『フローラの不思議な本』(八) | なかのたいとうの『童話的私生活』

『フローラの不思議な本』(八)


 

第八章 きざし
 

つぎの日も、つぎの日も、そのまたつぎの日も、たかしは本を開いていました。

本を開いては、だれとも知れない、どこかのだれかののこした日記を読み、読み終えては、いつとも知れない、そんなかつての出会いの思い出を、フローラから聞いていました。

毎日、毎日でした。

しだいにそれが、たかしの日課となっていったのです。


けれども日課となっていったのは、それだけではありませんでした。

たかしは、ほぼ毎日のように学校に遅刻するようになったのです。


なにしろ、ねむいのです。

さすがに最初のころほどにはフローラの話しは長くはなくなったのですが、それでもたかしは、いったい自分がいつまでおきていて、いつから寝ていたのか、それさえわからなくなることが、しょっちゅうでした。

しかもそういうときにかぎって朝目ざめたとき、自分はまったく寝ていないのではないかと思いたくなるくらい、ねむいのです。


この日も、朝ごはんを食べたあとのそのあまりのねむたさに、ちょっと休憩、なんて言って、ごろんとソファに横になったものですから、もちろん、とうぜんのように遅刻です。

たかしは、また担任の先生からイヤミを言われるはめになってしまいました。


赤いふちのとんがりメガネを指でピッともちあげると先生は、こう言ったのです。


「みなさん、

 たかしくんは、どうやら時計が読めないようです。

 長い針と短い針をまちがっておぼえているといけませんので、

 みなさんで声をそろえて、たかしくんに、

 時計の読みかたをおしえてあげましょう。

 いいですか、

 今の時間は……」


完全に、幼稚園児、保育園児のあつかいです。


たかしはクラスのみんなに笑われてしまいました。


教室の中いっぱいに、ひろがる笑い声。

その中で、たかしはまるで、はだかで立たされているかのような、そんなきまりのわるさに顔を赤らめてしまいます。

そして頭をかきながら、思わず、てへへと笑ってしまったものですから、またメガネがピカッと光って、


「ナ、ニ、ガ、オカシインデスカ!!」


たかしはすぐに青ざめてしまいました。


先生にカミナリまでおとされてしまったのです。


たかしはこの日一日、先生のとんがりメガネが気になってしかたがありませんでした。


 

 

学校から帰ったたかしは、すぐに部屋にもどって本を開き、フローラを呼びだしました。


「また、しかられたんでしょ」


(えっ、ぼく、なにも思ってないよ。

 どうして、わかるの?)


「わかるわよ。

 だって、顔にそう書いてあるんだもん」


(へへへ、

 じつはね、フローラ、今日学校で……)


不思議でした。

たかしはフローラとなら、自分でもおどろくほど気やすく、なんでも話すことができたのです。


たかしは人と話しをするのが、にがてなこどもでした。

人とむきあってしまうと、ただそれだけで、もう、カチンコチンに緊張してしまって、なにをどこから、どう話せばいいのか、自分でもよくわからなくなってしまうのです。

頭の中はまっ白です。

けれども、おとなたちは言います。

さあ、今思っていることを、すなおに言葉にして話してみるんです、と。

たかしは途方に暮れるしかありません。

頭の中がまっ白だというのに、いったいなにをどうすれば言葉がでてくるというのでしょう。


とはいえ、まんまんがいち、なにかのまちがいで、どこからか、ポコンとひねりだして、なんとか言葉がでてきたとしましょう。

それでもたかしの不安が消えることはありません。

自分の口からでた言葉が、たかしの思ったとおりの意味で相手につたわるかどうかは、けっきょくは、たかしにはわからないのです。

言葉が理由もなく相手をおこらせるかもしれません。

相手を傷つけてしまうことも、ないとは言えないはずなのです。


じっさい、そのおなじ言葉が、たかしを傷つけているのですから。


たかしが人をおそれていたとしても、不思議はありません。

たかしにとって人は、とても手におえない、たえずかたちをかえる、黒い怪物のようなもので、ひょっとすると、おそれている、ゆうれいなんかよりも、もっと、ずっと、おそろしいものだと心の底では思っているのかもしれません。

 

 


「ねえ、たかし、

 あたしも学校、行きたいなあ」


とつぜん、フローラは、とんでもないことを言いだしました。


これまでもフローラには、ことあるごとに部屋の外へ出よう出ようと、ようすをうかがっているようなところがあったのですが、たかしはフローラがそうしたようすを見せはじめると、すぐに話しをそらしたり、場合によってはいきなり本をとじてフローラを消してしまっていたのです。


たかしは、お父さんやお母さんにだってフローラのことをひみつにしていました。

まさか学校へなんて、つれていけるはずがないではありませんか。

たかしの答えは、もちろん「ダメ」。

フローラは、おこりはじめました。


「どうしてよ!

 ちょっとくらい、つれてってくれてもいいでしょ!

 自分だけたのしんで、ずるいじゃない!」


(たのしんでなんか、ないの!)


「じゃあ、なおのこと、

 あたしがいって、

 あんたをイジメてるやつらを、みーんな、ひっぱたいてやるわよ。

 見てなさい!

 あたしのチカラを思い知らせてやるんだから」


フローラはそう言うと、鼻からフンと息をはき、燃えたぎる地獄の炎よりもあつく、あつく、はげしく目をかがやかせたかと思うと、うでをまくって重量級のボクサーよろしく……とは、その白くて細いうでではいかないものの、とにかく、そのボクサーよろしく、うでをブンブン、ブンブン、よし、こいと、右に左にふりまわしはじめたのです。


たかしは、おそろしくなってきました。

そして、あわてて、ぼくはイジメられてなんかいないんだとフローラにうったえたのですが、


「あんた、バカじゃないの?

 あんたの話し聞いて、だれがイジメられてないって思うわけよ。

 いいからあたしにまかせときなさいよ。

 フン、フン、左、左の、右、右、左……」


とてもまともに話しを聞いてくれるような感じには見えないのです。

まあ、話しといってもフローラには、たかしの心の中がまる見えなわけですから、気づこうとしていないだけで、たかしも、じつは心の奥底では、そういうこともあるかもしれないと思っていたのかもしれません。


(ねえ、フローラ、聞いて、落ちついて!

 ぼくは、だいじょうぶ。

 なんでもないんだから。

 それに、ぼく、こんなに重たくて大きい本、

 学校へなんて、もっていけないよ)


「あら、やだ。

 あんた、そんなこと気にしてたの?

 もっていくひつようなんて、ぜんぜんないわよ。

 だから、あたしに、まかせなさいって」


たかしは、さらに、さらに、おそろしくなってきました。

フローラが本からはなれられないものだと、たかしは思いこんでいたのです。

でも、どうやら、そうでもなさそうです。

いつものように、どうしようかとまようこともなく、この日はそのままバタンと本をとじてしまいました。


 

 

けれども、そんなことがあったつぎの日も、けっきょくたかしは本を開いているのです。

まるでふたりとも、夜ねむっているあいだに、なにもかも、すっかりわすれてしまったかのように。


「また、しかられたんでしょ」


(えっ、ぼく、なんにも思ってないよ。

 どうして、わかるの?)


「だって、あんたの顔にそう書いてあるじゃない……」


たかしはこどもですから、わすれてしまったということが、なくはないにしても、

わすれようとして、わすれたつもりになっていることは、あるかもしれません。


ですがフローラは、なにしろ見かけはこどもですが、すくなく見つもっても、たかしの百倍、およそ千年は生きていると言われていますから、ただのこどものたかしとくらべるほうが、むしろどうかしています。

フローラは、けっしてわすれません。

フローラは、わすれたふりをしているのです。


もっとも、フローラの白い紙のように、けがれのない純粋な心には、黒いインクをぽとりとたらしてしまったようなどんな悪気もなく、

ただ、ただ、たかしと、ずっといっしょにいたいだけ。

ただそれだけを、フローラはのぞんでいたのです。


フローラは話しつづけます。


「それでね、そのあとその人、どうなったと思う? それがさあ……」


フローラは、いつもいつも笑っていました。


「ああ、おかしい。

 あんた、なんにも知らないのね。いい? この本はね……」


そればかりかフローラは、いつもいつも、たかしをはげましてくれたのです。


「ほら、たかし、元気だして!

 あしたは、きっと、いいことあるって……」


いつしかそうしたフローラは、たかしにとってなくてはならないものになっていました。

なにはなくとも、それだけは、ぜったいになくてはならないものに。


たかしにとってフローラは、引き出しの奥にそっとしまっておく、たいせつな、たいせつな、ひみつの宝ものだったのです。

いちど手にしたからには、ぜったいに手ばなしたくない、かけがえのない、唯一無二の宝もの。

そう、けっきょくは「もの」だったのです。

呼べばでてきて、ようがすめば消える、便利な「もの」でしかなかったのです。


でも、たかしが自分のことをどう思っているかなんて、そんなことはフローラは百もしょうち。

すっかり見ぬいていたはずです。


どうでしょう。


もしかするとフローラは、それでもよかったのかもしれません。

それでも。

そう思えなくもないのです。


「たかし、おやすみなさい。

 またあした……」


 

 

そんな、ある日のことです。

その日はたかしのお父さんも、いつもよりはやく仕事が終わったということで、ひさしぶりに家族三人そろって夕ごはんを食べていました。


たかしは気が気でありません。

ついさっきまで読んでいた海賊のお宝を見つけたという、ある冒険家の日記のつづきが気になってしかたがなかったのです。


本当は、わざわざキッチンなんかで食べずに、自分のぶんだけ部屋にもっていって例の本を読みながらひとりで食べていたいくらいだったのですが、さすがに今日はそういうわけにもいきません。

もどったらすぐにでもつづきが読めるよう、たかしは大きなしおりをはさんで、本をしっかりとじて、部屋を出てきたのです。


「どうした、たかし。そわそわして」


そうしたたかしのようすを、たかしのお父さんが気づかないわけがありません。

ですが、たかしのお父さんが気づいたのは、それだけではありませんでした。


「たかし、なんか、おまえ、顔色わるくないか?

 食欲もないみたいだし。

 すこしやせたか?

 どこかぐあいでもわるいんじゃないのか?

 おい、たかし、聞いてるのか?」


たかしは、なんでもないといった感じで、ぷるると首を横にふりました。


たかしのお父さんが、たかしのお母さんの顔を見ます。


「さあ、どうでしょう。

 たかちゃん、なんだか今日は特別に、そわそわしてるようですけど、

 あたしには、ぐあいわるそうには見えませんけど」


「おい、まてよ!

 おれはたまにしかたかしの顔を見ないから、

 おまえより、よくわかるんだ、バカヤロウ……」


「バカヤロウって、あなた!

 あたしはバカでもヤロウでもございません!

 そんなにたかちゃんのことが気になるんでしたら、

 あなたが、ご自分で、

 病院へでもどこへでもつれていけばいいじゃありませんか」


「たかしのことは、おまえの責任だろ」


「あなたの、責任でもあるんですよ。

 あたしも、はたらいているんです。

 あなたとたいして、かわらないじゃないですか」


たかしのことで、いつかのようにまた、お父さんとお母さんのけんかがはじまってしまいました。

たかしは今すぐにでも耳をふさいで自分の部屋にもどり、そのまま一週間でも二週間でも、ずっととじこもっていたいくらいだったのですが、

このときおこった信じられないできごとに、それこそくわえていたトンカツをまるまるゴクンと飲みくだしそうになってしまうくらい、おどろいたのです。

それはもう、目のたまが、とびでるほどでした。


なんと、なんと、フローラがいるのです。

本は、たしかに、とじたはずなのに。


しかも、よく見ると、三つだと思っていたおぜんが四つ、置いてあるではありませんか。

いったい、いつからフローラは、ここにいたというのでしょう。

なぜ?

どうして?

たかしにはもう、なにがなんだかわかりません。


さらに、さらに、さらにです。

このときたかしのお母さんの言った言葉に、たかしは、がくぜんとします。


「ねえ、あなた?

 フローラちゃんが、またいらしてくれたんです。

 今日はもうやめましょう?

 たかちゃんのことは、あたしがちゃんと見ますから……」


まっさおになったたかしをよそに、フローラは、とてもフローラとは思えない、上品で、おしとやかで、行儀のよい、それこそおひめさまのような笑顔をあたりに、ふりまいていました。

 

 






 

 


 
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