第二百十四話 倉庫と猫と防波堤(十八歳 男 高校生) | ねこバナ。

第二百十四話 倉庫と猫と防波堤(十八歳 男 高校生)

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※ 第九十七話 ひかる桑畑 その1(31歳 女 カメラマン)
  第九十八話 ひかる桑畑 その2(31歳 女 カメラマン)
  第百三十三話 猫花書店 稀覯本の巻
  第百四十八話 純喫茶猫
  第百六十七話 猫花書店 となりの居酒屋の巻
  第百八十話 帰り道(十七歳 男 高校生)
もどうぞ。

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学校の外へ出ると、太陽がぎらりと襲ってきた。

「うわ。あっつぃ」

そりゃそうだ。夏の受験生向け補習授業が終わる午後二時頃には、耐えられないほどの暑さが襲ってくる。
しかし、これも今日でひと段落だ。前期の補習が終わったので、明日からは少しだけ息抜きができる。

「カジよぉ、どっかでアイス食ってこうぜ」

同じクラスのタカシが言う。この暑さなら当然だ。
俺達はのろのろと歩いて、最寄りのコンビニの日陰で、アイスにかぶりついた。

「しかし、きっついなぁ」

と、アイスを頬張りながら、タカシがぼやく。

「そう言うなって。大きな街の予備校に行ってる連中なんか、もっと大変だぞきっと」
「えー、あっちはエアコンきいてるんだろう、教室ん中。こっちは炎天下だからなあ」
「まあ...。でも俺は地元がいいや。のんびりしてて」
「そういやさあ、モトミヤとかって、どうしてんだろ」
「え?」

僕はその名前に、ぴくりと反応した。
モトミヤ・サチコは、同じクラスの女子だ。
いつも成績は抜群で、こないだの期末テストでは全教科満点という怖ろしい成績を叩きだした。
人付き合いが極端に悪く、あまり喋りたがらないので、いったいどこでどんな勉強をしてるんだか、さっぱり判らないんだが。

「お前、知らないの?」

タカシがにやりとして訊く。

「し、知るわけないだろ」
「なんだ、お前ら付き合ってんのかと思ってた」
「そんなわけねぇだろ!」

俺はむきになって否定した。しかしタカシが勘ぐるのも無理はない。クラスの中で、モトミヤが話しかけてくるのは、俺だけだ。
一度、帰りに駅まで送っていったことがあった。それがきっかけになって、モトミヤはたまに俺の席まで来て、無味乾燥な会話をしていくようになった。
もともと誰にも話しかけることがない奴だったから、クラス中がタカシみたいな勘違いをしている。
しかし、言ってしまえば、それだけなのだ。向こうが俺に特別な感情を持っているとは思えない。

「きっと何処かの進学塾でも行ってんじゃねえの」

俺は少し投げやりに言った。すると。

「いや、どうもそうじゃねえみたいだぞ」

タカシが首を捻って言う。

「実はさ、俺こないだ補習休んだ時にさ、港のほうの裏通りあんじゃん。あすこに行ったんだよ。そしたら」
「そしたら?」
「なんか、薄汚い喫茶店に入ってくの見たぞ、モトミヤが」
「...へえ」
「他にも、港の近くの公園で見たとか、クラスの女子が言ってたし」
「...へええ」
「隣町の薄汚いアーケード街にいたっていう奴もいたぞ」
「...へえええ」
「なんだお前興味ないの」
「べ、別に」

俺はそっぽを向いた。いや、興味ないわけじゃないんだけど。

「あいつ、相変わらず謎が多いよなあ。やっぱり猫のオバケなんじゃねえの」
「ばっかだなあお前。まだそんなこといってんのかよ」
「だってよお」

タカシの奴、また首を捻ってアイスを頬張った。
こいつは、港近くの公園で、暗闇に消えたモトミヤの姿を見て、あいつは猫のオバケだと、俺に打ち明けたことがある。
実のところ、モトミヤが港のあたりで何をしているのか、俺はもう知っている。あいつは捨てられたペットを保護するシェルターで、ボランティアをしているのだ。その合間に、近くの喫茶店に通っているらしい。でっかな猫のいる、今時流行らなそうな、古い喫茶店だ。
でも、それ以上のことは知らない。ましてや勉強のことなんて。
そうして、俺は何故か、タカシにモトミヤのことを話してやろうという気には、ならないのだ。

「モトミヤ、どこの大学に行くのかなあ。東大かな京大かな」
「さあな」
「あれお前興味ないの」
「だから別に関係ないって」

俺はまた、むきになって否定してみたが。
ちょっとは興味あるんだ。

「お、やった当たりだ!」

タカシはアイスの棒を掲げて叫び、コンビニの中へとダッシュしていった。
俺は、あんまりぼけっとしてたので、

「あっ」

アイスが溶けて、下に落ちてしまった。

  *   *   *   *   *

「じゃあな」
「おう」

タカシと別れてから、俺は港のほうへ、ふらふらと向かった。
やっぱり、なんとなく気になったのだ。モトミヤの奴、夏休みもずっと、あすこのシェルターと喫茶店に通ってるのか。
だいたい、進学どうすんだろうか。両親いないって言ってたけど、ちゃんと暮らしてるんだろうか。
いろんなことが、頭の中で、もやもやと渦巻いた。

港の近く、ふた昔くらい前の繁華街。
日陰を探してゆらゆら歩いていると、

からからからん。

薄汚い喫茶店から、誰か出てきた。

「あ」

麦わら帽子に白いシャツ、膝丈のジーンズに水色のサンダル。

「カジ君」

モトミヤだ。呆けた顔をして、こっちを見ている。

「お、おう」

俺も間抜けな返事をした。

「どうしたのこんなとこで」
「いや、補習終わったんだよ」
「そう」
「お、お前こそこんなとこで、何してんだよ」
「別に...喫茶店で本読んでただけ」

小首をかしげて俺を見る。

「そ、そうなんだ」
「何か用?」
「い、いやいやいや、ただ通りかかっただけだよ」
「ふうん」

服装が違うと、なんだか別の人みたいだ。妙にどきどきする。

「こっ、これから、またシェルター行くのか」

と、つっかえながら訊いてみると。

「うん。まあね」

微かに口元がほころんだ。

「カジ君、寄ってく?」
「は?」
「猫、見てく?」

と、やけにうれしそうに言う。

「そう...そうだな。見ていくか」

そう言い終わらないうちに、にこっと笑ったモトミヤは、軽い足取りで、港のほうへと歩いていった。
俺は汗をふきふき、そのあとに続いた。

ぴーぽーぴーぽーぴーぽー

救急車のサイレンが、近付いて、また遠ざかった。

  *   *   *   *   *

港に面した通りに出ると、救急車のサイレンの音が止んだ。
音のしたほうを見ると、シェルターとして使われている倉庫の脇に、救急車が駐まっている。
俺の少し前を歩いていたモトミヤは、一瞬立ち止まった。
そして、全速力で駆けていった。

「お、おい、どうしたんだ!」

必死に走って追いついてみると、倉庫からおばあさんが運び出されるところだった。
以前このシェルターに寄ったとき、見たことがある。

「サッちゃん!」

ひとりのおばさんが、モトミヤに話しかけてきた。

「タカミさんどうしたんですか」

モトミヤがおばさんに訊く。おばさんは泣きそうになりながら話している。

「今朝いっしょに掃除してた時には元気だったんだけど、さっき見に来たら倒れてて...」
「落ちついて。タカミさんのおうちの人は?」
「いないのよ。息子さんは先月東京に行っちゃったし、ああどうしよう」
「じゃあ、あたしがタカミさんに付いていきます。サイタさんはシェルターをお願いします」

てきぱきとモトミヤはその場を取り仕切り、俺に向き直った。

「カジ君、ごめん。また今度でいい?」
「え? お、おう」

必死の形相で言われて、俺はただ間抜けな返事しか出来ない。
モトミヤはすぐに救急車に乗り込んだ。

「みゃーおう」

走り去る救急車に向かって、一匹の小さな白猫が、高く啼いた。

  *   *   *   *   *

翌日、俺はどうしても昨日のことが気になって、あのシェルターに出かけてみた。
熱気を含んだ潮風が吹き付けてくる中、港の公園から細い路地を通って、倉庫の戸口まで来ると。

「とにかく、タカミさんは亡くなったんですから、これ以上契約を続けるわけにはいきませんからな。この倉庫は即刻明け渡してもらいます」

中から、野太い男の声が聞こえた。

「そんな! ここにいる子たちはどうなるんですか」

ヒステリックな女の人の声が聞こえる。

「さあ、それはあなた方の問題です。私達の知ったことではありません」

押し付けるような口調で、男は話す。しばらく沈黙が流れた。

「それは、あまり得策ではないと思いますよ」

沈黙を破ったのは、モトミヤの声だ。

「なに? どういうことだね」

不機嫌そうな声で男が問い返す。

「この倉庫が私たちNPOのシェルターとして使用されていることは、周辺市町村の保健所や動物愛護団体、環境保護団体のよく知るところです。倉庫の持ち主である◎◎水産さんは動物愛護に貢献してらっしゃると、皆さんがご存知です。わざわざその評判を落とすことはないでしょう」
「ぬ」
「ここが閉鎖されれば、その理由も関係機関に報告しなければなりません。NPO代表の死亡による契約中止というのは、あまり合理的な理由とはいえません。となれば、社会貢献よりも自社の利益を追求したと、悪い噂をたてられても仕方ありませんよ」

なんと、モトミヤは理路整然と、男を説得にかかっている。俺はどきどきしながら、さらに聞き耳を立てた。

「じゃあ、いったい私達はどうすればいいんだね」
「契約を継続してくだされば、何の問題もありません。こちらには一応資金がありますから」
「しかしねえ、この契約じたい、そもそもタカミさんのご主人に義理立てして始めたものなんだよ。いくら風聞を気にするといっても、こちらはデメリットだらけた」
「そうですか」
「まあ、ここをあんた達が買い取ってくれるんなら、考えてもいいがね。は、そんな金はありゃしないだろ」

せせら笑うような男の声。俺はごくりと唾を飲み込んだ。

「いいですよ」

「は?」

「買い取りましょう。おいくらですか」

モトミヤは、とんでもないことを言った。

「い、いやしかし」
「買い取るならいいと、今たしかにおっしゃいましたよね。おいくらですか」
「ちょ、ちょっとサッちゃん! そんなこと言って」
「大丈夫です。お金ならあります」

がたたん、と音がして。
ばん! とテーブルを叩く音がした。

「この倉庫と周囲の土地、全て買い取らせていただきます。さあ、おいくらですか」
「そ、そうさねえ。まあ一億くらいには...」
「建物の減価償却分を差し引いて、八千万円。これで十分なはずです」
「えっ」
「ご不満なら、御社の看板を屋根に無料で付けますよ。更地にして売るよりも、こちらのほうがずっと儲かるでしょう。さあ、いかがです」

男は二の句が継げずにいた。
俺も、呆気に取られて、戸口で呆然と突っ立っていた。

  *   *   *   *   *

「まったく、とんでもねえ小娘だ」

ぶつぶつと文句を吐きながら、太った男が倉庫から出て来た。陰に隠れていた俺には気が付かなかったみたいだ。
そうっと倉庫の中を覗いてみると、

「サッちゃん! あんなこと言って大丈夫なの?」
「そうよ。そんなお金なんて」

ボランティアらしきおばさんたちが、モトミヤを取り囲んで口々に何か言っている。しかしモトミヤは涼しい顔をして、

「大丈夫です。あたしが、このNPOに寄付をしますから、それでこの建物と土地を買い取ればいいんです」

と言う。

「だって、そ、そんな大金」
「あるんです。どうせ使い途のないお金だから、皆さんの役に立ったほうがいいんです」

おばさんたちは、目をぱちくりさせて、モトミヤを見ている。
俺はもっと中をよく見ようとして、扉の隙間にひっかかって、

がたたたたん

大きな音を立ててしまった。

「あ、カジ君」

モトミヤが俺を見つけて、

「じゃ、明日また来ます。おつかれさまでした」

と、おばさんたちに頭を下げ、

「行こう」

俺の手を引っ張って、港へ向かって、早足で歩いた。
俺はただ、引きずられていくばかりだった。

  *   *   *   *   *

港の防波堤のはじっこまで、俺達は歩いて来た。

「あのおばあさん、亡くなったのか」
「うん」
「大変だな、これから」
「うん」

モトミヤは短く応える。
俺は防波堤に腰掛け、海を眺めた。

「話、聞いてたんだ。さっき」
「まあな」
「変だと思った?」
「何が」
「あたしのこと」
「べ、別に」
「そう...」

俺はちょっと、モトミヤのほうを正視できない。

「あたしさあ」
「うん」
「お父さんとお母さんの顔、よく憶えてないんだよね。小さい時に事故で死んじゃったから。ふたりで何か会社をやってたらしいんだけど、今はもう別の人のものになっちゃって」
「ふうん」
「だから、あたしはずっと、おばあちゃんに育てられたの。小さな島でさ。友達いなくてさ。猫たちがいつも友達だった。両親はお金をいっぱい遺してくれたから、何不自由ない生活だったけど、すごく寂しかった」
「...」
「中学生のとき、おばあちゃんが死んで、あたしは島を出たの。たったひとり、あたしを理解してくれて、あたしを可愛がってくれた」

いつのまにか、モトミヤの奴、俺の隣に座ってる。

「タカミさんは...おばあちゃんに、そっくりだったんだ」

そう言ったきり、モトミヤは喋らなくなった。
かわりに、小さな嗚咽が。
波の音のように、くりかえし押し寄せた。

そうっと横を見る。
麦わら帽子の下で、髪の毛が揺れている。
手の平に覆われた顔から、小さな嗚咽が漏れる。

俺の頭の中で、いろいろなものが渦巻いた。
こんなときはどうするんだろう。
肩でも抱いてやるんだろうか。
いやそれは漫画の見過ぎだろ。
だいいち俺達は。

ざざあああああああああああん

大きな波が押し寄せて、飛沫があたりに舞った。
俺は意を決して。
そうっと、小さな肩に、手を伸ばした。

ざざあああああああああああん

いいのかな本当に。

ざざあああああああああああん

でも何かしなきゃ。
俺は。

ざざあああああああああああん

「みゃあおう」

「うわっ!」

俺はびっくりして五センチくらい飛び跳ねた。
俺とモトミヤのあいだには。
白くて小さい猫が、いつのまにか座っていたんだ。

「シロたん、ついて来たの」

真っ赤な目をしたモトミヤが、猫をひょいと抱き上げる。

「みゃあうん」
「ここ危ないから、もう帰ろうか」
「みゃあうん」
「ふふふふ」

泣き笑いの表情が。
俺の胸の奥のほうを、どすんと突いた。

「ごめんね、付き合わせちゃって」

涙を拭きながらモトミヤは言う。

「え? い、いやあ別に」
「帰ろうか」
「おう」

そうして、俺達は、来た道を戻り始めた。
三歩ほど前を行くモトミヤに向かって、俺は気になっていたことを訊いてみた。

「モトミヤさあ」
「うん」
「卒業したら、どうすんだ、大学とか」
「あたし? うんとね...」
「やっぱ東京か」
「ううん違うの。ハーバード」

「は、ハーバード?」

俺は素っ頓狂な声を出した。
だって普通そうだろ。こんな田舎の高校から、ハーバードだって?

「うん、アメリカの」
「いや知ってるよ」
「公衆衛生学っていうの、勉強しようと思って。あそこはいい教授がいるから」
「へ、へえええ」

俺なんかには想像も出来ない。

「日本じゃ駄目なのかよ」
「うん。ちょっと外国で頑張ってみようかなって」
「そうか」
「カジ君はワ○ダ志望なんだっけ」
「ま、まあね」

モトミヤはくるりと振り向いた。
防波堤の、ちょうど真ん中あたり。
すうっと、白い手が伸びてきた。

「がんばってよね」

涼しげな笑顔が、波に照らされて、揺らめいた。

「あたしもがんばるから」
「お、おう」

俺はその、ちいさな白い手を握った。
か弱くて、冷たくて。
握り返すのが、可哀想なくらい。

「じゃあね」

そう言ってモトミヤは。
サンダルをぱたぱた響かせながら、猫を抱いて走っていった。

水色のサンダルが、防波堤のコンクリートに影をつくる。
俺の頭の中は。
波と風と足音と、あの笑顔と。

「みゃーうん」

猫の鳴き声に、揺さぶられていた。



おしまい




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