内藤文書の解題8

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内藤文書の解題4
内藤文書の解題3
内藤文書の解題2
内藤文書の解題1





安藤忠雄研究の2を書かなきゃいかんと準備を進めていたのですが、

先日、審査員のおひとりの内藤廣さんから声明が発表されたと知りました。


なんと!やはり僕らの内藤さんだ!なんて書いたんだろう、ワクワク。

と期待と期待感でその文書を読んだのですが




読み始めて数行で、


尺八の音色が「フオーーン!!」と響きまして、、、




こうなりました。




腐れ果てた文章でした。




読み始めて数行で展開される詭弁の数々に正直なところ吐き気というか

おおげさですが、筒井康隆が短編でよくやる狂人の文章かとも思いました。


こりゃ、だめだ。


きっと、日本中の建築家のちびっこたちもとってもがっかり悲しくなっているだろうと思い、その影響を危惧していたのですが、


わたくしのTwitterでの嘆きに関して、一部の方からは賛同があったものの

なぜ?森山さんなんで怒っているの?

森山さんが予想して書いててたみたいに内藤さんはやっぱり堂々と発言したよ。

あの文書のどこが変なの?

といった質問も寄せられたんですね。


愕然としました。


えっ?あの悪意と傲慢さそしてある種の怯えに溢れた詭弁的文書の真意がわからないのか?


そうかあ、それほどまでに作り込んであるかあ、、やるなあ内藤さん。


こりゃきっちり解説するしかないな、イヤだけど。

と思い直したんですね。


安藤忠雄研究2よりもこっちのが急ぎだなと


で、ゆっくりと落ち着いて再度読み直してみたところ、


一見個人的感慨の体をとりながら、戦略的に非常によく練り上げられた攻撃的文書だということがはっきりしてきたんです。
非常に巧妙であり、今までの内藤像を崩さないように細心の注意を払いながらも自滅しているんです。


筒井康隆の「言語姦覚」という、超絶ぶっとんだ筒井ならではの感性がほとばしりすぎて、読むと気が狂いそうになる小説があるんですが、


それにまさるともおとらない「建築家姦覚」なんです。


なぜ、あいかわらず、俺はザハの提案がこのように良いと思っているのだ。

と言えない、言いたくないのか、、



しょうがないので、仮にザハ案を推すとしたなら、
このように建築的評価をするべきだ、という模範解答を俺が書いておく。

もしもザハの提案における建築的評価点をいうならこんな感じだろう。


「ザハの提案が巨大であるとか異形であるとかいうご意見もあろうかと思うのですが、ザハ案における画期的なデザインメソッドはその流体的な形態の操作と今までのスタジアムに見られなかった構造方式です。

通常、スタジアムというものは競技コートおよびトラックの形状を反映し、その周囲にできるだけ観戦者への目線を同等に確保したいという機能上の要望から、楕円もしくは限りなく円形に近い形態をさしたる検討もなくまず採用してしまうものです。


しかしながら、ザハ案においてはそういった前提条件に異議を唱え新たな形態的仕組みを提案しています。それは、競技場全体に大きくまたがる竜骨的なブリッジ構造と、真円や楕円といった純粋幾何形状ではない生物学的な背骨の構造、自由に波打つ競技場側面のふたつに大きな特徴と評価があります。


 まず、最初の竜骨構造ですがこれは全体に二本に分かれることによりスタジアム内部への採光や通風への配慮を解決し、さらには伸びやかにスカイラインを形成し、また端部でまとまることで、競技場内部における有機的な一体感をもった空間を実現しています。ちょうど大きな生物の体内にあるかのような安堵感と同時に、咲きかけのつぼみの内部から空をのぞくような未知の体験を与えてくれるでしょう。


そして、そのような自然形態を彷彿とさせる新たな建築的ジオメトリーは真に未来的なものです。


次に外部へ伸びていく波打つデッキや空中歩道は敷地に近接する電車や高速道など現代の交通機関のネットワークや人々の動きに対応するものであり、神宮外苑と新宿御苑の深い緑の空間を建築デザインによって切り結ぶ効果もあると考えられるのです。


つまりは20世紀型の幾何学の範疇から次の世紀へつながる新たな建築形態と構造システムの萌芽をそこに見たのです。」


ザハを擁護したい連中はどうぞこれを使えばいい。


そして、内藤文書がいかに詭弁にあふれているのかを解説していく。

今後の建築家諸氏がこのような詭弁的文章を書き続けることがないように猛省をうながしたい。



建築家諸氏へ  内藤廣建築設計事務所

http://www.naitoaa.co.jp/090701/top/forarchitects.pdf

内藤廣が新国立騒動にもの申す「ザハに最高の仕事を」 ケンプラッツ

http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20131209/643769/


なお、この論旨は一見ソフトに感情に訴えもしこれが音声だったなら聞き流してしまうだろう、文書であったことが詳細に検討が可能であったためにまだ救いであったといえる。



解説の前に、全体構成がどのようになっているかパーツごとにバラバラにする。

赤字は筆者


【建築家諸氏へ】

1.前段

構文1-1 近況報告

新しく建てられる国立競技場のことを本当はどう思っているんですか。会う人ごとに聞かれます。講演をすれば、しゃべったテーマとは関係がないのに、この件に対する質問を受けます。何通ものメールもいただきました。
  ↓既対応と既存同例の錯誤を誘発

こちらとしてはいささか食傷気味ですが、建築界としてはここしばらく例がないほどに関心が高まっているのだと思います。

  ↓レッテル張りの仕込み、後段で頻繁に利用

社会的な正義を唱える建築家たちの姿は、しばらく見かけなかったことです。これは是とすべきでしょう。

構文1-2 公的発言

国立競技場の設計競技については、審査委員の一人である以上、結果に対しての責任は当然のことながら負っているものと思っています。ただし、審査経過とその対応については、明文化されてはいませんが一定の倫理的な守秘義務を負っているはずなので、審査委員長の発言や公式発表を越えた発言は、可能な限り控えたいと思っています。

2.主文 発言主体の明示

以下に述べることは、現在の全般的な状況に対するわたし個人の見解と危惧です。

触れることができる範囲のことと自分の考えを述べ、以後、質問にお答えすることは控えたいと思っています。

構文2-1 コンペに対する主観

設計競技の手続きに関して、いくつか厳しい指摘がなされていますが、短い時間の中での窮余の策であったことを考えれば、充分とはとても言えないまでも、まあまあだったのではないかと思っています。

世論喚起を急ぐあまり、広告代理店による誤解を招くような事前の情報発信があったことは反省点です。

構文2-2 

設計競技全体の在り方に関しては、類似の案件が生じた場合の対応として、今後に活かす議論とすべきです。

今回の事例を土台に、より良いものに改善されていくべき事柄だと思います。

構文2-4 警告1 ストローマン導入

不備を指弾する声もありますが、普段からこの仕組みを議論の俎上に上げてこなかった自省の弁から始めるべきです。

構文2-4 論点の飛躍1

そうでなければ、設計競技なんていう面倒くさいことはやめておこう、ということになりがちだからです。

構文2-5 論点の飛躍2と拡張1

これは景観の議論にも通じることです。景観を公共財とするなんてまるで意識のないところに、赤白の縞々の住宅が出来るというので話題になったことは記憶に新しいところです。

構文2-5 論点の回避。倒置法

普段から問題意識がなければ、議論は後追いになるばかりです。常日頃が大切です。

構文2-7 対人論証。警告2

署名運動を繰り広げている建築家たちは、常日頃から神宮の景観を議論し、それほどまでに愛していたのでしょうか。絵画館の建物をそれほど愛していたのでしょうか。絵画館に飾られている絵画を一度でも見たことがあるのでしょうか。

3.主文 論点以外への解答行為

構文3-1 ストローマン導入

設計競技でもっとも重視されるべきは、審査過程に於ける公平性であることは言うまでもありません。審査委員会に、特定の意志が外部から働くようでは、審査も何もあったものではありません。

構文3-2 ストローマンを論破

この点に関して、わたしの知る限り、外部から働きかける特定の意志は、まったくありませんでした。審査過程で意見の相違はあったにせよ、審査結果は、あくまでも審査委員の責任に於いて、委員長によって取りまとめられたものと思っています。

構文3-3 すでに発表された事柄の反復

個性的なザハ・ハディドの案については、建築家諸氏には賛否があるはずですが、あの案の中にある生命力のようなものを高く評価することでまとまりました。

最後に決する際、日本を元気づけるような案を選びたい、という委員長のとりまとめの言葉は、委員それぞれに重みのあるものと受け止められたはずです。

4.主文 論点のすり替え

構文4-1 先験的な感情を惹起

あの時期のことを思い出してください。大震災の記憶が生々しく人々の脳裏に残っている時期でした。三陸の復興は先がまったく見えず、福島の原発は危機的な局面が続く迷走状態でした。多くの人が漠然とした不安を心の内に抱えていたはずです

。痛みや悔恨が世の中に満ちていて、未来への希望がなかったのです。オリンピックにしたところで、あの時点で東京が招致に成功するとは、ほとんどの人が思っていなかったはずです。

構文4-2 同調による誘因

わたし自身も招致の可否については半信半疑でした。

招致が決まった今だから言えるきれい事もあります。しかし、あの時期を思い起こせば、ザハの案に決定して良かったと今は思っています。

5.論点のすり替え2 

構文5-1 論点先取と多重尋問

これは好みや建築的な主義主張の問題ではありません。

あの案がオリンピック招致に果たしたであろう役割も思い出すべきです。あの思い切った形は、東京の本気度や真剣さを示すという大きな役割を果たしたはずです。

構文5-2 同情論証 警告3

高邁な論議とは異なる次元で、おおいに危惧していることがあります。それは設計者であるザハのやる気です。

建築の設計者であれば誰でも了解できることと思いますが、建物のレベルは設計者の情熱の絶対量に掛かっています。設計者がどれくらいの精神的なエネルギーを投下するのかによって、建築のレベルは大きく変わります。当選したけれど、あれこれ面倒くさいことばかりで嫌気が差し、担当者任せ、実施レベルの設計者に任せっぱなし、という状況が生じるとしたら、あの建物は規模だけ大きい二流の建物になってしまいます。ザハにしてみれば、座敷に呼ばれて出かけていったら袋叩きにあった、という

気持ちかもしれません。

構文5-2 論点先取と多重尋問

そうなれば、それこそ国税一千数百億を使った壮大な無 駄遣いです。

6.論点のすり替え3 

構文6-1 ザハをストローマン化

ザハはソウルで巨大な美術館を完成させつつあります。東京の建物はそこそこでいい、ソウルの建物こそが自分の作品だ、ということになったらこれ以上残念なことはありません。

構文6-2 ヌーベルをストローマン化

ジャン・ヌーベルの基本設計による汐留の電通ビルは、ヌーベルにとっては不本意な作品だと聞きます。彼にとっては、自分の作品ではない、ということなのでしょう。

実際、ヌーベルらしい切れ味はなく、中途半端な印象は免れません。あまり話題にもなりませんでした。

構文6-3 6-1、6-2を受けて一般化

神宮のザハは、汐留のヌーベルにしてはならないのです。

構文6-4 6-3から脅迫論証を導出。恫喝1

ザハのやる気に関して、今現在、世論を誘導している諸氏は、その責任を取る覚悟があるのでしょうか。


つづく



※ストローマン(Straw man)というのは藁人形のこと
A 「私は子どもが道路で遊ぶのは危険だと思う。」
B 「そうは思わない、(子どもが外で遊ぶのは良いことだ。)A氏は子どもを一日中家に閉じ込めておけというが、果たしてそれは正しい子育てなのだろうか。」

わら人形、わら人形論法、架空の論法ともいう。

Aが主張していないことを自分の都合の良いように表現しなおし、

さも主張しているかのように取り上げ論破することでAを論破したかのように見せかける。


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