『フローラの不思議な本』(十二) | なかのたいとうの『童話的私生活』

『フローラの不思議な本』(十二)


 

第十二章 だれもとめられない
 

そして今日からまた学校という、その日の朝。

天気はよかったのですが、たかしの気持ちは晴れませんでした。


ずいぶんと長いあいだ学校を休んでしまったような気がして、みんなとまた顔をあわせるのが、どことなく、気はずかしいような、気がひけるような、気がすすまないような。

なんだか、そんな気がしてならなかったのです。

それに、いったいみんなが、どんな目で自分を見るのだろうかと考えただけで、もう、気をもんでしまって、気が気でなくて、気が重たくて。

とにかく、今日という日が今日でなくて、きのうだったらよかったのにと思わずにはいられないくらい、たかしは学校へは行きたくなかったのです。


けれども、どうやらたかしのそうした気持ちを見すかした人が、すくなくともひとりはいたようです。

時間がきたようでした。

たかしの家のベルがピンポンと鳴りました。


「たかしー、先生が、おまえのこと、つれてこいってさ」


つよしくんでした。

きよみさんも、ゆうじくんもいます。

つよしくんをのぞいたほかのふたりは、きちんと、おはようと、たかしにあいさつしてくれました。


それにしても現金なものです。

たかしは、いったい、なにを、どれほど、なやんでいたというのでしょうか。

あれほど、やきもきしていたにもかかわらず、「元気にしてた?」と聞く、きよみさんに、たかしは大きく大きく、うなずくと、すぐに家を出て、かぎをしめ、みんなといっしょになって学校へとむかっていたのです。


道すがら、たかしは三人とも足もとがドロだらけで、おまけに、おでこや髪の毛にまで、かわいたドロがたくさんこびりついていることに気づきました。

つよしくんが頭をかくと、バラバラ、ボロボロと、かわいたドロがおちていました。


「やだ、つよしくん、きたない。

 学校についたら、すぐに頭、あらいなさいよ」


そう言った、きよみさんの目の下にも、なみだのかたちをした大きなドロのあとがついていました。

不思議そうな顔をして、たかしがきよみさんのことを見ていると、


「そんなに見ないで……。

 どうしよう、

 あたし、へんなところにドロついてる?」


「ハハハハ、

 きよみ、

 あいつに鼻でも赤くぬってもらえよ。

 そしたらピエロだ」

 

 

あいつ?

たかしは、つよしくんの言った、あいつのことが気にかかりました。

その気持ちが、つうじたようです。

ゆうじくんが、たかしに説明してくれました。


「あっ、

 あいつっていうのはね、

 となりのクラスに転校してきた転校生のアカゾウのこと。

 へんな名前だよね、

 ニンジャみたいでさ。

 でもね、

 ほんとは……」


そう、三つ子なのです。

たかしが休んでいるあいだにクロゾウ、アオゾウ、アカゾウという三人の転校生が、となりのクラスにやってきたというのです。

男の子だそうです。

顔色がとてもわるいそうです。

いつもいつも黒い服をきているそうです。

とんでもない、いたずらこぞうだそうです。

しかも、そのいたずらときたら……


「見てくれよ、たかし、おれのケツ」


そう言って、つよしくんは道のまんまん中でいきなりズボンをさげると、たかしに自分のおしりを、これとばかりに見せつけました。

きよみさんは、まっ赤になって半分おこって半分はずかしがっているようでしたが、たかしはといえば、ただただ、もう、青くなるばかりです。

つよしくんのおしりには、すこしうすくなってはいましたが、それでも、はっきりと、青のインクで例の三角がらくがきされていたのです。

つよしくんはズボンをあげました。


「このインク、

 なかなか、おちなくてよ、

 まいったなんてもんじゃねえんだよ。

 だから、たかし、

 おまえも気をつけろよ。

 やつらのいたずらのうでまえは、魔法使いなみだぞ」


「でもね、問題は、いたずらだけじゃないのよ」


 つづけたのは、きよみさんでした。


「サンゾウ……。

 あたしたち、あの三人組のことを、ひとまとめにしてサンゾウって呼んでるの。

 それでね、そのサンゾウが、クラス対抗戦のチームにはいってからというもの、

 あたしたち、となりのクラスに、いちども勝ててないのよ。

 野球にサッカー、ドッジボールにバスケットボール、

 バレーだってラグビーだって、みんなみんな、ためしたけど、ぜんぜんダメ。

 歯がたたないの。

 すごすぎるのよ、あの三人は……」


きよみさんは、くやしそうでした。

そして、そういったわけで、今朝は、つぎにおこなわれるサッカーの試合にそなえて、みんなであつまって練習をしていたというのです。

ゆうじくんが大きなあくびをしていました。


「ふあああ……、

 ねむい、ねむい。

 早起きすると、さすがにねむいよね。

 ぼくもう、

 だめかもしれない。

 歩きながら寝ちゃいそうだよ」


いえいえ、たかしときたらもう、歩きながら気をうしなって、たおれてしまいそうでした。

これは現実なのでしょうか。

例の三人組が知らないうちに本からぬけだして、たかしのいないあいだに、たかしの現実の生活に、はいりこんでいたのです。

とても現実とは思えません。

悪い夢でも見ているようでした。



ぼっちゃん……、開きすぎては……、いけませんよ……


 

 

たかしが予想していたよりも、はやく、そのときは、おとずれました。

休み時間になると、すぐにクロたちがやってきたのです。

クロたちはニヤニヤ笑うだけで、ひとこともしゃべりませんでした。

たかしは、ぐるっと、かこまれてしまいました。

うむを言わさず、そのまま教室から、つれだされてしまいます。

そして、この学校には、こんなところがあったのかと、思わず感心してしまいそうになるくらい、すみっこの、小さな小さな小部屋の中に、おしこまれてしまったのです。


「ぼっちゃん?

 お元気そうで、なによりです」


口を開いたクロは、そう言って、ヒヒヒと笑いました。

クロの顔は、たかしが一ミリでも動けば鼻と鼻がくっついてしまいそうなくらい、すぐちかくにありました。

それだけではありません。

アカとアオも顔がちかすぎるのです。

たかしはもう、目さえ動かせずに、クロたちのつぎの言葉を待つしかありませんでした。


「ヒヒヒ。

 ぼっちゃん?

 お呼びしたのは、ほかでもありません。

 じつは、ぼっちゃんに、ちょっとした、たのみごとがあって、お呼びしたのです。

 どうです? ぼっちゃん?

 あの、つよしとかいう、ぼっちゃんのクラスのおともだち。

 あいつのパンツの中に、これをいれてもらえると、

 たすかるのですがねえ」


クロはそう言うと、たかしの目の前にインクのはいった小さな小びんをもってきて、チャプチャプと軽く二回ふりました。

びんの中身は、たかしの見まちがいでなければインクではありません。

すくなくとも、ふつうのインクではないのです。

なぜって、見えるのです。

たかしの目には、数えようもないほどの、たくさんの小さな小さな無数の黒い虫が、びんの中で、あばれているのが。


「ぼっちゃんは目ざとい。

 さすがは、ぼっちゃんです。

 こいつをいれられてみなさい。

 かゆいのなんのって。

 おまけに、とうぶんのあいだ、まっ黒なあかがとまりませんよ。

 ヒヒヒ、

 あらっても、あらってもです。

 アカとアオも、それぞれべつなものを用意しています。

 きよみと、ゆうじ。

 さあ、ぼっちゃんの、おともだちに、

 どうかつかってやってください。

 ぼっちゃん?

 もちろん、よろしいですよね?」

 

 

言葉もありません。

なんということでしょう。

クロたちは、たかしに自分たちのいたずらの片棒をかつがせる気なのです。

しかも、さけんでも、だれもきそうにないようなところで、こう、かこまれていては、いくらイヤだと思っていても、とてもイヤとは言えない雰囲気なのです。

ですが、そこはクロたちです。

口にするまでもありませんでした。


「まあ、いいでしょう。

 今日のところは、ごあいさつということにしておきましょう。

 なにせ時間なら、

 たっぷりと、あるんですから」


ヒヒヒと、クロがまた笑いました。

アカとアオも、いっしょになって笑っていました。

ああ、もうだめだ。

もうだめ。

フローラ。

そうだ、フローラ。

この前のときとおなじように、フローラが、たすけにきてくれたらいいのに。


「さあ、どうでしょうね、ぼっちゃん。

 姫は今、お休みになっておられます。

 ぼっちゃんが呼んでも、

 もう出てこないんじゃないでしょうかねえ」



ハハハハハハハハハハハハハ……



クロたちが、たかしのもとからはなれ、部屋を出ていきました。

のこされたたかしは天をあおぎ、金魚のように口をパクパクさせて空気をすいあつめていました。

それはまるで、水の中にずっと顔をつけさせられていた人のようでした。


 

 

教室にもどったたかしは、すぐにクラスのみんなに、かこまれてしまいました。

だいじょうぶだったか?

心配したわよ?

なにされた?

あのやろう!

しかえししてやれ!

戦争だ!

ナニバカナコトイッテンノヨ!

ウルセエ!

などなど、みな口々にさまざまなことを言って、たかしのまわりにあつまってきたのです。

ほとんど口をきいたことのないような子もいました。

気のはやいつよしくんは、どこからもってきたのか、うすよごれた黄色いヘルメットをかぶってバットを手にもち、いさんでいました。


「いいか! たかし!

 おまえが、やられたと言えば、

 おれたちが、かわりに行って、あいつらを、

 こいつでブッたたいてやる!

 そうだよな、みんな!

 さあ、たかし、どうなんだ?

 えっ? なに? 心配するなって。

 あのやろうども、こんなもんでブッたたいたって、どうってことないさ。

 そうだよな、みんな!」


たかしは、おそろしくなってきました。

いくらクロたちが人間ではないとしても、バットでたたかれて平気なわけがありません。

そうかといって、今は、たかしが本当は、なにもされていないのだと、言えるような雰囲気ではないのです。

みな、いきりたっていました。

興奮して、血ばしった目で、たかしを見ていました。

それでもたかしは首をふらなくてはなりません。

なにもなかった、なんでもないんだ、だいじょうぶなんだと。

でも、だめでした。


「なあ、たかし。

 むりすんなって。

 あいつらのことは、おれたちのほうが、よーく知ってんだって。

 おどされたんだろ?

 そうだよな?

 まったく、きたねえ、やろうだ!

 こういう日が、いつかくるんじゃねえかと思って、武器をしこたまためといて、

 ほんと、よかったぜ。

 なあ、みんな! やってやろうぜ!」


つよしくんの肩ごしには、つよしくんとおなじようなヘルメットをかぶって、バットやラケットやモップを手にもったクラスメイトの姿が見えていました。

いつのまに?

たかしは、さらに、はげしく、はげしく、首をふりました。

なんでもない、だいじょうぶだ、だいじょうぶなんだと。

でも、もう、そのくらいのことでは、だれもわかってくれそうにありませんでした。

おねがい、おねがい! おねがいだから!

たかしは祈りをこめて心の中でさけびつづけていました。

するとドアが、教室のドアがバンと、あいたのです。


「はい、みなさん、席について。

 授業がはじまります」


先生でした。

すぐに始業のベルが鳴りはじめました。

みんな、ばらばらと、ちるようにして自分の席へともどっていきます。

どうやら、ひとまずこの場はおさまったようでした。

たかしは、つめたいあせを手でぬぐいながら、ふうと息をはいていました。


 

 

この日、たかしは、できるだけめだたないようにして一日をすごし、学校が終わると、だれよりもはやく、こそこそと逃げだすようにして、はしって家にもどっていきました。


ぐずぐずしていると、自分のせいで、とんでもないことになりかねません。

けれども、よくよく考えてみれば、騒動のもととなったクロたちが、現実の世界に、もれだしてしまったのは、けっきょくはそれも、たかしの、つまりは自分のせいなのです。


しのび足で、さっと、まるで泥棒のように、ドアのかげに、とけこむようにして家の中にはいったたかしは、すぐに部屋にもどって本を開きました。

今のところクロたちと会わずにすむ方法は、これしかないのです。


ところが本を開いたたかしは、思わず目をうたがってしまいました。

どういうこと?

たかしは、それこそ、風がまきたつくらいの、もうれつないきおいで、ページをめくっていきました。

どうして?

ああ、もう、だめです。

おしまいです。

どのページも、どのページも、本は、はじめからなにも書かれていなかったかのように、すべてまっ白だったのです。

フローラは消えてしまったのです。


たかしは、あたりをくまなく見まわしてみました。

たのみのつなの、ゆうれいのおじいさんはいません。

すくなくとも、今のたかしには見えていませんでした。

これは本が消える前ぶれなのでしょうか。

いくら思いだそうとしてみても、おじいさんがそういったことについて、なにか言っていたかどうかまでは、思いだせませんでした。


いったい、どうすればいいというのでしょう。

このまま、もう二度とフローラとは、会えなくなってしまうのでしょうか。

たかしは最後に会ったときのフローラの顔を思いだそうとしていました。

でも、だめなのです。

あまりにも、しょっちゅうフローラと会っていたせいか、いざ顔を思いうかべようと思ってみても、フローラの顔をはっきりとは思いだせないのです。


たかしは、かなしくなってきました。

たかしの目に、なみだがあふれてきました。

泣くもんか。

そう思ってみても、だめでした。

もうだれも、とめてくれる人はいないのです。

声を押しころして、くちびるをかみしめ、泣くもんか、泣くもんか、泣くもんか。

そう思いつづけるたかしの目からは、とうとう、ぽとりと、なみだが……。


なみだは、なみだをさそうものです。

つきることのない、たかしのなみだが、ほおをつたって、ぽとり、ぽとり、ぽとりと、まっ白な本の上に、おちていきました。

 

 






 

 


 
☆☆☆*:.。.ほかにもお話しはたくさんあります.。.:*☆☆☆