第百二話 俺の爪と牙 その1(35歳 男 拝み屋) | ねこバナ。

第百二話 俺の爪と牙 その1(35歳 男 拝み屋)

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※第四十三話 猫の目を見よ(42歳 女)
もどうぞ。

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「先生、先生ってば」
「むう...」
「起きてくださいよ、先生」

ミドリの甲高い声で目が覚めた。
昨日一人で飲みながら、いつの間にか眠ってしまったらしい。
傍らには空になったウィスキーの瓶が転がっている。
頭が痛い。

「...なんだよ、もう少し寝かせろよ」
「駄目ですよ、お客が来てますよ」
「なに?」
「昨日電話があったでしょう。おっかない顔した女の人ですよ。もう応接間で待ってますからね」
「...そうだっけか」
「もう先生、お酒くさいです! シャワー浴びて、歯磨いてきてください!」
「わかったわかったよ。じゃしばらく客の話でも聞いててくれ」
「わかりました」

無精髭の生えた顎をでざりざりと音を立てて撫でながら、俺は風呂場へ向かった。

  *   *   *   *   *

俺は拝み屋だ。
自分で言うのも何だが、インチキだ。
天の声を聴いたことも、憑き物に遭ったこともない。
ただ何となくやってる。託宣も恵方も行き当たりばったりだ。
そんなことで商売になるもんかと自分でも思うが、これでけっこう食えるのだから、世の中甘すぎる。
人を弄んで生きている俺は、きっと死んだら地獄に堕ちるんだろうが、俺にとっちゃ来世なんでどうでもいいのだ。
今楽しければいい。豪勢なもの食って、美味い酒飲んで、いい女と付き合ってれば、万事めでたしだ。

俺のじいさんは、本物の拝み屋だった。
じいさんの占いや託宣は、ほぼ百発百中といってもよかった。それだけ良く中るから、かなり遠くから客が来たし、ずいぶんと金を積んでいく人も多かった。
そして、慕われるぶん、恨まれた。きっと占いや祈祷だけじゃなく、呪いなんかもやってたんだろう。火のないところに煙は立たずってやつだ。
じいさんの家だけでなく、ただのサラリーマンだった親父のところへも、時々脅しの電話がかかってきた。
じいさんは、俺が小五の夏に、ヤクザのチンピラに殺された。
自業自得だといわんばかりの親父とお袋は、じいさんの葬式を出さず、ただ火葬して、遺骨を墓につっこんだだけだった。
じいさんに可愛がってもらった俺は、両親に反発した。そのうちグレて、中学校を卒業するとすぐに家を飛び出した。
行くあてのない俺を拾ってくれたのは、イカサマ占い師の婆さんだった。
イカサマの方法をいろいろ教わった。人の表情の読み方、人をじらせたり驚かせたりする話術、経歴を誘導尋問で引き出すトリック、などなど。
五年ほどで、俺はすっかりペテンで生きていく術を身につけた。その矢先、婆さんが交通事故で亡くなった。
身寄りがない婆さんの遺骨は、今も俺の部屋の隅で埃を被っている。

  *   *   *   *   *

「先生、着替えここに置きます」

風呂場のむこうで、ミドリがそう言うのが聞こえた。
ミドリは、俺の家に二か月前に転がり込んできた。
本人の言うことを信用するなら、年は十八。身寄りのない子供たちの集まる施設から、逃げ出してきたのだそうだ。
俺は、この小娘に、ガキだった頃の俺の姿を重ねているのかもしれない。
時々生意気な口を利くし、小賢しいところもあるが、これは年相応のものだろう。何故かロシア語の読み書きが出来るが、見た目はそこいらのガキと大して変わらない。

そしてこの小娘、不思議な能力を持っている。
外見や身のこなし、服装などから、その人間がどんな生まれで、どんな人生を歩んできたか、十中八九当てることが出来るのだ。
他のことについては相当鈍いのだが、その分だけ、この能力が際だっている。そしてこの能力は、俺の商売には非常に役に立つ。
おかげでこの二か月、いい商売をさせてもらっている。勿論こんなことは本人の前では言えないが。

「ふう」

クソ熱いシャワーを浴びたら、どうやら少しばかり酒が抜けたらしい。
ミドリの用意した下着を着て、部屋へと向かう。がらりと襖を開けると、

「みゃー」
「なーう」
「んぎゃ」
「ぐるにゃ」

四匹の猫が、それぞれの声で出迎えた。

  *   *   *   *   *

占い師の婆さんが俺に遺してくれたものは、イカサマ用具や怪しい呪術の解説書、お札を作るのに使う変色した色紙の束、そして四匹の仔猫だった。
四匹とも元気に育って、今では俺の大事な仕事仲間だ。

白に薄いキジトラ模様が付いているシロは、貫禄があり、何事にも動じない。しかし、俺の指示でいろいろ身体を動かす芸を身につけている。客の顔をじっと見据えたり、いきなりジャンプしたりと、その芸は多彩だ。
赤っぽい茶トラのボーボは、昔は酷く臆病者で、いつも客が来るとすぐ逃げだし、戸棚の影に隠れて様子を窺っていた。今では少しまともになったが、俺とミドリ以外の人間が近寄ろうとすると、怖ろしい形相で激しく威嚇する。
ベルベットのような灰色の毛皮を持つロシアン・ブルーのナターシャは、人なつっこい。客であろうが借金取りであろうが、誰彼構わず擦り寄っていく。そして相手のご機嫌をとり、それが無駄だと判るとすぐに離れて行ってしまう。
烏の濡れ羽色という表現がぴったりの黒猫ゲンタは、他の猫とは絶対に仲良くしようとしない。いつも一匹だけで戸棚の上を占領している。しかし俺にだけは愛想を振りまいて、存在をアピールしてくる。ぎらりと光る眼は、暗闇で見るとなかなかに怖ろしい。

この猫たちは、客の第一印象を掴むのにもってこいの存在だ。猫に対するリアクションで、その人間がどんなふうに生きてきたか、どんな弱みを持っているかが、だいだい見えてしまう。
強面のくせに未知のものに臆病な奴、善人の皮を被ったド悪党、打算と駆け引きで世の中渡っていくキザな野郎。そんな奴らの化けの皮をひっぺがして、「ほらこれがお前だ」と見せてやるだけで、大抵の奴はビビって何でも言うことを聞く。
だから、猫達は俺にとって、なくてはならない存在なのだ。

「おう、お前ら、もうメシは貰ったのか」

一匹ずつ、頭を撫でてやる。最近はこいつらの世話をミドリに任せっきりだが、本当の主は俺だと判っているようだ。
撫でられると、猫はそれぞれ自分の気に入りの場所で、俺の指示を待った。俺は鼠色の着物を着込み、紫の羽織をはおった。
鏡を見る。ぼさぼさの髪、汚く不揃いな無精髭。今日はこのままでいくか。
片頬でにやりと笑ってみる。俺は全く性根の腐った男だと、自分に言い聞かせるように。

「先生」

襖の向こうでミドリの声がした。

「おう、入れ」

ミドリは紫色のサテン生地で作った、だぶだぶのスモッグのような服を着ている。魔女っぽく見えるように、と本人は言うが、どう見ても学芸会の劇中の脇役程度にしか見えない。

「準備出来ました」
「そうか。で、どんなふうだ」

俺はミドリが客から得た情報を、ひととおり聞いてから仕事に取りかかる。客の気分や悩みの内容によって、いろいろ準備が必要だからだ。

「それが...」

ミドリは珍しく口ごもった。

「何だ、何か厄介なことでもあるのか」
「いいえ、あの」
「いいから言ってみろ」
「はい。初めに伺ったとおり、あの方は織物工場の社長の奥さんで、最近会社の業績が不振なので、お祓いをしてくれと。そういうことなのですが」
「嘘でもついてやがるのか」
「そうじゃない...んだと思います。ただ」
「ただ何だ」

「見えないんです...私、あの女の人の過去が」

「なに? お前の唯一の取り柄がもう錆び付いたか」
「違います、違うんです!」

ミドリはやけにむきになった。

「お付きの人が、頭の薄くなったおじさんがいっしょに来てるんですけど、その人は見えるんです、普通に。だけどあの女の人は...」
「見えないのか」
「はい。何かこう...違和感を感じるんです。靄がかかっているというか...」

ミドリの奴奇妙なことを言う。いや、過去が見えるなんてことのほうが、むしろ奇妙なのだが。
しかし困ったな。

「嘘の気配も無いんだな」
「はい。辻褄の合わないことを言ってるわけではないんです。前もって調べた会社の状態とか、従業員の様子とかとも大きなずれはありません」
「んで、生い立ちは訊いてみたのか」
「訊きました。あまり多くは話してくれませんでしたが、すらすらと応えてくれましたし、嘘の入り込む余地はないように思えるんです」
「ふうむ」

俺は腕組みをした。少々やっかいな客だ。
こういうとき、俺は尻尾を出さぬよう、小細工はせずにシンプルにいくことにしている。

「よし、じゃあ、今日は猫の出番は無しだ。普通に八卦でいくぞ」
「はい」
「卓と筮竹と八卦盤だけでいい。準備が出来たら、客を奥の間に通せ。いいなナターシャ」
「はい先生」

俺はミドリをナターシャと呼んだ。
仕事の時はそうしてくれと、ミドリが言うのだ。その方が気合いが入るらしい。
訳は全く知らない。知ったところで何の意味も無い。
それにしても猫と同じ名前とは...時々ややこしくなることもあるが、まあいい。今の俺には、奴の力が必要なのだ。
俺は猫達の方を振り向いた。

「今日は、お前らの出番は無しだ。おとなしくしてろよ」

猫達は無言で俺を見つめ、そして思い思いの動作に移っていった。
俺は、部屋の隅にある婆さんの遺骨を見遣る。そして、天井に向かってふう、と息を吐く。
今日はどうも落ち着かない。しかしこの商売、ビビったら負けだ。
もう一度鏡で自分の顔を見る。ふと、右頬の真ん中にホクロを見つけた。今までこんなところにホクロなんかあったか?
じんわりと肌に滲むようなホクロだ。俺は少しだけ、背筋に寒いものを感じた。

  *   *   *   *   *

「お待たせしました、どうぞ」

ミドリ、もといナターシャが奥の間に案内してきたのは、フリルの付いた白いワンピースを着た、年配の女性だ。
社長夫人にしては少々落ち着きのない服装だ。顔はなるほど若作りだが、ここまでしなくてもよかろう。
そんな無意味なことを考えているうちに、社長夫人は、俺の向かいの座椅子に座った。そしてその後ろに、頭の禿げ上がったスーツ姿の男がひとり、ちんまりと正座した。

「初めまして、拝み屋のカンナヅキと申します」

軽く頭を下げて挨拶すると、社長夫人も頭を下げた。

「マサキ織物の社長の家内でございます」
「後ろの方は」
「社長秘書のサカグチと申します」

後ろの男は、畳に頭をこすりつけんばかりに平伏した。
俺は改めて、社長夫人の顔をじっと見た。相手も俺の方を、じっと見ている。
白い肌に、切れ長の目。鷲鼻に尖った耳。そして薄い唇。整った顔だが、怖いといえば怖いか。
目が虚ろだ...いや、焦点が合っていない...いや違う...。
何と表現してよいのか判らない。ただ、読めない。そう読めないのだ。
大抵の人間は、何かしら悩みを抱えて此処に来る。その目はそれぞれの人間の、心の状態を表す。不安、怯え、恐怖、疑い。それを見抜いて、俺は商売に活かすのだ。
なのに、この女は。
さっぱり心意が読み取れない。
社長夫人はじっと俺を見据えたままだ。俺は少々たじろいだ。

「おほん」

俺は視線を外し、咳払いで誤魔化した。そうするしかなかったのだ。

「それで、どのような御用向きか、もう一度お話願えますかな」

精一杯威厳を保ちつつ、俺は話しかけた。

「はい、我が社の周辺で不審な事件が続いておりまして、そのせいか業績が伸び悩んでおります。主人や役員達は大層困っておりまして、是非ともお力添えを願いたいと」

社長夫人はよく通る声で話した。涼やかで伸びがある。
こいつは侮れない。

「しかし、不審な事件と仰いましたね。警察にはもうご相談されたのですか」
「はい」
「事件は解決したのですかな」
「いいえ。ですからこちらに伺ったのです」
「では、事件のことを、詳しくお知らせ願えませんかな」

「いえ、それは出来ません」

きっぱりと社長夫人は言った。こいつ何者だ。

「何故です」
「我が社の名誉に関わりますから」
「名誉どころではないのでしょう? こんな拝み屋をお訪ねになるならば」
「いえ、それとこれとは別です」

一筋縄ではいかないようだな。ここはひとつ、講釈を垂れて誤魔化すか。

「あのう、申し訳ありませんが、あなた、拝み屋という商売を、些か買い被っておられるのでは」
「は?」

社長夫人の顔が、わずかに歪んだ。こうでなくてはな。

「私のような拝み屋という商売は、所謂霊能力者とは違うのですよ。障害となるもののあらゆる情報を集め、そこから導き出される解決策を、古より伝えられた呪法で探るのです。つまり情報が無ければ、私には打つ手がありません」
「そうなのですか」
「はい。もしいい加減なことを言う霊能力者とやらがご入り用なら、いくらでもご紹介いたしますが」
「それでは駄目です。あなたでなければいけないのです」
「ほほう」

不思議なことを言いやがる。何故俺なのだ。

「しかし、私には打つ手が無いと、今申し上げたではありませんか。それでも私にその事件とやらの解決をしろと」
「はい。そのように伺っております」
「伺う?」
「私の父...実父が、あなたでなければいけないと」
「あなたの...実のお父様が...ねえ」
「この件に関しては、あなたに来ていただく必要があると。そう申しておりますので」
「失礼...あなたのお父様の、お名前は」

「それは申し上げられません」

やれやれ、何なんだこいつは。これで俺にどうしろというんだ。
どうもヤバイ臭いがする。

「ははは、残念ですが、そういうことでは、この件お引き受けする訳には参りませんな。お代はいただきませんので、どうぞお引き取りを」

そう言って俺は深々と礼をし、立ち上がろうとした。その時。

「だんのうさんの、ねこが、ないてはりますぇ」

と、社長夫人が妙な言葉を発した。
滑らかな京ことばだ。
俺が吃驚して立ちすくんでいると、社長夫人は俺を見遣って、

「このことばを訳をお知りになりたければ、是非我が社へいらしてください。そこで、私の知る限りをお話ししましょう」

と言った。

「きっと来てくださいますね、あなたは」

涼やかな、伸びる声で。
僅かに口元を動かして、笑った。
そうして。

「サカグチ、帰ります」
「はい奥様」

音も立てずに立ち上がると、すいすいと廊下を歩いて、去ってしまった。こそこそと秘書が後に続く。
俺とナターシャは、呆然と二人を見送るしかなかった。

つづく






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