第二十三話 猫と暮らす日 その1(26歳 男 会社員) | ねこバナ。

第二十三話 猫と暮らす日 その1(26歳 男 会社員)

※前回連載 猫が来た日(26歳 男 会社員)(その1)(その2)(その3)(その4)



「...みゃ~、ぴきゃ~」
「んん...ん? 何だ?」

俺の顔に得体の知れない物体が乗っている。その重み目が覚めた。
鼻の穴に、ぎゅうぎゅうと何かが突っ込まれそうだ。

「いでででで、こら、おいやめろ!」

思わず俺は大きい声を出してしまった。

「うきゃっ」

突然、顔面に鋭利な物が何本も突き刺さった。
得体の知れない物体は、俺の顔面でダッシュしたのだ。まるでガンダムのカタパルト発進みたいに。

「ぐあっ」

完全に目が覚めた。あたりまえか。

「くぉら! てめえ何すんだ!!」

得体の知れない物体、その正体は仔猫のトラ。奴は、俺の声にビビって台所へ走り去ってしまった。
顔面全体が、ひりひりしている。
朝っぱらからこれでは、先が思い遣られる...。

  *   *   *   *   *

カナの奴が俺に仔猫を押し付けて、友達と旅行に行ってしまった。
俺は四日後まで、仔猫と一緒に生活しなきゃならない。
道具や餌は全部カナが用意したが、送信されてきたメールを読むと、餌やりやら掃除やら、猫の世話は結構大変だということがわかった。
そう、「たかだか四日」ということだったが、旅行に出る前日から俺はこいつを預かる羽目になったわけで、よく考えてみると実質五日だ。
遅まきながらそれに気付いたのは、今だ。全く自分の迂闊さに呆れてしまう。
とはいっても、引き受けたからには、この小さな生き物を無事にカナに引き取らせるまで、育てなければならない。
今日が休みで良かった...。いろいろ振り回されるに決まっているからな。
俺はまず、のろのろと起き上がり、トラが散らかしたトイレの砂の掃除を始めた。

掃除機をクローゼットから出すと、トラは恐る恐る近づいて、ノズルの臭いを嗅いだ。
「ほら、邪魔だから向こう行ってろ」
掃除機のスイッチを入れる。
ぶおん。
トラは飛び上がって、一目散に玄関へ逃げていった。
ちょろちょろと忙しい奴だな...。
飛び散った砂をあらかた吸い終わると、今度はトイレ内の砂の掃除だ。
オシッコを含んだ砂が固まるというのが、いまいちよく判らなかったが、驚いた。本当に濡れた部分だけ固まっている。たかが猫のためにこんな商品を開発するとは。
固まった砂とウンコを片付けて、さて、あとはメシか。
器が汚れてるな...。これは洗った方がいいだろう。餌はまたカップで計量して...と。
「ほら食え、メシだぞ」
俺は玄関でちぢこまっているトラに声をかけた。まだ少し怯えているようだ。まあいい、またほっとけば食うだろ。
俺が立ち上がると、トラはおずおずと餌皿に近づき、ぽりぽりと食い始めた。
小さな頭が、餌を囓る度に、細かく動く。
こんなに小さいのに、メシを食って、ウンコを出して、走り回ってる。
何なんだこの生き物は。不思議と、朝方の腹立たしさが薄れている。
動物を飼うってのは、こういう気持ちなのか。
俺はしばらく、トラが餌を食う様子を、じっと見つめていた。

  *   *   *   *   *

餌を食い終わると、トラは自分の入ってきた段ボールの中で、円くなって寝てしまった。
タオルが敷いてあるので、柔らかくて気持ちがいいのだろう。
さて...と。今日はこいつに付き合うんだ。家でごろごろ過ごすとするか。
どうせごろごろするんなら、せっかくだ。猫のことでも少し調べてみよう。
俺はパソコンを開いて、「猫」のサイトを巡回することにした。

驚いたのは、いわゆる「猫ブログ」の多さだ。
「人気ブログランキング」の登録数だけでも千九百を超えていて、一位の犬との差は僅かだ。俺はてっきり犬がダントツに多いものだと思い込んでいた。
猫ブログが本になった例もあるのは知っているが、これだけ猫好きが多ければ、ヒットするのも頷ける。
飼い猫の生活をそのまま画像入りで紹介するものが多いようだが、中には猫動画の特集や、地域の野良猫画像を集めたものもある。
ペットグッズの店の多さや、商品の多彩さにも驚いた。ここまで大きなマーケットが出来ているとは。
考えてみると、俺を含めて近頃の若年世代は、一人での時間を楽しむことが増えているので、結婚願望が薄い人が多いのは確かだ。それでも時には一人で暮らす寂しさを感じる人が多いようで、ペットに癒しを求めて飼うケースが増加傾向にあるそうだ。俺は今までそんなことを考えたこともなかった。
飼っている猫をブログで紹介するのはどんな気分だろうか。例えばテレビや映画で活躍する子役の親のようなものだろうか。猫にもブログにも興味のない俺にはこの程度の理解が限界だ。
また、棄てられた犬猫の保護活動を紹介したり、引き取り手を探すサイトも多い。捨てる神あれば拾う神あり、というところだろうか。
人間が勝手に野生動物を生活に引き入れ、可愛がっておきながら、用なしと見れば容赦なく捨てる。俺が動物を好んで飼わないのも、背景にこういう人間特有のエゴが見え見えだからだ。野良犬や野良猫がそこいらにいるというのに、わざわざ売買されているというのも気にくわない。
保護活動に身を投じたり、里親捜しに奔走する人達の文章を読むと、そういう身勝手な人間のエゴと、それに振り回される人達の悲痛を強く感じて、いたたまれない気持ちになる。
だから動物なんか飼うと、余計なことを考えちまうんだ。イヤだ嫌だ。

少々画面を見るのに疲れた俺は、ごろんとベッドに横になった。と、途端に腹が鳴った。
時計を見ると、もう昼に近い時間だ。俺も腹拵えしなければ。

「おい、ちょっと出かけてくるからな、おとなしくしてろよ」

段ボール箱の中で熟睡中のトラに声をかけて、俺は部屋を出た。

  *   *   *   *   *

昼飯は近所のラーメン屋で済ませた。あまり長い時間家を空けると、トラの奴にまた何か悪戯されるに決まっている。
帰り道、何の気無しにショーウィンドゥに目を遣ると、小さな犬小屋やペットを入れて運ぶショルダーバッグのようなものが陳列された店がある。こんなに近所にペットグッズの店があるとは知らなかった。当然か。今まで何の興味も無かったんだから。
ついふらふらと店内に迷い込む。犬の散歩紐、餌の皿、猫の爪とぎ、ペットフードから薬品まで...。実際に目の当たりにするとなかなかの迫力だ。
猫のおもちゃか...。鈴の入ったボール、いわゆる猫じゃらし、指人形のようなものもある。
これは...釣り竿のような形をしている。先についているのは...トンボか? 鳥か?

「何かお探しですか?」

思わずびくっとして品物を取り落としそうになった。声をかけられることを予想すらしていなかった。
「いえ、あの」
「これ、今とても人気の商品なんですよ。猫の生態を研究し尽くして開発されたんです。どんな猫でもこれならすぐ遊んでくれますよ」
「はあ...」
「あ、今ですね、当店セール中でして、スタンプカードをお作りになられるとその場でポイント還元で、今なら最大10%引なんです。それから、お好きなキャットフードの試供品を五種類までお選びいただけます」
「いやあの、別に俺は...」
「これお気に召しませんか? でしたらこっちの....」

  *   *   *   *   *

...なんで俺はこんな荷物を抱えて帰る羽目になるんだろう...。
あのペットグッズ屋で店員に捕まって、おもちゃ一つくらいなら大したこたぁないだろうと思い、値段も見ずにレジに持ち込んだら、そのおもちゃが何と三千円。
目を点にしていると、五百円ごとにくじの抽選が出来るとか言われて、呆然としながら引いたら、三つも当たりが出やがった。
仔猫用のキャットフードと、寝床に敷くようなブランケットと、何とかという水が自動的に噴き出す装置。こんなものに運を使ってしまうとは、俺はゆくゆく運のない男だ。

「ただいまあ」

家に帰ると、トラの姿が見えない。
「おーい、こら、何処行ったんだ」
段ボール箱の中にも、玄関の靴の中にも、ベッドの下にもいない。おかしいな...。
カーテンの陰はどうだろう、と窓に近寄ると、

ぽふ。

上から何かが俺の頭を押さえた。
「な、なんだ?」
トラの奴、カーテンレールの上に乗っかって、本棚の陰に隠れていたらしい。
それもこのサイズだからこそ為せる技か。俺は頭に前足を乗せているトラを抱え上げた。
「おまえなあ。これで驚かしたつもりか?」
「うきゃん」
俺は初めて、トラの顔をまじまじと見つめた。
鼻がひくひく動いている。じっと俺の顔を見ている。
なんだ可愛いじゃねえか。
「ほらよ、お前のお陰でえらい買い物しちまったぞ」
部屋の真ん中に置かれた荷物の上に、トラを降ろしてやった。トラはあちこち臭いを嗅ぐのに忙しそうだ。
俺は段ボールや袋にじゃれつくトラを引き剥がしながら、随分時間をかけて梱包をといた。
餌はカナにくれてやればいいし、ブランケットは段ボール箱の中に敷いてやればいいだろう。この何とかファウンテンという装置は...。箱に入れたままでいいか。こいつにゃまだ早すぎるみたいだしな。
さて、俺の散財のもとになった、このおもちゃ...。どうしてくれよう。
釣り竿のような棒の先から糸が伸びていて、その先に変な物体が付いている。羽根やらプラスチックの部品やらで出来ていて、鳥かトンボのような形をしている。
これに猫をじゃれつかせようってのか。こんなもんで遊ぶのか?

「トラ、おい、これで遊ぶか?」

ビニール袋の中でがさごそやっていたトラは、床に投げ出されたその不思議な物体を見ると、低く構えた。
棒を使ってその物体を少しずつ動かすと、姿勢はますます低くなる。眼の瞳孔がぐっと広がった。
尻をぷりぷりぷり...と、振って....。
ダッシュ!!

「ほうら、そうはいくか」
その瞬間、俺は釣りをするように、物体をぴょんと空中に跳ね上げた。
すると、トラは驚くべき跳躍力で、その物体までジャンプし、前足でがっしりと掴まえた。

どすん。

掴まえたまではよかったが、そのまま落下して、おしりを床にしたたかに打ち付けた。
少しびっくりしたらしいが、また物体をちらちらと動かすと、尻を振って飛びかかってくる。

「わはは、お、お前面白いな」

トラは夢中になって、おもちゃと格闘した。
俺も夢中になって、トラの疑似ハンティングに酔いしれた。


つづく





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