『フローラの不思議な本』(九) | なかのたいとうの『童話的私生活』

『フローラの不思議な本』(九)


 

第九章 たまごのからをやぶるように
 

(どういうこと!?)


いそいで部屋にもどったたかしは、すぐにフローラを問いただしました。

机の上の本は、たしかにとじてありました。

たかしは本を開いてフローラを呼びだしたのです。

キッチンにいたフローラがそのあとどうなったのか、などということは、たかしが知るはずもないことです。


なぜフローラは、本がとじられているというのに、キッチンにあらわれたのでしょう。

なぜ、たかしのお父さんとお母さんは、フローラのことを知っていたのでしょう。

なぜたかしは、フローラがこっそり本からぬけだしていたことに気づかなかったのでしょう。


今となってみればとか、そもそもとか、よく考えてみればとか、このときのたかしの頭の中には、ありとあらゆる疑問がつぎからつぎへとわきあがっていました。


けれどもフローラは、そうしたたかしをよそに、すずしい顔をして横顔を見せるだけです。

なにがたのしいのか、鼻歌まで歌って。

もう、ゆるせません。


「ふ、ふざけるな!!

 どういうことかって、聞いてるだろ!!」


たかしは思わずさけんでいました。

自分でも、びっくりするような大声でした。

これにはさすがのフローラもおどろいたようです。

すぐに、からかうのをやめました。


たかしはゴクリと、つばを飲みこみます。

海のように深く、すいこまれそうなくらいにしずかなその目でフローラは、たかしを見つめたのです。


フローラは、かたりはじめました。

 

 

「ねえ、たかし、

 世の中には、どうしてもわからないことが……、

 いいえ、わかろうとしても、けっしてわかりえないことが……、

 そうね、そもそも、わかろうとすることさえ、うけつけない問題があるのよ……」


(そんなんじゃ、なっとくが……)


「だまって聞きなさい。

 いい?

 たとえば、たかし、

 あんたは、いつから、あんたなの?

 この質問に答えられる?

 もちろん、あんたはこう言うかもしれないわね。


 『そんなの、きまってるじゃないか。

  ぼくの生まれた日が、ぼくが、ぼくになった日だ。

  それがいつかっていうのは、お父さんとお母さんに、おしえてもらったし、

  お役所に行けば、ぼくがその日に生まれたという記録がちゃんとあるんだもの』


 って。

 これって、あんたの答えそうな答えじゃない?


 あんたの大好きな理屈から言えば、たしかに、すじのとおった、まともな答えよ。

 でもね、これじゃ、まったくと言っていいほど、答えになってないわ。

 だって、この答えからわかるのは、すくなくとも、あんたは、

 あんたの生まれたという、その日より前にはいなかったらしい、ということだけじゃない。

 しかも、あくまでも、らしい、なのよ。

 自分の生まれた日があってるかどうかなんて、あんたには、わかりゃしないんだから。


 それにね、

 そもそもの問題として、

 人は、生まれたそのときから、はたして人なのかっていう問題があるのよ。

 理屈から言えば、赤んぼだろうが、鼻たれこぞうだろうが、みんなみんな人よ。


 でもね、それは、あくまでも理屈の上でのお話し。


 人はね、おぎゃあって生まれて、はいはいして、

 立ちあがって、言葉おぼえて、ものごころついて、

 勉強して、学校でて、苦労して、はたらいて、

 そうして、すこしずつ、すこしずつ、人になっていくの。


 人は、いつも人だと言えるけど、

 いつもまだ人になりきれていないとも言えるのよ。

 だからこの問題は答えをもとめようしても、けっして答えのえられない問題なの。


 成長のはやさも、どこまで成長するのかってことも、みんなみんな、てんでんばらばら。

 これこれこうなったら人です、だなんて、だれにも言えないわよね。

 基準なんてどこにもないのよ。

 あると思いこんでいるだけ。

 だれかがてきとうにきめてるだけよ。

 ないと、なにかと、めんどうってことで。


 だって、誕生日がきて午前零時、

 はたちになったその瞬間からおとなで、

 その一分前はこどもだなんて、

 ジョーシキてきに考えて、ぜったいに、ありえないでしょ?

 たとえそれが法律的には正しいんだとしてもよ」


フローラは、そこでいったん言葉を切りました。

 

 

「じゃあ、そうね、

 それじゃあ、いったい、いつになったら、ぼくは、ぼくに、なれるのかって、

 あんたは、きっと、そう聞くでしょうね。

 ちがう?


 いい? あんたは、まだこどもだから、

 まっ白な紙の上に、自分の好きな色の絵の具でもって、なんでも自由に絵をえがくように、

 これから先、

 どんな人にだってなれるわよ。

 すでに色のついている紙に絵をかかなきゃならない、おとなたちとは、

 えらいちがい。


 でもね、どっちもいっしょなの。

 その絵はね、かきつづけなきゃなんないのよ。

 こどもだろうが、おとなだろうが関係ないの。

 人であって、人であろうとのぞむのなら、

 いつも、いつも、いつも、人であるように生きてなきゃなんないってこと。

 どこか終点にたどりついたらおしまい、

 学校を卒業したらおしまい、なんてことはないの。

 それが、人が人であるっていうこと。

 人が人であるっていうことはね、たいへんなことなのよ。


 でもね、いい? 気をつけなさい?

 おちるのは一瞬よ。

 人は、人でありつづけることをやめたら、

 すぐに人でなくなっちゃうかもしれないんだから。

 しまつがわるいわよね。

 もしそうなったとしても理屈の上では人は人。

 顔も人のままなんだから。

 すでにもう人の心をうしなっているかもしれないというのに……」


そのあともフローラの長い長い話しはつづきました。

たかしを見つめるフローラの目が人知れず、たかしに魔法でも、かけてしまっていたのかもしれません。

思わずどなりちらしてしまうほどおこっていたはずなのに、自分がなぜおこっていたのかも、フローラになにを聞こうとしていたのかも、たかしはみんなみんな、わすれてしまったようでした。


けれどもフローラは、わすれていません。

どれほど長い時間をかけてでも、たかしに自分のことをわかってもらいたいと、そう、ねがっていたのです。

 

 


あなたがいつから、あなたであるのか、わからないように、

わたしも、いつからわたしなのかは、わからない。

あなたが、あなたになにができるかなんて、今はけっしてわからないように、

わたしにも、今のわたしになにができるかなんて、わからない。


それはね、わたしが、わたしを生きているから。

あなたがあなたを生きて、わたしがわたしを生きる。

それはとてもあたりまえなこと。

あたりまえすぎて、だれも自分のことはわからない。

あなたもわたしも、ひとりでは、わからない。


なんだか、わからないことだらけだけど、

ただひとつだけ、

ただひとつだけ、たしかだと思いたいのは、

あなたとわたしと今こうしている、このひととき。

このひとときだけは、

なにがあっても、かわることのない、永遠にたしかなものであってほしいの……



フローラの思いや、ねがいが、たかしにとどいたのかどうかは、わかりません。

フローラが話し終えたとき、たかしはねむっていました。

ひょっとしたら、たかしは、夢の中でフローラの話しを聞いていたのかもしれません。


「むにゃむにゃむにゃ……、ぼくはそれでも……、ぼくなの……」

 

 


さて、たかしは気づいていないかもしれませんが、わたしたちは、フローラが自分で本をとじられることを知っています。

おぼえていますか?


では、フローラは、自分で本を開いて出てこられるのでしょうか?


さあ、どうでしょう。

それについては、なんとも言えないところがあります。

ただ、ひとつ言えることは、どうやって出てくるにしても、どうやらその本から出てくるのはフローラだけではなさそうだと言うことです。

 

 


つぎの日から、たかしは用心をおこたらないよう、気をつけることにしました。

自分のいないあいだにフローラが勝手に本から出てこないよう、本をとじたあと、重しをのせておくことにしたのです。


どんなに小さな家でも、家の中をすみからすみまで、くまなくさがしてみると、つかわれていないガラクタどうぜんのものが、山ほどでてくるものです。


さびだらけのダンベルに、ほこりまみれの、つけものの重し。

そのへんにおちているものと、どこがちがうのか、よくわからない、ただの石から、買ったまま一度も開かれていない、たくさんの本、本、本。

かきあつめると、あるある。

総重量、何十キロ。

そうした重しの数々を、たかしは本の上に、うず高くつみあげて、のせておくことにしたのです。


(ふう。これだけのせておけば、

 まずだいじょうぶだろう……)


そしてたかしは学校へむかいました。

 

 


この日のたかしは、ごきげんでした。

なにしろ、めずらしく遅刻しないですみそうだったのです。

そう思っただけで足どりは、かるくなります。

さらには心の中で小鳥さんおはよう、ネコさんも、などと出会った小鳥やネコにまであいさつをしてみたり、今日の先生の言いそうなイヤミを思いついてクスクスと、ひとりで笑ってみたり。

とにかく、この日のたかしの心の中には、いつになく、よゆうがあったのです。


こういう日は、まわりのものがよく見え、話し声も、よく聞こえるものです。


「奥さん、ちょっと聞いてくださる?

 うちのポン太ちゃん、ここのところ毎日のように、いたずらされてるのよ。

 毛をむしりとられたり、黒や赤や青のインクをひっかけられたりして。

 ねえ見てやって、うちのポン太ちゃんを。

 ほんと、かわいそうでしょう?」


たまたまとおりかかったたかしも、おばさんたちといっしょになってイヌのポン太の顔をのぞいてみました。

ポン太の顔には赤いインクで丸、青いインクで三角、黒いインクで四角がらくがきされていて、そんな顔をしてハアハア舌をだされてよってこられようものなら、思わずプッと笑ってしまいかねない、おかしな顔になっていたのです。


「よちよち、ポン太ちゃん、

 いい子でちゅから、おとなちく、ちてるんでちゅよお。

 それでね、奥さん、聞いてくださいな。

 あたくし、どうにかして犯人をつかまえようと思って一日じゅう、庭を見はってたのよ。

 えっ? いつのことかって?

 きのうよ、きのう。

 きのうのことに、きまってるじゃない。

 そしたら、もう、奥さん!

 ああ、どうしましょう。

 すぐに言わないほうがいいかしら。

 ねえ奥さん、どうなったと思いますう?」


たかしは、よそのおばさんと顔を見合わせました。

そして、まったく、けんとうもつきません、といった感じで、ポン太の家のおばさんにむかって首をふりました。


「あーら、たかしちゃん。

 すなおな、いい子ねえ。

 おばさん、そういうの好きよ。

 でもね、たかしちゃん?

 もしかして、あなたのおうちでもなにか被害がでてなくて?

 いえねえ、おばさん、きのう、見はってたでしょう?

 そしたら、あなた!

 黒い服をきた、顔色のわるーい三人組のワルガキが、

 うちのポン太ちゃんをイジメていたのよ!

 おばさん、すぐにコラーッて言って、とびだしたわよ。

 ええ、もちろんよ。

 そして、おっかけて、おっかけて、

 待てーって言って、おっかけて、

 いい? そしたら、なんと……」


たかしも、よそのおばさんも、つられてゴクリと、つばを飲みこみます。


「ええ、そうよ、たかしちゃん。

 あなたのおうちのあたりで消えちゃったのよ。

 いいえ、まちがいなく、たかしちゃんのおうちの中にはいったと思うわ。

 だって、おばさん、聞いたんだもの。

 ドアのしまる音を。

 えっ? はいっていくところは見てないのかって?

 そうなのよお、ざんねんながら音だけ。

 しっぱいしたわよね。

 だからほかの家じゃないのかって聞かれると、そうかもしれないって気もするの。

 でもね、あたしのカンでは、ぜったいに、たかしちゃんのおうちよ。

 気をつけて……」


たかしは手をふって、おばさんたちのもとをはなれました。

思わぬことで時間をつぶしてしまいました。

遅刻するといけないので、今はかけ足です。

おばさんのカンは、はずれているにきまっています。

たかしはきのうも、ちゃんと、かぎをあけて、家の中にはいったのですから。

かぎのかかっている家に、いったいだれが、はいれるというのでしょう。

 

 


たかしはその日、学校が終わると、いつもとおなじように、すぐに家にもどってカチリと、かぎをあけました。

けれどもドアを開こうと思って、とってをにぎったその瞬間です。

いつもとちがう、ぬるっとした感触に、すぐに手をひっこめたのです。


手のひらには、べっとりと、黒いインクがついていました。

いったいだれが?

そんな手では、なにかにさわろうと思ってもさわれないので、とりあえず手についたインクを地面にこすりつけようと思って、たかしは、よいしょっと、しゃがみました。


すると、たかしが手をこすりつければ、きっとこうなるにちがいないといった感じの黒い手形が、すでにそこに、あるではありませんか。

たかしよりも先に、このいたずらにひっかかったものが、ほかにもいたのでしょうか。


家の前の地面にあったのは、それだけではありませんでした。

よく見てみると、赤なのか青なのか、それさえもわからない黒っぽいインクのシミが、たくさんあるのです。

てんてんと、あちらのほうから、こちらのほうへ。

まるでだれかが、ぽたぽたとインクをたらしながら歩いてきて、そのまま家の中にはいっていったかのように……


このときのたかしがなにを思っていたのかは、正直なところ、よくわかりません。

けれども、自分の家だけは、なにかおかしなことがまわりでおこっていたとしても、まったくもって安全で、どんなことがあってもだいじょうぶだと、頭から信じこんでいたようなところがあったのは、まちがいないようです。


たかしは、ぬるっとした、まっ黒な手のひらを地面にこすりつけると、ズボンのポケットからとりだしたティッシュで、ドアのとってについているインクをきれいにふきとりました。

そして、いつもとおなじように、とくになにも考えずに、家のドアをあけたのです。

 

 






 

 


 
☆☆☆*:.。.ほかにもお話しはたくさんあります.。.:*☆☆☆