『フローラの不思議な本』(十三) | なかのたいとうの『童話的私生活』

『フローラの不思議な本』(十三)


 

第十三章 さようならフローラ
 

あくる日、たかしは机の上で本に顔をふせたまま、目をさましました。

いつからそうやって寝ていたのか、たかしには、けんとうもつきませんでした。

肩の上には大きなタオルが一枚かかっていました。

あたりはまだうす暗く、しずかでした。

時刻はまだ日がのぼる前のようでした。


(すべて夢であればいいのに……)


たかしが、いくらそう思おうとしてみたところで、それは、とうてい、かなわぬ夢でした。

たかしの目にうつる本のページは、きのうとかわらず、白いままでした。

たかしのなみだをすって、いくらか、ふやけているだけでした。

なにも書かれていない本のページを、たかしは、じっと見つめつづけていました。

やがて日が、のぼりはじめます。

部屋の中にも日がさしはじめ、朝がはじまっていきました。

たかしの心の中は、からっぽでした。

ため息さえ、もうでませんでした。


けれども、たかしのお母さんが朝ごはんを知らせにきたとき、あらためて自分には、立ちむかわなければならない現実があるということに気づかされました。

フローラは消えてしまいました。

でも本はのこっているのです。

おそらく学校ではクロたちが、たかしのことを待ちかまえているにちがいありません。

もう、どうしようもありませんでした。

にげることは、ゆるされませんでした。

たとえそれが、どのような問題であったとしても、この問題は、この問題だけは、たかしがなんとかしなければならない問題だったのです。


こうなっては、いっこくもはやく、本が消えてくれることをねがうばかりでした。

消えて消えて消えてと、祈って消えてくれるような本ではありません。


(火をつけて燃やしちゃおうか……。

 そんな、野蛮な!

 ゴミとして、すてちゃうとか?

 でもどうやって?

 重たくて、ひとりじゃ動かせないのに……)


そうやって、たかしが、なやんでいるあいだに、たかしのお母さんは仕事に出てしまいました。

家の中には、もう、たかしひとり。


(しかたない……)


たかしは引きだしをあけると、中からペンをとりだしました。

目の前には、まっさらな本のページ。

まずはじめに、たかしは今日の日づけを書きこみました。

そしてつぎに『さようならフローラ』と題をしるし、さらに日記を書きすすめていきました。

 

 

 

大好きだったフローラへ、かけがえのない、本当のおともだちだったフローラへ、こういうかたちでおわかれすることになってしまって、本当に、ざんねんです。

でも、おわかれというものは、いつもフローラが話してくれていたように、こうして、とつぜんおとずれるものなのかもしれませんね。

わかっていました。

ですから、だいじょうぶです。

ぼくは、だいじょうぶ。

心配は、いりません。


それよりフローラ?

この先、フローラには、あたらしい土地での、あたらしい生活が待っていますね。

あたらしいおともだちにも出会って——そうそう、また、こどもだといいですね——笑って、おこって、ときどき泣いて、そして、かなしんで。

そういった、たのしい生活が待っているんでしょうね。

それって、とてもすてきなことです。

でもフローラ?

もしかしたら——フローラのことですから、ないとは思いますが——どこかに不安があるんじゃないですか?

心配しなくて、だいじょうぶですよ。

フローラなら、きっとうまくやっていけます。

あたらしい生活にとびこんでしまえば、不安なんて、あっというまに消えてなくなってしまいます。

だから、だいじょうぶ。

心配しないで。


それとあと、ぼくはフローラに、あやまらなければならないことがあります。

おわかれすることになった今、こうして胸に手をあてていると、わかるのです。

ぼくは、フローラのことを、ともだちと言いました。

でも、ぼくは本当にフローラに、ともだちらしいことをしていたでしょうか?

今になって思えば、ずいぶんひどいあつかいをしていたのではないかと思えてなりません。

本当なら口でつたえられれば一番いいのですが、今となっては、どうしようもありませんね。

ですから、ここで……、

ごめんなさい、フローラ。


ねえ、フローラ?

フローラは、ぼくのことをずっと、ずっと、おぼえていてくれるんだよね?

そして、ぼくにしてくれたのとおなじように、たくさんの人に、ぼくのことを、お話ししてくれるんだよね?

たのしみだなあ。

みんなどんな顔をして、ぼくのお話しを聞いてくれるんだろう。

ぼくが物語の主人公だなんて、信じられないや……。


でも、フローラ?

ざんねんですけど、どうやらぼくはフローラのことをわすれてしまうようです。

そう思いたくありませんが、あのおじいさんの言っていたことは、たぶん本当です。

この事実がまげられないものなら、フローラ?

どうでしょうか?

夢で会えませんか?

夢なら、目がさめるとわすれてしまうわけですから、わすれてしまうという事実にかわりはないはずです。

会いたいなあ。

夢で会えたらなあ。

でも、おわかれですね。

ざんねんです。

さようなら、フローラ。

さようなら。

今まで、本当に、ありがとう。
 

 



たかしはペンを置きました。

そろそろ学校へ行かなくてはならない時間でした。

部屋を出るとき、たかしは本を開いたままにしておきました。

いつフローラが出てきても、すぐにたかしの最後の言葉が読めるように……
 


学校では、すべてがきのうとおなじようにすすんでいきました。

休み時間になると、すぐにクロたちが教室にあらわれたのです。

きのうとおなじように、ひとこともしゃべらずに、ニヤニヤ、ニヤニヤ、ただ笑って。


もし、このまま、またクロたちにかこまれて、あの小部屋におしこまれて、そして教室にもどってみたとしても、すべてがおなじようにすすむのでしょうか。

つよしくんは、わざと大きな音をたてて席から立ちあがると、パシン、パシンと、こぶしを手のひらにうちつけていました。

男の子も女の子もみな、目をはなすことなく、息をのんでクロたちのことを見つめていました。

それまでつづいていた、たのしいおしゃべりは、ピタッと、やんでしまい、もうヒソヒソ声さえ聞こえなくなりました。


たかしは自分から立ちあがりました。

覚悟はできていたのです。

いずれやらなくてはならないことを、あしたではなく、今日やって、いけないということはないはずです。

たかしはクロたちに外へ出ろと目で合図をして、ひと足さきに廊下に出ました。


「ヒヒヒ、ぼっちゃん、ごきげんよう。

 どうです?

 姫と会えましたか?」


廊下で待つたかしに、クロが言いよってきました。

たかしは、それには答えません。

意をけっした人の見せる力強い目で、クロのことを、ただじっと見つめるだけでした。


「おやおや、ぼっちゃん、どうしたんです?

 きのうはウサギみたいにブルブルふるえていたと思いますが、

 今日はまるでオオカミみたいに勇敢じゃありませんか」


そう言うと、クロは「アオーン」とひと声、オオカミの声まねをして、ヒヒヒ、ハハハと腹をかかえて笑いはじめました。

アカやアオも、いっしょになって笑っていました。

ちょうど、このとき、教室の入口でようすをうかがっていた、つよしくんが、今にも、とびだしてきそうだったのですが、たかしはサッと手をだして、それをおしとどめました。


クロたちが笑うのをやめました。

笑いのなくなったクロたちの顔は、まるで何百年、何千年と生きてきた魔法使いのように灰色で、しわくちゃでした。


「ずいぶんと、いさましいじゃねえか、えっ?

 こぞう」


クロでした。

すっかり話しかたがかわってしまいましたが、それは、まちがいなくクロでした。

いつかたかしがドアごしに、ぬすみ聞きした話しかたとおなじでした。


「なあ、こぞう、

 なんであの本がまっ白になっちまったか知ってるか?

 ヒヒヒ、オメエのせいさ。

 いや、オレたちにしてみれば、

 まさに、ボッチャンノオカゲデスってなもんよ。

 オメエがたっぷり本を開いてくれたおかげで、

 オレたちゃ、あの本から、ぬけだせたんだからなあ。

 ヒヒヒ、ヒヒヒ、ヒヒヒヒヒ。

 なあ、

 オメエも気づいているとおり、オレたちゃインクの精さ。

 あーあ、字の書かれていない本なんて、もう本じゃねえよな。

 いいか、おい。

 だから、あのフローラとか名のってるバカなヤロウは、出てこねえんだよ。

 死んだもとうぜん。

 もう二度と出ちゃこねえぞ」



ハハハハハハハハハハハハハ……



クロたちの笑いはとまりませんでした。

廊下どころか学校じゅうにひびきわたりそうなクロたちの笑い声の中で、たかしは、くちびるを強くかみしめていました。

 

 

アカが言います。


「ハハハ、ヒヒヒ、おまえのせいだ」


アオが言います。


「ヒヒヒ、ハハハ、オレさまは自由だ」


クロが言います。


「あのヤロウは死んだ」


そして、また、笑い声が……
 


たかしは、くじけそうでした。

なにひとつ自分ではきめられない、どうしよう、どうしようとばかり心の中で考えている、もとのたかしに、またもどってしまいそうでした。

やめろ、やめろ、やめろ!

心の中でそう思っているだけでは、だめでした。

言葉が声となってあらわれてくれないと、だめだったのです。



…………たかし…………、…………ねえ…………たかし…………



え? たかしは顔をあげました。

クロたちは、まだ笑っていました。

ですが、たかしには、たしかに自分を呼ぶ小さな小さな声が聞こえたような気がしたのです。

たかしは、あたりを見まわしてみました。

それらしい人はいません。

でも、ほら、たしかに、たかしと、自分を呼ぶ声が聞こえるのです。

それはフローラの声かもしれません。

でも、そう思いたいだけなのかもしれません。

たかしは胸に手をあて、目をつぶってみました。

ちがいます。

それは心の中の声ではありません。

どこ? だれ?

たかしは右に左に目をはしらせて、自分を呼ぶ、どこかのだれかを必死になってさがしました。


「どうした、こぞう?

 くるったか?」


クロはそう言うと、あきもせずに、また笑いはじめました。

アカとアオも、それぞれに、きたない言葉をはいて笑っているようでした。

ですがそうした言葉の数々は、たかしの耳には、とどいていませんでした。

それほどまでに、たかしは、必死だったのです。

 

 

(きっと、フローラだ。

 きっと。

 どこ? ねえ、フローラ、どこなの?

 きてくれたんだよね?

 フローラ、きてくれたんだよね?

 ぼくは、ここにいるよ。

 ここに。

 おねがいだから姿を見せて。

 おねがいだから。

 もういちどでいいから。

 フローラ、ぼくに姿を見せて。

 顔を見せて。

 ぼくに、ぼくに。

 ねえ、フローラ……)


たかしが、いくら心の中で、かたりかけてみても、フローラは、あらわれませんでした。

でも、たしかに、聞こえているのです。

だれかが、いえ、フローラが、たかしを呼ぶ声が。

そうやって自分を呼んでくれるのは、もうフローラしか考えられませんでした。

フローラ、フローラ、フローラ。

フローラ、フローラ、フローラ……


フローラ!!


気づくとたかしは、力のかぎり、さけんでいました。

祈り、希望、そして、ねがい。

口を開かせたのは思いです。

言葉が今、みちびかれるままに、声となっていったのです。


とつぜん声をはりあげたたかしに、びっくりしたクロたちは、一瞬、笑うのをピタリと、やめてしまいました。

そして、ふたたびヒヒヒと笑おうと思って口を開きかけた、そのときです。

まずアカの顔色がかわりました。

とてもおどろいているようでした。

つぎにアオの顔色がかわって、それは恐怖にそまっていました。

最後にクロです。

それはもう、ただ、ただ、信じられないといった顔でした。

そしてそのまま、クロたちは消えてしまったのです。

まさに霧となってちっていくように。

シュ、シューッと音をたてて……
 

すべては、たかしの目の前でおきたことでした。

けれども、どうでしょうか。

たかしがそれに気づいていたかどうかは、わかりません。

たかしはクロたちが消えたあとも、まだフローラのことをさがしていました。

たかしには確信があったのです。

たとえ姿が見えなくても、フローラが、今まさに、ここに、きてくれていたということに。

たかしの声を聞いて、祈りを聞いて、それでぼくのもとにかけつけてくれて、ぼくのほおをさわって、ぼくの手をにぎって、そして、そして、ああ、行かないで、ねえ、待って、おねがい、待って、おねがいだから置いて行かないで、ぼくも、ぼくも……


たかしは精も根もつきはてた人のように、がっくりと肩をおとし、ひざをついてその場にたおれていきました。

そうしたたかしを、つよしくんがささえてくれたようでした。

つよしくんだけではありません。

たくさんのクラスメイトたちが、たかしに声をかけ、たかしをささえようとしていてくれていたようでした。


でも、もう、たかしには、なにも聞こえていませんでした。

だれとだれが目の前にいて、そのだれかに自分の手は、はたして、にぎられているのか、そしてこの肩はささえられているのか、立っているのか、しゃがみこんでいるのか、上をむいているのか、下をむいているのか、さけんでいのか、泣いているのか、ああ、それさえも、わからなかったのです。

どうやって家に帰ったのかも、わかりませんでした。


家にもどると机の上の本は消えていました。

本がたかしのもとにもどることは、二度とありませんでした。























 

 






















 

 

 


 
☆☆☆*:.。.ほかにもお話しはたくさんあります.。.:*☆☆☆