ホスピス病棟への移動 | 母の病状記録

母の病状記録

母の病状を記録したブログです。少ない選択肢の中で今の選択で本当によかったのか?ここに来て思い悩む日々。記録することで心の整理をしたい...そんな思いで記述しています。

4度目の入院もすでに54日目となりました。母は奇跡的に回復し、49日目でホスピス病棟へ移動し現在に至っています。


入院当初は血が混じった嘔吐と下痢、鎮痛剤として使用していた麻薬による幻覚症状と痴呆症、膵臓癌が十二指腸の腸壁へ穴を開けたことによる膿漏と発熱、そして癌細胞に栄養素が奪われる悪液質、しかも完全に胃と腸の軌道が閉塞し、鼻からカテーテルを通してハルンバッグ で胃の中のガスや水分を外へ出す処置が施された状態。さすがに担当医でさえ余命1週間から1ヶ月と診断。それが今では奇跡的に悪い中でも安定した状態を保っています。


その奇跡は今回入院してから3週目頃から始まりました。当初ハルンバッグ に溜まった胃からの水分は、ベージュ?泥色?汚水のような濁った状態でした。しかも口から摂取した水量の10倍ほどの水分がハルンバッグ に溜まっていました。それは腹水や膿だそうです。それが徐々に量が減り、色も透明になってきました。それと平行して、熱も微熱から平熱になっていきました。その間1週間から10日ほどで安定してきました。医療的には奇跡的な回復だそうです。通常奇跡を起こすことなく、多くの方はこの段階であの世へ行かれるようです。それが良いか悪いかは別にして、母は生き永らえています。


安定期に入ってから、意識も正気に戻ってきました。つまり幻覚や痴呆になることなく、普通に考えることができる思考を取り戻してきました。丁度その頃から自分の体の行く末を心配し始めました。「私はこれからどうなるのかな?」「体は良くなるのかな?」という質問が出始めました。さすがに家族でさえ返答に困る状況が増えてきました。治ることのない体。本人も知っているはずですが、私たち家族の口から一点の希望の光を聞き出したかったのかもしれません。それはできませんでした。もうここまで来ると嘘がつけないのです。


そこで担当医に体の緩和治療とは別に、心のケアーをしてもらえるようお願いしてみました。その答えがホスピスだったのです。


当初母から膵臓癌と知らされた時には「これはヤバイかもしれない!?」と感じ、ネットで癌治療の最前線を調べた際に、日本のホスピスの存在を知りました。もともと私自身ホスピタリティーには関心がありましたし、欧米のホスピス事情はなんとなく知っていましたが、日本のホスピスのことは知りませんでした。しかも身近にあることも初耳でした。母に再度診察を受けるようにすすめた病院も、そのうちの一つでした。


まさか2、3週間前の状態で、奇跡的に回復するとは思いもよりませんでしたし、当初考えていたホスピスへ行くとも思っていませんでした。しかもこの9ヶ月間の死闘で、すっかりホスピスのことを忘れていたのも事実です。幸か不幸か癌治療の最終段階『ホスピス』へとうとう着てしまったというのが実感です。多くの癌患者の方はホスピスへ行くことなく亡くなっているが現実です。しかもホスピスへ入るのも2ヶ月待ちとも聞きます。母はそういうことでも奇跡なのかもしれません。


これ以降は遺骨として帰宅するのみです。これもやはり事実です。しかし人生最期の地だからこそ、苦しまず心穏やかに過ごして欲しい。そう切望するだけです。


母の最期の地。それはここ『ホスピス』になりそうです。