第二話 猫が来た日 その2(26歳 男 会社員) | ねこバナ。

第二話 猫が来た日 その2(26歳 男 会社員)

前回(その1)はこちら

そして、猫が俺の部屋にやってくることになったのだ。
カナはたった四日のために、猫の道具を全て買い揃えて持ってきた。結構な荷物だ。
「だって、砂を入れたトイレとか持って移動するの大変じゃない」
そういうものなのか。全く判らんが。
俺の部屋に入るなり、カナはトイレのセッティングやら餌の準備やらを始めた。
もともと物が少なく、色もモノトーン以外ない俺の部屋では、猫のトイレや餌の容器はけっこう目立つ。
しかもトイレの色はピンクだ。なんでよりによってこの色なんだ。
数少ない俺の住処へのこだわりが、たかだか四日の間とはいえ、あっさりと崩れてしまった。
「これでよし、と」
まるで自分の部屋を片付けたかのように、カナは手を腰に当てて言った。
そのとき、カナの携帯が大きな音をたてた。
「はい、もしもし...。ああノリコ...ええ? そうだっけ!? ごめーん! すぐ行くからさ、えと、あと三十分! 時間ずらしてもらっといてよ。じゃね、よろしく!」
慌ただしく電話を切るなり、カナは俺に向き直った。
「美容院の予約してたの忘れてた! ああ、ノリコと一緒にしておいてよかった!」
「おいこら、猫はどうするんだよ」
「だから、今連れてくるから、大急ぎで!」
そう言い残して、カナは本当に大急ぎで部屋を飛び出していった。

カナが再び、段ボール箱を抱えてやってきたのは十五分後だ。
「はいこれ」
ペットフードの広告が印字されている、そう大きくない段ボール箱を、俺は何故かおずおずと受け取った。
思ったより軽い。何の音もしないし、動く気配もない。
「この中に...いるのか?」
「そう。たぶん寝てると思うの。この箱はそのままトラの寝床に使ってね」
言葉のトーンが下がった。急にしんみりしたなこいつ。
カナは箱の中に向かって、小さく呟いた。
「じゃあね、トラ、いい子にしててね」
「おい、猫見ないのか?」
「うん、つらくなるから」
大げさな...。たかだか四日だろうが。
と思ったら、本当に涙目だ。
何かを吹っ切るように、カナは顔を上げた。
「じゃあ、行くね。トラをよろしく」
「ああ、わかったよ」
小走りで駆けていったカナは、階段の手前で振り向いて、小さく叫ぶように言った。
「ありがとね!」

やれやれ...。


   *   *   *   *   *

そして、この毛玉が今此処にあるわけだ。
茶色のトラ模様だが、腹と両前足だけが白い。グリーンの眼で時折こちらをじっと見ている。
しかし小さいな。体重は一キロもないだろう。
本当に、こんな小さい生き物を俺が世話できるのか? 初っぱなからかなり不安だ。
毛玉=トラは、床の匂いを嗅ぎながらうろうろしている。こういう時、飼い主はどうしてるんだろうか。放っておいても構わないのだろうか。
と考えていると、トラはトイレを発見したらしい。トイレのへりをよじ登るようにして中に入り、鼻先から砂に潜り込みそうな勢いで匂いを嗅いでいたが、やがて、

ずばばばばばばばっ

と、砂を思い切り掻き出し始めた。
「こら! 何してんだ! 部屋が汚れるだろ!」
すると、トラはトイレのへりに手をかけ、やおら俺の方に顔を向けたかと思うと、細かく身体をふるわせ始めた。
「お...おい、大丈夫か、びっくりしたか?」
少し眉間にしわを寄せて踏ん張った、ように見えた。

ぽとり。

「ウンコかよ...」
脅かすなよまったく。
俺は一気に脱力した。
トラは、自分のウンコの臭いを確かめるように嗅ぐと、

「ぴきゃっ」

と鳴いて、あらぬ方向に猛ダッシュした。
なんだ臭いのか? おかしな奴だな。
しかし床が砂だらけだ。毎回トイレのたびにこんなに散らかされるのか。
俺はのろのろと掃除機を取りにクローゼットへと向かおうとした。が、すぐに動くのをやめた。
カナがトイレを置いたのは、俺が大枚はたいて買った、某有名デザイナー設計の革張りの椅子の横だ。
その椅子の肘掛けに、いつの間にか戻ってきたトラが、しっかりとしがみついている。というより、よじ登ろうとしているのだ。
こいつは腕力がないらしく、次第にずるずると落ちてくる。しかし、しっかりと立てた爪が、肘掛けの革に食い込んでいる。
ばりばりばり。

「うわあああぁあっ!」

俺は無我夢中でトラを椅子から引き剥がした。しかし後の祭りだ。肘掛け部分の革には、トラの爪痕が何カ所も、白っぽい筋となって残っていた。
手のひらでこすってみたが、そんなことで見えなくなるような傷ではない。
「お、おまえなぁっ! これ高かったんだぞ! どうしてくれんだ!」
と振り向くと、トラが見えなくなっている。
どこに隠れた?
きょろきょろと辺りを見回したが、姿が見えない。
すると、南向きの窓に掛けられたカーテンの、ちょうど真ん中あたりがもぞもぞと動いている。
その動きは、だんだんと上へ登っていくようだ。
まさか。
俺は急いでカーテンを掴んでたぐった。すると、もぞもぞ動いていたあたりに、トラがしっかりと爪を立てて、しがみついていた。
「ちょっ、こら! 降りろ!」
手を伸ばすと、トラは必死に上へ登っていく。カーテンレールに頭が届いたところで、御用だ。
またしても無理に引き剥がそうとする。しかし今度は、爪が完全にカーテンの生地に食い込んでいるらしく、なかなかとれない。
「離せっ!!」
頭に来た俺は、思い切りトラを引っ張った。
ぶちん、という音がした。トラを引き剥がすことには成功したが、完全遮光のカーテンには、小さな穴が幾つも空いてしまった。
トラをベッドにほうり投げ、カーテンの穴を確認する。下から上まで、見事に爪の穴が列をなしていた。
洒落になんねえ。
こんな被害が出る生き物だなんて聞いてねえぞ!
カナに突っ返しちゃる!
俺は携帯を取り上げて、カナに電話をかけようとした。
その瞬間。
ベッドからいつの間にか俺の足許に来ていたトラが、足のアキレス腱のあたりにしがみつき、がっぷりと噛みついたのだ。

「いってえっ!!!」
怒りも手伝って、俺は足にしがみついたままのトラを平手で殴った。
トラはすっ飛んでフローリングの床を滑り、壁にごつん!とぶつかった。
はっと我に返った。そんなに簡単にすっ飛ぶなんて。
トラは壁にぶつかった時の態勢のまま動こうとしない。
さっと血の気が引いた。まさか。
恐る恐る触ろうと手を伸ばしたその時。
奴は眼をぱちくりさせて、のそのそ歩きだした。
「はああああああ」
脅かすんじゃねえよ。
ほっとして自分の足を見てみると、小さな歯形にうっすらと血が滲んでいた。
改めて怒りがこみ上げてきた。
ようし、返すぞ、突っ返してやる。
こんな、家具を傷だらけにした上に、世話する人間に怪我を負わせるようなとんでもない生き物を、家に置いておけるかってんだ。
俺は携帯でカナに電話をかけた。すると、

「お客様のおかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、かかりません」

何なんだ! 
いい加減にしやがれ!

その後三十分にわたってリダイヤルを繰り返したが、カナが電話に出ることはなかった。
全くもってムカツク話だ。
この小さい、凶悪な、毛玉のような生き物と、さっさと縁を切ることだけを、その時は考えていた。



つづく



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