秒ほど浮かべて、女は良縁のお守りを見事にゲットした。
あたしも、今日の食い扶持をゲットした。
めでたしめでたし。
ねえ、ナターシャ。

「にゃおう」



おしまい




いつも読んでくだすって、ありがとうございます

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