グラップラー刃牙の地下闘技場に関する建築的考察 1

グラップラー刃牙の地下闘技場に関する建築的考察 3
グラップラー刃牙の地下闘技場に関する建築的考察 4
グラップラー刃牙の地下闘技場に関する建築的考察 5 最終章


グラップラー刃牙の地下闘技場編に登場する地下闘技場は、
ご老公と呼ばれる水戸藩末裔の老紳士により準備され、
東京ドームの地下にあることになっています。
以前は、後楽園競輪場と後楽園球場がありましたよね。

建築エコノミスト 森山のブログ

この武道場は、水戸藩の光圀公より江戸時代から連綿と守られてきた伝統,
ということになっておりまして、
実際に東京ドームの場所は旧水戸藩邸と後楽園です。

後楽園とは1629年(寛永6年)に水戸光圀が明から亡命してきた朱舜水(しゅ しゅんすい)に,設計依頼をして出来上がった庭園です。
また、「後楽園」という命名も朱舜水による選定です。

その意は、為政者たるもの「先憂後楽」、
「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」
天下を治めるものならば、人々よりも先に物事を心配し考慮する、
人々がみな陽気に暮らせるようになってから、はじめて気を楽にするべき、
といったような責任者やリーダー、エリート達への戒めの意味です。

この朱舜水という人は明の学者であり、実は元ゲリラ、独立運動の活動家です。

建築エコノミスト 森山のブログ

「国性爺合戦(こくせんやがっせん)」という近松門左衛門による戯曲があります。
大体、高校の古文か日本史のテストの問題でチラッと登場して終わり。
高校の教師もタイトルを記憶しとけ、というくらいの対応がほとんどだと思います。
私の場合もそうでした。
「なんか、花咲じじいみたいな話?とか好色五人男のジジイ版?」
などと勝手に想像してましたが、
大人になって、鄭成功(てい せいこう)の物語を読んで、
「三国志張りの血沸き肉踊るめちゃくちゃ面白い話じゃないか!!そうだったのか!」
と判ったのです。

国性爺合戦とは、
国姓爺(明の開祖朱元璋の苗字である朱を名乗ることを賜ったことから国の姓を名乗る威丈夫といった意と呼ばれたこの鄭成功の物語を元にした物語です。
鄭成功とは、海軍を率いては無敵、騎馬を率いても巧みで、
日本の鎧をまとって戦った。
まあ、源義経とかジオン皇国のシャー・アズナブルばりの必敗の戦士、
悲劇のヒーローです。

建築エコノミスト 森山のブログ

いや、滅亡しそうな祖国を守って戦うその姿、元々海賊というところからも
鄭成功とはリアルキャプテン・ハーロックといえるでしょう。


ちなみに、花街の料亭などのお座敷遊びで「虎拳」というのがありますが、
「とら と~ら と~ら とら」といいいながら襖から、出てきて虎、女、鉄砲の格好をするじゃんけんみたいなものですが、この女とは劇中で和藤内とされた鄭成功の母親、田川松のことです。近松門左衛門の「
国性爺合戦の大ヒットにあやかった遊びだそうです。

この鄭成功、当時の明末の海賊であり貿易商でもあった中国人鄭芝龍とその妻平戸藩士の娘田川松との間に生まれ、旧名を田川福松といいいます。
この鄭親子は、徳川家光の時代に平戸と福建をまたにかけて活躍していましたが、日本の鎖国令の厳命によって、以降明に渡りました。
ところが、明は李自成の乱によって滅び、変わって満州族の清が中華に進入してきましたが、そのときから明の再興を目指して戦い続けたのです。

建築エコノミスト 森山のブログ

元々、海賊でもあったというそのもてる海軍力によって各地を転戦。
父親の鄭芝龍が清に降ったのを潔しとせず、鄭成功自らが軍を率いて北進。
あと一歩というところで南京で完敗。
台湾を占領していたオランダ軍を追放し、台湾政府を樹立。
何度か明再興を夢見て戦い続けますが、遂に夢果たせず台湾に没します。

ここらあたりは、尼子氏再興を夢見て力の限り戦い続けた戦国一の男前、
山中鹿之助のようでもありますね。

朱舜水とは、この鄭成功の武装蜂起に応じて明再興を目指す活動に身を投じた若き儒学者、進士です。
主に成功軍のロジスティックスを担当していたようで、
ベトナムなどの周辺諸国にも渡航し、鄭成功のもうひとつの祖国である当時江戸幕府に明への援軍を求めて来日していました。
しかし、志至らず、明は滅亡してしまいました。
その失意の朱舜水を庇護したのが光圀公だったのです。


この朱舜水を大層尊敬したという光圀公の度量は、
水戸黄門という物語に受継がれるほどのやはり、男気あふれる名君っぷりだったのでしょう。
建築エコノミスト 森山のブログ

また、面白いエピソードとしては日本で最初のラーメンは、この朱舜水が光圀に振舞ったと言われています。
建築エコノミスト 森山のブログ

グラップラー刃牙でいうように、光圀公が武道場を整備したのかどうかは史実にはありませんが、実際に水戸藩は剣術の世界では、幕末まで相当なスポンサーであったのは事実です。
無外流、田宮流居合術、小野派一刀流、北辰一刀流千葉道場、など多くの剣術道場があり、多くの剣士も輩出して、藩主も藩士も武術に親しんでいたようです。


とするなら、やはりこの地下闘技場は水戸藩が準備したということで間違いはないし、
闘技場が東京ドーム下に建設されたのは、真に的を得た板垣の選択だと思います。


で、この東京ドームですがどこが設計・施工したのでしょうか、、

それは竹中工務店です。(これは私のネタ考察ではなく、歴史的事実)

なるほど、これもなかなかの妙味ですね、水戸藩といえば御三家。
そして竹中工務店といえば、
以前私がブログで戦国ゼネコン竹中工務店としてご紹介したように、

戦国ゼネコン 竹中藤兵衛 巻の1

かつての織田信長の家臣でかの竹中半兵衛の一族といわれています。
その尾張も御三家。
とするならこの東京ドームプロジェクトは御三家同士でおこなわれたわけです。


水戸、尾張、そこで刃牙です。

建築エコノミスト 森山のブログ

このグラップラー刃牙という物語世界は、
戦国時代から、江戸時代を経て、明治、大正、昭和、平成と、
武道に命を賭けた男たちによって脈々と支えられてきた。
そんな史実を下敷きに出来上がっているのでした。


グラップラー刃牙の地下闘技場に関する建築的考察 1

グラップラー刃牙の地下闘技場に関する建築的考察 3
グラップラー刃牙の地下闘技場に関する建築的考察 4
グラップラー刃牙の地下闘技場に関する建築的考察 5 最終章