『フローラの不思議な本』(五)
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第五章 たかしののぞむもの
青い海、白い雲、夏の日ざしはかがやいて……
野球のたまを左の目にあてた日の夜、たかしは夢を見ていました。
そこは見わたしても見わたしても海、海、海。
そんな大海原でした。
たかしはそうした海のまんなかで、小型のクルーザーをはしらせていました。
ひとりではありません。
船の上には、つよしくん、きよみさん、ゆうじくんといったクラスメイトの姿も見えます。
さらにはポン太という近所のイヌまでいっしょでした。
たかしの頭の上には船長がかぶるようなイカリのマークのついた白い帽子がいさましくのっかっていました。
ということは、やはりたかしは船長なのでしょうか。
夢の中のたかしは背すじをピンとのばし、前をキッと見すえて力強く船のかじをにぎっていました。
「ゆうじ、
もういちど船の現在地を確認してくれないか?
そろそろだと思うんだ」
たかしがそう言うと、ゆうじくんはすぐにGPSと地図をつかって船の位置をしらべはじめました。
それにしても太陽は本当にまぶしくて、日ざしは焼けるようでした。
船は海の上をパン、パン、パンと、リズムよく、はねるようにしてすすんでいきます。
そしてそのたびに、とびちった水しぶきが霧のようにこまかいつぶの天然のシャワーとなって上からサーッと肌にふりかかるのです。
なんて気持ちがよいのでしょう。
ウォン、ウォンと、うなるようにほえるエンジンの音と、大きくあがったりさがったりする船のうねりさえなければ、もっと気持ちがいいかもしれません。
「まだか、ゆうじ!」
ぐずぐずしているゆうじくんを、たかしがせかします。
するとゆうじくんは両手で大きなマルをつくってオーケーと合図をかえしてきました。
たかしは船をとめました。
「よーし、ついたぞっ!
つよし、おまえは水深をはかってくれ。
きよみはもぐる準備をたのむ。
ポン太、おまえにもひと仕事あるぞ!
ほら、あそこにあるブイを海になげいれるんだ!
そら行け!」
イヌまでもが、すぐにワンとこたえて、たかしの指示に、てきぱきと、したがうのです。
「さて」
たかしは、ゆうじくんといっしょに地図を見ていました。
「もしかりに、
かりにだ、ゆうじ。
言いつたえられているとおり例のオランダ船がここでしずんだんだとしたら、
潮のながれの関係で今はここ、そう、ちょうどこのあたりにねむってるはずなんだ。
なあ、
そうだよな、ゆうじ?」
「はい船長!」
ゆうじくんは元気よくこたえてくれました。
「はい船長!」
ああ、なんてよいひびきなのでしょう。
たかしは思わず、にやにや、でれでれしてしまいそうになりました。
でもたかしは今や船長なのです。
気をひきしめなおさなければなりません。
「いいか、みんな! よく聞け!
沈没船がねむっている場所は、まちがいない、ここだ。
準備はいいか?
よし、
もぐるぞ!
お宝はすべて、おれたちのものだ!」
「おーっ!」と、いせいよく、たかしたち四人は、こぶしを天にむかって、つきあげていました。
ザブン、ザブン、ドボンと海にとびこんでいきます。
そしてそろってみな、海の中の人となったのです。
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まるでクラゲのようでした。
ゆっくり、ゆっくりと、しずんでいきます。
そうやって海の中をふわり、ふわりと、ただようようにしてもぐっていると、目ざす海の底のほうは暗くて深い、青とも黒とも緑ともつかない、そんなとらえどころのない色に見えていました。
すいこまれてしまいそうでした。
どこまでも、どこまでも、つづいているようでいて、でもなんだか、すぐそこで終わっているような気もします。
まるで巨大な怪物の腹の中を手さぐりでさぐっているような、そんな気持ちにもなってくるのです。
水がピタッと、はりつくように体をつつみこんでいきました。
そしてその水も、どんどん、どんどん、つめたくなっていくのです。
たかしは、まだか、まだかと、心の中でつぶやくその声までもが寒さでふるえているのを感じるほどでしたが、それでも、ときどきは船長として、みんなのリーダーとして、ほかの三人にむかって手と指をつかって、だいじょうぶか? 問題ないか? と、いたわりの合図をおくっていました。
そしてそうやって深く、さらに深く、もぐっていきました。
やがてそのときがおとずれます。
手にした明かりのわずかにむこう、ほとんど目と鼻の先、すぐちかくの目の前に、
ぬうっと、とつぜん、なにかがあらわれたのです。
例の沈没船にまちがいないはずです。
そう、まちがいはないはずなのですが、なんだか藻なのか海草なのかよくわからない、ぶよぶよっとしていて、ゆらゆらゆれている、あやしい毛のようなものを、いくえにも、いくえにも、まきつけて、もとの大きさの何倍もの大きさにふくれあがってしまったその姿は、まさに怪獣、まさに怪物。
しかも文字どおり船のようにでかいのです。
たかしは船長として、自分が先に行ってようすを見てくると仲間たちに合図しました。
するとつよしくんが船長は最後だ、という合図をかえしてきます。
そしてさらに自分が行くとつけくわえて、海の底にしずんでからいったい何百年たったかわからないような沈没船にむかって、つよしくんは、ひとりで、すうーっと泳いでいってしまったのです。
水がつめたくて寒くて寒くてたまらない中、たかしたちは、ずいぶんと、しんぼう強く待っていたはずです。
ところがいくら待ってもつよしくんはもどってこないのです。
ひょっとすると、なにかあってつよしくんは帰ってこられないのかもしれません。
そうだとしたら、たいへんなことです。
そこでたかしは、まんまんがいちということも考えて、のこったふたりに、こんどはみんなで行く、と合図したのですが、
すると、きよみさんが、いいや、つよしくんがもどってくるといけないから、あたしたちがかわりに行くから、いい? 船長はここにのこって、などと合図してきて、
それでけっきょく、たかしひとりを海の底にのこしたまま、みんな行ってしまったのです。
いくら船長といっても、さすがにたかしは心細くなってきました。
巨大な怪物のような沈没船を前にして暗くて寒い海の中をひとりただよっていると、
右だ、左だ、いやちがう、うしろだ!
といったぐあいに、たえずなにかのけはいが、しつこく、しつこく、つきまとってくるように思えるのです。
しかもそのなにかは、今にもたかしに襲いかかってくるのではないかと、そう思えてしかたがないのです。
いつまでたっても、だれひとりとして帰ってきません。
心細さだけでなく、寒さももう限界です。
寒くて、寒くて、心細くて、たえずビクビクしながら、たかしは明かりをあっちだ、こっちだと、ブンブン、ブンブン、ふりまわしていました。
(どうしよう。
どうしよう。
もうだめだ。
だれでもいいから、はやくきて……)
その瞬間でした。
イヌのポン太が、すいすいすいっと海の中を魚のように泳いできて、その大きな口でもってガブリとたかしの顔をかんだのです。
なぜ船の上に置いてきたはずのポン太がそこにいたのかは、わかりません。
ただ、たかしがこのとき感じていたことは、かまれた左目のあたりの顔のもうれつな痛みと、そのショックで思わずもらしてしまったおしっこの、あの寝ているあいだに、じょじょじょじょじょーっと、でてしまったときの、なんとも言えない気持ちよさ。
そしてその、なまぬるい、あたたかさでした。
「たかちゃん!!
あなた、いくつだと思ってるんですか?
だからお母さん、いつも言ってるじゃない!
寝る前にジュースを飲んじゃ、ダメって!
ああ、もう、信じられない。
その年でまた、おねしょするなんて……」
お母さんはカンカンでした。
たかしがそのご長らく、夜寝る前のジュースを禁止させられたのは言うまでもありません。
さて、運のわるいことに目ざめたその日はお休みの日でした。
たかしのお父さんも、たかしのお母さんも、一日じゅう家にいることになっていたのです。
いつものたかしなら、おねしょをしてしまったようなこんな気まずい朝は、こっそり家をぬけだして、町の図書館へでも行ってるところです。
いえ、この日だって行けないことはなかったはずなのですが、なにしろたかしは、きのう、野球のたまを顔にあてているのです。
「ははっ。
たかし、
おまえのその顔、タヌキみたいじゃないか」
それが、きのうの夜、仕事から帰ってきたお父さんがたかしの顔を見て最初にかけた言葉でした。
このとき、学校から家までつきそってくれたゆうじくんと、夕飯の準備をしていたたかしのお母さんもいっしょだったのですが、それを聞いて、みんな、もう、たまらない、といった感じで、ププッと、ふきだしてしまったのです。
きっとはじめからみんな、たかしのことをタヌキかパンダみたいだと思っていたにちがいありません。
そして今朝だって、めずらしく家族そろって朝ごはんを食べているというのに、
「おおっ。
たかし、
いいぐあいに色づいてきたじゃないか。
両目じゃなくてホントよかったぞ。
両目だったらまさにタヌキ。
ちがうな、パンダか?
いやいや、まてよ……」
「あなた、もういいじゃありませんか。
たかちゃんたら、これでも、とても気にしてるみたいなんですから」
あれだけおこっていたたかしのお母さんも、今はたかしのことをかばってくれていました。
でも、どうもたかしのお父さんは、なにごとにも大ざっぱで、こまかいところに気がつくようなタイプではないようです。
このときだってお母さんのそうした心づかいなど、まるでおかまいなしに、たかしがもっとも気にしていることを、ズバリと。
「そうか、そうか、
それで、また、おねしょしたのか」
「あなた!
ごはんを食べているんです。
その話しは、よしてください。
ああ、もう、わすれたい。
わすれてしまいたいのよ!
いい年して、またあんなことするなんて」
「べつに、おねしょくらい、どうってことないだろう。
おれだって、たかしくらいのころは、たまにしてたぜ」
「なんですって!!
あなた!
今はじめて聞きましたよ。
ええ、はじめて聞きました。
どうりでたかちゃんが、なんども、なんども、あんなことするはずです。
あなたのせいです。
ぜーんぶ、あなたのせいです。
ふつう、たかちゃんの年で、あんなこと、なんども、するはず、ないでしょ!
あなた!
あなた、きっと、とてもなれていらっしゃるでしょうから、
たかちゃんの布団のあとしまつ、
チャントシテクダサルワヨネ!!」
ああ、おそろしい。
このときのたかしのお母さんの、すさまじい顔つきときたら、
たかしは、すっかりふるえあがってしまって、もうなにを口にいれても、まるで紙でも食べているような、そんなここちがしたくらいです。
ぼくはなんて、だめなこどもなんだろう……
たかしはひとり、部屋にもどって考えました。
みんなに笑われて、おねしょまでして、ぐずで、のろまで、なにひとつちゃんとできないんだもの……
もしぼくがおねしょなんてしていなかったら、お父さんとお母さんがあんなふうにけんかすることもきっと、なかったんだろうな……
それにこの目だって、あのときぼくが、どうしよう、どうしようなんて、ぐずぐずまよっていないで、野球なんてできませんて、はっきりことわっていたら……
でもまてよ、もしことわってたら、どうなっていたんだろう。
みんなに仲間はずれにされちゃったのかなあ……
でも、どうだろう。
今でもじゅうぶん仲間はずれみたいなものじゃないか。
これいじょうなにがわるくなるっていうんだろう。
これいじょうなにが……
イジメられて殺されちゃうのかな……
まさか。
ぼくには想像もつかないや……
けどみんな、いくらしょうがないといっても、ぼくみたいなぐずをちゃんと、さそってくれたんだもの。
やっぱりことわるべきじゃなかったんだと思う……
そもそも、まようひつようなんて、なかったんじゃないのかな……
でも、わからないや。
時間をもどせるわけじゃないんだもの……
今だってまよっているんだし……
ああ、せめて言葉を、
心の中で思ってる言葉を、ちゃんとみんなにつたえられたらなあ。
それができれば、どんなにすてきなことだろうって思うよ……
できないけどね……
心の中ではなんでも話せるんだ。
なんでも言えるんだ。
ぼくだってさ。
それなのに、どうして心の中の言葉は声になってくれないんだろう。
どうしてなんだろう……
いっそ心の中の言葉だけで生きていけたらなあって思うよ。
そしたら話すひつようなんてなくなるんだもの。
ああ、心の中の言葉だけで生きられたらなあ……
いいなあ。
ほんと、いいなあ。
お話しの世界は……
だってお話しの世界では、なんにもしゃべらなくていいんだもの。
それでもぼくだって本の中の人たちといっしょになって、おなじように心の中で話して、笑って、そして泣けるんだもの……
ふう。
ぼくは一生、お話しの世界の中から出てこれなくてもいいかも……
気づくとたかしは、机の上の本をそっと開いていました。
☆☆☆*:.。.ほかにもお話しはたくさんあります.。.:*☆☆☆