矢沢永吉 若い広場 1980年 誰よりも有名になりたいと思った | 矢沢永吉激論ブログ

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リメンバー・佐世保

 

2等賞はダメだぞ、1等賞になれ

 

特別な仕事を僕らはやってるわけでしょ。

 

タイムカードを押してちゃんと仕事をやってればクビにならずに済む、それで退職後も恩給が出るってことをやってませんからね。

 

これも水商売ね。タイムカードの世界じゃありませんからね、やり続けるだけですよ。

 

だから、自分の仕事に俺は才能あるんだと。日本人って少ないね、なんか素晴らしいですねっていうと「いや、そんなことないです」って。

 

そんなことないっていうんなら歌うなって、僕の理論。だから宿したんじゃないよね、暗示かけちゃう。

 

「俺は才能があるんだ。素晴らしいんだ」って。思わない限り、やってらんないもんね。で、自分が「ちょっと僕は」っていうやつに人の前出て歌う資格ない。

 

自分に自己暗示をかけてもいいから、自分は天才だって言い切れるアーティストになろうと思ったの。銭だっておんなじね。俺は金が欲しいって言い切れるアーティストになろうと思った。

 

昔から銭が欲しいって言ってた。それはお金のお金じゃないのね。金が欲しいって言うのは何が欲しいと思います、札って限度あるです。朝昼晩3食っていうのも決まってるわけ。

 

それでも金が欲しいって矢沢は言ってる。いわゆる、安心感がほしいんですよ。安心感と底辺、ベーシックなものをちゃんと持ってれば、自分の魂を売ることもない。

 

だからホントに自分が感じたものと、自分がしたいものと、いいと思うものを絶対、そん時に思いっきり汗をかいて出したい、それを徹底的にするためにはね、底辺を固めなきゃなんないのですよ。

 

それで僕は金が欲しいって言ったわけ。金がないとしたくない仕事も受けなきゃなんない時がある。自分の信念を曲げてでもやんなきゃならない仕事もあるでしょう。

 

そういうアーティストはあまりにも自分がかわいそうだ。だから僕は1日でも早く金を儲けようと思った。自分をまとめるために。底辺を作るためにっていうことですよ。

 

(スーパースターってつらそうと言われると嬉しいけど)誰が押しつけたわけでもない。自分が望んでやってきた。

 

そう。広島から出てきた時、誰よりも有名になりたいと思った。誰よりも金持ちになりたいと思った。誰よりも大きくなりたいと思った。そう! 自分が蒔いた種ですよ。

 

それで、そのことだけ一点を見つめてダーってやってきたね。うん、おかげ様である程度金も持った、ある程度名前も持った。来た時に一番大切なものを忘れてきた気がしてきた。自分で。

 

そう、「芸能人」っていう僕にとっては不名誉なものを背負ってる。後ろに。でも、自分が蒔いた種。自分が望んできたことなんだよ。

 

でも、人間汚いね、矢沢、汚い男だ。自分が望んで、自分がやってるくせに今度は、それを勝ち得たら、今度は自由をくれって言いだした。

 

そしたら周りが僕に言った。「矢沢しょうがねえだろ、有名税だ」って。「うん、ホントは自分もよく知ってる」

 

だから勝ち続けていかなきゃなんないんだ。ここまで来たらってことになるね。