サラダ奇念日 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

サラダが好きな人は多く、今ではコース料理にも、毎日の食卓にも必需品のようになっている。

野菜抜きで食事は成り立たない時代になってしまったが、野菜に「健康」を期待する人は多い。

健康と成分は二人三脚、その健康成分の中心にあるのが野菜だ。


中でも生野菜サラダへの期待は大きく、サラダ、フルーツ中心に食事を組み立てる人も多い。

ヘルシーやダイエットなどのメディアの言葉の響きにも惹きつけられる。

体調を整える、ダイエットを目指すのがサラダだが、この数十年間でのサラダ変化はめざましい。

季節を問わず野菜が食べられるようになり、真冬でもトマトやキウリが、真夏でもキャベツや大根が食卓を飾るようになり、毎日がサラダ記念日・・


常識では、健康への「成分効果」はこれでもかと言うくらい「てんこ盛り」なのだが、「費用対効果」はどうなっているのだろうか。

つまり・・言われるような結果になったか・・ということだが、大幅に健康が回復するようでもなく、せいぜい以前より体調が良くなった感じ・・と言ったところで完治とはほど遠い。


流通する野菜の量も種類も右肩上がり、それに比例するように病の数も種類も右肩上がりが現状。

病気は間違いなく激増しているのだから、道理で言えば野菜と健康は関係ないという図式が成り立つ。

成り立てば「野菜の必要量」などは何の根拠もない道理も成り立つ。
それでも野菜やサラダ崇拝が続くのはおかしな話なのだが、他に対策が見当たらないということだろう。


野菜果物お茶同様に七草もそうだが、成分、効能の言葉ばかりが先行、健康食品はさらにそれに拍車がかかる。

必要量の不足をサプリで補えば健康になれるのなら、社員がお手本を見せて全員健康優良児ビックリマークになって整列すれば効果的なのだが・・

現実の出来事は言葉で片付けられるものではなく、目的を持って行動するならその物理的な仕組みを理解する必要があり、結果が出ないならなおさらだ。

人間の食性はともかく、食材性がおかしいから結果もそうなり、野菜の食材性とは植物の食材性、植物の仕組みを知らずして正常な食材なのか判断は出来ない。

成分もそうだが、色や形や鮮度など植物の本質とは何の関係もない。


野草からアクを抜き、水と肥料で柔らかく味付けしたのが一般的な野菜であり有機肥料も化学肥料も名前と成分以外は同じもの。、

植物としての本来のバランスが大きく壊れれば、生育に無理があるフォアグラ同様に養殖加工食品と言える。
病の激増は食材性の誤認が最大の原因と説き続けてきたが、それに気付くかどうかは個々の判断次第。


見た目と感性で仕組みの判断は出来ないし、本から学べるものでもない。

オーガニックもマクロビも植物の仕組みとは無縁で健康とも関係がない。

仕組みに気付かないから、全員はっきりした効果が出ないのであり、気付けば理論の間違いにも気付くはず。


野人はサラダをまったく食べないが、サラダ次第で効果は絶大、難しく考えるものでも、それほど苦労するものでもない。

重い病も体重も悩みも軽くなればそれにこしたことはない。

世界を見渡しても他に決定的な方法がなければ、くらしカル~音譜セミナーでも受けて見るといい。

たいした努力も経費もかからず活路が見出せるだろう。

目的が果たせない現状の野菜サラダは、単なる「好きな食べ物」の一つ・・にとどめておいたほうが良いのではないだろうか。



言葉と感性5 農業の矛盾

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成長と肥大3 正常と異常

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人間と動植物のメタボ論2 

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