第百十八話 セールスマン(43歳 男) | ねこバナ。

第百十八話 セールスマン(43歳 男)

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第十三話「猫占い(35歳 女 会社員)」もどうぞ。

自分に絶対向かない職業 ブログネタ:自分に絶対向かない職業 参加中
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「無理ですよ」

俺は大きな声をあげてしまった。
ここは薄暗い占いの館。ハローワークを出てふらふらしている間に、どういうわけかこの建物の前に来てしまったのだ。
そして、ほんの出来心で占ってもらったら、

「大丈夫です、あなたにはその素質があります」

ナターシャと名乗るこの占い師は、俺にセールスマンになれという。
今年の春に派遣切りで自動車工場をクビになり、その後いろいろアルバイトをやってみたが、どれもうまくいかなかった。
特に接客がダメだ。愛想笑いも気の利いた言葉も出て来ない。それで何度失敗をやらかしたことか。

「だから、俺はそういうの向いてないんですよ。そうじゃなきゃこんなに困ってませんよ」

俺は必死に説明した。しかし小さな女占い師は、

「いいえ、あなたの進むべき道は、これしかありませんっ」
「にゃーう」

占い師の横で灰色の猫が鳴く。俺を見て鼻息をふんふんいわせている。可愛いんだか気色悪いんだかよく判らない。
そもそもさほど信じているわけではないのだが、いかがわしいよりも前に、頼りなさたっぷりなのだから、信じろというほうが無理だ。
それに、たった五枚のタロットカードで、俺の運命をそんなに自信ありげに語れるもんだろうか。

「おやっ、あなた、疑ってますね」

占い師の小さな目が、眼鏡の奥できらりと光った。

「あ、いいいや、あの」

少しだけ、占い師の凄みを感じたような気がした。
しかし占い師は、ほう、と溜息をついてこう言った。

「まあ、しょうがないですよね。こんな小娘にそんなこといきなり言われても」
「...はあ」
「しかしですねえ」

いきなり占い師は、ずい、と身体を乗り出した。

「私は感じるの! あなたみたいな強力な運気は見たことがないわ。しかもこの運気は今年いっぱいまでしか通用しないのよ。ああ見える、あなたが成功して、幸せに包まれているようすが...」

そう言うと占い師は手を組み合わせ、あらぬ方向に向かってうっとりと笑みを浮かべた。
俺は呆然とするしかない。

「...あの」
「だからあ」

ばん。

占い師はテーブルの上に、一枚の名刺を叩き付けた。

「何も考えずに、まずここに行ってごらんなさいな。どうせまだお仕事見つかってないんだから、ダメでもともとでしょ? いやいや私が太鼓判を押します! あなたは理想のセールスマンになれますよ!」

その名刺には、大きな猫の足跡がプリントされていた。
いったい俺は。

「ね、猫なんですか」
「そう猫です」

女占い師は、にっこりと微笑んだ。

  *   *   *   *   *

名刺に書かれていたのは、都心にあるけっこう大きなビルの一室だ。
扉には

「オフィス・エカテリーナ」

と書いたおしゃれな表札がついている。
脇の呼び鈴を鳴らすと、若い女性が出て来た。名前を告げて占い師に渡された名刺を見せると、

「ああ、はいはい、じゃこちらへどうぞ」

と、すんなりと事務所の奥の応接室に通された。
モノトーンで統一された室内には、高そうな家具がきれいに配置されている。壁には猫を描いた絵が幾つか、厭味でない程度に整然と掛けられている。
こんなところ、俺には場違いじゃなかろか。ほんとに俺はここで働けるのか。
俺は不安でソファに腰掛けるどころではなかった。ひょっとして騙されてるんじゃなかろうか。

いや待て、あの女占い師、俺の過去を、大まかにではあるが全部言い当てたじゃないか。
生まれた町のこと、高校時代の失敗のこと、カミさんと子供に逃げられたこと...。
だから俺は、仕事のことを相談する気になったのだ。
いやしかし、それがたまたまだったとして...何かとんでもないことに巻き込まれるんじゃ...。
俺の頭の中で、色々な考えがぐるぐると回った。

「お待たせしました」

背後で声がして、びっくりして振り向くと、若い女性がふたり立っていた。
ひとりは俺を迎えてくれた人、もう一人は。

「じゃ社長、私はこれで」
「ええ、ありがとう」

社長?

「さあさあ、どうぞおかけになってください」

社長と呼ばれたその女性は、そう言って俺にソファをすすめた。
見たところ三十くらいだろうか。パンツスーツに身を包んで、いかにも仕事の出来そうな人だ。それにすごく美人だ。
俺は一瞬その姿を惚けて見ていたが、

「さあ」

と促されて、慌ててソファに腰掛けた。

「ええと、ナターシャの紹介で来はったんですね。私、社長のサツキと申します」

社長はぺこりと頭を下げた。俺も慌てて名前を名乗る。

「どうぞよろしく。ほいで、今職を探してはるということですが、以前はどちらにお勤めで?」

関西弁が少し入った話し方だ。今更かっこつけてもしょうがない。俺はありのままを話した。社長はメモもとらずに、ふんふん、と俺の話を聞いている。

「なるほど。ああそうそう、我が社の業務についてはもうご存知ですよね?」

そう言われて俺ははっとした。何をしている会社かも下調べせずに、のこのこ来てしまったのだから。

「あ、いえ、あの」
「あら、ご存知ない? まったくナターシャめ、ちゃんと説明してくれ言うたはずやのに」
「は?」
「ああこっちの話です。ええと、ほんじゃ...」

何故か怒られない。一体どうなってるんだ。

「あの、うちの会社は、猫を飼うために必要な商品や、猫をあしらった雑貨なんかを販売してるんです。国内外問わずいい商品を集めて、お客さんに喜んでほしい思うてましてん」
「はあ」
「ほいで、業務拡大も今んとこ順調ですけど、人出が足らんのです。特に猫カフェ向けにセールスマンが不足してましてん」
「猫カフェ?」
「あらご存知ない」
「...すみません」

もともと俺は猫なんかに興味はない。飼ったこともないし可愛いと思ったこともない。

「猫カフェいうのんは、猫がぎょうさんいてるカフェですわ。その中でお客さんがコーヒー飲んだり、猫と戯れて遊んだりするんです。つまり我が社としては営業先としてその業態をもっと開拓しょ思てるんです」

そんなものがあったのかこの世の中に。

「で、あなたみたいな方をセールスマンに雇えたらと思ってるんですが」
「はあ」
「あのう、ほいで、あなた、猫はお好きですか?」

何だかよく判らないけど、俺のことを必要としてくれているらしいことだけは、判った。しかし、ここまできて嘘をついてもしょうがないだろう。

「す、すみません。猫には興味が全くなくて」
「...」

社長はまつ毛をぱたぱたさせながら、俺をじっと見ている。俺は社長の目を正視できない。

「あ、あのでも、その、なんで俺、いや私がここに居るのかも実はよく判ってなくて...」

社長の片方の眉が、つう、とつり上がった。

「ご、ごごごめんなさ」

ぱん。

「はい、採用!」

「は?」

俺は拍子抜けした。

「すばらしい! そういう正直なとこがええわ。うちはおべんちゃら使う人は好かんのです。それに外見も、雰囲気も、うん、我が社が求める人材そのもの!」
「はあ」
「ということで、明日から働いてもらいます。どうぞよろしく」

社長は俺に手を差し出した。
俺は無言で、その白くて細い手を握った。
どうなってんだ。

  *   *   *   *   *

「じゃあ、行きますよー」
「は、はい」

俺は大きな段ボールを抱えて、ミチコと呼ばれる女の子のあとに続いた。
朝出社すると、俺は制服代わりの作業着と名刺を渡され、飛び込み営業のアシスタントとしてあちこち回ることになったのだ。
俺の役回りとか、回る先での注意事項とか、そんな情報はいっさい無しだ。
俺は運転手兼荷物持ちみたいな感じだろうか。そのくらいなら別になんてことはないのだが。

「ごめんくださーい」

ミチコが猫カフェと呼ばれる店の玄関から、中に向かって声をかける。ほどなくして少し強面の男性が現れた。

「はい何ですか?」
「お忙しいところすみませーん、私、オフィス・エカテリーナのミチコと申します。本日は猫カフェさんに商品のご案内を...」
「うちはいいよ、間に合ってるから」
「まあそうおっしゃらずに、見るだけでも、ねえ部長」

ミチコは僕を見てそう言った。
確かに言った。

「ぶ、ぶちょう?」

呆気にとられる俺そっちのけで、ミチコは男性にアタックする。

「我が社の営業部長が、こうして参っておりますので、ぜひぜひ、ご覧になるだけでも」

すると猫カフェの男性は、

「そう。じゃあちょっとだけ見てみようかな。でも見るだけだよ」
「はいー、もちろんけっこうです。ねえ部長」
「は、はい」

何だか訳が判らない。とにかく俺たちは、猫カフェの中に入ることが出来た。

  *   *   *   *   *

俺は大きな段ボール箱を開け、商品のサンプルを猫カフェの一角に並べ始めた。
ミチコはといえば、商品カタログを手に、マシンガンのようなセールストークをしている。
猫カフェの男性は、やたら転がされて、悪い気分ではなさそうだ。俺には絶対出来ない芸当だなあ。

「さあ、こんな感じです。どうですいいでしょう」

ミチコは並べ終わった商品を手に、いろいろ説明し始める。
俺はその場から少し離れ、ぼーっと立って眺めることしか出来ない。これで本当にいいんだろうか。
それにしても、猫カフェというところは、なんだか良さそうなところだ。床は全面カーペット敷きで、家具もかわいい。猫が嫌いな人でなければ、けっこう楽しめそうな場所だと思う。
立ちっぱなしに少し疲れて、俺はしゃがもうと腰を屈めた。
すると。

「みゃ」
「え?」

俺の足下に、ふさふさした毛の大きな猫が寄って来た。
こんなに至近距離に猫がいるのは初めてだ。しかし、俺はどうしていいか判らなくて、放っておいたままその場にしゃがんだ。

「ほら、これはこんなふうにも使えて...」
「ほお」

ミチコのセールストークは冴え渡っているようだ。流石だな。それにひきかえ俺は...。
少し悲しくなって、ふっと視線を床に落とした。

「にゅ~」
「びゃ」
「まーうん」

「のわっ!」

三匹の猫の顔が、どアップで俺の目に飛び込んできた。
何時の間にか、俺は何匹もの猫に取り囲まれていた。

ばりばりっ。

「な」

背中をよじ登ってくる猫がいる。

「まーうーん」

膝に飛び乗って、顔を舐めようとする猫がいる。

怖くなって振り払おうと思ったが、これは顧客の猫だ。手を出すわけにはいかない。

ばりばりばりっ。

背中にもう一匹乗って来た。
一体何匹いるんだここには。
俺は猫たちの為すがままに任せて、しゃがんだまま、微動だにできない。

「あら部長!」

ミチコが振り向いて大きな声を上げた。

「やだー、もうすっかりお友達になっちゃって」

猫カフェの男性も、驚いた顔で俺を、いや俺にとりつく猫たちを見る。

「ありゃー、これはすごいな。こんなに好かれる人は初めてだよ」
「あ、あは、あははは」

俺は小声で笑うしかない。
と、一匹の猫が、たまたま俺が右手に持っていた猫じゃらしで遊び始めた。

「んびゃっ」

ばしばし、とパンチで棒の先に着いたポンポンを叩く。そして前足で抱えて齧り付く。
もう一匹がそれに参入して、壮絶なバトルが始まった。

「あああ、こらこら、ダメだよそれで遊んじゃ」

猫カフェの男性が割って入ろうとする。

「いえいえいいんですよ。どうせサンプルですから、置いていきます。ねえ部長」
「へ、は、はいはい」

俺は間抜けな返事しか出来ない。
すると猫カフェの男性は、俺の手から猫じゃらしをひょいと取り上げて、しげしげと眺めた。

「ふうん、これなかなか丈夫そうだねえ」
「そうなんです。うちの子もこれで遊んでるんですけど、かなーり激しく使って一年経ちますが、まだ壊れませんよ。一本一本職人さんが手作りしてますから」

すかさずミチコのセールストークが入る。

「へええ、そう。じゃこれ試しに一本買おうかな。いくら?」
「はい、五百円です」
「なんだ安いねえ。じゃあ十本ちょうだい」
「ありがとうございます!」

ミチコは深々と頭を下げた。僕もつられて。

「みゃーう」

背中の猫の重みで、自然と頭が下がったのだった。

  *   *   *   *   *

「やった、部長!」

ミチコは、ばん、と俺の背中を叩いた。
なんと、今日回った営業先十五件、初回飛び込みにも関わらず、全ての店で品物が売れたのだ。
しかも、うち八件は、カタログまで置いてくれることになった。

「いやあ、さすがですねえ。社長が見込んだだけありますよ」
「はあ。で、でも...」

俺は未だに、何がなんだか判らない。

「いや、いきなり部長って言われて、俺びっくりしちゃって...」
「え?」

ミチコは意外な顔をした。

「だって、社長言ってましたよ。どっしり構えてくれるような管理職を募集したって。小言を言わない、低姿勢、そして猫に好かれる! 私らが望んでた人材そのものですよ部長!」
「はあ」
「これからも、よろしくお願いしますね!」

そしてまたミチコは俺の背中を勢いよく叩いて、さっさと車に乗り込んだ。

そういえば、何故か猫が寄ってくるんだよな俺って。
今まで特に気にしたこともなかったし、猫を意識したこともなかった。
こんなことが、人の役に立つなんて。

何だか不思議な気分だ。俺が望まれているなんて。

ふと空を見上げると、ビルの谷間に夕陽が落ちていく。

「にゃーうん」

遠くで、猫の鳴き声がした。

  *   *   *   *   *

「かんぱーい」

「ぷぁー、んまい!」
「いやー、ナターシャさまさまですわ」
「えへへー、うまくいったでしょ。あ、マスター、おかわり」
「それにしてもなあ、なんであの人が、猫に好かれるて判ったん?」
「うーん、これは当てずっぽうなんだけど...」
「何なに」
「なんか...猫が好きそうなものの周りで...育った人、みたいな映像が見えたもんだから」
「なんじゃそりゃ」
「ほら、またたび農家さんとかさ。あ、マスター、おかわりー」
「またたび農家? そんなもんあるの?」
「あるわよー。奈良漬けとかにするじゃない。ほかにもマタタビワインとかもあるし」
「へえ~、あの人がそういうとこで育ったと」
「たぶんね。だから身体にまたたびの香りがついてたのかもね。だってさ、ナターシャがずっと、くんくん、くんくんってしてたのよ。私ナターシャが飛びつかないように押さえるのに必死で」
「ああ猫のほうね」
「だからきっと、そういう何かがあるのよあの人」
「それにしても、人柄はええし、女の子にも手ぇ出さへんし、うちには適任やと思うわあ」
「それに、ああいうおとなしい人は、そもそも猫に好かれやすいのよね。猫が好き!って突進していくような人は、敬遠されるし」
「そうやなあ」
「まだああいう人材、いるかもよー」
「おお、その時はぜひ、たのんますよナターシャ先生」
「もちろん! あ、マスター、おかわりー」
「ナターシャ、飲みすぎやて...」


おしまい






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