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内藤文書が非常に読み取りにくいのはなぜなのか?
読んでてもやもやする、なんかわかったようなわかんなかったような、
説得されたような、怒られたような、とっても奇妙な感じがする。

圧倒的な違和感、薄気味の悪さ、その勘は正しいです。

そんな風にできているのはいったいなぜなのか?

それはですね、個人と公人の立場、建築家の諸氏とそれ以外の人
という風に、その時々で主体を分裂させたり対象を広げたり狭めたりして
この一回きりですべてを丸め込もうとしているからなんです。

だから、ほとんどの構文において主語が消去してあります。

なので、こんな長い文章は一番最後から読みましょう。
そこに結論があります。

 「新しい国立競技場は奇異な形に見えるかも知れませんが、これを呑み込んでこそ、次のステップが見えてくるのではないかと思っています。」

これが、彼が一番言いたいことです。
この文章も二つに分けられますが、後半の太字が重要です。


これを呑み込んでこそ、次のステップが見えてくるのではないかと思っています。」



なので、文章のほぼ全域にわたって展開する論旨は、

何かを呑みこませるための、修辞と考えていいでしょう。



そして、「見えてくるのではないかと思っています。」にも注目してほしい。



通常、この文は「見えてくる。」で終わることができます。

特に、強く自分の意見を言いたいときなら「見えてくるのだ。」です。

余韻を効かすなら「見えてくるだろう。」です。



それが、「見えてくる   のではないか   と   思って  います。」

すご~く引っ張って、語尾を曖昧にしてあります。


それを引き出すために、前半に「奇異な形に見えるかも知れませんが」

で曖昧的修辞、「見えるかも知れませんが」を使って迷彩してあるのです。

そこから狙った言説で狙撃してきます。


この文章を読んで気持ち悪くなるのは、

下手な現代詩や哲学書訳文のように、

発言者がかなりの高見に立ち、非常に強い高圧的な言説を、

まるで、

受けてと同列であるかのように曖昧にソフトに迷彩してあるために


それを読んだ受け手側の脳で、なんとか合理的につなぎ合わせようとして、

論旨と印象の間で齟齬を起こしてしまうからなのです。





この一文にこの文書全体に行き渡るのエッセンスのすべてが、

凝縮されているといってもいいでしょう。


しかも、この「奇異に見えるかも知れませんが、」はいったい誰の見解なのか、

内藤さん脳内でつくりあげられた諸氏です。


諸氏が「奇異といっているかのように」偽装してあります。


これは、ストローマンという手法です。

相手を論破するために、相手が言っていないことをさも相手が言っているように前段で使い、後段でそれを論破し相手を言い負かしたかのように見せかけてる技です。

ストローマンとは藁人形つまり案山子(かかし)のことです。

かかしを前面に立てて、それを倒して勝っているように見せているのです。




最終文から、迷彩を剥がすと


「新しい国立競技場について諸氏たちは奇異な形と言っているようだが、これを呑み込まない限り、次のステップは見えないのだ。」



ストローマンをどかすと


「新しい国立競技場の奇異な形を呑み込まない限り、次のステップは見えないのだ。」



となり、はからずも本人が奇異な形を認めつつ是認を求めているのがわかるでしょう。



これがこの文書に埋め込まれた本音です。



これから読んでいく内藤文書の中には大量のストローマンが押し立ててありますので、注意してください。



以上が注意事項です。



1.曖昧迷彩に気を付けて、狙撃手が狙っているよ

2.論破されているのは、ただのストローマンだよ


では、いきますか

 

【建築家諸氏へ】

1.前段

構文1-1 近況報告

新しく建てられる国立競技場のことを本当はどう思っているんですか。会う人ごとに聞かれます。講演をすれば、しゃべったテーマとは関係がないのに、この件に対する質問を受けます。何通ものメールもいただきました。
  ↓既対応と既存同例の錯誤を誘発

こちらとしてはいささか食傷気味ですが、建築界としてはここしばらく例がないほどに関心が高まっているのだと思います。

  ↓レッテル張りの仕込み、後段で頻繁に利用

社会的な正義を唱える建築家たちの姿は、しばらく見かけなかったことです。これは是とすべきでしょう。

構文1-2 公的発言

国立競技場の設計競技については、審査委員の一人である以上、結果に対しての責任は当然のことながら負っているものと思っています。ただし、審査経過とその対応については、明文化されてはいませんが一定の倫理的な守秘義務を負っているはずなので、審査委員長の発言や公式発表を越えた発言は、可能な限り控えたいと思っています。


前文はゆったりと話し言葉で始まってますね。

この効果はやはり読みやすさだけでなく親しみやすさ、また、おっとり刀で登場して余裕のあることろを見せつけてくれています。


しかしながら、注意するべきは

「いささか食傷気味」

「社会的正義を唱える建築家たち」

の二点。


「いささか食傷気味」、この効果は既に何度も(これが初めてにもかかわらず)、

今回のような回答をおこなってきたかのように錯覚させ、またかよ、うんざりだよ、しつこいな、これが最後だぞ!と表明しています。


「社会的正義を唱える建築家たち」、いきなりのジャブです。諸氏の姿をかつての左翼的運動家と同義であるかのように設定し、自らはそれをも呑みこむ大度量をもっているといった演出です。

この語はいきなりですが、ここではサラリと流してありますが、文頭で諸氏たちのイメージを「社会的正義論者」=「非現実主義者」に限定する効果を狙っており、後半でストローマンにするための準備段階です。


2.主文 発言主体の明示

以下に述べることは、現在の全般的な状況に対するわたし個人の見解と危惧です。

触れることができる範囲のことと自分の考えを述べ、以後、質問にお答えすることは控えたいと思っています。

構文2-1 コンペに対する主観

設計競技の手続きに関して、いくつか厳しい指摘がなされていますが、短い時間の中での窮余の策であったことを考えれば、充分とはとても言えないまでも、まあまあだったのではないかと思っています。

               ↓原因の一部を他社に仮託し勝手に反省

世論喚起を急ぐあまり、広告代理店による誤解を招くような事前の情報発信があったことは反省点です。

構文2-2 

設計競技全体の在り方に関しては、類似の案件が生じた場合の対応として、今後に活かす議論とすべきです。

今回の事例を土台に、より良いものに改善されていくべき事柄だと思います。

構文2-3 警告1 ストローマン導入

不備を指弾する声もありますが、普段からこの仕組みを議論の俎上に上げてこなかった自省の弁から始めるべきです。

構文2-4 論点の飛躍1

そうでなければ、設計競技なんていう面倒くさいことはやめておこう、ということになりがちだからです。

構文2-5 論点の飛躍2と拡張1

これは景観の議論にも通じることです。景観を公共財とするなんてまるで意識のないところに、赤白の縞々の住宅が出来るというので話題になったことは記憶に新しいところです。

構文2-5 論点の回避。倒置法

普段から問題意識がなければ、議論は後追いになるばかりです。常日頃が大切です。

構文2-7 対人論証。警告2

署名運動を繰り広げている建築家たちは、常日頃から神宮の景観を議論し、それほどまでに愛していたのでしょうか。絵画館の建物をそれほど愛していたのでしょうか。絵画館に飾られている絵画を一度でも見たことがあるのでしょうか。


2。の見解と危惧はもうやりましたが、「以降、質問には答えない」ときていますが、1.における「食傷気味」が効いているため、ね?なんとなく納得していまいますよね。


次に本書で独特の話し言葉効果「まあまあだった」が登場します。

ここでも、曖昧迷彩「まあまあだった―のでは―ないか」と文を引き伸ばします。

「反省だった。」も何かしおらしい感じを受けますが、これは広告代理店がアホだったことを反省しており、自省の弁ではありません。


2-2では、「よりよきものに改善していくべき」と正論を吐いていますが、これは倒置法であり、今議論するべきコンペのあり方について、「今後に活かすべき」ことがらであるとあくまで、当事者意識を欠いたままの、俯瞰的位置からです。



5へつづく

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