野人が本を読まなくなったのは、テーマ温故知新で「本を読まなくなった野人」に書いたが、目的が果たせないからだ。
文学系は別にして自然科学系はあらゆる角度から追及すると矛盾が多過ぎる。
ミクロの世界ばかりでジャンルを超えて学者同士の横のつながりがない。
つまり、野人が唱える「協生学」のように生き物の複合的な仕組みから関連するすべての道理を導こうとする分野がないのだ。
農業書に至っては矛盾だらけの商品製造マニュアルのようなもので、自然農法が普及しないのは精神論や苦労談が多く、合理性も生産性もないからだ。
単純な問いかけだが、農業を展開する大地とは人が作るものなのか、植物を始めとする多くの生き物達が長い時間をかけて築き上げたものではないのか。
それを重視する自然農法に理論は確立されず、現農法は最初から除外している。
だから総合的に捉えて核心をついた本はなく、仕方ないから自分で研究するしかなかった。
その範囲は植物だけでなく、生物全体、海洋学、地学、化学、物理学まで及ぶ。
植物の他に、昆虫、動物、魚貝類や藻類の歴史まで遡らなければ複合的な「仕組み」の解明は出来ない。
人類の歴史は彼らよりもはるかに浅く、人間が生態系に関与したのは地球の歴史から見れば最近のことだ。
地球の生態系を維持するには、植物を中心に、藻類、プランクトン、微生物、昆虫、鳥類、動物などそれぞれが重要な役割を果たしているが、人類はたいした役割と言うより、ほとんど役割を果たしてはいない。
地球に君臨し勝手気ままにやっていると言うだけで、言わば地球にとっては不要の生き物とも言えるだろう。
工業始め、運送業、農業、水産業などの産業は、汚染、破壊することはあっても良いことなど何一つしてはいないのだ。
地球の生き物はすべて「必要だから存在している」と言う道理の唯一の例外だ。
続く・・