御手洗~お歯黒事件に迫る編  

 御手洗~島のお寺の大銀杏編

 の、

 つづきですみきゃん


 11月に御手洗(みたらい)を、訪れて、

 まず、弁天社→天満宮(天満神社)・・と、

 まわった際に、


 この人がむっちゃ気になるので、

 あとで取り上げます的なことを、

 申していたのですが・・

 



 覚えてないですよねくま


 安心してください、リンク貼ってますよYO!*


 その時の記事リンク→o御手洗~まずは弁天社→天満宮編

 


 今回は、こういう人を取り上げます、

 という内容であって、

 私が、御手洗から世界一周自転車旅をする、

 という話ではないです。(笑)


 サイクリストの人には、

 誤解しないで聞いて頂きたいのですが、


 歩き OR 自転車 で、

 日本でも世界でも一周せいよYO、と、

 選択を迫られたら、

 歩きを、選びますくま


 それ位、自転車旅は過酷だと、

 私は、思っているのですサーカス 


 どっちか過酷でショー を、

 始めるワケではないので、

 この話はこれくらいにして・・


 ふぅん、この御手洗から、

 そんなことを成し遂げた人がいたんだ・・

 くらいに思ってましたが・・


 次の訪問地。。


 

 ご存知(?*) 若胡子屋(わかえびすや)遊郭跡 

 で、


 中村春吉の碑について 展示

 思いがけず、再会することとなったのです。

 

 勿論、何故、ここに??*・・ と、

 思ったのですが、


 島の人が、

 島出身の人の功績を見て欲しくて、

 島で人の目につくところに貼り出していることに、

 何の問題があるだろうか。

 ないっすナイス


 さて、あらためまして、

 中村春吉さんです春


 


 1871年に、この御手洗で生まれ、

 (石碑には1872年となってますが・・)

 31歳の時に、自転車で世界一周無銭旅行に、

 出発している人です。


 何かですね、「無銭で」というのが、

 当時、凄かったそうです。


 先述しました通り、私個人的には、

 自転車で世界一周・・の方が、

 凄い&大変だと思いますが・・


 あ、と、31歳・・


 世界一周型の旅人にしては、

 現代換算にしても、

 遅いデビューだと感じます。

 (現代換算にする意味はないけど)


 が、それは、旅に出る前に・・



 22歳の時 ハワイに移住

 ハワイに移住・・アロハ 聞いただけで、

 うらやましい、

 何、優雅なこと、してるんだ、と、

 思いそうになりますが、


 明治時代にハワイへ移住・・
 

 移民、ということなんでしょうか?*

 あえて「移住」としているところに、

 何か理由か拘りがあるんでしょうか。


 どちらにせよ、ハワイに渡って、

 4年で帰国している模様です。


 その一年後、下関で、

 いまで言うところの、

 英語塾(塾生500名くま)を開いたそうですが、

 外国人教師と生徒の対立が起こり、

 閉鎖したそうです。


 その後、海外貿易をしようと思い立ち、

 それならば、世界一周して、

 海外事情を知ろうと思い・・


 1902年(明治35年) 

 31歳の時 出発。


 そんなワケなので、

 島で生まれ育った冒険心旺盛な好青年が、

 自転車で世界一周しちゃうことにしたもんね!*

 みたいなのとは、

 違う話なのですね。


 31歳では遅いとか言って、すみません。



 しかし、中村春吉・・


 名前で想像していたのと、

 写真で見るのとでは・・


 


 こんな旅人、ふつうにいるやん。。


 と、思ったのが、

 私の率直な感想でした。


 もっと、古い時代なかんじの人かと、

 思ったんですよね。

 

 ふつうに、現代にも通じる風貌だったので、

 とっても意外でした。


 ●●夫妻の夫の方 とか、

 

 お手洗いと書いて、

 御手洗というところからきた、

 自転車で旅行中の中村君 とか、


 そんな風に、

 旅人ブログで紹介されてたり、

 何なら、世界の何処かで会いそうな気もします。


 旅人として、親近感が持てる、という意味です^^

 

 これはちょっと 時代を感じさせる一枚


 他にもう2枚、貴重な写真があったのですが、

 硝子に障子の写り込みが激しくて、

 まったく撮れませんでした。


 が、まぁ、何か楽しそうに写ってましたよ。(多分)


 

 人生年表に、戻ります。


 


 

 インドでは、食糧を失って、

 餓死寸前のところを、

 襲ってきたクロヒョウを撲殺し、

 その肉で、飢えをしのいだ・・ 

 が、

 本人の証言以外に証拠はないだそう。


 やっぱり、旅人の大敵は、

 いつの時代もインドにあり・・

 なんですね。

 (そんな話だったか?*


 ん~ まぁ、

 話盛ってる部分もあるかもだけど、

 近い出来事があったとして、

 この時代に証拠を残しておける人は、

 いないと思うんですよね。。アハハ*


 

 世界一周後は、定住せず、

 たとえば満州なんかを転々としていて、

 これについては、

 軍事探偵だった、という説があるそうで。


 はは、それ、本当だったら、面白いね。


 でも、海外貿易をする話は?*


 で、(年表的には突然) 大正時代、

 「霊道法」という精神的医術の普及に、

 努め始め、 

 あの関東大震災で、

 「霊道法」で、被災者の治療に当たり、

 これは、ボランティアの先駆け、

 でもあったそうです。


 ・・海外貿易の道には、

 結局、進まなかったんですね。。ヨット


 この年表からだと、
 ちょっと行間が長くて、

 その行間を埋めるものが・・


 想像が及ばなかったり、

 追いつかなかったですけど、


 現代、サイクリングの人が、

 多く訪れるこの島に、

 100年前、自転車で、

 こんな偉業を成した人がいた、

 というのは、

 何とも面白いなぁ・・と、思います。

 ました。


 つづくつづく


 リンク→r御手洗~遊郭ランキングがあったんだ編



 ☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


 12月最初の日曜日、

 再訪しまして、

 追記がございます。。


 旧柴屋 という、

 常盤町通りにある、

 資料館の様な町屋にて、


 中村春吉の軍事探偵説について 展示

 思いがけず、再々会しました。

 

 勿論、おやっ、ここにも??*・・ と、

 思ったのですが、(笑)


 先に、旧柴屋宅に入ってたら、

 印象もまた、違ってたのかな。


 資料の内容は、

 若胡屋(先出の方)のと、

 重複している部分が多かったですが、

 小さな違い迄、全部、

 ここに掲載してしまっては、

 訪れて見る時の楽しみが減るので、

 止めておきます。(笑)


 まぁ、旧柴屋宅と、若胡屋で、

 中村俊輔・・じゃない、

 (このミス、実は2回目(笑))

 中村春吉さんの資料は、

 ご覧になれますので!*


 あ、中村春吉は、

 はるきち と、お読みします春