『フローラの不思議な本』(四) | なかのたいとうの『童話的私生活』

『フローラの不思議な本』(四)


 

第四章 どうしよう
 

あの本。

そう、例のあの、知らないうちにたかしの机の上に置いてあった、うすぎたないあの本です。

あの本を開くと出てきて、とじると消えるフローラは、自分では妖精だと言いはっていますが、本当のところはどうなのでしょう。


つぎの日、たかしは学校の図書室にいました。

授業が終わってすぐということもあるのでしょう。

図書室の中は本好きのこどもたちでいっぱいでした。


たかしは大きな本を何冊もかかえて、あいている席にすわりました。

席は満席で、そこしかあいていなかったのです。

となりの席では男の子が、はなくそをほじくりながら、少年探偵団シリーズの何作目かを、もう、しんけんになって読んでいました。


たかしは席につくと、さっそく『こども大百科』という本を開いて妖精のことをしらべはじめました。

ようせい、幼生、妖星、といったぐあいに項目をたどっていきます。

ところが、しらべはじめて、すぐのことです。

どうやら自分はたいへんな席にすわってしまったらしいということに、このとき、はじめて、気づいたのです。


こまったことに、となりの席の男の子は、本を読みながら、ほじくったはなくそを、知ってか知らずか、そこにたかしがいるというのに、ゆびでピンとはじいて、なげつけてくるのです。

いつ、はなくそが、あたるか。

そればかりが気になって、たかしは、ぜんぜん集中できないのです。

そうかといって、男の子にやめてくれと言えるようなどきょうなんて、たかしにはありません。


どうしよう。

たかしはそう思って、あたりを見わたしてみました。

すると、どうでしょう。

ちょうどむかいあった前の席に、とてもたよりになりそうな女の子がひとり、すわっているではありませんか。


その、なんだかおばさんみたいなメガネをかけた、むかいの席の女の子は、たえずずりおちてくるメガネを指でときどきピッともちあげながら、とてもこどもが読むとは思えないような、むずかしい本を、いっしょうけんめい読んでいました。

タイトルは『こども経済新聞社編 国内市場におけるM&Aの役割と、その影響力』。

たかしには、それがなんの本なのか、さっぱりわかりません。


ひょっとすると、たかしは、このとき、不思議そうな顔をして女の子のことをジロジロ、ジロジロ、見ていたのかもしれません。

たかしが見ていると、女の子は思いっきり、まゆをひそめて、これまた、とてもとても、こどもとは思えない、すごみをきかせたキツーイ顔で、キッと、にらみかえしてきたのです。


たかしは、すぐに、さっと、目をふせました。

すごすごと自分の本にもどります。

肩をすくめ、本の中に顔をうずめていても、ふきでたあせが、なんだかとまりません。

 

 

さいわいなことに、はなくそをほじくっていたとなりの席の男の子は、そのご、しばらくするといなくなりました。

むかいの席の女の子はまだいましたが、たかしが顔さえあげなければ、女の子と目をあわせることもないのです。


やれやれです。

たかしは、ようやく自分のしらべものに集中できるようになりました。


とはいえ、やはりこどもむけの百科事典をいくら開いてみたところで、たいしたことはしらべられませんでした。

妖精といえば、おとぎ話しの中にでてくる小人といったぐあいに、どの本を見てもだいたいおなじようなことしか書いていないのです。

星のついたちっちゃな杖をくるくるっとふりまわす羽根のついた小さな女の子。

それが、とある図鑑にのっていた妖精の絵でした。

いっしょにえがかれている葉っぱをくっつけたような緑色の服をきた男の子とともに、たかしもどこかで見たことのあるような絵でした。


たかしはあきらめました。


(どうしよう。

 町の図書館にでも行って、もっとしらべてみようかな。

 でもなあ……)


しずかな図書室には、こどもたちが本のページをめくる、サラッ、サラッという音だけが、ひときわ大きくひびいていました。


すると、そのときです。

とつぜん、だれもがふりむくほどの、大きな大きな音をたてて図書室のドアが、バンと、いきなり、いきおいよくあいたかと思うと、

あろうことか、


「おーっ! いた、いた、たかしーっ!」


と、たかしの名前を呼んだのです。

たかしはすぐに、まっ赤になってしまいました。

なぜって、だれひとりとしてたかしのことを見ていない人はいないのです。

むかいの席の女の子なんか、チッと舌うちまでして今にも本をなげつけかねないほどの、そんなおそろしい顔をして、たかしをにらんでいます。

おまけに、いつもはやさしいはずの図書室のおばさんまでもが、このときばかりは、


「なん、なん、ですか、あなたたち!!

 ここは図書室なんですよ!!

 大きな声を、だすんじゃ、ありません!!

 今すぐ、出ていきなさい!!」


とんだ、とばっちりです。

なにもせず、ただそこにいただけだというのに、たかしまでいっしょにおこられてしまいました。

 

 


大きな声をだしてたかしを呼んだのは、おなじクラスの、つよしくんでした。


図書室のおばさんに、あれだけおこられて、しかも反省文を書くまでは、ふたりとも図書室への出入りが禁止になってしまったというのに、たかしとちがって、つよしくんは、ぜんぜんなんとも思っていないようでした。


「いやー、わりー、わりー、たかしー、かんべんしてくれよー。

 きよみからさ、おまえが図書室にいるって聞いたもんだからさ、

 おれ、もう、大あわてで、すっとんできたところだったんだよなー。

 気にすんなって。

 そうそう、それでな、おまえに話しが……」


つよしくんの話しとは、つぎのようなものでした。


今日このあと、たかしのクラスと、となりのクラスとで野球の試合をすることになっているそうなのですが、さあ、はじめるぞと、あつまったメンバーの数をかぞえてみたところ、野球をするには二人たりない七人しかないことに、さっき気づいたというのです。


そのうちのひとりは、おなじクラスの、きよみさんという野球のできる女の子にたのみこんで、なんとかでてもらうことになったそうなのですが、もうひとりが見つからない。

だれかいないものかと学校中をさがしまわってみても、みながみな家に帰ってしまったあとのようすで、クラスの仲間はだれひとりとして見あたらない。

それでけっきょく、しかたがない、といった感じで、たかしにおはちがまわってきたというわけだったのです。


「だからさー、たのむよ、たかし、でてくれよー。

 おまえも知ってんだろ?

 先週、となりのクラスとやったサッカー、おれたち負けてんだぜ。

 このままだと二連敗。

 しかもこんどは不戦敗になっちまう。

 なあ、バットなんてふらなくてもいいし、ただつっ立っているだけでいいからよー、

 たかしー、でてくれよー……」


そうはいっても、たかしは、野球なんて、したこともありません。

それでも、たかしがでると言わなければ、試合をすることなく、つよしくんたちは、つまりは、たかしのクラスのみんなは、負けてしまうというのです。

どうしよう。

たかしがきめられないまま、時間だけがすぎていきます。


「きめたか? たかし、きめたか?

 よし、もう、きめたっ!

 そうだろ?

 だいじょうぶだって、ほんと、つっ立ってるだけでいいんだからよー。

 さあ、こいよ……」


けっきょくたかしは、自分ではなにひとつきめられないまま、つよしくんに、うでをむりやりつかまれて、みんなのもとへとつれていかれたのでした。


 

 

もし、たかしが、それこそお話しの中の主人公で、ヒーローで、天才で、なんでもできる、すごうでの魔法使いだったとしたら、どんなスポーツだって、いちどもしたことのない野球だって、なんなく、きように、こなしてしまったところでしょう。


けれども、現実は、その半分だって、いいえ、さらにその半分の半分の半分だって、あまくはありません。

かんたんそうに見えたとしても、じっさいやってみるとたいへんだということは、この世の中、いがいに多いもの。

できると思っていることと、じっさいにできるということは、まるでちがうことなのです。


たかしが試合前におそわったことは、たった三つでした。

バットはふるな。

ゴロがきたら体でとめろ。

フライがきて、もしとれそうだと思ったら、オーライと声をだせ。


たかしには、いったいゴロがなんで、フライがなにかさえわからなかったのですが、最後のひとつは、たかしとおなじ外野をまもることになった、きよみさんからの指示でした。

たかしはライト。

きよみさんはセンターというポジションでした。


「きほんてきに外野は、

 あたしが、ぜんぶカバーすることになると思うんだけど、

 ころがってくるゴロならともかく、

 とんでくるフライを上をむいたままふたりでおっかけてると、

 よく、ぶつかるのよ。

 そうならないように、オーライって言うの。

 わかった?

 だから、あたしがオーライって言ったら、あたしからはなれて」


そう言って、きよみさんは、たかしのグローブめがけて、目のさめるような豪速球をなげてよこしました。

ボールは、たかしがなにもしていないのに、パシンと、いい音をひびかせて左手にはめたグローブに、すいこまれるようにしてピタッと、おさまりました。


たかしは、きよみさんから、野球のことをいろいろとおしえてもらいました。

野球が九人でやるスポーツだということさえ、たかしは知らなかったのです。

とうぜん野球には回というものがあるということも、たかしは知りません。

野球には、ひとりずつ順番にバットをふってボールを打っていく攻撃と、グローブをはめて九人全員でまもる守備とがあり、

回を表と裏にわけて、相手が攻撃ならこちらは守備、こちらが攻撃なら相手は守備、

かわるがわる相手と交代しあいながら攻撃、守備、攻撃、守備、

そうやってゲームをすすめていくのだと、きよみさんは、ていねいに、説明してくれました。

そして表と裏、攻撃と守備がワンセットとなったそうした回が、ふつうは九回までくりかえされるというのです。


まだまだあります。

野球には、おぼえることが、たくさんあるのです。

守備のポジションにしてもピッチャーとキャッチャーくらいなら、たかしも聞いたことがあって、なんとなく知っていたのですが、

ショート、サードといった内野だとか、自分がまもることになっているらしいライトとかいう外野になってくると、もう完全に、お手あげです。


「今おぼえなくてもだいじょうぶよ。

 やってるうちに、だんだんおぼえるんだから。

 外野は、一塁、二塁、三塁のさらにむこう。

 右からライト、センター、レフトの三人。

 わかった?

 ライトには、ほとんどたまはこないと思うから、あんしんして。

 それっ!」


パシンといってボールはまた、たかしのグローブにおさまりました。

不思議なことにその音を聞いているだけで、たかしは、なんだか自分がうまくなったような気がするのです。


「あーあ、どうせならピッチャーがよかったな。

 でもね、つよしくんが、ゆずらないのよ。

 ぜったいに、あたしのほうがうまいのに」


じょうずなはずです。

つよしくんによると、きよみさんは地区のこども選抜チームのエースピッチャーで、四番バッター。

ホームランを何本も打ち、だれも打てないような、ものすごいボールをなげる、すごうでの女の子だったのです。

 

 

「だからよー、あいつをつかうって言ったら、むこうのやつら、

 なんだかんだと、ぶうぶう、もんくばかり言いやがってさー。

 それでけっきょく、ピッチャーではつかわないとか、

 バットを右じゃなくて左でふらせるとか、

 いろいろ、いろいろ、条件をつけて、ようやく、

 きよみをつかってもいいってことになったわけよー」


つよしくんは、たかしにそんなことを言っていました。


たかしのとなりでは、グローブをバットにもちかえたきよみさんが、ブン、ブン、ブンと力づよくバットをふっていました。

つよしくんから、へたに塁にでるとめんどうだから、ぜったいにバットはふるなと、たかしが言い聞かされているとも知らず、きよみさんは、


「ほら、たかしくんもバットふって。

 ライトの八番だからってやる気なくさないの!」


そう言って、たかしをはげましてくれました。



さて、いよいよプレイボールとなって試合がはじまります。


やさしくて、たのもしい、きよみさんのおかげで、たかしの気持ちもなんだか、いつになく、もりあがります。

よし自分もと、そんなふうに、いきがってきはじめたところのたかしだったわけなのですが、

とりあえずはベンチにすわって一回の表、つまりは一番からはじまる味方の攻撃をひとまず、まずは見まもって、

でもけっきょくは期待していたわりには自分の順番、そう、八番までは、まったくもって、まわってこず、

それじゃあ、じゃあ、それではと、こんどは、はりきってまもりについて、たかしが、よし、こい、などと心の中でつぶやきながら、グローブをパンパン、パパパン、パシン、パシンと手ではたいて待っていると、

たぶんライトにはとんでこないだろうと言っていた、そのライトに、

カキーンといって、白いたまが、まっすぐに、ピューと、いきなりとんできて、

あれよあれよというまに、どんどん、どんどん、たかしに、ちかづいて、

とてもじゃないけど言われたとおりのオーライなんて言ってるひまは、とてもなく、

ただ、ただ、もう、どうしよう、どうしよう、どうしようの、そればかり。


火花がちるとは、まさにこのことでした。

たまは、ゴーンと、まるでお寺の鐘でもついたかのような、にぶい大きな音をひびかせながら、たかしの顔に、それも左目に、思いっきり、ぶちあたっていたのです。

そしてそのままパンチをくらってノックアウトされたボクサーよろしく、たかしはゆっくりとうしろに、ふわりと、たおれていったのです。


みんなすぐにかけよってきました。

だいじょうぶか?

病院だ!

保健室だ!

だれか先生を呼んでこい!

早くしろ!

みんな口ぐちにそう言ってあつまってきたのですが、ふせっているたかしを、おい、だいじょうぶかと、だきおこしたとたん、


「ハハハハハ。なんだよ、おまえ、その顔」


みんな大笑いです。

右も左もわからないほどフラフラなたかしのことなど、いっさいおかまいなしに、みんな笑っていました。

たかしの左の目には、まあるく赤いたまのあとが、くっきり、ハッキリと、のこっていたのです。

でもその赤いたまあとが、つぎの日から青くかわるなんて、しかもそれが、そのあとしばらくつづくなんて、このときのたかしには、想像もできなかったにちがいありません。

 

 






 

 


 
☆☆☆*:.。.ほかにもお話しはたくさんあります.。.:*☆☆☆