母はセデーションを始めてから6日目の夜に息を引き取りました。昨夜までの肩と胸全体でしていた大きなため息のような呼吸が、この日の朝からは静かな呼吸と変化していました。
昨夜の苦しげで生死をさまよっているかのような呼吸が、静かに熟睡しているような呼吸へと変化していたのです。
表情も痩せ細った意外は、深く眠っているかのように穏やかな表情をしていました。私たちは疑うことも無く、危ない峠を越えたのだと思っていました。なぜなら過去に、母は幾度も危ない状態を乗り越えてきました。奇跡を何度も起こしてきたのです。
ところが今回は違っていました。安らかに眠っていたはずの母の呼吸が、いつの間にか止まっていました。それに気付いたのも、しばらく目をそらしてからふと母を見ると、顔色が急変していました。
黄疸が出ていた母の顔は、黄色を通り越してどす黒くなっていました。その顔色がみるみる蒼白になっていきました。血の気が引いたというか、明らかな変化でした。
慌てて看護士さんを呼びましたが、すでに呼吸が無く、心拍数も徐々に下がってきました。その後30分ほどで心臓が停止しました。もちろん蘇生することなく、見守っているだけでした。
静かな最期でした。セデーション開始から今日まで眠ったかのような状態でした。そのまま眠り続けて、静かにあちらの世界へ逝ってしまったかのようでした。苦しそうな顔もせず、いつ目を覚ましても不思議でない死顔でした。
私は母の右目尻に涙のしずくを見つけました。母が闘病中に涙を流す時は、いつも右目尻からでした。その右目尻に涙のしずくが一粒ありました。死を感じて私たち家族との別れを悟ったかのようでした。寂しかったのでしょう。私は今でもそれを思い出すと、涙ぐんでしまいます。
気丈な母の涙のしずく。元気だったころの母は、泣いているのを見たことがありませんでした。いつもプライドが高く、厳しい母でした。私はそんな母が闘病中に、3度右目尻から涙を流したのを見ました。
1度目は私の長男、つまり彼女にとっての孫と病室で会ったとき。2度目はセデーションを開始する1週間ほど前に、クリスマスツリーを見せようと、看護士さんがベッドごとホスピスのロビーへ連れて行ったとき。日差しが照りつける暖かなロビーで、ベッドに横たわってクリスマスツリーを見ていた彼女の目尻には、涙が流れていました。そして3度目は死を迎えるとき。
かすかに「ありがとう。」って言っているかのような、感謝の涙に思えてなりません。激痛に耐え抜いた母も、やっと安らかに眠ることができました。そして長かった闘病生活もようやく終わることができました。
この9ヶ月間、辛いことばかりでしたが、母を通して多くのことを学ばせてもらいました。そう意味で大変貴重な9ヶ月間だったと思います。
今年1月の私の誕生日に、母の携帯へふとした思いから「私を生んでくれて、ありがとう!」というメールを送信しました。今まで言ったことのない感謝の気持ち。それをメールに託して送りました。その時何故?そんなことをしたのか?どうしてそんな気持ちになったのか?今でもわかりません。
ただわかったことは、なんのためらいもなく、口では言えない感謝の気持ちを、メールという形で伝えることができて、本当に良かったということです。
後日、母の日記を見たとき、そのことが綴ってありました。恥ずかしいような嬉しいような複雑な気持ちだったようです。また、子供時代に辛くあたったことの反省も、綴られていました。母は過去に縛られて生きてきました。常に悔いる日々だったようです。
けど、もう今は何も迷うことはありません。あの世で過去に執着し過ぎたことを、反省しているのかもしれません。だから気持ちも楽にしてください。失うものは何もないのですから。
最後に母へ伝えたいことは、「お袋、お疲れ様。もう楽にしてくださいね。色々とありがとう。」です。
さらば!お袋。たくさんの思い出をありがとう。