細胞、食品などの有機物、成分をいくら探究しても病の根幹の原因は見つからない。
科学の頂点を極めた世界中の研究者が数十年間にわたって生命体の細胞の変異や食品に含まれる発癌性物質、塩分糖分の影響などを探究、それでもガン、心臓病、糖尿病をはじめ、人類を苦しめる多くの病を治せないと言うことは
「原因はそこにはない」と言うことであり、そこになければ残る可能性は「意識」しかない、これが、野人が出した道理で、他にもそこへ至る道理は幾つかある。
何度やっても道理はGPS電波のようにすべてその一点で交わるから断言しているのだ。
そうでないかどうかは、やってみればわかるし、結果が示すことだ。
見えるか見えないかではなく、現実の「存在」そのものが物理ではないのかな。
個々の意識の中身はともかく、「基本構造と指示系統の仕組み」はどの生き物もみな同じで、スピリチャルやSFやオカルトの分野ではないはずだ。
見えない、わからないなら有機細胞ではなく、死も燃焼も科学の定義は当てはまらない。
当てはまらなければ、死を迎えれば意識も消滅するという道理は証明出来ない。
証明出来ない、断定出来ないから、科学に取り残されたこの世界に無数の説や思想が氾濫する。
バリヤフリーのようになっているそれらの世界には、悩み、苦しみ、救いを求め、散財する人々が大勢いる。
言い方を変えれば、それらの多くは科学医学に見放された人達なのだ。
科学文明に依存する人間と、人として他に活路を見出そうとする人間。
正しいか間違いかはともかく、それらの組織、思想、宗教を「非科学的」と頭ごなしに蔑視するのは同じ人間として人間味に欠けるのではなかろうか。
心の救いを求める人々に対して犯罪の魔の手を伸ばす人も後を絶たない。
わからないなりに生涯を賭して頑張った大昔の物理学者は偉い。
面倒な事は跨いで通る野人は学者ではないが、わからないという理由で大事な事を避けて通る秘境モノ?無精モノにはなりたくはない。
科学者、物理学者、医学者がやれないのだからやるしかないだろう。
野人物理学、協生理論は現物理学の前提などまったく気にしないし、物理、学問に人間の壁などない。
意識から入ってもよいのだが、既存の物理から入り、答が意識しか絶対にあり得ないという道理式を出せばアインシュタインの相対性理論と大差ないだろう。
時間と空間の関係の方がはるかにピンと来ない。
(アイ~ンと入って来てシュッタイ~ン・・と抜けて行く難解な数式よりずっとわかりやすく庶民的だ)
文明は非常識人間が常識の壁を壊して新分野をこじ開けたから存在するのであり、その恩恵を受けた常識人間の中から再び非常識人間が壁を乗り越える、その繰り返しなのだ。
生命体に関して、意識だけわからないからと避けて進もうとするほうが研究者として無責任であり、学者、学会のプライドやメンツにこだわっている場合ではない。
感性や損得で、先人が確立した道を選ぶのではなく、覇気と必要性で、まったく未解明の道を歩こうとする学者はいないのか・・
地球生命の事もわからないのに、宇宙、地球外生命でもないだろう。
生命の仕組みがさっぱりわからないから世界中が喘いでいるのだ。
仕組み、道理を解けるのは物理数学しかなく、その彼らが背を向ければ解ける人はいない。
細胞が生きているなら、繊細な指示を出す個々の意識もまた生きている。
意識があるから完全な生命体であり、生命の真髄は意識にあると言える。
続く・・次回終章
見える世界と見えない世界
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農業は地球生態物理学2
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農業は生態物理学の応用
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協生理論の誕生
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1%の可能性をこじ開けよ
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