前のエントリーは、ベンゾジアゼピン系薬剤の離脱症状についての報告だった。

これはいつものことなのだが、「ベンゾ」や「離脱」について取り上げると、ブログへの反応が非常に活発になる。ベンゾ、離脱というと、何か特別なことででもあるかのように、ビビッドな反応なのだ。

それはつまり、処方されている人の数がとてつもなく多く、安全な薬を言われて飲み続けた結果の離脱症状があまりに厳しく、しつこく、多岐にわたっているということの証なのだろう。

そして、「ベンゾ」「離脱」と同じように、取り上げると多くの反応をいただくのが「発達障害」についてである。ということは、これもベンゾ同様、いかに多く「発達障害」の診断が下されているか、今の子どもを取り巻く環境の中に「発達障害」がいかに深く根付いているかの証でもあるのだろう。

今回はその発達障害について、取り上げようと思う。

もう1か月半以上も前にいただいたメールである。(私の事情で、公開が先延ばしになってしまいました)。

現在中学1年生の息子さんを持つお母さん(HN・こばるとさん)からの報告。




発達障害のスクリーニング

現在中学1年生の息子を持つ母です。

十数年前のことですが、息子が幼稚園の入園テストで引っかかりました。年に何人かが園の教諭によるスクリーニングで発達障害の疑いで不合格になるそうです。

そのときのテストは、保護者は入れませんでした。子供達だけで教室で遊ばせ、教諭がそれを観察し、合否を決めていました。厳密な意味でこれがスクリーニングかどうかはわかりませんが、発達障害の早期発見・早期介入は園長先生も繰り返し言われていたので、おそらくあれがスクリーニングだったのだろうと感じました。

息子の場合は、多動ではしゃぎすぎ、コミュニケーションが上手に取れない、やりもらいが上手に出来ない、言葉の発達が遅い、とのことで、通常クラスに入ることは拒否されました。

「何も無いよりは教育にいいかも」と週一のプレスクールに通わせることになったのですが、園長先生おすすめのクリニックを受診するようにと強く言われました。

「このままだとあなたのお子さんは大変に不幸なことになる、可哀想だ可哀想だ」と言うのです。

夫が直感的に強く反対し、「もしかしたらクリニック、教育関係者が繋がってるかもしれないから気をつけろ、ビジネスになってるかもしれない」と忠告。「いろいろもっともらしいデータを出されるけれども、まったく同一のモデルでクリニックに行った場合と行かなかった場合で将来にわたって比較検討することは出来ないんだからそれは無意味なデータだ」と。

私自身半信半疑でしたが、園長先生という強い立場の人にそうまで脅されて、わが子の将来を思い半狂乱に近い状態でした。安心感が欲しくて、地域で評判の良い保育園に育児相談に訪れました。保育園の先生に同じクリニックの同じ医師をすすめられ、先程の園長先生とも連絡を取り合っている様子。夫の言葉が思い出され、クリニックに行くことを思いとどまりました。その医師は、園長先生が懇意にしている人物で、地域の障害者療育センターにも隔週で勤めているとのことでした。




発達障害は劣悪な家庭環境が症状を助長する?

それにしても、今でも園長先生と二人きりで個室で言われ続けたことを、何故レコーダーに録っておかなかったのかと悔やむことがあります。

「ADHD等の発達障害は先天的な要因がありますが、後天的な要因、つまり劣悪な家庭状況が症状を助長することもある。だからこそ早期発見早期介入が重要なんですよ」

確かに私自身人付き合いがあまり上手いタイプではなく、だからこそ子供が発達障害なのではないかという思いから、自分の何がいけなかったのだろう、どこをどうすれば良かったのだろう、やはり私自身が問題なのでは、と息子と私自身の過去の生育での犯人探しに血眼になり、後悔ばかりしていたので(今にしてみれば的外れだと思いますが)、園長先生の「劣悪な家庭状況」という言葉は衝撃的でしたし、追い詰められました

受診についてはしつこく勧められましたが、薬については幼稚園でも保育園でも一言も出ませんでした。しかし、夫は「クリニックなんかに行ったら自分の子供が薬漬けにされてしまうぞ、何されるか分かったもんじゃない」と言っていました。

結局、クリニックを受診しなかったので、そのあたりのことはわかりません。

しかし、園長先生にあれほど勧められても子供を医療にかけなかった私たちに対して、周囲は全く理解してくれませんでした。私達夫婦は「きちんとした対処、教育ができない親」とまったくの変人扱い。たびたび心が折れそうになり「TVでも雑誌でも学校でも発達障害を広く強く取り上げているのだから、ひょっとしたらあちらが正しいのではないか?」とクリニックの受診に何度も走りそうになり、その度に夫に諭されました。



少しずつ私もそうした夫の考えを理解し、受診を勧める園長先生には「こころの問題ですし、外科などと違って判別がつきにくい。グレーゾーンな世界なので医師も玉石混合、何が行われているかわからない。大体、発達障害という言葉自体が最近になってもてはやされていることに疑念を感じる」と児童精神医学自体への疑いをあらわにしたら、「存じ上げないかもしれませんが発達障害は50年以上前から研究されている立派な学問ですよ」と笑われました。

しかし夫は「精神医学は科学だというが、学問の世界では50年なんて若すぎてお話にならない。現に社会状況や時勢で学説はころころ変わるし、統計データなんていっても恣意的に自分に有用なバイアスのかかったデータを参照するのが学者の常識なんだから、園長先生の言うことには根拠はなにもない」と一蹴しました。


夫は塾講師ですが、「子供とは元々おかしなもので、幅広い子供に対処するからこそ学校であり、教育のプロなのではないか」と言いました。

確かにその場合、先生方の苦労は目に見えていますが、その場合は周囲の大人が柔軟に子供たちを導くのが正常な社会のあり方なのではないかとも思うのです。今は、綺麗なオブラートに包んで、面倒なこと見たくないことを外側に外側に排除していくのが国是になっているような気がしてなりません。




扱いづらい子は発達障害

園長先生も「将来どうなるかわからない」などと親を脅すような物言いをしましたが、先生方の相手を囲い込むような会話の流れを目の当たりにすると、どうしても扱いづらい子供は発達障害にしてしまいたい、そういう傾向があるのは否めないと思います。

何か心配があるとスクールカウンセラーを勧められますし、一番下の子の時の保護者面談時には(この子も少し変わりものです)、先生が歯切れ悪く何度も「お子さんは少し変わってますよね~、僕も長年教師やってるけど(せいぜい30代半ばの男性教諭がですよ)、こういうお子さんは初めてです、変ってますよねえ?」と何度もこちらを伺うように見たときには、言わせたい言葉が瞬時に分かりました。
「うちの子には何か問題があるのでしょうか」です。
 とてもいい先生なので大変残念でした。

しかし、先生方は立場はもちろんですが、何かとてもいいことをしていると素朴に信じている節があります。

扱いづらい子を良心の呵責を感じることなく政治的に正しく上手に排除する方法に思えて仕方ありません。
その結果に薬物医療が待っているとしたら恐ろしいことだと思います。



中学生になっても我が家の息子はかなりKYですし、変人ですし、親しい友人もいませんが、とりあえず笑顔で普通学級に通学し、通院もせずにすんでいて、本人も落ち着いて家族と毎日の会話が出来ています。

将来どんな職業に就けるかはなはだ不安ではありますが、健康でさえあればどうにでもなると思うようにしています。

きっと我が家のように幼年期に発達障害を言い渡され、通院を促され追い詰められる親は数多く居ると思います。親も子も投薬されていたかもしれません。ここから未来の精神疾患者が大量生産されるのだと思うと大変な問題だと思います。

それでも、今でもふとクリニックに連れて行ったら息子に良いのではないか、と頭をよぎることがありましたので(その度に夫に一笑に付されましたが)、かこさんの記事を読みこれでよかったのだ!!と胸を撫で下ろしているところです。

息子ももうすぐはじめての三者面談です。そこで何を言われるか、楽しみなような恐ろしいような……。」




発達障害児発見のためのチェックリスト

以上のように、こばるとさんからの報告には発達障害を取り巻くほとんどの問題が含まれているように思う。

 まず、スクリーニングによって子どもを選別し、レッテルを貼るという問題。

 その結果、強く精神科受診を勧めるという現実・治療の強制(しかも、親の弱みに付け込むような脅し文句つきで)。

 データで説得するという手法。

「お子さんのためだから」という美辞麗句。しかしその裏に隠されているのは、排除の論理。

 そして、受診させない親を変人扱いするという社会の状況。



 こうした一つ一つに打ち勝っていくためには、こばるとさんのご主人のように、物事の裏の裏を見抜く眼力や知識や、あるいは一種の厚顔さが必要になってくるかもしれない。




 それにしても、平成16年に発達障害者支援法が成立した前後から、発達障害ブームとでもいうべき現象が起きている。一つの病気・障害に注目が集まれば、その病気・障害に当てはまる人の数が爆発的に増えるのは、10数年前のうつ病キャンペーンの例でもまったく同じことである。

 そして、そこに登場するのはきまって「安易な」チェックリストだ。

 以下のページには、発達障害を早期発見するためのチェックリストが掲載されているが、この「質問項目」による全国の実態調査から、発達障害児の割合は6%という数字が導き出されているのだ。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/018/toushin/030301i.htm



 こばるとさんの事例では、こうしたチェックリストではなかったが、発達障害児への注目がすでに集まり始めていた時代ということもあり、幼稚園の園長はそうした目で子どもたちを「選別」することに何の違和感も抱いていない(どころか、とてもよいことだと確信している)。

 そして、今、教育現場では、発達障害者支援法というお墨付きのもと、このような「根拠のない」チェックリストが使用され――そこには発達障害者を早期に発見して、支援するためという大義名分がある――対象者を洗い出し、精神科受診を促すという、何とも絶望的なやり方がまかり通っている。結果、以前ブログにも書いたように「発達障害児は薬漬け」という現状になってしまっているのだ。

そして、さらに問題なのが、たびたびブログで取り上げてきた「精神科早期介入」である。その後ろ盾となる法案が現在進行中であるが(「こころの健康基本法」)、これは統合失調症をはじめ、躁うつ病、うつ病など、若者の精神疾患を早期に発見し、早期に支援しようという、まさに「発達障害者支援法」と同種の法案だ。中身を隠ぺいするための着ている服はまったく同じといっていい。

しかし、これが通れば、発達障害者が実際どのような「支援」を受けることになったか(精神科受診を勧められ、受診すれば投薬はほとんど逃れようがない)、それと同じ道をたどることは火を見るよりも明らかである。

この法案が通った場合、やはり安易で根拠のないチェックリストが蔓延し、数年後には、子どもの統合失調症患者、躁うつ病患者、うつ病患者、その他精神疾患の患者が爆発的に増えていることになるだろう。

こばるとさんのご主人が言ったという言葉。

「子供とは元々おかしなもので、幅広い子供に対処するからこそ学校であり、教育のプロなのではないか」

その通りである。

ちょっと変わった子ども、不思議な感性を持った子ども、ゆえに手におえない反応を示す子どもたち、大人には理解不能の世界を持っている子どもたち、しかし、理解不能だからといってそれを病気・障害としてしまうのは、私たち大人の怠慢、驕り、狭量、合理性を追求しすぎる社会そのもののせいかもしれない。それはきっと「子ども個人」の問題ではなく、もっと広い視野で考えるべきことなのだ。