第五十九話 家出 その4(44歳 男 会社員)
※ 第五十五話 家出 その2(44歳 男 会社員)
※ 第五十六話 家出 その3(44歳 男 会社員)
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次の日から、私は家の掃除と畑の手入れ、そして炊事と洗濯を淡々と行う日々を送った。
その合間に、裏の山へ出かけて野苺や山葡萄を採ったり、谷の下にある廃屋まで行って、使えそうな物がないか探すこともした。
手探りで、少しずつではあったが、家は段々と居心地良く、住みやすくなっていった。
近年まで誰かしら住んでいたふしがあるものの、この家には、意外と新しい物品は少ない。包丁やまな板、手桶などは使い込まれた古そうな物ばかりだ。
ただ、箪笥の中に几帳面に仕舞われていた和服や、行李に納められた昔の軍服などから、そこそこに裕福な家だったことが窺われた。もしかしたら、この谷の集落で名主のような立場の家だったのかも知れない。
奥の戸棚から見つけたアルバムにも、白黒の古めかしい、どことなく品のある人々の写真が納められていた。カラー写真は一枚も無い。新しい家に引っ越す際に、古い物だけ置いていったのだろうか。
そんな家の記憶を辿りながら、いつしか私は、この家の本当の持ち主であるかのような錯覚に、陥っていった。
* * * * *
ある朝、朝飯を終えて外へ出ると、私は猫達がネズミを捉える場面に出くわした。
物置の陰で、コジロウがあたふたと動き回り、ネズミと格闘していたのだ。
ヌシは、低い姿勢を保ちながらも、落ち着いてその成り行きを見守っている。
ばしばしっ
コジロウがネズミに前足で攻撃を加えると、ネズミはヌシのいる方向へするすると逃げた。
ヌシはそれを見逃さず、ネズミを素早く前足で押さえ、首根っこをがぶりと噛んだ。
その一撃で、ネズミは絶命したらしい。コジロウは恐る恐るヌシに近づく。
ヌシは、ネズミをぽとりとその場に落とし、私の方へと歩いて来て、
「んにゃーんむ」
と鳴いた。褒めて欲しいのだ。
私はヌシの顎の下を撫でてやった。ぐるぐると満足そうに喉を鳴らす。
コジロウはネズミをちょいちょいと前足で弄んでいる。まだ狩りは彼には難しいようだ。
「ごふ、ごふ」
ヌシが重苦しい咳をした。
背中をさすってやろうとしたが、ヌシはゆっくりと歩いて玄関の方へ消えた。多分静かな処で休みたいのだろう。
コジロウはネズミを咥えて、ヌシの後に続いた。
猫達が去った後、物置の周りをよく見てみると、ネズミが通れる位の穴が幾つか空いている。
そういえば、物置の中をまだよく見ていなかった。私はこの日を、物置の点検に充てることに決めた。
* * * * *
ずるずるずるずる
重い物置の戸を開けると、土埃がもわりと立ち上った。
細い通路が確保されているものの、大部分の空間は、農機具、樽、桶などの道具類で埋め尽くされている。
中を詳しく調べるために、私は少しずつ、道具類を外に運び出してみた。
石臼、大きな酒の徳利、杵と臼などが姿を現す。歴史の教科書でしか見たことのない唐箕や千歯こきもある。何に使うのか判らない道具も沢山あった。タイムマシンで時間を遡るように、私はこの家の記憶を掘り出した。
あらかた道具類を出し終わると、物置の奥には、籾殻のついた状態の米が何袋か積んであった。恐らくはこれを食ってネズミが増え、そのネズミを食ってヌシが生き延びてきたのだろう。
私には精米は無理だろうが、しかし、麓の道沿いに、確かコイン精米所があった筈だ。台所の米櫃が空になったら、下まで精米に行かねばなるまい。
そう思って、袋の一つを運ぼうとした時、その脇に棒状の物が立てかけられているのに気が付いた。
これは何だろう。
手に取ってみる。ずしりと重い。
黒光りする鉄の棒に、木製の握りが付いている。
そうか、これは。
散弾銃だ。
昔映画で見たことがある。本物を見るのは初めてだ。
銃が立てかけてあった壁のすぐ横、米袋の陰に、小さな鍵付きのキャビネットがある。鍵がささったままだ。
開けてみると、中には円筒形の物体が箱に入って置いてあった。
これはもしかして。
そうだ銃に使う散弾だ。
二つ取り出し、手に乗せてみる。
何ということはない小さな物だが、これは動物を殺す道具だ。
弾をポケットにねじ込み、物置の外に出てみた。
明るいところで、銃をがちゃがちゃといじっていると、銃身の根元がぱかりと開いた。
そうか、ここから弾を込めるのだ。
ポケットの中の弾を、銃に込めてみた。
がちゃり。
銃身を元に戻す。
これでもう使えるのか。
今度イノシシでも現れたら、撃ってみようか。
子供の頃の悪戯心に似たものが、ふつふつと沸き上がってきた。
家の表に回って、谷を見下ろす。
その先に向かって、狙いを定め、
銃身を、東の山の方へと動かしていった。
狙いを定めたその先に。
「ひっ」
声がした。
突然人の姿が現れた。
驚いて銃を下ろす。
家の玄関から少し離れたところに、軽トラックが駐まっている。
運転席から降りたばかりの、年配の男性が、恐怖に顔をひきつらせてこちらを見ている。
人が。
こんなところまで。
物置の中でごそごそやっていて、車の音に全く気付かなかった。
何の用だろう。
「あ、あの」
「ひ、ひいいいいいい」
男性は小さく叫びながら軽トラックに乗り込み、藪の中に突っ込んで方向転換した後、甲高いエンジン音を轟かせて去っていった。
私は呆然と立ちすくんだ。
どうしたというのだ。何がそんなに怖ろしいのだろう。
ふと手許に目を遣る。
そうか、この銃か。
私に撃たれるとでも思ったのだろうか。まさか。
ああ。
その時初めて、私は自分の今の境遇を思い返す事が出来た。
山奥の人家に勝手に上がり込み、家財道具を勝手に使い、食糧まで勝手に喰らっている。
普通に考えて、私は立派な犯罪者だ。泥棒や強盗と似たようなもんだ。
その犯罪者が、銃を構えていたのだから、怖がるのは当然か。
そうか、私は。
急に空恐ろしくなった。
あの男性は、これから警察へ行くのだろう。
そうして、人様の家に上がり込んで銃を持ち出して自分を脅したと、私を告発するのだろう。
どうしよう。
私はどうすれば。
不安と悔恨が、一気に押し寄せた。
* * * * *
「んにゃんむ」
「にゃー」
猫の声がして、後ろを振り向いた。
二匹の猫が、寄り添いながら私に向かって歩いて来る。
ヌシが、足を引きずっている。
「んにゃ」
顔を上げて、私をじっと見たその瞬間。
ヌシは、その場に崩れ落ちた。
私は銃を放り出し、ヌシを抱えて、家の中へ駆け込んだ。
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