内藤文書の解題8

内藤文書の解題7
内藤文書の解題6
内藤文書の解題5
内藤文書の解題4
内藤文書の解題3
内藤文書の解題2
内藤文書の解題1

 

内藤文書の解題2を読まれたみなさん、本当にお疲れさまでした。

じゃ解説始めます。
え~っと、整理するとですね。
内藤先生の文書は、大きく分けて
個人的見解
個人的危惧
の二つがあるとされています。(本文内で明示されています。)


見解はまあ、意見ということで思っていること考えていることなので、けっこう包括的意味なんです。
危惧(きぐ)というのは、あやぶみ、おそれること。これは、危険な結果を恐れているという意味です。

そういった意味では見解の中に危惧も含まれると思うので、単に個人的見解でもいいのですが、ここでは、あえて危惧を同列に取り出してあります。
同じ語法に従えば、「見解と心配」「見解と憂慮」といった風になりますので
見解の中でも特に危惧に注目してくれよ、という意図といえるでしょう。

なので、この「建築家諸氏たちへ」の文書内容は
内藤廣さんが、考えていることと、あやしんで恐れていること、
だということです。

まずタイトルにもなっている

「建築家の諸氏」というのは
代表の槇氏のほか、大野秀敏・東京大学教授、古市徹雄・千葉工業大学教授、元倉眞琴・東京芸術大学教授ら25人。賛同者名簿には、建築や都市計画の専門家など約80人の先生方を
指しているはずです。


彼らに向けられた危惧をまず取り出してみましょう。

内藤文書危惧の1*************

構文2-4 警告1 ストローマン導入

不備を指弾する声もありますが、普段からこの仕組みを議論の俎上に上げてこなかった自省の弁から始めるべきです。

構文2-4 論点の飛躍1

そうでなければ、設計競技なんていう面倒くさいことはやめておこう、ということになりがちだからです。

構文2-5 論点の飛躍2と拡張1

これは景観の議論にも通じることです。景観を公共財とするなんてまるで意識のないところに、赤白の縞々の住宅が出来るというので話題になったことは記憶に新しいところです。

構文2-5 論点の回避。倒置法

普段から問題意識がなければ、議論は後追いになるばかりです。常日頃が大切です。

構文2-7 対人論証。警告2

署名運動を繰り広げている建築家たちは、常日頃から神宮の景観を議論し、それほどまでに愛していたのでしょうか。絵画館の建物をそれほど愛していたのでしょうか。絵画館に飾られている絵画を一度でも見たことがあるのでしょうか。


たくさん危惧が入っていそうですが、実際は2つです。

まず、第一の危惧は
(諸氏の人たちが自省の弁から始めなければ)
「設計競技などめんどくさいからやめておこうということになる」
続いて
(諸氏のうち、これまで景観に意識のなかったものらは)
「景観の議論も同上になる」
です。

この内容はですね。内藤さんが考えている諸氏のこれまでの態度についてです。
いわく、これまで諸氏はコンペの仕組みについて真面目に考えてこなかっただろ?その結果として今がある。だから、コンペについて物申す前に、自己批判せよ、そのうえではじめなければ、今後はコンペで設計者を選ぶなどということはめんどくさくなるという発言です。この文には主語がありませんね。なので、諸氏も含めたすべての人たちがめんどくさくなるという危惧だと思います。

同様に、景観の議論も諸氏は今回初めて景観論を持ち出しているはずであるから、まず自己批判から入ってもらわなければ、この議論もめんどくさくなる。
という危惧と思われます。

では、次の危惧にいってみましょう。

内藤文書危惧の2*************

構文5-2 同情論証 警告3

高邁な論議とは異なる次元で、おおいに危惧していることがあります。それは設計者であるザハのやる気です。

建築の設計者であれば誰でも了解できることと思いますが、建物のレベルは設計者の情熱の絶対量に掛かっています。設計者がどれくらいの精神的なエネルギーを 投下するのかによって、建築のレベルは大きく変わります。当選したけれど、あれこれ面倒くさいことばかりで嫌気が差し、担当者任せ、実施レベルの設計者に 任せっぱなし、という状況が生じるとしたら、あの建物は規模だけ大きい二流の建物になってしまいます。ザハにしてみれば、座敷に呼ばれて出かけていったら 袋叩きにあった、という

気持ちかもしれません。

構文5-2 論点先取と多重尋問

そうなれば、それこそ国税一千数百億を使った壮大な無 駄遣いです。

6.論点のすり替え3 

構文6-1 ザハをストローマン化

ザハはソウルで巨大な美術館を完成させつつあります。東京の建物はそこそこでいい、ソウルの建物こそが自分の作品だ、ということになったらこれ以上残念なことはありません。


ここの危惧が一番大きいそうなのですが、それは


「ザハが
  あれこれ面倒くさいことばかりで嫌気が差し」
その結果、
「国税一千数百億を使った壮大な無 駄遣いになる。」
もうひとつの危惧が
「ザハが東京の建物はそこそこでいい、ソウルの建物こそが自分の作品だと考えるようになる。」

ということだそうです。
ここでも、めんどくさいという言葉が出てきてますね。

国税の無駄遣いは確かに私も危惧しますが、
(内藤さんの考える脳内の)ザハが
、あれこれ面倒くさいことばかりで嫌気が差し、(仕事を)担当者任せ、(日建設計や梓設計、日本設計、アラップ等の)実施レベルの設計者に任せっぱなし、という状況が生じ、(内藤さんの考える脳内の)ザハが
ソウルの建物の方を自分の作品だと考えることについての危惧はちょっと理解できませんね。
もし本当にその程度で嫌気がさしてしまう(脳内ザハのような)設計者に、国家的プロジェクトを依頼していいのか益々心配です。

ただね、このコンペってデザイン監修とかいう中途半端な募集なはずですから、
ザハの設計に向ける意欲っていうのは初めから沸かないようにデフォルト設定してあると思うんですよ。
それを諸氏のせいにしてしまえないか、という意図が見え隠れしています。

つづいて次の危惧は文書の後半です。
内藤文書危惧の3*************

13.主文 他事例と比較
構文13-1  
大会開催後改修して規模を小さくしたロンドンのオリンピックの会場と比較して、8万人収容の問題も縮小案の俎上に上がっています。ロンドンには、この会場以外に8万人規模の収容人員を持つところが二つもあるわけですから、一概に規模だけを問題にするのは早計です。

14.論点のすり替え6 媒概念曖昧と不周延の虚偽
14-1

東京という都市は、上海、香港、ソウル、シンガポールなどとコンペティティブな関係にあります。
14-2
新興勢力の前に負け戦が続いています。
14-3A
縮退は麗しい美学かも知れませんが、
14-3B
意欲的な改革無くして、 
14-3C
高齢化圧力が増すばかりの東京が都市間競争の負け組になるのは明らかです。
14-1と14-2と14-3に論理的つながりはない。
特に14-3A、B、Cは一文の中ですら論理の一貫性欠く


15.主文 8万人集客条件の是認 主観
個人的な見解ですが、8万人規模の集客が数多く生まれるような都市になるためにはどうしたらよいのか、そのような東京を造っていくのにはどうしたらよいのか、と考える方が前向きの考え方ではないでしょうか。


ここでの危惧は
8万人規模のスタジアムを持たなければ
「東京が都市間競争の負け組になる

ということらしいです。

ここでも再度ソウルに負けるとか書かれていますけれど、
ハブ空港問題とか金融センターとかの人・物・情報流通政策や、
観光政策なら都市流入人口問題とからむような気がしますが、
新国立競技場の設計案が都市間競争にどうからむのか私にはわかりません。


最期の危惧です。
内藤文書危惧の4*************

17.論点のすり替え8 媒概念不周延の虚偽

17-1   構文14から一般化

この国では、とかく縮小方向で議論をまとめていく傾向があります。

17-2   17-1同義

無駄遣いをやめる、節約が美徳。

17-3   ↓前段と無関係な主張。レッテル「」

そちらの方が「分かりやすい正義」になりやすいからです。


18.次19への導入部 論点のすり替え9 媒概念不周延の虚偽

新しい国立競技場は、その姿形からして目立つという点で分かりやすいターゲットの出現ですが、今現在、掲げられている錦の御旗に依拠している限り、建築の文化に資するような議論には発展していかないでしょう。


19.加害者的ストローマン登場 論点のすり替え10 

19-1  ストローマンからの攻撃報告

異議を唱える諸氏は、振り上げた拳をどこに下ろすつもりなのでしょう。

19-2  ストローマンからの攻撃報告

国立競技場の建設を止めさせれば満足なのですか、オリンピック招致を見送れば満足なのですか、どこまで成果が得られれば矛を収めるつもりなのですか。

19-3  ↓ストローマンへの問いかけ

そう問いたい。




最期の危惧は
(今現在、掲げられている錦の御旗に依拠している限り、)
「建築の文化に資するような議論には発展していかない」

掲げられている錦の御旗というのは
槇さんが提出されたという、
「新国立競技場に関する要望書」のことだと思うのですが、

「錦の御旗」とはいったい何かといいますと、もともと、天皇陛下が朝敵討伐の証として、官軍の大将に与えた軍旗のことです。
そこから派生して慣用句では、行為や主張を権威づけるための名分の意となりました。

つまり、
「新国立競技場に関する要望書」により初めて諸氏は正当性を獲得している。槇先生が居てこその諸氏だ、という意味です。
槇先生に頼っているようでは建築の文化に資するような議論には発展していかないという、、、これ、どんな危惧なのかな。

今回まさに神宮外苑という明治天皇顕彰の地についての議論ですので、ここで錦の御旗を持ち出すのは比喩としても適切でないと思うのですが、まあそういうことです。

「新国立競技場に関する要望書」とはなにかといいますと、
以下のような3つの要望を文部科学省に提出されています。

要望1 外苑の環境と調和する施設規模と形態
東京都心における本敷地並びに敷地周辺の歴史とその意味を十分尊重して、イベント時の安全性の確保に留意しつつ、本施設がそれと調和した計画となることを要望します。

要望2 成熟時代に相応しい計画内容
日本は成熟社会を迎え、少子化と高齢化に進行します。この現実を見据え、50年後にも納得できる内容をもった施設の計画を策定されることを要望します。

要望3 説明責任
本プロジェクトの行く末に多くの国民が強い関心を抱いています。計画内容が決定された時点において、それに至る経緯と計画内容の詳細を公表して戴くことを要望します。これは、このような重要な公共施設の設置者の市民社会に対する義務であるという認識に基づいています。

上記要望に依拠している限り建築文化に資する議論にはならない。というご意見なんですが、建築家諸氏とされた80人の先生はどう思われるのだろう。


とりあえず、危惧は以上4つです。
内藤文書が重要視している危惧をまとめておきます。

1.
諸氏らが何か言うと
今まで問題意識のなかった諸氏たちはまず自省の弁から始めなければ、設計競技などめんどくさいからやめておこうということになる。同様に景観の議論も
めんどくさいからやめておこうということになる。

2.諸氏らが何か言うと
ザハが

あれこれ面倒くさいことばかりで嫌気が差しその結果、「国税一千数百億を使った壮大な無 駄遣いになる。
ザハが東京の建物はそこそこでいい、ソウルの建物こそが自分の作品だと考えるようになる。

3.諸氏らが何か言うと
8万人規模のスタジアムを持てなくなり、東京が都市間競争の負け組になる


4.諸氏らが何か言うと
槇さんが提出されたという、「新国立競技場に関する要望書」に依拠している限り、建築の文化に資するような議論には発展していかない。



古文書みたいにだんだん読めるようになってきました。
つづきます。


次は見解をみてみましょう。

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