第百六十七話 猫花書店 となりの居酒屋の巻 | ねこバナ。

第百六十七話 猫花書店 となりの居酒屋の巻

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「はあ...」

僕は溜息をついて、ホームへと降り立った。
大きな荷物を背負ったお年寄りが数人、僕と一緒に汽車を降りた。
その背中に、雪まじりの風が吹き付ける。
空はぼんやりと暮れかかっている。
また来てしまった。この港街に。

先月、稀覯本を求めてこの町の怪しげな書店に来た僕は、客の依頼に見事応えることが出来た。するとその客は、その書店の主人にネットショップを開くよう提案してみろと言うのだ。必要ならば金も出すと。
こんな世の中だから、何が商売のネタになるか判らない。それに、ああいう店に掘り出し物が埋まっているのはよくあることだ。田舎ではそんなに儲からないだろうし、この提案は悪くないと思う。しかし、直接行かなければ話が全く進まないというのも困る。今時珍しく、あの店はファックスもパソコンも置いてないし、主人は携帯電話を持っていないという。十三回電話をかけてようやく繋がったと思ったら、用があるなら店まで来いと主人はのたまう。
必要経費くらい出してやるという太っ腹な客の言葉に、僕は重い腰を上げざるを得なかったのだ。

  *   *   *   *   *

「全く、なんでこんなに暗いんだ」

崩れかけたアーケード街は、夕暮れにすっぽり包まれて、まるでお化け屋敷のようだ。
ぎゃあぎゃあとカラスが不気味な声をたてて飛んでゆく。穴の開いた天井から塵がぱらぱらと落ちてくる。
シャレにならないくらい怖い。僕は首をすくめて、ゆっくり、ゆっくりと進んだ。

「...あれ?」

前回来た時と、周りの光景が少し違っているように思える。
ぎょろりと睨むような目薬の看板がない。
そこいらに転がっていた女の子の人形もない。
店の二階から、マネキンの首だけが突き出ている。
道のど真ん中に、真っ黒な招き猫が置いてある。
何なんだ一体。
恐る恐るその招き猫に近付いて、改めて辺りを見回す。ここらへんから、あの書店に続く路地があったはずだが。
あまりの暗さに、路地の入り口さえ見当たらない。
さらに奥へと進もうとしたその時。

「こんばんは」

「うわっ!」

僕は飛び上がって尻餅をついた。
情けない格好で見上げると、髪の長い、制服姿の女の子が立っていた。

「どうしました?」

無表情で僕を見つめている。切り揃えられた前髪の下で、目が虚ろに光った。

「あ、あの、いやあの」

なんでこんなホラーな状況なんだ。勘弁してくれ。

「こないだ、古本屋さんに来てた人ですよね」
「へ?」

女の子は意外なことを言った。必死に記憶の糸をたぐる。
そういえば、あの時、ふらりと書店に来て本を買っていった女の子がいたっけ。

「うん、そ、そうだけど」
「古本屋さんなら、あっちですよ」

と女の子は、アーケードの端を指差す。そこには薄汚いダルマが山と積まれていた。

「あのダルマの脇から行けます」

そう言って女の子は、すいすいとダルマの山の陰に隠れてしまった。
僕は慌ててその後に続いた。

  *   *   *   *   *

がらがらがらがら。

「こんばんは」

女の子に続いて、僕は「猫花書店」に足を踏み入れた。
店内は以前と変わっていないようだ。奥にニット帽を被った丸眼鏡の男がいる。

「おや」

丸眼鏡の男は、僕を見留めて呆けた声を出した。彼がこの店の主人だ。

「どうも」

僕はぺこりと頭を下げた。

「本当に来たのか」

主人は何やら感心したように僕を見ている。いや僕は来たくて来たわけじゃない。

「はあ」
「それで...ええと、何の話だったっけ」
「あ、ええとですね...」

僕が鞄から資料を取り出そうとした時、

「あのう」

女の子が言う。
裸電球の光に照らされたその顔は、可愛いけれど少し怖い。

「隣のお店、まだですか」

店主は懐から懐中時計を取り出して、眼鏡を持ち上げながら見た。

「ああ、もうこんな時間か。じゃ、開けるかな」

そしてのそりと立ち上がり、僕に向かって言った。

「話は隣の店でしようか。ここはもう閉めるから」

  *   *   *   *   *

「何処でも好きなとこへ座っとくれ」

と、書店の主人はカウンターを示した。
書店のすぐ隣にある居酒屋風の店は、古びてはいるが綺麗に掃除されていた。細長いカウンター席と、小上がりがふたつの小さな店だ。
分厚く黒ずんだカウンターの一番奥の席に、女の子が座った。ひとつ空けてその左側に僕が座る。
既に店の支度は調っていたとみえて、大きな鍋から湯気が上がっている。


「サッちゃん、何にするね」

主人は女の子に尋ねた。

「親子丼」
「はいよ」

主人はカウンターの中でこまごまと動く。僕はただそれを見守るしかない。
そのうち、良い香りがふんわりと立って、見事な親子丼が現れた。

「おまちどお」

主人は女の子の目の前に、親子丼と、ちいさな器に入った鰹節を置いた。

「いただきます」

女の子は、鞄から取り出したレンゲで、ぱくぱくと丼を食べ進める。時折鰹節をぱらぱらとかけながら。

「あのう、ここは、居酒屋なんですよね」

僕は主人におずおずと訊いた。

「まあそうだね」
「親子丼なんてメニューにあるんですか」
「うちはメニューがないんだよ。仕入れた材料で適当に作るのさ」
「へえ」
「あんた何が食いたいんだね」
「えっ、ぼ僕ですか」

いきなり言われてもなあ。それに僕は居酒屋に来たくて此処にいるわけじゃないんだけど。

「せっかくだからさ、何か食っていきなよ」
「はあ...」
「魚が嫌いじゃなけりゃ、刺身も切るし煮付けも作るよ。此処は港街だからね、そこそこ美味いのが入ってる」

とはいっても、僕は魚はあまり得意じゃない。どっちかというと親子丼のほうが。
なんて考えていたら。

ぱん。

「ごちそうさま」

女の子は、もう食べ終わってしまったらしい。

「五百円ね」
「はい」

五百円玉を店主に手渡すと、女の子はまた同じ椅子に座り直し、鞄から本を取り出して読み始めた。
まるで自分の家にいるような雰囲気だ。

がらがらがら

「おう、いらっしゃい」

そこへ入って来たのは。

「マスターお久しぶり」

眼鏡をかけた小さな女の子だ。
真っ赤な帽子を被って紫のコートを着ている。物凄いセンスだな。

「サッちゃん、どうも」
「こんにちは」

と、奥の女の子と僕の間に座った。どうやら二人は知り合いらしい。

「えーと、ボルシチって出来る?」
「ああ、いいよ」
「じゃあそれと...うん、塩辛に、熱燗ね」

食べ物のセンスも並じゃない。
さっさと出て来た熱燗を、その女の子は手酌で注ぎ、きゅーっと飲み干した。

「くーっ、んまい!」
「ナターシャ、どうだい最近は」
「うーん、いまいちねえ。マスター何かいいお話ない?」
「そうさねえ」

主人は僕をじろりと見て、

「このお兄さんなんかどうだい」

と言った。

「えっ」
「あらあ、そういや初めて見る顔ねえ。はじめまして、あたしナターシャ。占い師やってます」
「占い」
「そう。けっこう当たるのよー。何か悩みとかない? あたしビシッと解決してあげるからっ」
「いえ別に...」
「あらそう、ざんねーん」

そう言って、ナターシャと名乗る占い師は、また熱燗をきゅーっと飲んだ。

「あの、ご主人」
「え?」
「僕の仕事の話は...」
「まあいいじゃねえか。ほれ、何にするんだい」

そうだった。何か食べなきゃ話に乗ってくれそうもないな。

「じゃあ...」

がらがらがらがらがら

「いらっしゃい」

また客だ。
今度は、トレンチコートに中折れ帽という、まるでスパイ映画から抜け出たような出で立ちの男だ。
カウンターの一番端に腰掛けると、その男は、

「チョコレートパフェ」

と言った。確かにそう言った。

「あいよ」

主人はこともなげに注文を受けている。一体何なんだ。
忙しく主人が何かやっているうちに、堆くチョコとクリームが積まれたパフェが、目の前に聳え立った。

「おまちどお」
「どうも」

渋い声の男は、にやりとしてパフェを食い始めた。その顔といったら。
まるで小さな子供のようだ。人は見かけによらないな。

「で、何にするね」
「え? ああ」

僕はいつも注文の腰を折られる。
どうしよう。あまり考えていると、またチャンスを逸してしまう。
ここはひとつ、オーソドックスなメニューで。

「じゃあ、おでんください」
「あいよ。どれにするね」

もう考えるのも面倒臭い。

「おまかせでいいです」
「あいよ」

主人はあっというまに、おでんの皿を盛り付けて、

「おまちどお」

僕の前に突き出した。
赤いウィンナー、大根、卵、昆布、それに巾着。ふんわりと鰹節がかかっている。
なかなかのボリュームだ。巾着の中身は何だろう。

「ああ、それいいわねえ」

占い師が僕の皿を覗き込む。

「特に赤いウィンナーが」

じい、と熱い視線を、ウィンナーに送っている。僕はたまらず、

「...食べます?」

と言ってしまった。

「え? いいの? やったあ! 言ってみるもんねえ」

占い師は、ひょいとウィンナーをつまみ上げ、ひと口でぱくりと食べてしまった。

「むひー、んまい」

それがいかにも美味そうだったので、僕は酷く後悔したのだ。

がらがらがらがら

「いらっしゃい」
「こんちわ-」

また客だ。ここは繁盛してるんだな。
今度は中年男と小さな男の子だ。

「こいつにオムライスね。俺は湯豆腐」
「あいよ」
「シゲちゃん、ぼくね、かつおぶし」
「ああわかったよ。マスター、鰹節削ってやってくれ」
「ミサキちゃんは相変わらず好きだねえ」
「うん、ぼくすきなの」
「そうか、ははは」

がらがらがら

「いらっしゃ...」

また客か。

「おう」
「なんだ兄貴か」

主人は少し嫌そうな顔をした。

「なんだじゃねえだろ。チャーハン作ってくれや」
「ちょっと待ってくれ、一番最後な」
「ああ判ってるよ」

どうやら主人の兄らしいその男は、見事な毛皮のマフラーをしていた。

「おやサッちゃん、今日も来たのかい」

と、その男は奥の女の子に声をかける。

「あ、ガロもいるの」
「ああ、連れて来ちまった」

と、男はマフラーを外した。

「あ、ねこちゃんだー」

男の子が声を上げた。
そう、僕がマフラーだと思っていたのは。
毛の長い、大きな猫だった。

「ねねねねね猫!」

トレンチコートの男が、口にクリームをつけたまま驚いている。

「ああすまんね、驚かせて」
「ちょ、ちょっとあの、さささ触っていいいですか」
「いいともさ」

コートの男は、震える手で猫の背中を撫でている。

「かっかっかっカワイイ」
「そ、そうかい、ありがとよ」

「はいおまちどお」
「わーボルシチんまそう」
「はい、こっちもね」
「わーいオムライス」
「鰹節もね」
「やったー」

店内に色々な匂いが充満する。
あんなに寂しそうだった店内は。
いつのまにか。
ぎゅうぎゅう詰めだ。

がらがらがらがら

「いらっしゃい」

今度は薄汚い作業服の男だ。

「おうモッさん」
「マスター、これ、俺の奢りね」

と、男は一升瓶をカウンターに置いた。

「おおこれは」
「いい酒が手に入ったもんでね。みんなで飲もうと思って」
「ほう」
「どうしたねモッさん、景気いいじゃないか」
「へへへ、カブでひとヤマ当てたもんでね」

株? この男が?

「さあさ、今日は俺の奢りだ。みんな好きに飲み食いしておくれ」
「やったー! あたしついてるわー」
「ねえシゲちゃん、かつおぶしまた、たべてもいい?」
「うーん、いいんじゃねえか」
「あんたもどうだい」
「いやわわ私は猫ちゃん触るだけでじゅうぶんで」
「まあそう言わずにさ」
「サッちゃんは何か食べるかい」
「私お茶」

なんと賑やかな。
いや騒がし過ぎる。
僕の用事なんか入る余地がない。

「ぷはー、んまい」
「ほら兄さんも飲みな」
「えっ」

どん。
僕の目の前に、でかいコップが置かれ、

とくとくとくとくとく

酒がなみなみと注がれた。

「さあ、ぐーっとあけな、ぐーっと」

こうなったらもうヤケだ。
僕は一気に、コップの酒を飲み干した。

「ぷはー」
「おお、いいねえ」
「じゃもう一杯」
「兄貴よ、この人は俺の客だぞ」
「まあいいじゃねえか。ささもう一杯」
「にゃーう」
「ガロも何か欲しいってか」
「ああ、じゃ、ぼくのかつおぶし、あげるー」
「すまないねえ」
「マスター、あたし、やきとりー」

騒がしい。
この奇妙な人々に、奇妙な喧噪に包まれて。
僕はだんだんと、いやすっかり、ペェスに乗せられてしまった。

「うみーはーよーおぉお、うみーはぁよーぉ」

誰かが歌い出した。

「ええぞー」
「あたしもうたうー」
「ナターシャ、飲み過ぎだって」

もうすっかり酔っぱらって、僕は歌に合わせて、手拍子をした。
時間が経つのも忘れて。
大事な用件も忘れて。
騒々しさと温かさと、何やらへなちょこな空気が、僕を満たしていった。

  *   *   *   *   *

「やれやれ」

今何時だろう。
僕の隣で、占い師が突っ伏して寝ている。
男の子と中年男はもう帰ってしまったが、あとの人々は、そこらで寝てしまったようだ。
奥で本を読んでいるサッちゃんという女の子を除いて。

「それで...ええと何だっけ」

カウンターの中で、とろんとした目をした主人が僕に訊いた。
やっと辿り着いた。

「あ、あのですね」

僕は主人に、僕の顧客の提案を手短に伝えた。

「ネットショップねえ...」
「はい。手間も経費もそうはかかりませんから、考えてもいいんじゃないかと」
「ふうん」

主人は顎をなでながら考えていたが。

「やめとくわ」
「えっ」
「俺はこのペエスで商売するのが好きでね。あまりせかせか動くのは性に合わない」
「しかし」
「あんたも見たろ。俺はね、こういう商売が好きなんだ」
「...」
「馴染みの客のおかげで、俺は誰にも頭を下げず、誰にも媚びへつらうことなく生きていけるのさ。これは何よりの宝物だと、俺は思ってるよ」

酔いで充血した目を擦りながら、主人はコップの水を飲んだ。

「なあサッちゃん」
「うん」

生返事をしたサッちゃんは。
ぱん、と本を閉じて立ち上がった。

「帰ります」
「うん、気を付けてな」
「ごちそうさま」

「あっ、あの」

僕は忘れていた。お礼を言うのを。

「連れて来てくれて、どうもありがとう」

サッちゃんは、にこりと笑って、

「ガロ、またね」

と、小上がりでとぐろを巻く猫に挨拶をして、店を出ていった。

「あの子、大丈夫なんですか、こんな夜遅くまで」
「ああ、大丈夫だろ。あの子は独り暮らしのようでね。たまにこうやって晩飯食って、本読んで、しばらく時間を潰してるのさ」
「はあ」
「悪いことはしねえし、もちろん酒も飲まねえんだから、まあいいだろ」

なんとも不思議なところだ。

「すまないね、あんたには無駄足を踏ませちまったか」
「いえ、いいんです」

何となくではあるが、こんな結果になりそうな気がしていたんだ。

「もう遅いし、宿もとってないんだろあんた」
「はい、まあ」
「この二階の部屋に泊まっていきなよ。ストーブもあるし布団もある」
「すみません」
「さて、俺も店じまいするかな」

主人は大きな欠伸をして、がさごそと片付けを始めた。
もう僕の出る幕はなさそうだな。

「じゃ、二階借ります」
「ああいいよ」
「おやすみなさい」
「おやすみ」

  *   *   *   *   *

押し入れから布団を引きずり出し、僕はその中にくるまった。
冷たい布団も、酔いのせいで心地よく感じる。
僕はゆっくりと、眠りに落ちていった。

「みゃーうん」
「びゃ」

猫の鳴き声がする。

のし、のしのし。

腕が重い。
足が。

「ぐーるぐる」

誰かが腹を押している。

ざりざり、ざりざり

何かが足を舐めている。

奇妙な感覚にうなされながら、それでも僕は起き上がらずに、とても奇妙な、夢を見ていた。


おしまい




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