言葉と感性5 農業の矛盾 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

世界の農業の大半は化学肥料や農薬を使う近代農法であり、それらを嫌う有機農法はほんの一部だ。

単に化学物質と言う言葉が敬遠されただけであり、有機も無機も中身はほぼ同じもの、精製度と循環の工程がやや異なるだけで大差ない。

自然界の肥料だろうが化学の産物だろうが地球の産物に変わりない。

どちらも表土を破壊することに変わりなく、ミネラル含有量に比例した味の違いしかない。

有機野菜が健康に良い道理など何処にも見当たらず、オーガニックと言う言葉だけが先行、多くの人が言葉の響きでその道に進んでいる。


化学肥料有機肥料を問わず農学が肥料を前提とし、耕して堆肥や石灰など理に合わない土中への異物投入を前提とするなら、表土と植物の仕組みを知る農学者は1人も存在しないと言うことになるし、確かにそれを知る農学者にはこれまで会ったことがない。


漁業が海と魚貝を相手にするように、農業とは大地と動植物を相手にする職業ではないのか、

野菜は大地の産物とされているが、大地の産物なら丹精込めた土作り、堆肥作り、野菜作りは矛盾する。

大地とは何か、人間の田畑との単純な違いは野山と比べれば子供でも気付くものだが、明確な違いとその理由を子供に説明出来る学者も農家もいない。


地上すべての生命を支える表土には複雑で高度な物理的、生態的な仕組みがあるが、人はその仕組みを必要とせず破壊、草や虫や動物など農産物以外の生物をすべて排除、それに相当なエネルギーを注ぐ。

人間以外に田畑の恩恵を受ける生き物がいないのなら、それは明らかに人間の産物であり大地の産物とは言えないだろう。


キャベツの青虫をはじめ、農薬を使わず虫を排除する人は多いが、キャベツが青虫を必要としているのであり、完全にそのような構造になっている。

青虫なくしてキャベツは育たず、キャベツなくして青虫は生きられない協生関係にある。

青虫に食われて困っているのではなく、青虫を排除されて困っているのだ。

中心の花茎まで食われることなど絶対になく、食われるのなら既にキャベツの本質を持たないと言うことであり、その原因が施肥と耕起だ。


同じ仲間のブロッコリーやカリフラワーも同じことが言える。
何故キャベツが花茎のガードの為に必要以上に巻くのか、何故ブロッコリーやカリフラワーの葉が必要以上に巨大なのか、何故それらの根と葉が最初からアンバランスなのか、他の植物と異なり何故太い根が垂直1本なのか、考えて見るといい。

それらのことからキャベツやその仲間の強い意思が見てとれるはず。

学び覚えた人間の道理ではなく自然界の仕組みを学び実践すれば誰にでもわかることだ。

土も野菜も作り育てる必要があるなら養殖野菜、加工食品と言う言葉を最初から使えばよい。

土と言う環境を毎年毎回作り続け、有機無機を問わず必ず肥料と言うエサをあげて肥大野菜を作り続けるのだからそれが当然だろう。
曖昧で紛らわしい言葉で飾ろうとするから人はそれに翻弄される。


無菌工場で野菜が作られる時代になったが、現農法は生き物だけでなく大地も太陽も必要としないと言うことであり、大地の恵み、自然の産物と言う言葉はやがて消え去るだろう。

安全、安心と言う言葉も迷走して行き着くところを知らない。


情熱を傾けた人間の思いと、動植物の思いとの間には途方もない壁がある。

森羅万象の仕組みは完全で不動、人間の観念は遠く及ばない。



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