ホスピスとは | 母の病状記録

母の病状記録

母の病状を記録したブログです。少ない選択肢の中で今の選択で本当によかったのか?ここに来て思い悩む日々。記録することで心の整理をしたい...そんな思いで記述しています。

ホスピス病棟へ移動してから7日が過ぎました。顔は黄色を通り過ぎて土色のような暗くどす黒いという感じに見えます。痩せ細りほぼ寝たきりの状態です。すでに自分で起き上がることさえできません。すべての行動に介助を必要とします。水を飲むのも、テレビを見るのも、ましてやトイレなど自分では行けません。必ず看護士さんの介助が必要です。


1日1回水分と電解質補給のためのヒシナルク3号輸液を点滴で投与します。そして胸あたりに皮下注射で鎮痛剤を常に投与している状態です。この皮下注射はNIPRO SP-10という任天堂DSのLLサイズぐらいの大きさのポンプ式機械で、一定の間隔を自動で薬を投与し続けます。母の場合、おそらく10分間隔ぐらいに機械が「ジィーーーー」という微かな音をさせつつ薬を体内へ投与しているようです。看護士さんへ聞くと、モルヒネではないとのこと。生食(なましょく) と同じ薬だそうです。モルヒネの副作用が強すぎて、母には合わないようです。


ホスピス病棟は床に毛足の短いカーペットが敷き詰められ、お家のリビングのような大広間があり、植栽を施しているテラスがあったりと通常の病棟とはまったく異なります。ホスピスだけ家庭的な雰囲気を心がけて内装したようです。母の病室も、そんなに大きくはないですが、家庭的な温かさのある南向きの明るい部屋です。病室のドアも古いながら木製の扉で、無機質な冷たい病室の扉とは全く違います。


リビングのような大広間には面談用のソファーセットがあり、書棚もあり、片隅にある電子ピアノでは、時折ボランティアの人たちが演奏会に来られています。今日も晩に演奏会があったようです。車椅子はもちろん、ベッドでの観覧も可能です。母は観れたのでしょうか?少しは楽しんでくれればいいのですが。


実はホスピスの最大の特徴は看護士さんにあります。今まで行った病院の看護士さんとはまるで違います。元々ホスピスの起源は中世ヨーロッパで、旅の巡礼者を宿泊させた小さな教会のことを指したようです。つまりキリストの教えがふんだんに取り入れられたボランティア精神あふれる看護士さんで運営されています。どなたも笑顔が素敵な方ばかりです。病弱な母を温かく見守ってくださるように、耳元で優しく話しかけてくれます。よくいる大声の婦長さんみたいな人はいないようです。ましてや金髪や茶髪の看護士さんも見たことがありません(※どことは言いませんが、ある病院ではよく見かけます。その度にゾッとします)。この病棟だけ空気感が違います。


ただ他の病棟と比較しても、圧倒的に病床数が少ないです。しかし看護士さんの数は多いようです。それだけに1人の患者さんに対する看護が手厚いのだと思います。ナースコールを鳴らしても5分・10分経たないと来ない病棟とはまるで違います。ボランティアの方々も出入りしています。多くはおばさんです。個々に食事を作ったり、車椅子を押してお散歩したりとよく見かけます。


最近気付いたことですが、ホスピスで過ごされている患者さんの家族も、優しそうな人が多いようです。つまりここに入れるのも患者さんの病状だけではなく、その家族の人たちの気質や考え方も影響するのではないかと思います。確かホスピスの話があった後、2・3度私たち家族とホスピス側のスタッフとの面談がありました。おそらくその時にホスピスへ入れていい人たちかどうか、審査をしていたのかもしれません。通常の病棟でたまに見かける強面の人や、ややこしそうな人を未だ見かけたことがありません。(※これはあくまでも私個人の見解です)


母は日に日に弱ってきているのが見て取れます。今では笑うことも無く、話すことも少なくなりました。顔には表情が無く、いつも眼がうつろです。死を予感しているのでしょうか?明日への希望も今となっては皆無です。ホスピスの主治医には、いつ最期を迎えてもおかしくない状態だと告げられました。9ヶ月前から私の携帯電話は休むことなく24時間待機中です。電話が鳴るたびに緊張します。毎日病院で母の顔も見ては、今日生きて会えたことに感謝しています。私の人生で、ここまで1日1日が大切だと感じたことがありません。明日のことなど考えつかないです。今日のことしか・・・。母と共に今日だけを、精一杯生きています。