『フローラの不思議な本』(十一)
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[photo by aussiegall] |
第十一章 そうは言っても
「おはずかしい話しなのですが、ぼっちゃん……。
わたし……、
死んでしまったあとも、
あの本のことが、わすれられなくてですねえ……。
もちぬしがかわるたびに、こうして、
おじゃまさせていただいているというわけなのです……」
ゆうれいのおじいさんは、そう言うと、あやしいものではございません、悪さをするつもりはございませんといった感じの、やさしい笑顔を見せました。
けれどもたかしは、ぼんやりとした目をおじいさんにむけるだけです。
どうやら夢でも見ていると、そう思っているようでした。
たかしはまだ、ぼーっとしていたのです。
「いけませんねえ、ぼっちゃん……。
死相がでていらっしゃる……。
きっと寝るまもおしんで、あの本を読みつづけているのでしょう……。
いえいえ、わかります、わかります。
わたしも、
かつては、あの本を開いていたのですから……」
そう言うと、ゆうれいのおじいさんは、はあと、ため息をつきました。
うっすらと、むこうがわが、すけて見えるおじいさんの顔は、ざんねんだ……、ああ、ざんねんだ……、とでも言っているかのように、くしゃくしゃになっていました。
「ぼっちゃん?
ぼっちゃんは、フローラのことが、たいへん、お好きなようですね。
わたしも、そうでした。
フローラが好きで、あの本が好きで、
それで、つい、つい、夜ふかしが、すぎましてね……。
あれは本当に、とつぜんのことでした。
ポックリとはよく言ったものです。
ぼっちゃん?
人生なんて、終わってみれば、はかないものですねえ……」
また、ため息です。
けれども、なにも人生ばかりが、はかないわけではありません。
出会いもまた、はかないものと言えそうです。
診察の順番がきたようでした。
たかしはお母さんに、ゆりおこされたのです。
夢とも現実ともつかない世界からひきもどされ、ちょうど寝ぼけたときのように、たかしは、よく見えない目をこすりながら、あたりをぐるっと見わたしてみました。
おじいさんは消えていました。
「たかちゃん、どうしたの?
知ってる子でもいたの?」
もちろんいません。
たかしのおともだちに、こんな大きな病院にかよったり、入院したりしなくてはならないような子はいないのです。
たかしは首をふりました。
それにしてもたかしは、ゆうれいのおじいさんが最後に言っていたような気のする、つぎの言葉が、気になってしかたがありませんでした。
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[photo by Wim Vandenbussche] |
ぼっちゃん……、
午前〇時……、
午前〇時に、また、会いましょう……
いったい、どこで会うというのでしょう。
それがどこであれ、真夜中にゆうれいと会うというのは、あまり気持ちのよい話しではありません。
ましてや、たかしは、ゆうれいをこわがっていたはずです。
でも、今のたかしにとって、あのおじいさんのような、ゆうれいなら、さほどこわくはありませんでした。
出会ったのは夢の中かもしれないにせよ、あのおじいさんとなら、また会ってもいいと、そう感じてさえいたようです。
とにかく今は、その夢にまではいりこんでくるクロたちのほうが、もっとずっと何倍もおそろしいのです。
それに、おじいさんの話しが本当で、何百年もあの本をおいかけているというなら、ひょっとするとフローラや、クロたちのひみつを知っているかもしれません。
たかしはそのことに思いあたると、ますますあのおじいさんに会いたくなってきました。
幼稚園のゲームでも、させられているかのような、そんな、お医者さんの診察をうけながら、たかしは、おじいさんと会ったのが、夢でなければいいのに、と考えていました。
その日、家にもどったたかしは、たおれこむようにして、服をきたまま、ふとんもかけずに、まっ昼まからベッドの上でグーグー、グーグー、寝息をたてて寝てしまいました。
診察のあと、お医者さんが、こう言っていたのです。
「お母さん、
どうしてこうなるまで、ほうっておいたんです。
どうして学校へなんか行かせていたんです。
ダメです。
むりさせて学校へ行かせるなんてとんでもない」
学校へ行かなくてもいい。
その言葉が、たかしをひとまず、あんしんさせたようでした。
そしてたかしは、夢さえ見ない深い、ねむりについたのです。
まっ暗な、ほらあなの中に、とつぜんまよいこんでしまったかのような、深い、深い、ねむりでした。
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[photo by Kavya Bhat] |
たかしが目をさましたのは、もうまもなく真夜中という午後十一時五十五分。
午前〇時の五分前でした。
だれがかけてくれたのか、たかしのおなかの上には大きなタオルと小さなタオルが、それぞれ一枚ずつ、のせてありました。
カーテンのすきまからもれる月明かりが、すーっと部屋の中にまで、さしこんでいました。
物音ひとつ聞こえません。
しずかでした。
しずかな夜でした。
たかしの目は、さえていました。
ついさっきまで寝ていたとは思えないほど、頭もさえていました。
たかしはベッドからおりると、机の前にすわって明かりをつけました。
例の本の横には、たかしの大好きなクリームパンが置いてあります。
ジュースもありました。
たかしはバリッと、ふくろをあけて、パンをほおばりました。
ジュースも、ひと口飲みこみます。
そしてまた、パンをほおばり、さらにひと口ジュースを飲み、ゴクリ、ゴクリと、もうひと口。
約束のときが、おとずれたようでした。
ぼっちゃん……、ぼっちゃん……、
こんばんは……
例のおじいさんの今にも消えそうな声です。
たかしは、すぐにふりむきました。
おじいさんはいません。
ゆらゆらと、ゆれるはずのないカーテンが、ゆれているだけでした。
部屋の窓は、しまっているのです。
風でゆれているはずはありません。
そのままたかしは、目をこらして部屋の中を、つぶさに、くまなく、見まわしてみました。
だれもいないようでした。
たかしは机にむきなおりました。
「こんばんは、ぼっちゃん」
いやもう、びっくりです。
びっくりなんてもんじゃありません。
おじいさんが目の前に、そうです、たかしの目の前の机の上に、こしかけていたのです。
心臓も息も、とまってしまったかと思ったくらい、おどろいたたかしは、その場にピタッと、こおりついたように、かたまってしまいました。
ところが、おじいさんは、そうしたたかしには、いっさい、かまうことなく、さっそく手をのばして本に、さわろうとしているではありませんか。
「いとおしや……、
いとおしや……、
また、お会いできましたね……、
また……」
おじいさんはそう言いながら、なんども、なんども、手をのばしていました。
けれども、いかんせん、ゆうれいとあっては、なにかにさわろうと思っても、かんたんには、さわれないようです。
手は、スーッと本の中にはいっていくだけでした。
おじいさんが、たかしのほうを見ました。
にっこり笑っていました。
どうもイヤな予感がします。
いやもう、まちがいありません。
ぼっちゃん、ちょっと、しつれいさせていただきますよ、とかなんとか言って、おじいさんが、たかしに、せまってくるではありませんか。
そしてなんと、そのままスーッと、たかしの中に、はいってしまったのです。
寒くて、寒くて、こごえそうでした。
ブルル、ブルルと、ふるえそうだったのですが、それは、あくまでも、ふるえそうだというだけで、体はまったく、ふるえていませんでした。
また、心臓がギューッと、にぎりつぶされるかと思うくらい痛かったのですが、痛む自分の胸を手でおさえることさえできませんでした。
ところがです。
そうであるにもかかわらず、たかしの手は、まちがいなく、おじいさんによってあやつられ、じわりじわりと本にむかって、のびていくのです。
とても自分のものとは思えませんでした。
やがて本にふれた手が、本をさすりはじめます。
さすって、さすって、さすって、このままでは、きっと、ほおずりだって、させられかねないぞと、たかしが思いはじめた、まさにそのとき、手は、おじいさんは、本を開こうとしたのです。
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[photo by aussiegall] |
(ダメェーーーツ‼)
思わず、たかしは、さけんでいました。
心の中で、めいっぱいに、力をこめて。
なぜさけぼうとしたのかは、たかしにも、わかりませんでした。
でも、このさけびが、たかしの中からおじいさんをおいだしたようです。
たかしがさけぶと、おじいさんは、まるでだれかにつまみだされたかのように、ポーンと、たかしの中からとびだしてきたのです。
「これはこれは、しつれいいたしました……。
ぼっちゃん、
つい、つい、なのです……。
おはずかしい……。
本当に、おはずかしいかぎりです……。
ところで、あの……、
わるいとは思いましたが、
ぼっちゃんの心の中を、
だまって見させていただきました……。
どうでしょうか?
ぼっちゃんは、わたしになにか聞きたいことが……。
おお、やはり……。
そうでしょう、そうでしょう、心はうそをつきません……。
ぼっちゃん?
わたしの知っていることは、なんでも、お話しいたしましょう。
ですから、その……、
どうかそのあとで、
フローラに……。
ひと目、
ひと目だけで、かまいませんので、
どうか会えるよう、
とりはからっていただけないでしょうか……」
ねがってもないことです。
そしてたかしは、何百年にもわたってあの本とフローラをおいかけているという、ゆうれいのおじいさんから、いくつかのひみつを聞きだしたのです。
すべては夢のようでした。
たかしは、よく朝、ふとんの中で目をさましていました。
あのあと、いつまた寝たのかも、たかしには、わかりませんでした。
ただ、夢ではないようです。
たかしは、おじいさんから聞いたことを、はっきりと、おぼえていました。
おじいさんによると、本は知らないうちに、たかしのもとへと、あらわれたように、やがて知らないうちに、また、たかしのもとから消えてしまい、どこのだれとも知れない、べつのだれかのもとへと行ってしまうというのです。
「そして、ぼっちゃん?
ぼっちゃんは、フローラのことも、あの本のことも、なにもかも、
きれいさっぱりと、わすれてしまうのですよ……」
そんなことは信じられません。
今まで、ずっといっしょだったのです。
フローラがいなくなるなんて。
フローラの笑顔が見られなくなるなんて。
声がもう聞けなくなるなんて。
そして、そのすべてをわすれてしまって、思い出さえのこらないなんて……
ただ、やがてくるその日が、いつなのかということについては、おじいさんにも、わからないようでした。
たまたまとも言えるし、もちぬしの気持ちがはなれたとも言える。
そうは言っても、フローラの気まぐれかもしれないしと、たかしの知りたい、かんじんなことを、おじいさんは知らないのです。
それは、クロたちについても、おなじでした。
おじいさんによると、フローラとクロたちとの関係は、光とかげのようなもので、本が紙とインクでできているように、切っても切りはなすことのできないものなのだそうです。
けれども、おじいさんが知っているのは、それだけでした。
かれらが何者で、どうするとあらわれ、どうすると消えるのかといった、これまた、たかしの本当に知りたいことを、おじいさんは知らないのです。
「でも、ぼっちゃん?
ただ、ひとつ。
ただ、ひとつだけ、たしかなことがあります……。
本を開きすぎてはいけません……。
本を開きすぎると、
やつらは、つけあがりはじめ、
しだいに手におえなくなります……。
ぼっちゃん、
気をつけてくださいね……。
ぼっちゃんは自分をおさえることができますか?
本を開きたいという、
のどのかわきにもにた、心の中の、うずきを、
がまんすることができますか?
なにごとも、ほどほどが、かんじんなのです……。
ぼっちゃん?
開きすぎてはいけませんよ……」
たかしのような、こどもにとって、こうした、がまんほど、むずかしいものはないのかもしれません。
ふとんをはらってベッドからぬけだすと、たかしは、おじいさんの注意など、まるで聞きもしなかったかのように、すぐにまた、本を開いていました。
そう言えばと思いだしていたのは、おじいさんとの約束をわすれていたということだけでした。
どうやら、たかしには見えないだけで、おじいさんは、まだ部屋の中にいたようです。
本を開いてあらわれたフローラは、めいっぱい、それこそ、どなりちらすだけ、どなりちらして、あっというまに消えてしまったのです。
「このクソジジイ!
いいかげんにしやがれ!
いつまであたしにつきまとえば気がすむんだよ!
はやいとこ成仏して、あの世のむこうがわへでも行っちまいなっ!」
本が世界じゅうをさまよっているのは、あんがい、おじいさんのせいだったりするかもしれないなと、たかしは思いはじめていました。
このあとたかしは、しばらく学校を休むことになります。
病院でお医者さんに言われたということが、一番の理由でした。
ですが、もうおわかりのように、たかしは、お休みしているあいだも、あいもかわらず、毎日、毎日、本を開いては、フローラと、おしゃべりしていました。
なにしろフローラは、およそ千年ものあいだ、この世界のいたるところをめぐりつづけているのです。
あちらから、こちらへ。
こちらの人から、あちらの人へ。
はじまりもなく、終わりもなく、それはまさに、えんえんと、永遠に。
話しはつきません。
たかしはそうしたフローラに、ますますひきこまれていったのです。
でも、そうかと言って、たかしのようすが、さらにいっそう、わるくなったわけではありませんでした。
学校へ行かなくてもよくて、クロたちとも会わずにすんで、大好きなフローラと、いつもいつもいっしょで、そして、たっぷり、ぐっすりと、たかしは寝ていました。
あれほどなやまされていた夢も、いつしか見なくなっていたのです。
たかしのぐあいは、むしろ日に日によくなり、顔色もよくなっていたのです。
それは本当に、たのしい日々でした。
ただただ、たのしくて、たのしくて。
たかしは好きなことを好きなだけしていても、だれにもなにも言われないのです。
そもそも昼は、家の中には、だれもいません。
そこは、たかしとフローラだけの世界でした。
ふたりだけの楽園だったのです。
ただ、そのいっぽうで、おじいさんの言っていたことは本当でした。
クロたちは、たかしの前にあらわれなかっただけだったのです。
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[photo by pyntofmyld] |
☆☆☆*:.。.ほかにもお話しはたくさんあります.。.:*☆☆☆