『フローラの不思議な本』(六) | なかのたいとうの『童話的私生活』

『フローラの不思議な本』(六)


 

第六章 それは心の声
 

十二月四日 西に三日月、東には、毒蛇を食らう草原のオオワシ
 
ああ、神よ、そしてそのみもとに旅立たれた大好きだったお母さま、娘であるこのわたくしをどうかおまもりください。

わたくしもいずれ、あなたのもとへとまいるつもりです。

ただそれが今日や明日であってはこまるのです。


きのう、ついに西の帝国は国境に軍隊をかまえ、わたくしたちに降伏をせまってまいりました。

国王であらせられるお父さまのお気持ちは、わたくしとしましては、ただ、ただ、おしはからせていただくばかり。

親子ともうしましても、わたくしたちは民をみちびく重たい宿命を背負っているのです。

なみだはかえって仇となりましょう。

わたくしは、お父さまのきめられたことに、たてつくつもりはございませんと、さきほど、おつたえもうしあげてきたところなのです。


わたくしたちのような小国に、いったいどのような選択肢がのこされているというのでしょう。

あれほどたのみにしていた東の大国は、西の帝国がせめてくると知ったとたん、きゅうに態度をかえてしまいました。

知らせをつげに行ったわたくしたちの使者をむざんにもその場で、切り殺してしまったのです。


ざんねんです。

けれどもこれから先におこるであろうことの数々は、この上さらにおそろしいものとなるはずなのです。

東の大国は、わたくしたちをただ見すてたわけではないのです。

かれらはわたくしたちをたてにするつもりです。

おとりにするつもりなのです。

わたくしにはそう思えてしかたがありません。


このたびの西の帝国の遠征軍は遠くはなれた何千里ものかなたから、たえまなく戦争のつづく長い長い旅路をへて、この地へとたどりついています。

休みなく戦わされた兵隊たちはみな、いちようにつかれはて、多くの者が国に帰りたいとねがっているはずです。

軍隊としての規律がみだれていることはまちがいありません。

戦争をつづけることはかなりむずかしくなっているはずなのです。

はたしてそのような軍隊が東の大国のうしろだてのあるわたくしたちのような国と戦争をしようとするでしょうか。

そうは思えません。

すくなくともそれは、今すぐにということにはならなかったはずです。


ところが今、東の大国はわたくしたちとのきずなを一方的に、まさに、たち切ってしまいました。

もしかりに東の大国が平和をのぞむのだとしたら、そのようなことをするはずがないではありませんか。

かれらのうしろだてがあれば戦争はさけられたはずなのです。

わたくしたちのうしろだては、もうありません。

わたくしたちは、まるはだかにされたあげく、両大国のはざまで孤立してしまったのです。

 

 
弟たちよ、おろかな弟たちよ、あなたたちはまだ気づかないのですか。

戦争をしてはなりません。

今すぐ降伏するのです。

ながされた血をさらなる血であがなってどうするつもりです。

そのおこないには意味がないと知りなさい。

それができるのは、ただ祈りだけだと、なぜ気づかないのです。

すべては策略です。

陰謀なのです。

あの人を人とも思わぬ妖怪のような東の大国の大臣たちの。


うわさでは東の大国のいたるところでたくさんの兵隊がひみつのうちにあつめられているそうです。

おそらく、いいえ、まちがいなく東の大国は、どのような言いがかりをつけてでも、西の帝国と戦争をしているさなかのわたくしたちの国に、せめいるつもりでしょう。

そして戦争につぐ戦争でつかれはてた西の帝国は、この地でやぶれることになるのです。

東の大国は大勝利です。

その事実のみが歴史にきざみこまれることになるのです。


いいですか、戦争をしてはなりません。

戦争になってしまったら、それこそ何万という数の民の命がうしなわれていくことになります。

町も畑もふみしだかれ、すべて焼け野原になってしまうのです。

わたくしたちにはなにものこりません。

国までうしなってしまうでしょう。

東の大国は、わたくしたちの国までかすめとろうというのです。


弟たちよ、わたくしは、あなたたちが名誉ある将軍であることを知っています。

けれども自分の胸に問いただしてみるのです。

あなたたちはその名誉をまもるために戦争をしようとしているのではありませんか?

そうした名誉のために国をほろぼそうとしているのではありませんか?

あなたたちは悪魔に魅入られているのです。

目をさましなさい。

目をさましてあなたたちが名誉だと思ってにぎりしめているものを見さだめるのです。

それは、どくろです。

呪われた黒い血のしたたりおちる人間の頭です。


人を殺してえられる名誉など、この世にはないのです。

戦争だからといってゆるされるような罪も、この世にはありません。

弟たちよ、あなたたちがもし、光かがやく真の栄光をその手につかみたいとのぞんでいるのだとしたら、今はたえしのび、勇気もって降伏するのです。

いつの日か、そのくやしさをはらすときもおとずれるはずです。

それも命あればこそではないですか?

命をうしなえばすべては砂となり、風にふかれてむなしく草原をさまようだけです。

 

 



 
十二月五日 白いハトとなって命つきるまで一路西へ
 
夢を見ました。わたくしもおさなく、弟たちにいたっては好奇心まるだしの、ほんのこどもだったころの夢です。

まだお母さまも生きていらっしゃり、みながそろい、みなが健康で、そうした家族のしあわせを心からわかちあえていたころの、なつかしい夢でした。


三人の弟たちは、にこにこ笑いながら手をうしろにして、なにかをかくしもっているようなのです。

そしてそれぞれが、こんなことを言うのです。


「ディージャがもっているものがホンモノなら、

 ダージャがもっているホンモノは、たぶんニセモノです」


「ドゥージャがもっているものがホンモノなら、

 ディージャがもっているニセモノは、おそらくホンモノです」


「ダージャがもっているものがニセモノなら、

 ドゥージャももっているニセモノが、きっとホンモノです」


「さあ、おねえさま、ホンモノはひとつしありません。

 ホンモノをもっているのはディージャ、ドゥージャ、ダージャのうち、だれでしょう」


最後のわたくしへの問いかけでは、かわいらしいその声を三人できちんとそろえていました。

わたくしは、こうしたなぞなぞ遊びを弟たちとよくしていたことを夢の中で思いだしていました。

もちろん答えはダージャです。

わたくしが得意になって声高らかにそうつげると、ダージャは手を前にさしだしました。


「キャー!」


わたくしは思わず声をあげてしまいました。

それはヘビでした。

つばさのはえた草原の毒蛇。

わたくしたちの王国の紋章にしるされているものでした。

おそろしいキバをむきだしにして、ダージャの手から必死になってのがれようとしていました。


「おねえさま?

 わたくしたちの運命は、このヘビがおしえてくれることでしょう」


ダージャはそう言うと、空にむけてヘビをはなちました。

するとヘビは、自由になったつばさをはばたかせ、わたくしたちの上をぐるぐる、ぐるぐる、まわりはじめたのです。


ところが、ああ、なんということでしょう。

それは一瞬のあいだのできごとでした。

ヘビは毒のしたたるそのおそろしいキバをふたたびむきだすと、まずはお母さまにおそいかかったのです。

わたくしは悲鳴をあげました。

ですがその声が空に消えるよりもはやく、ディージャも、ドゥージャも、ダージャもみな、ヘビにかまれてたおれていったのです。


つぎはわたくしの番です。

おさないわたくしは、ただもう、おそろしくて、おそろしくて、両の手で目をおおったまま、今か、今かとそのときを待ちつづけていました。


けれども、どうやらわたくしは、そのままねむりからさめたようでした。

それはまだ日がのぼる前のことです。

あたりはうっすらと白みはじめてきていました。

 
 

わたくしは、ハッとなって、とびおきました。

時間がありません。

いそがねばならないのです。


きのうわたくしは、弟たちの説得に失敗してしまいました。

ざんねんですが、もうなにを言ってもむだでしょう。

お父さまですら、軍隊をたばねる弟たちをたしなめることがむずかしくなってきています。

ちかいうちに、そう、今日にも弟たちは力づくでお父さまにはたらきかけ、開戦の文書に国王の名前をしるさせるにちがいないのです。

そうなっては戦争がはじまってしまいます。


今、わたくしにできることはかぎられています。

わたくしには力をふるう軍隊がありません。

わたくしは大臣ではありませんので手足となってはたらいてくれる役人もいません。

ただそうであっても、やはりわたくしはお父さまの娘。

国王の娘です。

わたくしにも、まだできることがあるはずなのです。


わたくしは、きのうのうちに用意させておいた純白の衣装に身をつつみ、音をたてないよう気をつけながら、しずかに旅じたくをととのえました。

ともするものは馬のアウロラのみ。

一日に千里をかけるという伝説の白馬だけでした。


お父さまとはすでに話しがついていました。

弟たちの無謀なおこないにひどく心を痛めておいでだったお父さまは、わたくしが口ぞえさせていただいたある提案に、心よくおうじてくださったのです。


朝霧のたちこめる中、わたくしは中庭をとおって、ちょうどお父さまの部屋の真下にあたるところへとむかいました。

おもてからはもう行けません。

お父さまの部屋の前では弟たちの息のかかった兵隊たちが寝ずの番をしているのです。


わたくしは、うちあわせどおり、ハトの声まねをしました。



 ポッポー……、ポッポー……、ポッポー……



われながらうまくできたのではないかと、そう思っていると、二階の窓があいてお父さまが上からわたくしに、手にした袋をおおとしになりました。


袋の中には小さく折りたたまれた降伏の文書と、国王のあかしである黄金の印がはいっていました。

この印がなければ開戦の文書はつくれません。

たとえ印をつくりなおすとしても二日や三日はかかるはずです。

これで時間をかせぐことができます。


わたくしはお父さまのお心を胸の中にしまわせていただく思いで大切に、袋をふところにおさめさせていただきました。

お父さまはそうしたわたくしをしずかに見まもってくださり、そして見おくってくださいました。


いそがねばなりません。

わたくしは白馬アウロラにまたがりました。

もうふりかえることもありません。

わき目もふらず西へ、西へ、日がおちるそのさらに先を目ざして風のように白馬をはしらせたのです……

 

 




十二月六日はありませんでした。

十二月七日も、そして十二月八日もありませんでした。

どうしたんだろう。

そう思ってたかしは顔をあげました。

日はすでにおちていて、あたりは暗くなっていました。

たかしのとなりには、フローラが立っていました。


「この人はね、死んだのよ。

 だからつづきがないの」


フローラのつげた思いもよらない答えに、たかしの心は大きくゆれ動きました。


(死んだ……、

 どうして……)


それは、たかしの心の声です。


「どうしてって、あんた、まさかたったひとりで戦争をとめられるって、

 そんなバカなこと本気で思ってるんじゃないでしょうね。

 ムリよ。

 ムリ、ムリ。

 ぜったいに、ムリ。

 戦争なんてしたら敵も味方もなくなるんだから。

 いい? この人だってね、敵に殺されたんじゃないのよ」


(じゃあ、だれが)


ふたたび心の声です。


「きまってるでしょ、例の弟たちよ。

 かわいがっていた弟たちに、あの人は殺されたのよ。

 白い服も、白い馬も、赤い血で、朝焼けのように、まっ赤にそめて……」


(うそだ!)


「ウソなわけないでしょ!

 あたしはね、この目で見たの。

 最後まで、ずっといっしょだったの。

 わすれない。

 ぜったいに、わすれない。

 あたしはね、あのね、いちどおぼえたことは、

 ぜったい、ぜったい、わすれないんだから……」


大つぶのなみだがフローラの目からあふれだし、小さな小さなほおをつたって、つつつとながれていきました。

そしてそのまま、ぽたり、ぽたりと床におちていきます。

ときおりフローラのくちびるが、ふるえるようにこきざみに動いていました。

たかしにはそれが「ちくしょう」と言っているように思えてなりませんでした。


かなしみも、くやしさも、そして、いかりも、じっさいそこにはそのすべてがあったはずです。

けれどもそういったもののすべてをフローラはひとりでかかえこむかのように、かたく目をとじ、声を押しころして、しくしく、しくしく、泣いていました。

しくしく、しくしくと。


なみだは、なみだをさそうもの。

気づくとたかしはフローラといっしょになって泣いていました。

ふたつの心は今、ひとつになったのです。

でももっと大切なことがあります。

それは、たかしもフローラも、ふたりとも、もうひとりではないということです。

ひとつの心を今は、ふたりでわかちあうことができるのです。

 

 






 

 


 
☆☆☆*:.。.ほかにもお話しはたくさんあります.。.:*☆☆☆